イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「歴史とともに楽しむ 日本の美しい色―古代からたどる287の伝統色」読了

2025年01月30日 | 2025読書
魚田昌美 「歴史とともに楽しむ 日本の美しい色―古代からたどる287の伝統色」読了

枕草子を読んでいて、平安時代というのは想像以上に色彩豊かな世界であったと感じた。どんな色かは想像できないが、字面を見ていると当時の人たちの感性の豊かさ、自然を見る感覚の鋭さを感じる。加えて、大河ドラマ「光る君へ」の総集編を観ているとその通りカラフルな世界が再現されていた。当時のものというと古い寺院や仏像しか見ていないからモノトーンの世界を想像してしまうが、それはまったく違うのである。

そんなことを思っていたら、図書館の新刊書の書架こんな本を見つけた。古代の神話の時代から近代までのその時代に流行した色を取り上げ解説している。
時代時代で、その時の政情、誰が本当の権力を握っているかで流行色も変わってゆく。

ここで日本の色と外国の色の大きな違いを書いておく。時代を経てキリスト教の信仰が強くなっていくヨーロッパでは、「色々な色を混ぜるという行為は神の創り出した自然へのぼうとくである」という考えから混色によって新たな色を作り出すことは避けるようになった。そのために必要な色彩を持つ着色原料を見つけ出して利用するということが行われた。ラピスラズリの青やマラカイトの緑などがそれだ。
対して、日本では着色原料の多くが植物染料で種類も限られるため様々な色が混色によって作り出され、混色する材料の比率の塩梅で数えきれないほど多彩な色が作り出された。
ヨーロッパでは二流の色とされる、混色でできた二時色のオレンジや緑、紫などは日本ではむしろ尊重されていたくらいなのである。

ここからは時代ごとにどんな色が流行したか、そしてその理由は何だったのかということを書き残してゆく。

神話の時代の色はシンプルだ。赤と黒と白の世界である。赤の語源は、「明け」「明かし」という言葉であるという。黒はなんとなくわかる。「暗い」「暮れる」という言葉が語源である。
人間の時代になると、色は魔よけとして使われるようになる。辰砂(しんしゃ)、赭(そお)、弁柄(べんがら)などの赤系統の色が流行色となる。

飛鳥・奈良時代は遣唐使がもたらした中国の文化の影響を色濃く受け、華やかな色彩がもてはやされた。冠位十二階というのは有名だが、これも色で階級分けをしているくらいだからやはり色というのは社会の中では重要な意味を持っていた。
緋色(ひいろ)、黄丹(おうに)、纁(そひ)、木蘗色(きはだいろ)、桑染(くわぞめ)、黄土色(おうどいろ)紫、緑青色(ろくしょういろ)、紺色


平安時代は遣唐使が廃止になり、「国風化」が進む。法令集である「延喜式」による規制や身分階級による「禁色」があったものの、許可制によって選べる色の葉には格段にひろがった。これが同時代のヨーロッパに比べてはるかに豊富な色が日本で生まれた要因となった。
顔はもちろん、姿すら見せない平安貴族の女子たちは「歌や文」「香り」「色彩」などで自分のセンスや教養をさりげなく表現した。季節と行事、人柄、品位、年齢などで着る色を区分した「かさねの色目」を使い、季節を先取りした色を着ることや、上品で洗練された配色を組み合わせることはインテリの証でもあった。
「かさねの色目」の分類には諸説あるらしいが、十二単の中間の衣、「五衣(いつつぎぬ)」の部分の色目であったり、着物を作るときに表裏に別の色を組み合わせて作る袷仕立て(あわせじたて)での色の組み合わせのことを指す。この本では五衣の組み合わせを「襲の色目」、袷仕立ての色目の組み合わせを「重ねの色目」という表現で区分けをしている。
「襲の色目」では、「紅梅の匂」「松重」「桜重」「萌黄の匂」「山吹の匂」「二つ色」というような組み合わせがある。
「重ねの色目」では、「梅」「柳」「紅梅」「桃」「躑躅」「山吹」などというような組み合わせがある。当時の絹織物は厚みがなかったので、それそれの色が透けて混色のような効果もあり、さらに色表現の深さを醸し出していたそうだ。

今様色(いまよういろ)、紅梅色(こうばいいろ)、桜色、山吹色、黄櫨染(こうろぜん)、蘇芳(すおう)、萌黄色(もえぎいろ)、薄青(うすあお)、二藍(ふたあい)
この中の「黄櫨染」という色は天皇だけが使用を許された色だ。今生天皇の即位のときにもこの色の束帯をお召しになられていたが、けっこう地味な色だと思いながらもなぜだかやっぱり高貴な色に見えてしまう。

鎌倉・室町・安土桃山時代は、武士の時代だ。戦乱が続く中、精神性を尊ぶ「禅宗の思想」から質実な印象を与える簡素な色が好まれるようになった。
室町時代は舶来思考の北山文化、「わびさび」の東山文化へ続いてゆく。濁色、無彩色(墨の五彩)が好まれる幽玄な世界観が生まれる。
安土桃山時代は覇者の時代である。戦国時代を生き抜いた勝ち組の武士たちは派手で華やかなものを好んだ。「絢」と呼ばれる「金色礼賛」が特徴である。金色を主体に、朱や、緑青、紺青、黒などがそれを引き立てた。
猩々緋(しょうじょうひ)、麹色(こうじいろ)、檜皮色(ひわだいろ)、支子色(くちなしいろ)、鶸色(ひわいろ)、海松色(みるいろ)、虫襖(むしあお)、青褐(あおかち)、檳榔樹黒(びんろうじくろ)

江戸時代、戦国の世が終わり平和な時代が訪れると経済的な主導権を町人が握るようになる。裕福な町人が文化の担い手となり、絵画、工芸、俳句、浄瑠璃、芝居などの元禄文化が生まれる。
幕府は庶民が贅沢やおしゃれをすることを禁ずる奢侈禁止令などの倹約令を何度も出すが、それが逆に江戸庶民の美意識を刺激することになった。地味な色合いに「粋」を求め、わずかな色の違いにしゃれ心をみいだし、「四十八茶百鼠」といわれる淡い色彩が人気を博す。
江戸中期以降は庶民の娯楽として歌舞伎が定着し、人気役者の名前を付けた茶色や鼠色が「役者色」として流行した。アイドルのメンバーカラーの原点はここにあったようだ。
甚三紅(じんざもみ)、樺茶(かばちゃ)銀鼠(ぎんねず)、鬱金色(うこんいろ)、白茶(しらちゃ)、藤紫(ふじむらさき)、岩井茶、舛花色(ますはないろ)、栗梅(くりうめ)

江戸時代に流行した色には京紫(京紫)という色もあるが、今週の新聞には京都の嵐山本線でこのカラーの電車が走り始めたという記事が出ていた。今も歴史的な色が息づいているということだろう。



近代になると、工業化がもたらした合成染料が明るく済んだ色をもたらした。西洋化とその反動の「復古調」を経て、「大正ロマン」「昭和も段」という近代化の風潮が現代に続いている。
桜鼠(さくらねずみ)、新橋色(しんばしいろ)、裏柳(うらやなぎ)、藤紫(ふじむらさき)、海老茶(えびちゃ)、宍色(ししいろ)、薔薇色(ばらいろ)、素鼠(すねずみ)、琥珀色(こはくいろ)

この本に紹介されている色はまだまだあるが、それらすべては現代では光や色の三原色の割合で表現できるらしい。印刷でもモニターでもその分量で混合すると古の色を再現できるそうだ。それはそれで現代の技術のすごさを感じるのであった。
できればそれぞれの色をこのブログにも残しておきたかったが相当な労力になりそうだったのであきらめた。
しかし、それぞれの色はネットで検索するときちんと画面に表示される。だから、色の名前を残しておくだけで大丈夫なのである。すごい時代になったものだ。
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水軒沖釣行

2025年01月27日 | 2025釣り
場所:水軒沖
条件:中潮11:18干潮
釣果:アマダイ1匹

最近、いつものスーパー以外にもう一軒スーパーに寄り道して港へ向かっている。ただの縁担ぎだがそのスーパーではおはぎを買っている。ここのおはぎを船の上で食べるとボウズがない。そして今日もそうなったのである。

SNSから流れてくる情報ではアマダイが釣れているらしい。確かに去年の今頃もよく出かけていた。先週のハマチのストックはまだあるので今日はアマダイ狙いだ。
週末の天気は強風ということだったので最初からあきらめていたがたまたま意味なくとった有給休暇の月曜日は雨の予報が少しずつよくなってきた。今の会社は積極的に有給休暇を取らせてくれるのがありがたい。前の会社で教えられたことは、「有給休暇はいざというときのために残しておくものだ。」で、30年以上ほとんどの有給休暇を捨ててきた。これが常識と思っていたがそれはまったくタコツボ的な思考だというのを知るのにこんなに長い年月を必要とした。

朝の予報では洲本でにわか雨ということだったがオーニングのある大きい方の船だとそれも気になるまい。
それでもやっぱり雲が多い朝は午前6時半過ぎでも少し明るい程度でなかなか明るくなって来ない。しかし、ゆっくり出港の準備をしているとまたたく間に明るくなってきた。雲を通しても太陽の偉大さを実感するのである。



ここがアマダイのポイントだと思い込んでいる場所は双子島の沖と紀ノ川河口の沖の2ヶ所だ。今日はお昼に向かって潮が緩んでいくので少しでも川の流れがあるであろう紀ノ川河口方面を目指した。



3本の竿をセットしてしばらく様子を見ていたがアタリはなく、今日の朝ごはん代わりのおはぎをラジオを聞きながら食べているとその時が来た。

 

舳先にセットした置き竿にアタリが出た。割り箸を置いてリールを巻くとまずまずのアマダイが上がってきた。これは間違いなくおはぎ効果なのである。
しかし、すでに2個のおはぎを食べてしまっていたので次は無いかと思ったけれども2匹目はさらに大きなアマダイがヒットした。
1匹目から30分あまり、まったくアタリがないので沖に浮かぶ遊漁船が気になってきた。



やっぱりプロのポイント選定のほうが確度が高いだろうとそちらの方に移動をしようと舳先のリールを巻き始めると魚が乗ってきた。アマダイあるあるだが、仕掛けを回収するタイミングで喰ってくるパターンだ。アマダイはエサが海底から上昇していく動きに相当興味があるようだ。だからタイラバにも喰ってくるのだろう。今日は面倒くさいのでタイラバの道具を持ってこなかったかが次回はきちんと仕掛けを持っていこうと思う。竿を4本となると運ぶのが大変だがここは我慢をしなければならないのだ。

2匹釣れたのでおそらくこの辺りが今日のポイントに違いない。それに、遊漁船は釣れなかったのか、知らない間に視界から消えてしまっていた。流れは沖に向かっているのでもういちど位置をずらして浅い水深のところに移動。今度は真ん中の置き竿にアタリ。これもまずまずの大きさだ。次は舳先の置き竿。これは小さい。5匹目のアタリは真ん中の置き竿。それなりに喰い込ませたつもりだったがすっぽ抜けた。これまでの4匹も鉤を飲み込まず唇にかろうじて掛かっている状態だった。水温が低いからなのか、潮が動かないからなのか、今日はどうも喰い込みが悪い。
最後にやっと手持ちの竿にアタリがあった。これもアマダイあるあるだが、置き竿のほうがよく釣れる。アマダイ釣りは面白いか面白くないかというと、そういう意味ではどちらかというと面白くない釣りの部類に入るかもしれないのでなおさらタイラバを導入したくなるのである。この釣りは動きがある分だけまだ面白みがある。

午前11時前にはまったく潮が動かなくなったのでこれが引き時と今日は終了。

アマダイは美味しい魚でしかも“超”がつくほどの高級魚だ。今日の釣果も市場価格では軽く万円を超えるだろう。しかし一方ではこの魚ほど調理が難しい魚もないと思う。テレビや雑誌に出てくるようなウロコを活かした調理となると至難の業だ。というよりも不可能だ・・。だからいつももったいないことをしていると思っている。そういうこともあるし、今日は午後から3時間の映画を観たいと思っていたので釣った魚はすべて嫁いでもらうことにした。その代わりとして大量の野菜をもらって帰ってきた。野菜は今や高級アマダイよりも高級食材となっている。僕は最近、魚よりも野菜のほうが嬉しいのである。



居眠りをしながら5時間かけて映画を観終わってもフジテレビの記者会見は続いていた。



結局、10時間以上もやっていたそうだが、畢竟、大概の会社はこういう体質なんじゃないかなと思う。兵庫県しかりだが、僕が知っている、自身が勤めていた会社も、コンプライアンス相談をしたら3か月後に縁もゆかりも資本関係もない会社に有無を言わさず出向させられたというのが現実だ。煙たいやつは消したほうが楽だし、ややこしい問題はもみ消したほうがいいと思うのがどの会社の経営者でも持っている本音なのだと思う。おそらく、現在の経営者で60歳以上の人たちが最も嫌いで最も無視してよいと考えている言葉は「コンプライアンス」だろう。人事も、よくこんな島流し先を見つけたもんだと感心してしまうと同時によほど嫌われていたのだろうなと思った。僕はそれ以来、一度も元の会社に出向くことなく退職した。
僕の場合は、捨てられた先のほうが先進的なところで、そこで教えてもらった投資方法で自分の小遣いと釣りの資金と船の修理代を賄えたのだから、コンプライアンス相談ありがとうというところだったが、それは稀に見る幸運だったのかもしれない。
フジテレビはフジテレビだからあんな会社なのではなく、あれがこの国のスタンダードな企業およびその他組織の姿なのだと思う。だからそこは諦めねばならないのである・・。

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 「AIにはできない  人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性」読了

2025年01月23日 | 2025読書
栗原聡 「AIにはできない  人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性」読了

この本は、日本のAI研究の最先端を行っている研究者がAIの過去、現在、未来について語っている。
著者は手塚治虫の「ブラックジャック」の新作をAIを使って作り上げたプロジェクトのメンバーのひとりだそうだ。
本業は慶応大学の教授で専門は人工知能、複雑ネットワーク科学、計算社会科学だと著者紹介で書かれている。ここからすでにわからない・・。


AIの開発の歴史はけっこう古く、1950年代にコンピューターが開発されたときから、その基礎はできていた。現代のコンピューターはノイマン型と呼ばれる形式の構造をしているが、すでにこのコンピューターには「自己再生機械」という構想があり、この、生物だけが持つ機能を持たせることで名前として残っている、フォン・ノイマンは人が持つような知能を備えた機械の実現を夢見ていたようである。
そして、1956年AI(人工知能)という言葉が生まれる。ジョン・マッカーシーという計算機科学者が十数人という少人数による「ダートマス会議」と呼ばれる勉強会で初めてこの言葉が提唱された。
AIが注目されたことは今まで3回あった。「ダートマス会議」の後、「推論問題」「パズル」「迷路」という、人ならではの能力でしか解けない問題を解く技術が生まれた。
この時がAIの第1次ブームであった。ただ、その技術力はあまりにも弱く、実用としてはまったく役に立ちそうもなく次第に注目されなくなった。しかし、このときすでに、ディープラーニングという、現代のAI技術の基礎になっているニューラルネットワークの技術も考案されていた。
次のブームは1980年頃、人が持つ専門的な知識を教え込み、その分野の専門家でなければ解けない難問をコンピューターで解決させる「エキスパートシステム」という発想が生まれた。しかし、ここで、教え込む知識の「質と量」の壁にぶち当たる。それは、専門知識に加えて常識も教え込まなければ正しい答えが導き出せないというのである。
そしてその常識の量が膨大過ぎて当時のコンピューターのスペックをはるかに超えていた。ここでも実用に耐えられるような能力を確保することができないとわかりブームは下火になってゆく。
そして、2010年頃から、第3次のブームが訪れる。2011年、人工知能分野の音声認識に関する著名な国際会議でおこなわれる音声認識の性能を競う競技会で、「ニューラルネットワーク型の音声認識プログラム」が2位に大きな差をつけて優勝したことに始まる。
この手法こそがディープラーニングであり、初めて著名な舞台に登場した瞬間であった。
このブームは現在まで続いているのだが、その到達点のひとつがOpenAI が創り出したChatGPTであったのだ。その大きな特徴は、学術分野で生まれたのではなく、産業側から生まれたことであった。
ここで、ディープラーニングとは何かということを少しだけ説明しておくと、AIが学ぶのは情報だけではない。それよりも、単語のつながりを学ぶということが重要だそうだ。
この技術をTransformerというが、ひとつひとつの単語(データ)が、その単語の前後に位置する膨大な数の単語とどれくらい関係しているかの度合いを学習しているのだという。文章を作るには文法がわかれば作れると思うが、どうもそうではないらしい。それよりもひたすら単語と単語のつながり方を学習するほうがよい。ただ、そのためには膨大なデータを取り扱える手法が必要であった。それがTransformerであった。

ただ、AIの未来はこんなものではないと著者は考えている。著者が想像するAIの未来は自律型のAIと人間の共存である。“自律型”とは目標を与えるだけでそのためには何をするのが最適かということをAI自身が考えて行動するということだが、AIが人間に奉仕する存在であるということを前提にすると、それは、“おもてなし”の行動ができる能力を備えているというのが未来のAIの姿だと著者は考えている。
著者はさらに、AIのゆりかごの中で生きてゆくのが人間にとって最善の生き方であると語る。この頃のAIはすでにAIを超えて、ASI(Artificial Super Intelligence:超人工知能)まで進化し、すでに人間が理解できるレベルを超えていて人間が生み出すデータで学習するAIの延長線には存在しないものとなる。当然人間の知能をはるかに超越している。いってみれば神のような存在だ。それは政治、経済、資源管理、インフラ、すべてを最適に配分してくれる。
こういう発想が生まれるというのはAIの未来を信じて研究している科学者だからこそだろうが、例えば、その目標設定が、「地球を人が住むために最適な環境にせよ。」とされたとき、そのためには人間自身がこの地球上から抹殺されなければならないとAIが考えてしまわないかと僕は考えてしまう。

その前に、AIのゆりかごとはどんなものなのだろうかと想像してしまう。身の回りのことはAIロボットがすべてやってくれて、人間はボ~っとしているだけの生活を続けるのか、もしくは、AIが示した選択肢の範囲のみでしか生きられないのか、どちらにしてもあまり面白くはなさそうである・・。

現代のAIはまだ“おもてなし”には程遠い性能だ。著者が、“壁打ち”と表現しているが、利用者が求める答えを得るために、何度もAIとやり取りをしなければならない。そのためには当然ながらAIをあやつる専門知識が必要になってくる。

すでにAIは一般企業でも活用されているそうだが、一体どんな使い方がされているのかというのが想像がつかない。自分がかつて在籍した会社を思い出してもどんな場面でどんな答えをAIから引き出せたのかがわからない。しかし、今日の新聞には孫正義のグループがアメリカに対してAI開発に78兆円も投資をするのだと記事が出ていた。



日本株もアメリカ株も価格けん引しているのはAI関連だ。投資の世界ではすでにAIが主役に躍り出ている。
好むと好まざるとにかかわらず、AIと関わらずには生きていけない世の中になってしまってきたようである・・。

最後に直前に読んだ本の追加を書いておく。
同じく今日の新聞に「転んでもいい主義のあゆみ  日本のプラグマティズム入門」に登場していた哲学者の、鶴見俊輔の名前が出ていた。このコラムを読んでみると、プラグマティズムとは何かということの一端が見えるような気がする。もう少し色々な本を読んでみようという気になってきた。



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「転んでもいい主義のあゆみ  日本のプラグマティズム入門」読了

2025年01月21日 | 2025読書
荒木優太 「転んでもいい主義のあゆみ  日本のプラグマティズム入門」読了

プラグマティズムというのはいくつか読んだ哲学の入門書にも記載されていた。この本を読むともっと詳しく分かるのかと思ったらそれがまったくわからなかった。なので、とりあえずウイキペディアで調べてみると、
『プラグマティズム(英: pragmatism)とは、ドイツ語の「pragmatisch」という言葉に由来する、実用主義、道具主義、実際主義とも訳される考え方。元々は、「経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」という点でイギリス経験論を引き継ぎ、概念や認識をそれがもたらす客観的な結果によって科学的に記述しようとする志向を持つ点で従来のヨーロッパの観念論的哲学と一線を画するアメリカ合衆国の哲学である。
1870〜74年の私的なクラブに起源を有する思想であり、その代表的なメンバーとしてチャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズらがいる。
プラグマティズムはジェームズによって広く知られるようになり、20世紀初頭のアメリカ思潮の主流となった。心理学者の唱える「行動主義 behaviorism」、記号論研究者の「科学的経験主義 scientific empiricism」、物理学者の「操作主義 operationalism」など及んだ影響は広く、現代科学では統計学や工学においてこの思想は顕著である。プラグマティズムは、社会学、教育学、流通経済学などアカデミズムにも多大な影響を与えたが、それにとどまらず、アメリカ市民社会の中に流布して通俗化され、ビジネスや政治、社会についての見方として広く一般化してきた。

その歴史は前期と後期に大別され、後期のプラグマティズムはシカゴ大学を中心に発展したため、シカゴ学派とも呼ばれる。シカゴ学派の代表的な者にジョン・デューイ、心理学者のジョージ・ハーバート・ミードらがいる。
その後、チャールズ・W・モリス、ジョセフ・フレッチャー、ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン、リチャード・ローティらによってネオプラグマティズムとして承継発展されている。』
という内容であった。アメリカという国が科学技術の最先端を走り続けているのはこういう思想がベースになっているのだということを知ると納得してしまう。
また、AIに聞いてみると、「行動主義」、「可謬主義」というような言葉が出てくる。
「可謬主義」というのは、「全ての知識や信念は誤りを含む可能性がある。」という考え方だが、要は、間違っているかもしれないし、失敗するかもしれないが、「とりあえずやってみると真理に近づける。」ということを言っている。鳥井信治郎の「やってみなはれ」とおなじようなものだろう。
これもある意味アメリカ的だ。

この歳になると、哲学や宗教の本を読むのは、自分が生きてきた時間が正しかったかどうか、“どうか”というよりも、ほんの少しだけでも正しかったと思えるところはないのかということを探すというのがその理由になっていたりする。
プラグマティズムとは、「とりあえずやってみて、間違っていたら修正してゆけばよい」というのが基本的な考え方なのだから、何かやってみたいと思いながらもあれやこれやと理由をつけて、これはムリだ、これはムダだと実行に移さずに生きてきた僕にとっては人生のすべてを否定されているように思えてくる。
まったくわからなかったというのはきっとそういう意味で、僕の文脈に合っていなかったということかもしれない。
加えて、この本はサブタイトルのとおり、アメリカで生まれたプラグマティズムが日本でどのように根付いていったかということが書かれているので元の論理をしっかりわかっていなかったのでなかなか理解はできなかったのだろう。
この感想を書くために、AIにいろいろ調べてもらうと、プラグマティズムのなかの可謬主義の応用として、
『科学: 科学的な探求において、可謬主義は基本的な姿勢です。科学者は、理論や仮説を絶えず実験によって検証し、誤りがあれば修正することを前提としています。

教育: 教育においても、可謬主義は重要な役割を果たします。学生は学ぶ過程で間違いを犯し、その過程で成長していくことが奨励されます。

哲学: 哲学的な議論においても、可謬主義は他者の意見や新しいアイデアに対して柔軟であることを促します。これにより、知識や理解の深化が進みます。』というようなことが回答として出てきた。
この本も、評論、政経、教育、スポーツ、倫理、哲学という分野とプラグマティズム、それに色濃く関係しているかもしれない日本のプラグマティズム研究者の考えや生き様を紹介している。
“かもしれない”というのは、この本を読んでいるときには可謬主義の応用のようなものがわからなかったのでどうして評論×プラグマティズム=田中王堂なのかもわからなかったのである。先にAIに聞いておくべきであった・・。

それでも、一章だけもう一度読み返してみた。石破首相が誕生した時話題になった石橋湛山が、「政経×プラグマティズム=石橋湛山」という章に登場していたからである。
石橋湛山は政治家になる前は新聞記事だったそうだ。評論だけをやっているというのは「象牙の塔」に籠っているだけだと考えて政治家に転身したそうだ。まさにプラグマティズムだ。
この考えは湛山の師匠である、田中王堂の「理論と実行との統一」という考えが色濃くでている。ということだそうである。
分かったようでもありわからないようでもある・・。が、核心はきっともっと深いところにあるのは間違いがない・・。

残りの人生もそう長くないとなると、失うものもない。それならば大きな損失を被らないかぎり何をやってみてもよいと考えてもよさそうなもものだが、結局は休日ごとに昼から酒を呑んで映画を観ているのが関の山だ。
僕はプラグマティズムの対局で生きているような気がする・・。

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水軒一文字釣行

2025年01月18日 | 2025釣り
場所:水軒一文字
条件:中潮15:00干潮 20:48満潮
釣果:マアジ18匹(二人で)

加太から戻り、魚を捌いてから夜釣りに出発だ。水道水は冷たく魚を捌いていると手の指の感覚が無くなってしまった。予定よりも多くの魚を持って帰ってきたので切り身にしてタッパーに押し込み道具を洗い終わると午後3時を過ぎていた。集合時間は午後4時半なのでまだ余裕はありそうだが、夕食を買いアラを捨て、燃料補給をしなければならないので1時間前には家を出なければならない。さかなクンのテレビも途中までしか観ることができずに家を出る。

予定時刻に港を出て30分ほどで釣り座を構える。



Nさんの話では午後5時半ごろから釣れ始めるらしい。それまでのお楽しみは、小さいアジを掛けてそのまま放っておくとヒラメやスズキが喰ってくるということだそうだ。
そんな説明を聞いていると、本当にNさんの竿が大きく曲がった。これは残念ながら鉤には乗らなかったけれども、しばらくしてまた竿が大きく曲がり、ハネが姿を現した。船に積んでいるタモで掬おうとしたけれども直前にバラし。う~ん、重ね重ね残念。

もうすぐ午後5時半。ここからは真剣にアジ釣りモードに入る。大きなアジが喰ってくるはず・・、が、小さい・・。前回の釣行時よりもかなり大きいとはいえ、期待しているには程遠い。大きいのは数匹に留まった。アタリも散発的だ。まあ、これは僕の自作サビキの性能が悪いので仕方がない。Nさんは僕よりもはるかにたくさんのアタリを出している。
僕の釣果が悪いのでNさんの分も貰いながら、小さい魚は放流しながらアミエビが無くなるまで釣りを続けて午後7時30分に終了。
半分を叔父さんの家に届けると、多くもなく少なくもなく、当初、このくらいあればと思ったくらいの魚の数になった。

小さな魚は干物に、大きい魚はフライ用に捌いて午後11時半ごろには布団に入ることができた。
そしてアジフライは間違いなく美味しい。


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加太沖釣行

2025年01月18日 | 2025釣り
場所:加太沖
条件:中潮9:16満潮 15:00干潮
潮流:6:10転流 10:00上り2.8ノット最強
釣果:マサバ2匹 ハマチ14匹

先週のYOASOBIの顛末はというと、週末まで腹痛で苦しんだ。最初の2日は正露丸だけを食べて生きていた・・。



年明けは鼻血で始まり大きな血豆を作り次は腹痛と災難が続いている。鼻血以外は自業自得なのだが・・。



なんとか体調はよくなって今日はダブルヘッダーで挑むことにしている。第一試合は加太。第二試合は水軒一文字へ夜釣りだ。Nさんの話では先週、大きなアジが爆釣だったらしい。もう、口がアジフライになっている。

港に向かう前、マルニシに寄り道をして夜釣り用のアミエビを購入。今、カチカチのアミエビを買っておけば夕方には程よく溶けているはずである。
そんなことをしていたら、出港する頃にはかなり明るくなっていた。



今日の戦略は前回と同じ、四国ポイントで反応を見て、なければテッパンポイントからサビキでスタートと考えている。今日の戦略というよりもここ最近はずっと同じパターンで釣りをしている。引き出しがあまりにも少ないのである。
いつもと違ったのは、四国ポイントに船団ができていたということであった。



僕も早速仕掛けを下ろしてみたがいきなりの根掛かりとなってしまった・・。まだ船が安定していなかったのと、直後にシモリが映っていたので、やってしまったと思ったら、なんだかおかしい。リールが巻ける。あらら・・、魚が掛かっている。グングン引くので根掛かりだと勘違いしたのである。これはもう、佐渡先生が誤診で沖田艦長が死んでしまったと勘違いしたということよりもひどいものだ。そしてこの引きはサバに違いない。上がってきたのは大型と小型のサバが2匹であった。これは幸先がよいとアタリがあった辺りに戻り仕掛けを下ろしたけれどもその後はアタリがない。時合の最後であったか、船の位置取りが悪かったか・・。あっさりとこの場所をあきらめてテッパンポイントへ移動。



今日のこのポイントはすごかった。いきなりアタリがあってハマチが4本上がってきた。続いて3本。今日はめちゃくちゃ釣れてしまいそうな予感がする。しかし、このまま釣れ続けると魚の処分が心配になってくる。そのとき、ふと、Nさんは釣った魚を親戚の旅館で調理してもらっているということを思い出した。早速LINEを送って魚を引き取ってもらえないかとお願いをしてみた。10匹目くらいになったとき返信がきて、OKとのこと。高仕掛けに切り替えてもう少し釣りを続けることにした。
高仕掛けに替えても真鯛は来なくてハマチばかりだ。小さな生簀にこれだけ入れてしまうと酸欠状態になって横を向いている魚もいる。



旅館で扱ってもらうとなると鮮度が重要だ。潮流の最強時刻を超えてからは真鯛のチャンスがあるかもしれないが、このあと夜釣りも控えていることもあり午前10時10分に終了。

旅館に貰ってもらった魚は見事な盛り付けの刺身になっていた。

  

釣られてしまった魚にとっては本望などではないだろうが、切って皿に置くだけの僕の盛り付けに比べるとやっぱり本望だったのかもしれない。



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水軒沖釣行

2025年01月12日 | 2025釣り
場所:水軒沖
条件:中潮6:07満潮
釣果:ボウズ

まずは前日のトラブルから。
スパンカーの土台の隅っこが朽ちてきているのを見つけていて、これは早い目になんとかしなければと思いじっくり調べてみると、少しどころか、相当朽ちてしまっている。やすりでついてみると、ボコっと穴が開いてしまった。スポンジのようになってしまっている。



船を購入した当時から上部が腐っていて、ポリパテで埋めていたのだが、これが不完全で水がしみ込んできていたのかもしれない。
このままで放っとくわけにもいかないのでFRPで穴を塞いでみた。



しかし、対処療法にしかなっていない。オーニングは上下あるボルトのうち下の方のボルトでしか止まっていない感じだ。大型の台風が襲ってきたら全部吹っ飛んでしまいかねない。修理をするとかなり大層になってしまうし、また悩み事が増えてしまった・・。明るいところで撮影したはずなのに背景が真っ黒というのがその悩みを象徴しているようだ・・。


今日の釣行はYOASOBIのための下見を兼ねている。兼ねているというか下見がメインだ。
ついでに双子島周辺にコウイカがいないかどうかを探ってみようというところだ。



元々水軒一文字の周りに比べるとあまり釣れないところではあるが、その水軒一文字がダメになった今、ひょっとしてコウイカたちはこっちに移動していったのではないかと期待したのだがやっぱり全然ダメだった。もう、紀ノ川南岸のこの地域にはコウイカはいなくなってしまったのは間違いがないようだ。

そして下見。どんなYOASOBIかはこのブログには書かないでおこう。

 


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「死とは何か―宗教が挑んできた人生最後の謎 」読了

2025年01月09日 | 2025読書
中村圭志 「死とは何か―宗教が挑んできた人生最後の謎 」読了

年末年始に読んでいたのがこの本だ。なかなか意味深なタイトルだが、一休禅師も、「門松は冥土の旅の一里塚・・」とおっしゃっているくらいだからこういう時期に読むというのもいいのかもしれない。
「死」というものをどう理解するか・・。いろいろなアプローチがありそうだ。生物学的、哲学的、宗教的、心理的・・。メインのタイトルだけを見ただけで借りたのだが、それほど深刻なものではなく、世界の宗教は死後の世界をどう描いてきたかというものであった。

死後の世界はあるのか?おそらく99.9999‥%ない。それでも人の心は不思議だ。体とはまったく別の存在のような気がする。心は鼻血が出てほしくなくても体は勝手に鼻血を出す。という経験をつい最近したところだ。
今では脳の電気信号の集合が心の正体だというのはなんとなく分かってきているようだが、数千年前にはそうもいかない。体が朽ち果てたのち、心と体は分離して人の魂はこの世界とは別の世界に行くのだと考えても不思議ではない。また、人間は先だった人のことを忘れることができない。故人への思慕と死体への嫌悪感の板挟みから、「あいつはまだ生きている」という存在感の意識に見合った仮想のキャラクター、「霊魂」の存在を考えるようになった。まあ、それでも、別の世界に行かなくてもこの世界で共存していると考えてもいいのではないかと思うが、やはりこの世界というのは生きづらいところだから死んで後までここには居たくないというのがこういうことを考えた人たちの正直な思いでもあったのであろう。
この本は、世界の人々が想像した死後の世界をクールに面白く紹介している。著者は宗教学者であるが、宗教家ではないのでそこはクールに見ているのである。

150人以上の集団をまとめるためには共通の神話や宗教が必要になってくるそうだ。(これをダンパー数というそうだ。)3千年前のペルシャでもっとたくさんの人々をまとめるために死後の世界を利用した人たちがいた。ゾロアスター教を生み出した人たちだ。その世界観はユダヤ教やキリスト教がもつ、終末、救世主、復活、審判というような考えに影響を及ぼしたし、閻魔大王が人間の死後に審判を下すというヒンズー教や仏教の終末観に影響を与えるものであった。「拝火教」という別名があるくらいだから、地獄でもやたらと火が出てくる。
その考え方が画期的だったのかどうか、その考え方は東西に広がってゆく。西へはギリシャ神話、旧約聖書、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教へ、東へは仏教として。
オルフェンスとイザナギの黄泉の世界の体験のように、世界の東と西でよく似た神話や死後の世界が存在するのは出所が同じであったということだろう。

時代が進むと、死後の世界はもっと複雑化してくる。しかし、そこには精緻さはない。すべては想像と話を作ったひとの思うままに描かれたような世界だ。まあ、実体がない(はずな)のだからそれは無理もない。今でいうなら架空の町をゲームの中の画面に創るようなものだろう。
しかし、こういうことを言ったり書いたり、当然ありもしないハッタリを堂々と発表してきた人たちには後ろめたさというのはなかったのだろうかと思う。
その到達点が「往生要集」と「神曲」だろう。
この2編が書かれた趣旨はというと、現世の人たちの規律を守るためであり、変なことをやっていたら死んだ後にえらい目に遭うぞいう戒めであった。だから、やたらと地獄の描写が多い。こういうのを見ていると人間の常は悪なのであると思ってしまう。
ただ、今の感覚から見るとやはりオカルト、こっけい、ご都合、行き当たりばったりな内容のように見える。煉獄などという、現世の人たちに忖度したようなものまで登場してくる。

これが中世以前頃までの来世観だが、本の内容は近代の死生観に移ってゆく。さすが時代が新しくなっていくほど、普通の人は天国や地獄が実在するとはおもっていなかったが、本居宣長のように、来世はあるかもしれないけれどもただこっちからはわからないだけだという不可知的なものだと考える人もいたし、19世紀になっても心霊現象を真剣に信じる人もいた。儒教もそういうところはかなりクールで、そうやって先祖の魂を敬うというのはいい事だが、それと天国や地獄が実在するかということは別であると考えた。本居宣長はそういう考えかたを継承していたのだ。その後も大戦が起こるたびに戦争で亡くなった人たちが目の前に現れるという心霊主義が求められたりした。

信じられないけど信じたい。それが現代の死生観だろうが、この本の中のこういう一節にそれがよく説明されている。『人間一般の問題として論じる生死菅と、自分自身が危機を迎えているときの――「生命飢餓状態に置かれている場合の」――生死菅とでは異なる。彼自身は自己の生死観として、死を「別れのとき」という意味を持つものとして、それを立派に演じられるように心の準備をすることを自らに求めている。死は避けられないものであり、しかももはや来世を中世人のようには信じられなくなった現代人としてはこれがぎりぎり現実的な生死観である』

僕自身も死んでしまったら何も残らない。魂などというものは存在せず、あの世もないと思っている。善い行いをしようが、悪いことをしようがそれが因果で何がどうなるかということなどは絶対にないと思っている。一応、悪いことをしようとする前には、「僕に罰を与える存在はこの世にはない・・。」とひと呼吸おいてからコトに及ぶのであるが・・。
しかし、ただ無に帰っていくだけだとわかっていながらそれが怖くなることもある。ただ、死の直前、どんな気持ちでいるのかはその時になってみなければわからない。西田敏行や中山美穂のように、この世でこれからやらねばならないことがまだまだあるのだと悔いを残して死んでいくのではないということだけは確かだ。
まあ、死んでからも実は生き続けていて、今のように何もかもに対して悩み続けるくらいなら何もない世界に帰ってゆくほうがよほど楽だとも思うのである。


なんかだオカルト的な本だと思いながらも、ものすごく色々なことを考えさせられる1冊であった。
著者はシリーズとして同じ中公新書からいくつかの本を出版しているそうだ。この人の本ならほかの物も読んでみたいと思っている。
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加太沖釣行

2025年01月05日 | 2025釣り
場所:加太沖
条件:中潮3:26干潮 10:22満潮
潮流:7:30転流 11:20上り2.6ノット最強
釣果:ハマチ6匹 真鯛1匹

年末年始にこんなに長い休みをもらえたのは学生時代以来だ。正月休みの最終日は安息日にしようと思ったけれど、あまりにも天気がよいし、前回あまりにも魚が乗ってこなかった悔しさもあったので釣りに出てしまった。
魚が乗ってこなかったのはビニールが大きかったのかもしれないと思い急遽小さめのビニールを切り出して前準備をした。結果、小さくてもあまり変わることはなかった。ただ、はっきりと喰い込んでくれたというのはよかったが、それは1匹だけの感触にすぎない・・。

今日の潮ではあまり早く行っても無駄だと考えて、航海灯が必要ないくらいの時間に出港。



朝日がデッキを照らす。

 

四国ポイントには反応がなかったのでそのままテッパンポイントを目指したが途中に魚の反応が出ていたのでそこから釣りをスタート。



今日は1時間くらいサビキをやってみてその後高仕掛けに変更するというほぼ前回とおなじ戦術で挑む考えだ。
アタリはすぐに出た。仕掛けを回収するために早巻きしているときだった。よく引く。この感じでは複数匹掛かっている。ドラグを調整しながらタモ入れをしたが、1匹しか掛かっていない・・。よく見ると一番上の鉤から下が切れてなくなってしまっていた。あら~・・。これで今年早くもオモリを2個ロストしてしまった。
新しい仕掛けに取り替えて今度は1匹だけヒット。余裕で取り込み。次も複数匹掛かった。ついさっきおろしたばかりの仕掛けだから強度もきちんとあるだろうと思っていたら、2匹取り込んだそこから下が無い・・。3個目のオモリロストだ・・。仕掛けは消耗品だとあきらめているが、オモリは値段が高くなってしまっているのでこれは痛いロストだ・・。
3個目の仕掛けで1匹。5号でもナイロンだからフロロカーボンに比べて弱いとはいえ、65センチのメジロクラスでもあげることができるのだからそんなに弱いとも思えない。今日のハマチは少し型がよくて、上のほうの鉤から切られてしまっていることを考えると、全部の鉤に掛って暴れまくられたということなのだろうか・・。さすがに8匹分の引きには耐えられそうもない・・。

ハマチはこれだけあれば十分なので少し早いが高仕掛けに替えて同じ場所でスタート。小さなビニール+赤いゴム+毛糸を取り付けた。最初のアタリはハマチであった。これまでと同じサイズだが、3.5号でも1匹なら余裕だ。
しかし、潮の向きが少し変わったからか、高仕掛けだからか、アタリが無くなってしまった。そうなってくると他の場所が気になる。周りを見回してみるとナカトシタの向こうに船団ができている。人は群れないと生きてゆけない動物だ。僕もそこに吸い込まれようと移動を開始したが、途中大きな反応があったので周りには誰もいないが仕掛けを下ろすことに。やはり僕は群れることができない人間らしい・・。
あまり期待はしていなかったが、アタリはあった。小さいが真鯛であった。喰ってきたのはオレンジのビニール。ほとんど巻き上げもしないうちに鉤に乗った。そういう意味では小さいビニールは効果があるとも言えそうだが、本当にそうなのかというとよくわからない。その後は反応があれどもアタリはない。最初に書いた通り、“これでも釣れる”というくらいのもののようだ。
その後、第一テッパンポイント付近にできていた船団に紛れ込んだりしてみたが何のアタリもなく、本当はお昼過ぎ頃まで粘るつもりであったがそんな気力もなくなり午前11時に終了。



魚がそこに居る限り何か喰わせる方法があるのかもしれない。下手な考えは休むに似ているが何かを見つけたい。とはいうものの、トルコには『すでに書物は書かれすぎた』ということわざがあるとおり、そんな方法があればすでに誰かが見つけていて広まっているに違いない。ましてや、おはぎを買ったときにたくさん釣れたから今日もおはぎを買ったのできっとたくさん釣れるはずだというくらいしか思考が働かない人間には画期的なメソッドを生み出せるわけがないのである・・。
そして、おはぎも、3割も値上がりしていては神通力は3割減なのである・・。



『魚の声を聞け、おはぎに頼るな、なにしゅうしてほしいか、魚が教えてくれる。釣れるぞ、釣れるぞ・・その気持ちが仕掛けに乗り移る。間違いなく釣れてくれる。絶対釣れる仕掛けが出来上がる』
はずなのだが・・。
コメント (2)
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加太沖釣行

2025年01月02日 | 2025釣り
場所:加太沖
条件:中潮8:31干潮
潮流:5:10転流 9:20上り3.4ノット最強
釣果:ハマチ3匹 チダイ1匹

まずは時間をさかのぼって大晦日から。僕の紅白歌合戦評から書いてみたいと思う。今回の紅白歌合戦は出てくる人も知らない人ばかりだし目玉の出演者もいない模様だったのでまったく期待をしていなかった。面白くなくて寝てしまいそうだったので禁断の仕掛けの作り直しをせずに残しておいたくらいであった。
しかし、予想に反してこれは歴代の放送の中でも珠玉の紅白歌合戦と言っても過言ではないと言えるほどの出来であった。
前半に出てくる若いお姉さんたちのグループは全部名前を知らなかったがそれでもクネクネ踊る姿を見ているのは可愛くてなかなか心地がよかった。男子グループも同じくほとんど知らないわけだが、ダンスのシンクロと歌唱力に恐れ入った。ジャニーズのタレントたちが全員出演を辞退したというのは自分たちのクオリティの低さが露呈してしまうのが怖かったというのが本当の理由ではないのかと訝しんでしまった。Number iというのはジャニーズ出身だが色眼鏡で見ているのかもしれないが、はやりクオリティはほかのグループに比べて大したことはない。横浜流星が見どころを聞かれて、「見どころ?」とつぶやいたのはもっともだ。
名前を知らないから純粋に踊りと歌のパフォーマンスを楽しめたのだからこれはこれでいいのだと思うのである。
そして圧巻はB‘zだろう。出るらしいと聞いていたがまさか生のステージに出てくるとは思いもしなかった。名前は知っていてもまったく聞いたことのないグループで、僕みたいな人間が聞くようなジャンルの歌手ではないのはわかっているのだがいっぺんに好きになってしまった。なんといっても「出てやってる」感がまったくなかったのがいい。



そして、THE ALFEEもよかった。みんな70歳だというのが信じられない。南こうせつとイルカも同じくだ。
こういう、今も頑張っている往年のスパースターの出演というのがこれからの紅白歌合戦の新しいパターンになってゆくのかもしれない。今年はきっと小田和正が登場するだろう・・。僕は浜田省吾にぜひ出演してもらいたい・・。


翌日の元旦の朝、僕は鼻血を出して目を覚ました。目下のところ、30日の朝から3日の朝まで5日連続で寝ているときに鼻血が出た。それもけっこうな量で便座にうつむいているとボタボタと血が落ちてくる。鼻の血管というのは脳の血管と同じらしく、ひょっとしてターボ時代のF1のポップホフバルブみたいに高血圧状態を開放することによって僕の脳の血管が切れる前に鼻のほうが切れることによって僕の脳を守ってくれているのかもしれないと思うとありがたいかぎりだが、真っ赤な血を見ていると怖くなる。6年前の出来事の再来かと恐ろしくなってきた。正月だから耳鼻科も休みだ。困ったと思うのだが、幸いなことに押さえていると10分ほどで止まってくれる。
だから元旦は毎年のとおり初詣に出かけることができた。今年はいつものルートと逆向きで、途中、伊太祈曽神社に向かった。

 

年末に観ていた映画のロケ地のなっていたというのをエンドロールで知ったからだ。もう一度各シーンを観直してみたら確かにそこは伊太祈曽神社であった。これはぜひ杉咲花が座ったかもしれない石段を見なければならない。



本殿にお参りして名草神社に向かうのだが、近道はないかとまったく知らない道を走っていると偶然にも、主人公の杉咲花が子供の頃を過ごした団地のロケ地はここではないのかと思える寂しい団地に紛れ込んでしまった。なんという偶然かと新年早々の幸運に感謝した。しかし、ここで運を使ってしまうと残りの364日が怖くもなるのであるが・・。



名草神社では長らく途絶えていた甘酒の振る舞いが復活していた。

 

どんど焼にあたりながらかじかんだ両手をほぐして次の中言神社へ。次に竈山神社に向かって1回目の初詣を終了。



翌日2日、例年なら軽く釣りを済ませて港近くの神社に初詣に回るのだが本格的に加太を目指した。
今日からは例年の潮流表を使えない。ネットのグラフのドットは10分刻みなので冒頭の潮流情報も10分単位になってしまう。なんだか信頼性がなさそうに見えてしまう。

今日の戦術は、潮流が最強を迎える頃まではサビキをやってみてその後高仕掛けに変更しようと考えている。
正月早々あんまり早くも出たくないので午前6時50分に出港。



今日の日の出時刻は午前7時6分なので間もなくだ。
天気がよいとはいえ、正月早々船を出しているバカなやつはそんなにいないだろうと思っていたら、紀ノ川方面からは続々と船が出てゆく。まあ、魚は暦を知っているわけではないのでお正月だからといってまったりしていないのだからいつもと変わらない。人間も魚を釣りたかったら暦などを気にしていてはいけないのは確かだ。
途中、海から見るのは新年初の初日の出を拝んでいざ加太の海へ。



四国ポイントに反応があればサビキを下ろしてみようかと思っていたが何の反応もなく即テッパンポイントを目指した。
その判断と最初はサビキでという選択は当初は正解であった。すぐにアタリがあってハマチが3匹。その後も間もなくチダイも掛かった。これはひょっとして今日は大漁かと思ったがその後がまったくダメだった。ハマチは3匹あれば十分だと思ったので高仕掛けに変更したのだがまったくアタリがなくなった。魚探の反応はあるのに・・。
時々アタリがあっても追って来ない。唯一、途中から一番下の鉤に取り付けた毛糸には少し長く真鯛らしき魚が追ってきたけれども、もう大丈夫だろうと本格的に魚とのやり取りを始めたがあっけなく抜けてしまった。
これで気力途切れてしまって午前11時に終了。
これはアタリも何もなかったのだが、オモリが海底に着いた直後、完全にテンションが無くなり、引き上げてみるとクッションゴムが途中から切れてしまっていた。



経年劣化ならまっすぐ切れているのだろうが斜めに切れてしまっている。サワラかタチウオか、歯の鋭い魚でもいるのだろうか・・。


港に戻る前、同じく初釣りに出かけているNさん一行にご挨拶をしたり、



後片付け、給油や、叔父さんの家に魚を持っていったりしていたら午後2時になってしまい、今日の初詣は断念。

翌日、行けなかった初詣に出かけた。その前に焚き火だ。渡船屋が休みなので港を自由に使える。そして、家ではほとんど食べさせてくれない牛肉を焼くのだ。
いつものスーパーで3割引きになっているステーキ肉を買い。港の氏神様に一番にお参りしていざ港へ。



霜が降りた焚き付けはなかなか着火しないが、ライターを使わず火を熾すことはできた。
ステーキ肉の味付けは冷蔵庫に転がっていたステーキソースを持ってきたのだが、これは圧倒的に塩コショウのほうがよかった。



船のロープの補修を少しやって雑賀崎の衣美須神社へ。



次は田ノ浦の衣美須神社。



ここはお神酒がセルフサービスになっていていくらでも飲んでしまいそうだが、さすがにバイクではそれをやってはいけない。なくなく一杯だけいただいて天満宮へ。ここでも梅酒をいただくと東照宮の階段が登れなくなってしまった・・。歳は取りたくない・・。

  

塩竈神社、玉津島神社といつものルートで初詣をやって正月の行事をすべて終了。

 


あるPR詩に角田光代のエッセイが載っていて、この作家は年末が近づくと次の年の抱負を真剣に考えるそうだ。



そして、それを書いたり言ったりしたほうがいいという。それは、抱負というのは現実になるのに時間がかかるので書いたり言ったりしなければ抱負自体をわすれてしまうからというのがその理由だそうだ。
僕は逆で、今までの人生、自分のやりたいことを人に言うとそれが現実しないというジンクスをずっと抱えてきた。だからまず、人にそんなことを言うことはなかった。まあ、今となってはこれから先、こんなことをしたいということもないので人に言うこともない。
願わくばこれまでやって来たことを何事もなくやり続けられればそれでいい。しかし、実はそれが一番難しい。逃げ切ることが最も難しいとはなんとも生きづらい世の中になったものだ。このブログを書いているのは1月4日だが、コウイカのスッテを買おうと思って釣具屋に行くと、メーカーが廃番にしたのでもう手に入らないという。コウイカも釣れなくなったがそれを釣る仕掛けを作れなくなってしまう方が早かった。
何かいいことを探して景気づけにしようと思っても何もない・・。
新年早々嫌なことばかりである・・。
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