文藝春秋編/著 「巻頭随筆 百年の百選」読了
文藝春秋は2022年に創刊100周年を迎えたそうだ。本を読むのは好きだが、文藝春秋をはじめとする文芸誌などはまったく読まない。唯一読んだのは「火花」が掲載されたときの号だけだ。
その文藝春秋には巻頭に毎号数編の随筆が「巻頭随筆」という形で掲載されている。著者は作家だけにとどまらず、学者、俳優、タレント、政治家、実業家、スポーツ選手様々だ。
この本は100年の歴史の中で書かれてきた随筆の中から100名の随筆を選び出して掲載されている。
作家はともかく、文章を書くのが本業ではない人の文章が上手いのには驚く。厳選された随筆ということで駄作といえるものもひょっとしたらあったのかもしれないし、編集者のアドバイスもあったのかもしれないが、それを差しい引いても素晴らしい出来栄えだと思う。
淡谷のり子、長嶋茂雄、加藤紘一、この3名の文章は特に上手いな~と思った。長嶋カントクなんて、インタビューなんかを聞いていると、宇宙人かと思うところもあったが文章になるとまったく異なり、理路整然としてこの人が言いたかったことがはっきりと示されている。
対して、きっと話すことはピカイチだと思える皇族の方の文章はよくわからなかった。編集者も憚られてアドバイスができなかったのであろうかと思えてくる。
様々なテーマの文章が並んでいるので、知識としてこういったものを書き留めておきたいというものはないのだが、こういったものを読まないとこんな言葉を知ることがなかったというものをいくつか書いておきたいと思う。
懦夫、赤心、索強付会・・。読むことさえできなかった。
それと、言葉ではないが、「太陽の下に新しきはなし」ということわざについて。
これは芥川龍之介の随筆のなかで紹介されていたものだが、師の本の中に、「すでに本はたくさん書かれすぎている」ということわざが書かれていて、これはトルコのことわざだということなのだが、グーグルで検索してもヒットしない謎のことわざであった。仕事の上での知り合いにトルコの人がいて、その人にはサバサンドの極意は教えてもらったものの、このことわざについては聞くこともなく僕は島流しに遭ってしまった。
「太陽の下に新しきはなし」ということわざを読んで、「すでに本はたくさん書かれすぎている」というのはこのことわざと同じ意味を持っているのだなと思いついた。
たまには文芸誌も読まねば知性と教養は身につかないのだと思い知ったのである・・。
文藝春秋は2022年に創刊100周年を迎えたそうだ。本を読むのは好きだが、文藝春秋をはじめとする文芸誌などはまったく読まない。唯一読んだのは「火花」が掲載されたときの号だけだ。
その文藝春秋には巻頭に毎号数編の随筆が「巻頭随筆」という形で掲載されている。著者は作家だけにとどまらず、学者、俳優、タレント、政治家、実業家、スポーツ選手様々だ。
この本は100年の歴史の中で書かれてきた随筆の中から100名の随筆を選び出して掲載されている。
作家はともかく、文章を書くのが本業ではない人の文章が上手いのには驚く。厳選された随筆ということで駄作といえるものもひょっとしたらあったのかもしれないし、編集者のアドバイスもあったのかもしれないが、それを差しい引いても素晴らしい出来栄えだと思う。
淡谷のり子、長嶋茂雄、加藤紘一、この3名の文章は特に上手いな~と思った。長嶋カントクなんて、インタビューなんかを聞いていると、宇宙人かと思うところもあったが文章になるとまったく異なり、理路整然としてこの人が言いたかったことがはっきりと示されている。
対して、きっと話すことはピカイチだと思える皇族の方の文章はよくわからなかった。編集者も憚られてアドバイスができなかったのであろうかと思えてくる。
様々なテーマの文章が並んでいるので、知識としてこういったものを書き留めておきたいというものはないのだが、こういったものを読まないとこんな言葉を知ることがなかったというものをいくつか書いておきたいと思う。
懦夫、赤心、索強付会・・。読むことさえできなかった。
それと、言葉ではないが、「太陽の下に新しきはなし」ということわざについて。
これは芥川龍之介の随筆のなかで紹介されていたものだが、師の本の中に、「すでに本はたくさん書かれすぎている」ということわざが書かれていて、これはトルコのことわざだということなのだが、グーグルで検索してもヒットしない謎のことわざであった。仕事の上での知り合いにトルコの人がいて、その人にはサバサンドの極意は教えてもらったものの、このことわざについては聞くこともなく僕は島流しに遭ってしまった。
「太陽の下に新しきはなし」ということわざを読んで、「すでに本はたくさん書かれすぎている」というのはこのことわざと同じ意味を持っているのだなと思いついた。
たまには文芸誌も読まねば知性と教養は身につかないのだと思い知ったのである・・。