イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「古池に飛びこんだのはなにガエル?短歌と俳句に暮らす生き物の不思」読了

2024年08月27日 | 2024読書
稲垣栄洋 「古池に飛びこんだのはなにガエル?短歌と俳句に暮らす生き物の不思」読了

著者の本を読むのは4冊目だ。この本もたまたま書架で目にして面白そうなタイトルだと思って借りてみたらこの人の本であった。
農学博士、雑草学者という肩書のほか、コスモス短歌会会員という肩書も持つらしい。40歳を過ぎてから短歌を始めたそうである。ひとつに秀でたひとは何でもできるようだ。そして、なんと僕よりも4歳も若い。
この本は短歌や俳句に登場する生物は具体的にはなんという名前の生物だったのか、また、その歌や句の作者はその生物のどんな特徴を捉えてその作品をものしたのか。元々短歌や俳句というのは自然の情景を織り込んだものが多いというかほとんどがそうなのだか作者たちが捉えた情景を著者はさらに生物学の視点から掘り進んでゆく。蘊蓄の塊であり、そんなことがあったのかと感心させられる。
この先は取り挙げられた歌や句とそこに登場する生物の蘊蓄を箇条書きにして記録しておきたいと思う。

「初蝶や 菜の花なくて 淋しかろう」 夏目漱石
この句の「初蝶」はモンシロチョウだ。モンシロチョウは菜の花の周りをよく飛んでいるが花の蜜を吸うためではない。卵を産むためだけに飛んでいるのである。モンシロチョウの幼虫はアブラナ科の植物の葉しか食べることができない。アブラナ科の植物はシニグリンというカラシ油成分を防御物質として蓄えているがモンシロチョウの幼虫はこれを無毒化することができる。しかし、他の植物が持つ防御物質は無毒化できない。たくさんの防御物質に対応しようというのは非効率的だから無理にそういうことをしないのである。
そして、モンシロチョウもこの物質を足の先端で探知して幼虫に食べさせられる植物かどうかを確認しているらしい。
そして、モンシロチョウは一ヶ所にひとつしか卵を産まないそうだ。だからかなり広範に飛び回っているのである。
白菜やレタス、キャベツ、大根、カリフラワー、ブロッコリーは似ても似つかない植物だがすべてアブラナ科の植物だ。これらの植物の花は全部同じ形をしていて、菜の花にそっくりである。多分、根菜以外の野菜というのはほぼすべてアブラナ科の植物なのじゃないかと思ってしまうほどだ。
これはこの本の蘊蓄ではなく、僕が叔父さんの畑の中で知ったネタである。

ちなみにモンキチョウの幼虫はマメ科の植物の葉しか食べないそうである。
その他、蝶の鱗粉を取ってしまうと羽は透明だそうだ。トンボやハチと同じなのである。不思議なことにこの鱗粉を取ってしまうとうまく飛べなくなってしまうらしい。

「花びらの 垂れて静かや 花菖蒲」 高浜虚子
ハチを呼び寄せたい植物は紫色をしていることが多い。ハチは飛ぶ力が強いのでたくさんの花を回ることができるので花粉をたくさんの花に届けることができる。しかもハチは同じ種類の花を回ることができる。ハチミツにはレンゲやアカシアというような植物の種類ごとの商品があるのはこの性質があるからだ。
花のほうもハチに花粉を運んでもらうためにたっぷりの蜜を用意していて、しかもハチにだけ蜜を与える工夫をしている。
花菖蒲もそんな花の構造をしている。下に垂れ下がった花びらには黄色い模様がある。この模様はガイドマークと呼ばれハチに蜜のありかを示すサインとなっている。ハチはこのガイドマークを目指して下の花びらに着陸する。ガイドマークに従ってハチが下の花びらと上の花びらの間を中へともぐりこんでいくとその奥に蜜が隠されている。その通り道には雌しべと雄しべが配置されているのである。
ハチの立場に立ってみれば、複雑な構造を解いて密にありついたのだから同じ構造の花に行くと間違いなく蜜にありつける。別の花だとまた最初から花の構造を解かねばならないので非効率という訳なのである。

「パンジーの 畑蝶を呼び 人を呼ぶ」 松本たかし
パンジーはいろいろな花の色の品種があるが、原種であるワイルドパンジーは紫いろと黄色と白色の花びらが混ざっている。パンジーも花菖蒲と同じように複雑な構造をしていて、ハチだけを呼び寄せる構造をしている。
パンジーの上の花びらは紫色をしていて「旗弁」と呼ばれ、遠くの昆虫に花の存在をアピールする。下の花びらにはガイドマークの模様があり横の花びらは潜ってゆく昆虫をガードする役割をしているそうだ。蜜を奥深くに隠すために「距」というツボ状の筒が後ろに張り出している。茎は花の中心に付いていてやじろべえのようにバランスを保っている。
しかし、蝶はこの構造を無視して長いストローのような口で蜜だけを吸う。花の中には入っていかないので花粉も運ばない。蝶というのはほとんどの花にとって泥棒のようなものらしい。

「萱草の 一輪咲きぬ 草の中」 夏目漱石
蜜泥棒の蝶を利用して花粉を運ばせているのが萱草(カンゾウ)だ。蝶は長いストローで雄しべを通り越して蜜を吸うが、萱草は平たく大きく開いた花に雄しべと雌しべを長く伸ばしている。萱草の花に止まろうとした蝶はどうしても体に花粉を付けてしまう。
蝶は飛翔力が高く、広範囲に花粉を運ぶ。だから萱草はポツンと1輪だけ咲いていることができるのである。
萱草というと僕の中では山菜のイメージしかないが花の季節にはオレンジ色の花を咲かせる。赤に近いオレンジ色は波長が長いので遠くからでも目立つ。蝶を呼び寄せるための策がオレンジ色なのである。
萱草の花とユリの花は形がよく似ている。ユリも萱草とおなじ戦略で蝶を呼び寄せる。萱草はもともとユリ科の植物として分類されていたが遺伝子の解析技術が進んでツルボラン科に変更された。種類が違っても同じようなデザインの生物が生まれるのを「収斂進化」という。

「何候(なにぞろ)ぞ 草に黄色の 花の春」 服部嵐雪
紫色の花はハチを呼ぶが、黄色の花はアブを呼ぶ。春には黄色の花が目立つが、これは最初に活動を始めるのがアブの仲間で、そのアブたちはが黄色い花を好んで訪れるからだそうだ。しかし、アブはハチほど賢くないので同じ花を選択して訪れることはできずところかまわず訪れてしまう。だから黄色い花は近いところに集まって咲くことでアブに同じ花を訪れさせようという戦略を取っている。

「戯奴(わけ)がため、我が手もすまに、春の野に、抜ける茅花(つばな)ぞ、食(め)して肥えませ」 紀小鹿
茅という名前からは天神祭りの時に天満宮の入り口に置かれる丸い輪っかを思い出すだけだが、よく見る雑草の名前だった。サトウキビの仲間だそうで、若い穂をかじるとほんのり甘い味がするそうだ。これはいちど試してみたい。

「古池や 蛙飛びこむ 水の音」 松尾芭蕉
この本のタイトルにもなっているが、このカエルはツチガエルだったと言われている。当時の詩歌の世界ではカエルというとカジカガエルのことを詠むというのが常識であったそうだ。鳴き声が確かに雅だからそうなるのだろうが、松尾芭蕉はあえて古い池とツチガエルを詠んだ。それが画期的だったそうだ。
芭蕉はカエルを詠んだのではなくカエルが跳びこむかすかな音も聞こえるほどの静寂を詠んだのだということである。これは、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」にもつながる詠み方なのである。
ちなみにこのセミはニイニイゼミだと結論づけられているそうだ。

「兎も 片耳垂るる 大暑かな」 芥川龍之介
兎は“うさぎ”と読むと変な字余りのようになってしまうが字足らずでいいらしい。
兎が走るとき、耳はどうしているかというと、立てて走っているそうだ。空気抵抗がないように畳んで走っていそうだがそれは間違いだそうだ。ウサギの耳は放熱板の役割をしていて長い耳を風に当てて耳を流れる血液を冷やしているらしい。

「蠅とんで くるや箪笥の 角よけて」 京極杞陽
ハエの飛翔力の秘密は2枚しかない翅である。昆虫はふつう4枚の翅を持っている。ハエは素早く翅を動かすために後ろの翅を棒状の「平均棍」という器官に変化させた。この平均棍を使って飛行を安定させている。飛行中のハエが(意識的にであれ,突風にあおられてであれ)急に向きを変えると、平均棍の柄の部分がねじれ、そこにつながった神経終末の束がねじれを感知し,その情報が脳に送られ,ハエは適切に対応して飛行を安定させる。ジャイロスコープのような動きをしているのである。
ハエの翅は1秒間に数百回も動いている。だから五月蠅いのである・・。

「朝露に 咲きすさびたる 月草の 日くたつなへに 消ぬべく思ほゆ」 作者不詳
月草とはツユクサのことである。朝露に濡れる時間帯に花が咲いているからツユクサと呼ばれるのかと思ったら、葉の先端に「水孔」と呼ばれる小さな穴があって、夜の間に余分な水分をこの孔から排出している。この水分が水滴となってツユクサは濡れている。朝露ではなかったのである。
ツユクサは花の形も変わっている。蛍草と呼ばれたり、鈴虫草、蜻蛉草と呼ばれたりもする。
その理由はツユクサの花は蜜を持たないからだ。ツユクサにやってくるアブは花粉を餌にするためにやってくる。ツユクサの花の一番奥には黄色の雄しべが三つ並んでいる。青い花びらに黄色の雄しべは映える。この鮮やかな黄色でアブを引き寄せる。しかし、この3本の雄しべには花粉がほとんどない。これはおとりなのである。本命はその前にある目立たない雄しべである。しかし、アブもバカではないので鮮やかな雄しべがおとりであると気づくやつもいるので本命の花粉をたべてしまう。しかし、ツユクサはまだその上をいく。本命の本命は別にあるのだ。実は花の前面には目立たない地味な雄しべがあと2本ある。おとりの2段構えでアブをだますのである。
蛍草という名前が詠まれている句として、
「朝風や 蛍草咲く 蘆の中」 泉鏡花
が紹介されている。

「向日葵の 一茎一花 咲きとほす」 津田清子
人間の改良によって目的とする一つの部位が大きくなることを「ヒマワリ効果」と呼ぶそうだ。ヒマワリの野生種はコスモスみたいに一つの茎にたくさんの花を咲かせるそうだが、利用部位を大きくするために一つの茎に一つだけ花を咲かせるように改良したのである。
他には人参(野生種の根はほとんど太らない。)、ナシ(原種のヤマナシは小さな実しか実らせない)、イネ(収穫量を増やすために種子が大きくなるように改良された)などがある。イネは実ってもコメを地面に落とさないが、あれも「非脱粒性突然変異」を起こした株を選別してモミが落ちないように改良されている。頭を垂れるのは自然界では不自然なのである。

「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」 作者不詳
これは安倍晴明の母親が作ったとされる歌で、その母親は信太の狐だということである。
名は「葛の葉」と言ったそうだが、当時、クズの葉は「裏見葛の葉」と呼ばれていた。クズの葉は葉の裏が白く見えるので裏側が見えるとよく見えるからだそうだ。クズの葉は夏の盛りには自ら葉を立てて裏側を見せるらしい。これは光が強すぎると光合成の能力を超えてしまい、かえって害になってしまうからだそうだ。この仕組みは葉の付け根にある「葉枕」というコブのような器官にある水の圧力を調整することで葉を動せるようになっているそうだ。

「梨食うて すっぱき芯に いたりけり」 辻桃子
ナシの芯はすっぱい。種子を守るためだそうだが、スイカやメロンなどは種子の周りはかなり甘い。植物が甘い果実を実らせるのは鳥に食べさせて遠くへ種を運ぶためである。
リンゴやナシの原種は果実が小さく、鳥が丸呑みする。りんごやナシはバラ科の植物であるが、彼らは子房を膨らまして甘くなる植物と違った戦略をとっている。食べられたあとで消化されてしまっては困るので種子の周りを守る構造を発達させた。同じくバラ科の梅やモモもかたい殻を作って中の仁と呼ばれる本当の種を守っている。
リンゴやナシは子房を発達させて甘い果実を作っているのではなく、「花托」と呼ばれる花の付け根の部分が子房を包み込むように太ったもので、子房が発達した「真果」に対して「偽果」と呼ばれている。

「生きて仰ぐ 空の高さよ 赤蜻蛉」 夏目漱石
赤トンボという名前のトンボはない。20種類くらいの小型の赤蜻蛉の総称だそうだ。
トンボには竿の先に止まる種類と、竿にぶら下がって止まる種類のものがある。竿の先に止まるトンボの代表格はアキアカネである。どうして竿の先に止まるのかというと、体を温めるためだそうだ。変温動物のアキアカネは気温が低くなる夕方になると時々体を温めないと動けなくなるらしい。止まる向きも決まっていて、必ず夕日の方向に対して横向きになるように止まっているそうだ。これが一番効率よく日を浴びることができるからだ。太陽光が強い夏の間は体温が上がりすぎるので上から照りつける太陽に対して尻尾の先をまっすぐに立てて逆立ちをするように止まるそうである。赤蜻蛉というと秋の虫のように思うが、夏の間も飛んでいるのだけれども赤くないのでこの季節には赤蜻蛉はいないと思われているだけである。赤いのは婚姻色だそうだ。
アキアカネと対照的に飛ぶのが好きなトンボはウスバキトンボである。熱帯産のトンボで春になると中国大陸から飛んでくるらしい。日本で卵を産んで次の世代が生まれると夏の終わりころに群れをなして飛び回るそうだ。お盆の頃に目立って来るので「精霊とんぼ」とも呼ばれる。
このトンボはまた中国に帰っていくのかどうか、その謎はこの本には書かれていなかった。
「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む」 藤原良経
ここでいう「きりぎりす」とはコオロギのことである。現在キリギリスと呼ばれている昆虫の鳴き声は「チョン ギース」だが、コオロギは「キリキリ」と鳴くのでなんとなくキリギリスのほうが当たっているような感じがする。まあ、万葉の時代には秋に鳴く虫は全部コオロギと呼ばれていたそうだからなんでもコオロギだったのだ。というのも、秋に鳴く虫というのは鳴き声は聞こえても姿が見えないのですべて同じ名前で呼んでいたのである。
江戸時代になって、虫かごに入れて虫の音を楽しむようになりその時に混同してしまったのではないかという説がある。
マツムシとスズムシも平安時代は今とは逆に呼ばれていたそうだ。

「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」 松尾芭蕉
枯野の元になっているのはススキなどのイネ科の植物だ。ケイ酸というガラス質の物質を葉や茎に蓄積しているので腐ることなく立ち尽くしている。確かに早春の生石山に行ってもススキだけが立ち枯れている。焼いてくれないとワラビを採るのに難儀するのである・・。


都会にいるより海や山、川にいるほうが好きだから植物や昆虫、動物などはいっぱい見るけれどもほとんどその名前を知らない。その生態はというともっと知らない。こういうのをなんちゃってナチュラリストというのだろう。
そういう知識を知っていると、きっと見えているだけの自然の姿が違って見えるに違いない。
ついこの前見たトンボはずっと飛び回っていたからウスバキトンボだったのだろう。



ツユクサはまだ港に咲いているかもしれないから花びらの形をじっくり観察してみたいと思う。

これは何にでも言えることだろうけれども、見えているのと見ているのでは大違いである。よく考えたら、見えているだけであったものを見ているのだと錯覚したままここまで来てしまったと思う。
だから、4歳も年下の人が書いた本に感心するしかないのである・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水軒沖釣行

2024年08月24日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:小潮9:15満潮
釣果:ボウズ

タチウオ調査の3回目。



今日も釣れない。去年のこの週の土曜日にはタチウオの姿を見ているがまだタチウオは到来していないようだ。このブログを読んでみると去年もそれまでは全然釣れていなかったようなので気持ちだけが先行しているのかもしれない。と、言いながら3回連続でボウズというのも気がめいってしまう。
その後、禁断の仕掛けを流しながら住金一文字まで行ってみたが何のアタリもなく終了。

台風の前の空模様でもないのだろうが、絵心があれば写生してみたいと思えてくるほど多彩な雲の景色が広がっている。横からの太陽光は芸術である。

    

ただの負け惜しみにしか過ぎないのだが、こういう景色を見るだけでも朝から船を出す甲斐はあるのである。

港に戻ってその台風の対策。当初直撃の予報だったが東の方に振れてきたので少し安心したが、夕方の予報ではまた西に戻ってきた。6年前の台風21号と同じようなコースを取りそうだ。



対策といっても舳先のロープを増やすだけなのだが、もっと気になるのは隣の不動船だ。これだけでも不安なのにコブ付きなった。



新たに入ってきた船だが、係留用の碇を落とさずに不動船に括り付けたままだ。それでなくても沈没しそうな船にコブが付くともっと危険度が増すのは間違いない。上手い具合にロープが切れて漂流して出ていってくれることを願っているのだがこの場で沈没する確率のほうがはるかに高いだろう。そうなるとそれに巻き込まれるのは僕の船ということになる・・。
しかし、この船のオーナーはこんな状態で係留したままで不安にならないのだろうか。


魚探の画面がおかしい件だが、Fさんが教えてくれたことには、「ビネガーシンドローム」という症状かもしれないということだ。液晶パネルの前面には偏光フィルムが貼られているそうで、そのフィルムの素材であるアセチルセルロースが加水分解してブツブツができてくるらしい。いくつかの動画を送ってくれたので見てみると、それを貼り替えることで修理ができるというので家に持って帰って早速分解してみた。
相当酸っぱい臭いが発生するというので勝手口の前で作業を始めてみたのだが全然パネルにたどり着けない。当初、前面のカバーを外すことができれば楽勝じゃないかと考えていたのだが、結局、中の基盤を全部外さなければ液晶パネルが見えない構造になっていた。
やっと液晶パネルを取り出したものの、偏光フィルターが剥がせない。中心部分はブツブツだが周辺部分はしっかりくっ付いたままなのである。スクレーパーを当ててみるがびくともせず、これ以上やったらパネルのガラスを傷つけてしまうかもしれないと思い断念。



今度は元に戻さねばならないのだが基盤とパネルをつなぐフラットケーブルの留め具の爪を折ってしまいきちんとつなぐことができなかった。加えてこういう作業をした時のお約束でなぜだかネジが2本余ってしまった。



これでは船の振動でバラバラになってしまいそうだ。その前にフラットケーブルの接続不良ですでに使えなくなってしまっているだろう。
これで買い替えに対して踏ん切りがついたと思っていたら、フェイスブックにこの顛末をアップしてしばらくしたらTさんから電話があり、使っていない魚探があるので差し上げますよというありがたいお言葉をいただいた。
気に留めてくれていたことに本当に感謝だ。どんな機種かはわからないが、水深とGPSの位置情報さえわかればそれで満足だ。到着を楽しみに待ちたいと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人類は宇宙のどこまで旅できるのか :  これからの「遠い恒星への旅」の科学とテクノロジー 」読了

2024年08月21日 | 2024読書
レス・ジョンソン/著、吉田三知世/訳 「人類は宇宙のどこまで旅できるのか :  これからの「遠い恒星への旅」の科学とテクノロジー 」読了

読む前から多分そうなんだろうなとは思っていた。タイトルは「どこまで旅できるのか」だが、どこへも行けないというのがほぼ結論だ。
ここでいう旅は恒星間の旅だ。太陽系から一番近い恒星はケンタウルス座α星の三連星で距離は4.3光年しかないけれども光速の10分の1の速度で旅をしても43年かかる計算だ。しかも、宇宙線は一気に加速して一気に減速できるわけではないのでこれの数倍の時間がかかる。“しかない”とはいえ途方もない距離なのである。
この本ではこのような超遠距離への旅が有人、無人を問わず可能なのかどうかということを書いている。
無人機を飛ばすのならまだ可能性はある。イオンエンジン、太陽帆というような方式でゆっくり飛行させれば燃料も多くは必要ないかもしれないがそのかわり数百年から数千年の時間がかかる。間違いなく飛ばした人が結果を見届けることができないのである。もとより、そんな長距離間を通信できる手立てもないので本当に目的地に行けたかどうかがわからないのである。電波を発射してから受信するまで4.3年もかかりその間に電波は限りなく減衰してしまっている。
人間を乗せてゆくというのはもっと大変だ。間違いなく数世代という世代交代をしながらの旅になる。生命維持という問題もさることながら精神的な問題も大変だ。こんなに広い地球の上でも人々は自分の主張を曲げずにいがみ合う。もっと狭い宇宙船のなかでは一体どんなことになるのか。
その前に宇宙船の建造ができるかどうか・・。例えば他の恒星系に移住をするための旅をするとしよう。そのためには最低でも数千人、最大では10万人を乗せる船が必要である。数千人規模の船では数十隻の船団方式が想定される。推進方式では推進剤を燃やすロケット、核爆弾の爆風で推進する核パルス、反物質反応を推進力に使う方法などなど。しかし、推進剤はどんなものでも速度と距離を上げようとするとどんどん積載量が増えてその積載量を含めて動かそうとするともっと燃料が必要になってしまうというジレンマが起こる。核パルスエンジンはその爆発力に耐えうるだけの宇宙船を建造できるか、反物質は推進に使えるだけの量を確保できるか、そもそも、物質と反応して消えしまうというようなものをどうやって貯蔵するのかという問題、イオンエンジンや太陽帆というのは推進剤をほとんど必要としないが速度が遅すぎるという様々な問題がそれぞれの方式で抱えている。さらにすべてにおいて共通して抱える問題は冗長性だ。数百年、数千年にわたって壊れずに働く機械など本当に作れるのか・・。
しかし、こういう想定は現代の物理学的には不可能ではないものばかりだそうだ。ただし、遠い将来テクノロジーの進歩があり、机上の理論が現実化されるという前提がある。著者が考えるには、人類が星間飛行をする最初の有人宇宙船を打ち上げるのは西暦3000年以降になり、控えめな見方をしてもその1号機が目的地に到着するまで約500年かかるだろうということだ。(これほど未来となるとほとんど妄想としか思えないが・・)そこから考えると、人間が多くの恒星系に実際に移住しているのは西暦10000年頃になるのではないだろうかということだ。
その頃には宇宙船の技術だけでなく、遺伝子工学も発達し、人間が無重力状態の中でも適応できる体を人為的に作り出すことができたり、人工冬眠の技術も確立されるかもしれない。

ここまでがこの本の大まかな内容だ。以前読んだ本では、現在の量子論や相対性理論にはその先にまだ知られていない理論があるのだと書いていた。それはひょっとしたら時間や空間をつなげてひとっ飛びで何光年も先に行く方法があるということを示唆しているのかもしれない。そうなると推進剤の問題や旅行時間があまりにも長くなるという問題も解決されるかもしれない。
それならこの宇宙にはすでにそういうテクノロジーを持った異星人がいて地球にやってきていても不思議ではないのにそんな痕跡がないのはなぜかという疑問が生まれるが、138億年という時間はそういうテクノロジーを育むにはまだ時間が短いのだという解釈をしてもいいのかもしれない。生物を作り出す元素は星が何度かの超新星爆発を繰り返したうえでないと作り出せない。その第一世代の生物が地球人であったのならそのテクノロジーを切り開くのは地球人しかいないという考え方もできる。

またもう1冊の本では、この宇宙に生まれる生物はアミノ酸と核酸を基にしているという必然性があると受け取れた。ということは、人類はどこへ行っても生物が生まれる環境を持った惑星さえ見つければそこで順応してそこの生物を食べて生きてゆけるということかもしれない。スティーブン・ホーキング博士は『宇宙に広がっていかないかぎり、たったひとつの惑星の上にしか存在しない生命に降りかかりうる厄災はあまりにも多く、人類が次の1000年を生き残ることは不可能だが人類は多くの恒星に広がっていくだろう。』と語ったそうだが、そのためには、今後数千年の間、テクノロジーを育むための安定した社会が維持できるか、巨大宇宙船を建造するための資本を生み出す経済成長を維持できるか、宇宙へ向かうことに対する理解を得る知的好奇心のレベルの高さを維持できるかということも必要だろう。人類の未来がマッドマックスの世界になっていたのなら恒星間飛行は望めることはない。多分、これが一番のボトルネックになるのではないだろうか。

著者は1999年にNASAの星間推進研究に関するプロジェクトのリーダを務めた経歴をもつ物理学者だそうだが、『どこかの太陽系外惑星で暮らしている未来の人間が、彼らが住む新世界、どのように探査され、その後どのような経緯で人類が定住するようになったかを記した歴史の本を書くときに、私の専門研究が脚注に引用されるようになってほしい』と考え、その最初の一歩としてこの本を書いたそうだ。僕みたいな人間はただの傍観者なので遠い未来のことなどに対して責任を持つ必要もなく持つこともできない。間違いなく生きている間に火星への有人飛行さえ見届けることもできないであろう。だからある意味、僕にとっては恒星と恒星の間以上の遥か彼方のお話ということになってしまう、が著者のような選ばれた人達はテクノロジーのバトンを次の世代に手渡し、民意を宇宙旅行に対して肯定的な考えに向けさせ続けなければならないという義務を負っているのだろうと思う。そして、こういう人たちがテクノロジーの進化を進めていくぎり本当にケンタウルス座まで人類が到達する日が来るに違いない。

この本の内容がSFで終わってしまわないことを草葉の陰から祈って行こうと思うのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水軒沖釣行

2024年08月18日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:大潮 4:22満潮
釣果:ボウズ

今日は先週行った場所にもう一度行ってみた。アジやイワシがたくさんいたので大きい魚が釣れたら食べることができるし、小さい魚だったらそれをエサにして飲ませ釣りをやってみようと考えている。Nさんたちはこの場所のすぐ近くで夜釣りだが大きなアコウを釣っていた。明るくなってもこの辺りをウロウロしているかもしれない。

少し明るくなるのを待って出港。



昨日に比べて少しだけ涼しく感じるのは僕の錯覚だろうか・・今日も船足が遅いのは間違いなく現実だが・・。

テトラ際ギリギリのところでサビキを下ろすとすぐにアタリ。



小さなイワシが上がってきた。すぐに飲ませの仕掛けに付け替えて下ろしてみるとこれまたすぐにアタリ。イワシが怯えているのかブルブル震えだした。もっと喰い込めと思ったがイワシだけ無くなっていた。
またサビキに切り替えて元の場所に戻るが潮の流れが速いのであっという間にテトラから離れてしまう。そしてテトラから離れるとまったくアタリがない。碇を掛けてやりたいと思うのだが、捨て石の周りだと本当に碇を落としてしまいそうなのでやりたくない。おまけにこの辺りの底にはテトラの残骸が落ちているのか起伏が激しいようだ。油断していると底をゴリゴリかいてしまう。
またイワシが掛かったので飲ませの仕掛けに切り替えるとまたすぐにアタリがあったが掛かってきたのはエソであった。今度はネンブツダイが掛かってきたのでこれもエサにしてやるとやっぱりエソだ。なかなかアコウやヒラメという本命の魚は掛かってこない。

今日もNさんたちは住金一文字へ行くらしい。声をかけてくれたが明日はまた会社だし、今日は体力的になんとか持ちこたえても翌日が心配なので朝だけここで遊んでいますと返信しておいたら様子を見に来てくれた。



「あきません・・。」と報告して釣りを続行。根掛かりには相当注意をしていたけれどもとうとう仕掛けを切ってしまった。これ以上やっても一緒だろうと午前6時半に終了。

ふと考えたのだが、捨て碇を打っておいてそこにロープを結んで釣りをするというのはどうだろうか。先週拾った浮き球があるし、使っていない磯用のアンカーもある。あとはロープがあれば準備ができる。もう少しこの辺りの底の様子を観察してここに拠点を作るというのも悪くないような気がする。法的には問題があるのかどうかは知らないが・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水軒沖釣行

2024年08月17日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:大潮 3:11満潮
釣果:ボウズ

もう、いいかげんタチウオの影が見えるかと思ったが今日もダメだった。チョクリのマルアジといいタチウオといい、一体どうなっているのだろうか・・。

そういえばタチウオが釣れる頃というのは、日中は暑くても早朝はひんやりしているものだが今朝は暑くはないものの、涼しさとは程遠い気温だ。



いつものルートよりもさらに沖のほうも探ってみたが何のアタリもない。
明るくなってしまっては釣れるはずもなくすぐにあきらめてすぐに帰投。
魚が釣れないというのは悪いことをどんどん呼び込むものだ。船の速度はどんどん遅くなっていて、減衰率は1割以上になっている感じだ。きれいになった水質説というのはどこに行ってしまったのだろう・・。それに加えて魚探の液晶がどんどん変になってきた。半年くらい前だろうか、画面の中央が妙に黄色いなと気づいてから黄色い部分はどんどん広がってきて、今ではほぼ全面を覆ってしまっていて、最近は油滴か水滴か、中心部分になんだか変な模様が浮かんできた。

 

修理はできないものかとメーカーに電話してみると、「この電話番号は現在使われておりません・・」とのメッセージ。調べてみると2017年に破産してしまっていたようだ。
ネットで修理してくれるところはないものかと探してみると修理専門の業者が見つかったが、問い合わせのメールを入れても今のところ何の返事もない。メーカーと同じ沼津市の住所だったので倒産したメーカーの残党が運営しているのかもしれない。レスポンスが悪いようなことをしているから倒産するんだと悪態をついても仕方がない。
同時進行で買い換え品を探してみるが、真っ当なメーカーのものは14万円・・。船の修理代の積み立てはかなりの額になっているので買えないわけではないが、将来にやってくるかもしれない大規模な故障のために残しておかねばならないという用心の気持ちと、そんなにお金を残しておいても津波が来れば何の意味もない、お前の年齢を考えると早く買い替えないと新しい魚探を使える期間は限りなく短くなるぞという悪魔のささやきが左の耳から聞こえる。かといって新しい魚探を装備したからといって釣果が上がるわけではないのは明白で投資するだけもったいない・・。
そんな論争が頭の中でぐるぐる回っている。もう少しじっくり考えないと結論が出ないのである・・。

タチウオがたくさん釣れていたら、「よし、買うぞ!!」という勢いもつくというものだが・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水軒沖釣行

2024年08月11日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:小潮10:12満潮
釣果:マルアジ1匹 ツバス1匹 イワシ数匹

「明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える」



僕は今日も船を出す。
こういうときだけ地震でも津波でもやって来いというカラ元気を絞り出すのである。

タチウオは確かにまだ早すぎたのか、昨日、タチウオ名人はタチウオを釣らずに新々波止の先端に浮かんでいた。僕が帰港して間もなく名人も帰港してきたので何を釣っていたのかを聞いてみると、釣れなかったけどカマスを狙いに行ったとのことだった。



確かに、今頃の季節、双子島の湾の中でカマスを釣ったことがあった。先週の田倉埼みたいにカマスはダメでもマメアジが釣れればそれを使って飲ませ釣りができる。一応、ヒラメが釣れればいいなと思ってはいるのだが、これは言ってみればスポーツをやったこのない人間がオリンピックに出場しようとしているようなものなのだがオリンピックも昔から参加することに意義があると言われていたのだからとりあえずはやってみるのである。

タチウオほど早く行かなくてもいいだろうから少し明るくなってから出港。



一路新々波止の先端へ。しかし、船の速度が出ない。前回の釣行から約半月、この間にかなりフジツボが付着したからなのだろうか・・。前回の塗装のとき、自分でもこれは相当雑だなと思っていたのでそれが原因かもしれない。そういえば、昨日の大きい方の船も大分遅くなっていた。ここにきて急にフジツボの活性が高くなってきたのかもしれない。水質がよくなったので当分は船底塗装をしなくてもいいのではないかと思っていたがまったくあてが外れた。

少し北風が強いので防波堤の南側から仕掛けを下ろし始める。



魚探が付いていないのでこの下に魚がいるのかどうかさっぱりわからないがカマスがいるなら5メートルくらいの深さで喰ってくるだろうと考えていた。しかしまったく何のアタリもない。しばらくしてテッポウ仕掛けを引っぱっている船がやってきて、僕のほうを向きながら手を横に振っている。



向こうも釣れていないようだ。ダメならダメでいろいろなところを調査してみようと考えて風が当たる防波堤の先端へ。



仕掛けを下ろすといきなりアタリがあった。上がってきたのはちょっとましなサイズのイワシだ。カマスでもなく小あじでもない・・。バケツに入れてもすぐに死んでしまうからエサにはならない。しかし、これが10匹あったらおかずにはなる。同じ深さに仕掛けを入れてみるがその後は何の反応もない。一瞬だけ群れが通り過ぎただけだったようだ。魚探がないと本当に暗闇の中、手探りで歩いているようだ。上のほうで釣れないので試しに底まで仕掛けを下ろすとすぐにアタリがあった。今度はかなり大きい。途中でバレたが30センチくらいのサバのようであった。その後も底まで仕掛けを下ろすとアタリが出る。そんな中にマメアジが1匹混ざっていた。丁寧に扱ってバケツの中で生かし防波堤から少し離れた場所へ移動。ここから飲ませ釣りの仕掛けに変更してヒラメを狙ってみる。
生きたエサの効果は絶大ですぐにアタリがあった。十分喰わせて合わせを入れると引きが弱い。残念だがこれはエソだ。生きたエサがなくなったので死んだイワシを使ってみるがやっぱりアタリはない。これではどうしようもないので今日はここで終了。

この場所だが、いつも何艘かの船が釣りをしている場所でもある。画像の船もしょっちゅうここに来ているなかの1艘だ。



真剣に釣ればアジがけっこう釣れるのだろう。夜釣りの場所もこのテトラのすぐ横だからきっとこの周辺にはたくさんの魚が回遊しているのだろう。いったい何を釣っているのかと思っていたが答えがわかった。それに加えて今回作ったサビキ仕掛けもけっこう釣れる。新たな武器が手に入った感じである。

せっかくいい場所を見つけたのに船が動かないのではこれは困った・・。この暑い中では船を揚げるのも億劫だ。大きい船で行くにしてもテトラに近づくは怖い。とろとろ走っていくしかないか・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水軒沖釣行

2024年08月10日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:小潮9:23満潮
釣果:ボウズ

株下落幅が史上最高になったと思ったら今度は地震だ。一昨日、宮崎県沖が震源地の地震は南海トラフ地震の前触れではないかというので「南海トラフ地震臨時情報」というものが発令された。

 

こんなものを初めて見た。2019年から運用されているらしい。
すぐには来ないけど用心しておけという注意喚起だそうだがその翌日、家に帰って体重計に乗っているとまた緊急地震速報が流れてきた。えぇ!これは本当に巨大地震がやってくるのかと一瞬身構えてしまったが今度の震源は神奈川県だったそうだ。



南海トラフの両端で地震が来たとなると今度は近畿地方だと誰でも思ってしまう。お盆の三連休だが渡船屋の客もまばらだ。



工業団地の護岸にも電気ウキが1個流れているだけであった。まあ、普通の人は警戒してこんな日は海に近づかないというのが普通だろう。しかし、僕はどうも普通ではない。「漂えども沈まず。」というのは師が好んで使った箴言だが、これはパリ市の紋章に書かれている文言だということをオリンピックの開会式を見ていて初めて知った。
船の上ならその通り、漂っていても沈むことはないだろうと、本来の意味とは全く違うであろう解釈をするのである。これを心理学の言葉では正常性バイアスというらしい。
本当に津波がやってきてたらそれはそれでよいとも思っている。港の係留問題や隣の不動船はいつまで放っておくのだろうといういらだち、新しく来た船のオーナーはどれだけ海や船のことに詳しいのか知らないが、来たのはいいものの、ずっとその不動船を桟橋代わりにしていて係留用の錨を打つ気配がなくて台風シーズンをそのまま迎えるのだろうかという不安。まだまだある。燃料代その他の高騰や船の老朽化、不快な問題と悩み事がいくらでも出てくるので、いっそのことすべてが津波でご破算になってしまえばいいとさえ思ってしまうのだ。

だから今日も船を出す。例年ならそろそろタチウオが釣れてくる頃である
夜明け前には出港せねばと午前4時に港を出てみると、今年初めてのオリオン座が見えた。その上には木星と火星が重なって見える。

 

むちゃくちゃ暑いけど季節は着実に進んでいるのである。オリオン座の上には木星と火星が接近して見えている。
今年はNさんも参戦したいとおしゃっているので期待を込めての調査だったが仕掛けには何もアタってこなかった。これだけ暑い日が続いていると水温もかなり高くなっているのだろうと思う。
そのまま帰るのももったいないので飲ませサビキをやってみようと住金一文字まで行ったけれども何の反応もないので何もすることなくそのまま帰港してしまった・・。

釣りをしている最中、艫のガンネルの下にスズメバチが止まっているのが気になっていた。ここには先週からずっと鳥の糞がこびりついていたのでそれを食っているのかと思っていた。刺されると嫌なのだがおとなしく止まったままでいるのでそのまま放っていて、港に戻ってから糞をデッキブラシで掃除しようと水をかけてみるとガンネルの内側から数匹のスズメバチが飛び出してきた。ひょっとしてこれはここに巣があるということ・・?と確信してしまった。これは駆除しておかないとスズメバチと一緒に釣りをすることになってしまう。
家に帰って殺虫スプレーを持って再び港へ。ハチ除けのフードなどは当然持っていないので軍手だけを装着してスプレーを吹きかけるとスズメバチがどかどかと落ちてくる。



もう一度吹きかけて舳先のほうに逃げ込んで様子を見てみる。
ハチの動きがなくなったようなのでガンネルの内側を覗いてみると立派なハチの巣があるではないか・・。



こいつらはいつからここで巣作りをしていたのだろうか・・。まったく知らなかった。Nさんの話では、去年、不動船にも巣を作っていたそうだ。これはそれの分家だったのかもしれない。本当に迷惑以外の何ものでもない。

暑いし、地震はいつくるかわからないけれども、「たとえ世界が明日滅びるとも、君は今日、リンゴの木を植える」の気持ちが大切である・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「なぜ鏡は左右だけ反転させるのか―空間と時間から考える哲学」読了

2024年08月08日 | 2024読書
加地大介 「なぜ鏡は左右だけ反転させるのか―空間と時間から考える哲学」読了

メインのタイトルだけを見てみると、科学読み物という感じがするがこれは哲学の入門書である。著者は、「中学生でもわかる」ような書き方をしていると書いているが僕にはまったくわからなかった。
内容はというと、タイトルのとおり、鏡は左右を反転させるけれども上下を反転させないのはなぜだろうかということと、タイムトラベルができないのはなぜなのだろうかというふたつの疑問を哲学的に考えてみようというものだ。
どうして鏡とタイムトラベルなのかというと、鏡像問題と時間論というのは哲学の中ではかなりポピュラーな問題で哲学を学び始めるにはけっこう適切な問題らしい。
鏡像問題には空間を考えるという部分があり、時間論というのは宿命論という問題を考えるのに好都合だそうだ。
しかし、やっぱりよくわからない。特に鏡像の問題についてはなぜこれが哲学なのかというのはさっぱりわからなかった。ただ、鏡はどうして左右だけ反転させるのかというのは、XYZの立体座標で考えると、XYの軸状に鏡があったとき、Z軸の位置だけが逆転されているのが鏡像であるという論理が左右だけを反転させる根拠だというのはなんとなく理解はできた。しかし、それがなんで哲学なのかというのはなんともよくわからない。
著者が言うには、XY軸が90度回転していても、具体的にいうと、寝っ転がって鏡を見ても水平方向で左右だけが反転して見えるのは、人間が体の中心線を軸として位置感覚を認識しているからだそうで、それが空間認識、さらに存在論に関係しているというのである。

タイムトラベルの問題はもう少し哲学的だなと思えるところはあった。とは言っても、「ターミネーター2」を例に挙げ、たしかに素人にもやさしい解説をしてくれているのだけれどもやっぱりわからない。
「排中律」という考え方が関係しているらしいが、これがまたよくわからない。「排中律」とは、「すべての命題は真か偽のどちらかである」という当たり前といえば当たり前と言えることを言っているのだが、真か偽のどちらかしか現れないのだからそれに対して何かのアクションや備えをしても結局、真か偽かのどちらかの結果にしかならないのだから何もしないほうがよいという宿命論につながっていくというのである。

哲学の本は何冊か読んできたがやっぱりわからない。これも死ぬまでにはなんとなく理解してみたいもののひとつである・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「成瀬は信じた道をいく」読了

2024年08月07日 | 2024読書
宮島未奈 「成瀬は信じた道をいく」読了

長らく順番待ちをしていたこの本をやっと読める。2月に予約したので6ヶ月待ったことになる。
この本を読み始める前にまずは前作の復習として、「成瀬は天下を取りにいく」をもういちどサッと読み返してみた。同僚がこの物語の舞台になった大津西武に勤めていたということはその時のブログに書いたが、彼は記念にとこの本を買っていたというのが幸いしてもう一度読むことができたのである。
予備知識を蓄えていざ「成瀬は信じた道をいく」へ。
まずはあらすじをまとめておく。この本も前作同様、いくつかの短編がつながってひとつの物語となっている。今回は5編の物語が収録されている。前作のあらすじはAIに任せてみたところ、まったく違う内容になっていたので今回はもっと安直にウイキペディアを頼ってみた。物語の構成は各編でダブル主演となるもうひとりが一人称で語るという形で物語は進む。そこにはやっぱり成瀬あかりの奇想天外な行動が潜んでいるのである。
勢いあまってほとんどネタバレというほど書いてしまったのでこれから読もうと思っている人はここから先は読まないでいただきたい・・。

・ときめっこタイム
小学4年の北川みらいがもうひとりの主人公。総合学習(ときめきっこタイムという)で10月のテーマが、ときめき地区で活躍している人を取材し発表すると担任が言った瞬間、憧れのゼゼカラの成瀬あかりを対象にすると決める。みらいは通っている小学校(大津市立ときめき小学校)の「ときめき夏祭り」で司会をしていた「ゼゼカラ」に心臓をつかまれたようにぎゅっとなったからだった。
授業の一環だからと校長室に突撃取材に行き、成瀬が琵琶湖の絵コンクールで琵琶湖博物館賞を取ったミシガンの絵を見せてもらったり、振り込め詐欺を防いだというようなエピソードを聞いたりした。
班のメンバーから通学路に成瀬の標語があったと聞かされ現地に見に行くとパトロール中の成瀬に遭遇し、本人にインタビューする機会を得る。場所はオーミ―1階のイートインスペース。そこには島崎みゆきも同席していた。そこで、成瀬あかりは人の名前を一度きくと忘れないという驚くべき能力があることを知る。
その後、北川みらいは成瀬あかりの弟子となり一緒にパトロールをすることになる。

・成瀬慶彦の憂鬱
成瀬あかりの父親である成瀬慶彦がもうひとりの主人公。家族共用のパソコンの検索履歴から、大学に進学できれば娘のあかりが京都で一人暮らしを始めるのではと気を揉んでいた。受験当日は、あかりも妻も一人でも問題ないと言ったが念の為と仕事をリモートワークにしてもらい京阪電車を乗り継いであかりに付き添う。
試験後に時計台を見ていきたいというあかりの希望で中央キャンパスに行くと雪が降る芝生でテントを設営している受験生城山友樹を見て、あかりは「うちに来たらいい」と言った。彼はユーチューバーで「3000円で京大入試に行ってみた」という企画を立てヒッチハイクしながら高知からやってきていた。
合格発表の日、パソコンに残っていた検索履歴は前作で全国高校かるた大会に広島県代表として出場していた西浦航一郎(と思われる)が京都の大学を受験してひとり暮らしをするというのでアドバイスをするために調べていたことがわかり、成瀬慶彦は安どの胴上げをされるのである。

・やめたいクレーマー
主婦の呉間言実がもうひとりの主人公。近所のスーパー・フレンドマートにお客様の声で頻繁にクレームを入れている。備え付けのボールペンはインク切れが多いので、マイボールペンを持参しているほどだ。この店では成瀬あかりがレジ打ちのアルバイトとして働いている。
クレームを書いているときに成瀬に声をかけられた。一度聞いた人の名前は忘れないという成瀬に名前を言われ動揺してクレームを書くこともできずに家に帰る。後日、夫とフレンドマートに行ってみると北川みらいと一緒にいた成瀬あかりに再び声をかけられてしまう。そこで、万引が多いので平日午前中のパトロールを頼まれるが拒否した。
成瀬と顔を合わせるのが嫌になりネットスーパーを活用したが届いた食品が傷んでいたことが続き、再びスーパーに行くようにしたら、万引の場面を目撃する。目撃内容をお客様の声に投稿しようとしたものの、あまりにも狼狽してしまい気分を悪くしてしまう。助けてくれたのは接客態度が悪いとクレームを入れた店員だった。休憩室で目を覚ますとそこには成瀬あかりが立っていた。呉間言実の情報で万引犯は捕まり、そのことでクレーム癖が無くなっていったと思いきや、ときめき夏祭りで当たったミシガンの乗船券が入っていなかったことに対して再びモヤモヤとクレーム癖が湧きだしてくるのであった。
舞台になった平和堂の店内で流れていたという「かけっことびっこ」というテーマソングは本当に存在するらしい。

・コンビーフはうまい
成瀬あかりと一緒に1年間、琵琶湖観光大使を務める篠原かれんがもうひとりの主人公。京大入試から合格発表を待つ間、成瀬はびわ湖大津観光大使の選考会場にいた。篠原かれんは、同じく観光大使に応募した成瀬がスマホを持っておらず、自宅の電話番号のメモを渡しながら「コンビーフはうまい」と覚えてくれと言う場面を目撃。
ふたりはめでたく観光大使に選ばれる。篠原かれんは親子3代で観光大使に選ばれた観光大使のエリートだ。
観光大使任命後の成瀬は京都大学に入学のための連絡用にと最新のiPhoneを所持していた。
初仕事は金沢でのイベントでああったが、成瀬は自宅から観光大使の衣装のままやってきた。そして、iPhoneの使い方を教えている最中、篠原かれんがうっかり見せてしまったInstagramの裏アカかから撮り鉄であるということが判明する。
彦根市のひこにゃんの人気に押され、集客がいまいちの大津市のブースに集客するため、成瀬はいきなりけん玉を取り出しテクニックを披露し始める。若干のライバル心を持っている篠原は焦るが手配りのパンフレットさえ受け取ってもらえない。そんなとき、観光案内地図を見ながら目的地を探しているらしい外国人が目に入り助けに入ったが相手がしゃべる未知の外国語がわからないうえに肝心の金沢の観光地の知識がない。パニックになりかけた時に成瀬に助けられた。成瀬は日本語だけでこのピンチを切り抜ける。
観光協会のパンフレット作りのためにやってきた大津港で、篠原は成瀬に将来の不安について相談をする。篠原は観光大使になることが将来の夢であったため、この先の夢を描けないでいる。また、家族からも4代目の観光大使を早く産めと見合いを勧められていた。そんな話をすると、成瀬は、日本一の観光大使を目指せばよいと提案される。スマホで、「観光大使 日本一」と検索してみると、観光大使-1グランプリという大会がヒットした。篠原と成瀬はこの大会に参加することを決める。
近畿ブロックの予選、全国大会への切符はつかめなかったものの、篠原の鉄オタの知識と成瀬の圧倒的な話術で審査員特別賞を受賞することができた。
この経験が篠原に自信を与え、自分の道は自分で決めたいと見合いの話を断るのである。

・探さないでください
前の4作に登場した主人公たちがオールキャストで登場する。語り部は島崎みゆき。2025年の大晦日、「探さないでください あかり」と書かれた書置きとスマホを家に残し、成瀬は行方をくらましていた。けん玉と観光大使の制服が部屋からなくなっていた。両親が頭を抱えているところに年末年始を成瀬と過ごそうとしていた島崎が到着した。慶彦が近くを探しに行くと言うと島崎も同行した。成瀬のバイト先に向かうと自主パトロール中のみらいに遭遇、大人の慶彦が同行していると伝え成瀬探しに行くと親の許可を取り成瀬探しに同行すると、店内で呉間夫妻に会うが特に心当たりはないものの、協力するといわれた。観光大使の制服がなくなっていたことから篠原かれんのことをSNSで検索してみると大津港にいることがわかり協力を求めた。
一度成瀬家に戻り、ふるさと納税で届いたそばをごちそうになっていると関ヶ原のスタンプラリー会場からの中継ニュースにびわ湖観光大使のたすきを着けた成瀬の姿を見つけた。篠原から成瀬が観光大使の仕事の合間に武将のスタンプを集めていたということを聞いた島崎たちは、北川みらいがチェックしていた観光大使の過去のイベント会場の白地図から次の目的地は名古屋ではと、慶彦の運転で向かうものの、僅かの差で立ち去った後だった。成瀬は60ヶ所のポイントを期限の大晦日までにコンプリートしようとしているらしいが足取りはわからなくなってしまった。ちなみに成瀬は百人一首、平和堂のはとっぴースタンプラリーなど、さまざまなスタンプラリーに挑戦していた。失意の中大津に戻る途中、島崎の母から島崎の家に成瀬が立ち寄ったと連絡が入り成瀬は東京に向かったと知る。
この間、自分の知らない成瀬を知っている北川や篠原に少しの嫉妬を覚えていた島崎であったが、その会話から自分も受け入れられていると感じうれしくなった。
成瀬は東京にいた。そして最終目的地はNHKホールであった。紅白歌合戦のけん玉ギネス記録を目指す一員として参加していたのだ。この年は全国各地の代表が集められていて、成瀬も東京でのイベントのときNHK関係者から声をかけられていた。成瀬はかつて島崎に、「島崎、わたしはいつか紅白歌合戦に出ようと思っている。」と語ったことがあったが、それが実現しようとしていたのである。(歌手としてではなかったが・・)
紅白歌合戦が終わり、2026年の元旦を迎える1分前、成瀬は自宅に戻ってきた。
「探さないでください」の理由は、NHKから、紅白歌合戦に出ることを誰にも言ってはいけないと言われていて、スマホを持っていると、GPSで居場所を知られてしまうと考えたからであった。それを律義に守っていたのであった。
翌日、島崎は初詣の馬場神社で、これからもずっと成瀬を見ていられますようにとお願いするのであった。

主人公である成瀬あかりはどうしてここまで読者を惹きつけるのかということをあれこれ考えてみると、普通では考えられない行動力とキャラクターがおもしろいだけではないということがわかってくる。他人の目を気にすることなくわが道を生きているというところがいちばん大きいのだろうが、加えて、他人の行動や考えをすべて肯定するというところも成瀬あかりの魅力である。自分の考えを押し付けることをしないということだ。その道をいくために人を傷つけることはなかったということだ。
「ひとは心の中に思っていること以外は言葉に出さない。」ということは本当のことだと僕は思っている。そしてそれを言葉に出してしまうことによって人を傷つける。パリオリンピック柔道で号泣した選手に対してたくさんの誹謗中傷が浴びせられたという話題が大きくなっていたが、こういうコメントを書き込む人たちというのは自分の考えを他人に押し付けて人を傷つける人たちだ。僕自身も最初は、「そこまで泣かなくても」と思っていたが、それを言葉に出して言ってしまうと必ず誰かを傷つけてしまう。思っているだけと言ってしまうというのには大きすぎる差があるのだ。
そもそもだが、僕を含めてこんな言葉を吐く人間にかぎって夢が叶わずに泣けるほど情熱を注ぎ込めるようなものを何ひとつ持っていない寂しい人間なのである。それに対して、成瀬あかりは、『何になるかより、何をやるかのほうが大事だ』と何に対しても全力で取り組む。まさにこういう輩とは対極にある主人公なのである。
そういう意味では成瀬あかりはまったく人を傷つけない。というか、傷つけさせない。独特の話術が効果的に使われているように思う。
朝ドラの世界では『言いたいことがあれば言い合おうよ』というようなセリフがよく出てくるが、それはすべての登場人物が悪人ではないからである。大概のドラマではあるひと言が誰かを傷つけることで物語が進んでゆくのだが「成瀬は信じた道をいく」でも「成瀬は天下を取りにいく」でもそういう展開がない。それでも物語がまとまっているというところではまったく稀有な存在の小説でもあると思う。

成瀬あかりは2020年8月3日にスタートする「ぐるりんワイド」の生中継にはじめて登場するのだが、奇しくも同じ日にこの物語を読み返していた。それも散髪屋の順番待ちの時間であった。高校1年生になった成瀬もそれから2年半髪を伸ばし続けた。日付と髪の毛の合致という奇跡的なつながりが起こったのである。



おまけに、「成瀬は信じた道をいく」を読み終えた後、テレビを点けてみると中川家が滋賀県を旅するという番組が放送されていた。もう、これは奇跡を超えているのではないかと思えてくる。滋賀県は僕の新たな聖地となってしまったのだ。聖地巡礼のため、その目的地を備忘録として書き留めてこの感想文を終えたいと思う。

・ときめき坂
・オーミ―1階のイートインスペース(Oh!Me大津テラス)
・島の関のロイヤルホスト(ロイヤルホスト浜大津店)
・フレンドマート大津打出浜店(フレンドマート大津テラス店)
・馬場神社(?)
・ミシガン(大津港)
・大津市立ときめき小学校(大津市立平野小学校)
・食事処(湖の駅 フードコートおいしや)
・プラージュ(美容プラージュ 膳所店)
・馬場公園(馬場児童公園)
・西部大津店→レイクフロント大津におの浜メモリアルプレミアレジデンス(シエリアシティ大津におの浜)
・滋賀県立膳所高等学校

残念ながら登場する場所はほとんど架空の名前の場所だそうだ。ネット上では僕と同じく巡礼を志すひとがいるようで、おそらくここがモデルだろうという場所を詳しく調べてくれている。( )で書いている場所がモデルになったリアルな場所だそうだ。そのほかには、小説とコラボしたメニューを出しているレストランもあるらしい。
ここへ僕は、成瀬あかりが受験のために京都目指した逆をたどり、JR東海道線を使わずに京阪電車を乗り継いで行ってみたいと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平野多恵 「おみくじの歴史」読了

2024年08月04日 | 2024読書
人生は選択の連続だ。そしてことごとく選択に失敗する。あのポイントに行っておけばよかった。その前にあの仕掛けであの魚を狙いに行った方がよかったのではないか、これ以上下がらないと思った株価が2200円も大暴落しその前日に買ってしまったという選択。
なにもかもが裏目に出る。来週も暴落の予想らしい・・。
これを回避するためには神様に選択してもらうしかない。だからまずおみくじの構造について読んでみようと考えたのである。
きっと日本人は古くから僕と同じような悩みを持っていたのだろう。もしくは選択した失敗の責任を回避するために神に託したのだろう。
いつ戦争を始めるか、どこから攻めるか、くじ引きで決まった将軍も歴史の中には存在したそうだ。

くじ引きは別にして、おみくじにはいくつかのパターンがあるらしい。伝統的なおみくじではそこに和歌が書いてあるもの、漢詩が書かれているものがある。
漢詩が書いているおみくじはお寺のおみくじ、和歌が書いてあるおみくじは神社というのが大体のかたちだそうだ。
日本に入ってきたおみくじの元祖は中国の「観音籤」でその流れで上野寛永寺の「元三大師御籤」として日本に定着してゆく。
江戸時代までは神仏習合が当たり前だったので漢詩のおみくじが一般的だったようだが、一方で和歌の内容で占うという「歌占」というものがあった。和歌の元祖はスサノオノミコトが読んだ、「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」という歌だそうだ。そういうところから、和歌は神の詔であり、その内容を解釈することで神様の心を知るという占いがおこなわれていた。
「解釈する」ということで、この時代は引いた和歌の内容を神官に解釈してもらって自分の運勢を占うという形であったそうだ。これは漢詩籤も同じであった。だから吉凶は書かれていない。吉凶は神職や坊さんが決めるのである。その伝統で今でも吉凶が書いていないおみくじがあるそうだ。
吉凶がおみくじに書かれるようになったのはもっとたくさん売りたいからという理由だったらしい。おみくじを引くたびに神職や坊さんから解釈を聞くのでは数を売ることは難しい。

お寺は漢詩、神社は和歌と分かれていったのは明治維新のあとだった。神仏分離令が施行され神社では和歌御籤が授けられるようになったのである。
和歌は百人一首や万葉集などから取られたものやそれぞれの神社にゆかりがあったり祀られている祭神が作った和歌が載せられていたりする。明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后の和歌が15編ずつ取りあげられているそうだ。

漢詩御籤も和歌御籤もそれほど種類がなく1セット大体64から100種類ほどらしい。64種類というのは易学からきているそうだが、竹ひごを引くおみくじはもっと番号が大きかったように思うが僕の思い違いだったようだ。

そして、おみくじも今では製造メーカーが作っている。一番有名なのは山口県にある「女子道社」という会社だそうだ。たくさんの参拝客があるような神社仏閣ではオリジナルのおみくじなのだろうがそうでもないところはこういう会社から買っているようだ。こういうのを聞くとなんだかご利益というか、この運勢は本当に正しいのだろうかと訝ってしまう。

まあ、おみくじの知識というのはこのくらいで僕は十分だ。お守りどころか100円、200円のおみくじさえ引くのはもったいないと思っているのでこれから先も現物を見ることはないだろう。いや、せっかくだからお寺と神社、一か所ずつくらいは本当に漢詩なのか和歌なのかということを実証実験してみたいとも思うのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする