イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

ワカメ採り2回目

2016年03月26日 | Weblog
なかなか休みと天気が合わないのでワカメも採りに行けない。月末はなにかと忙しそうな感じなので勝手に休日を振り替えてしまった。そんなことをしているので評価が低いのは仕方がない。
でも、まあ、これはこれでいいのだとしておこう。


気圧配置はなんとか行けそうな感じだが港に行ってみるとけっこ風が吹いている。干潮の時刻までちょっと時間があるので同級生が経営してる渡船屋の事務所で少し休憩。彼の親父さんはワカメ採りの名人で、僕の父親もあいつには勝てないと言わしめたほどだが寄る年波には勝てず引退状態だ。彼曰く、足は悪いが上半身はまだまだ丈夫なので一緒についていってやれば喜んで行くのだろうがやっぱり危ないとのこと。まだまだ行けそうなら少しくらい無理をしてでも連れていってあげればいいのじゃないかと思うのだが、どうだろうか。

そろそろ潮が引いてくる時刻になったので出発したがはやり風は強いままだ。
危険を感じながらいつもの場所に投錨したが作業ができた時間は1時間ほど。これ以上ここに留まっていると座礁しかねない。収穫はわずかだが今日はここまでとあきらめて帰ってきた。



水面は波立ち、走行中は波をかぶる始末。去年なら出勤前でも採りに行けたので自由自在だったが今年はこんな無理をしなければならない。まあ、ぎりぎりのところで頑張ろう。



収穫が少ないので干す作業もあっという間だ。その後は何もすることがないので到来もののキゥウイとラム酒で背徳の午後。
これも春の1日だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タラノメ採り3回目

2016年03月24日 | Weblog
今日の休みも北風が強くてワカメを採りに行けない。港に行くとこんな感じだ。



仕方がないというわけでないが3回目のタラノメ採りに行ってきた。
前回行った時もまだ小さいものを残してきたのだ。
しかしたった中3日でかなり大きくなってしまっている。なんとか食べられそうなのを収穫して今年はまだ行っていない第3ポイントへ行ってみた。ここはあまりたくさんの株がないのと第2ポイントから離れているのでせっかく見つけたが1回だけしか行っていない。今日はかなり時間があるので様子を見に行ったという次第だ。
第3ポイントはちょっとした高台にある。ここからの里山の風景は和やかだ。



ここも目は大きくなりすぎていた。葉っぱが完全に開いてしまっている。残念。



まだまだ時間があるので付近さまよってみると、一つだけだがコンディションのいい株を見つけた。たった1本だがいい株だ。



これで今年のタラノメは本当に終了。また来年。。。


おととい、息子が入院した。
大学入学後、軟式テニスの練習中に体中にけいれんを起こしたらしい。
先輩に抱えられて家に帰ってきたものの動けないので救急車で病院まで運ばれたらしい。



しかし、ここは自分の通っている大学の付属病院ではない。全員ここの学生なのにどうしてそこへ運んでもらわなかったのだろう。コネは効かなかったのだろうか?
コートは大学のすぐ横なのだから先輩たちもそこへ担ぎ込んでくれればよさそうなものだが、そこがやはり象牙の塔という大きな壁が立ちふさがっているのか、それともえこひいきはやらないという公明正大、潔白公平を貫いているのか。

診断は横紋筋融解症という、スポーツ選手がハードなトレーニングをした後に発症するようなものだったらしい。小さい頃から勉強しかしていないのに、大学に入って限度もわからずに体を動かした結果のようだ。
バカとしか言いようがない。まあ、僕のように惰眠を貪るような学生生活を送っているというわけではないようなのでそれはそれでよしとしてやろう。
結局4日間の病院での拘束となった。



病院の中はジジィとババァばかりだ。僕もいずれあの人たちの仲間入りをするのだろうが、ベッドに張りつく前に浄土へ旅立ちたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「プロヴァンスの贈りもの 」読了

2016年03月24日 | 2016読書
ピーター メイル 「プロヴァンスの贈りもの 」読了

以前に読んだ、「ほろ酔い文学辞典」に紹介されていたので読んでみた。著者は「プロヴァンスの12か月」という本で日本でも一躍有名になった人だ。
登場人物は全員性善説で生きているような人々。世間は住みよい場所だと決して思わずしかも仏教徒である僕には、キリスト教徒で全員善人だというような物語はどうもしっくりこない。
そんな物語だ。

しかしながら、こんな生き方をしてみたいと切に思いたくなる物語だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タラノメ採り2回目

2016年03月21日 | Weblog
去年のブログを見ていると、タラノメは3日ほどあれば一気に大きくなるようだ。今日は休日にもかかわらず出勤しなければならないが早朝からいつものポイントを巡ってみた。
案の定、どちらのポイントもかなり大きくなっていた。第1ポイントも森の奥のほうは誰にも入られた様子はない。藪の中を進みながらヤッケのポケットに獲物を放り込んでゆき、一通り巡り終えると一杯になった。



今年もなんとか春を味わえる。

気になることがひとつ。今のところ独占状態の第2ポイントだが、ポイントの周りがえらく刈り取られてしまっている。ここは山奥というより住宅地に近いようなところなのでこれではタラの木の存在が公にさらされてしまう。いつまで独占できるのか・・・。それにこの続きでタラの木まで刈り取られてしまったらどうしよう。



ほかのポイントを見つけておけばいいのだろうがそれもままならない。なんとか1年でも長く温存してもらいたいものだ。


予定では午後2時過ぎからどうでもよいようなよくないような研修が2時間半ほどある。それのために往復4時間あまりかけて行かなければならないのはかなり辛い。前の勤務先なら加太まで出ても間に合ったのに・・・。
救いがあるとすれば、今日は晴天にもかかわらず北風が強く吹いている。ワカメ採りも、ましてや加太への釣行も無理だということだろうか。



ただ会社に行って研修を受けて帰ってくるだけではもったいないので少し早めに家を出て、今流行の真田幸村関連のスポットを訪ねてきた。

今の勤務地は大阪城と冬の陣で家康が拠点にした茶臼山のちょうど真ん中あたりにあるのでそれなりにゆかりの場所があるのだ。
そのひとつ、会社のひと駅ほど北側に三光神社というところがある。



真偽のほどはよく知らないが、ここがかつての真田丸があった場所らしい。大阪城までつながっているという抜け穴の入り口まであるのだ。

 

まあ、こんなのはそんなはずもなく、そういえば九度山にはもっと壮大な抜け穴があってこれも大阪城までつながっていたというのだから和歌山県はやっぱりえらいのだ。

(これは九度山にある真田の抜け穴。)



駅前の商店街は幸村一色だ。



商魂がたくましいと言えば格好がいいが、使えるものは何でも使ってやろうという浅ましさがなんだかむなしくなる。これは人のことをとやかく言える立場でもないのだが・・・。

会社に向かって歩いてゆくと真田信繁の墓があるというお寺があった。



墓石っぽくない股らしい石碑がひとつ。これは本物なのだろうか。ひょとしてブームにのってのにわかこしらえだったら幸村もうかばれまい。




いまどき、真田幸村などというとかなりミーハーに思われるかもしれないが、ぼくはそんなことはない。7年前には幸村が討ち死にしたという安居神社も訪ねている。そんじょそこらのにわかファンなどでは決してないのだ。
大して詳しくもないが、幸村の生き方にはすごい潔さを感じてしまうのだ。

会社への道すがら、もうひとつ思い出したことがある。この辺りは師が生まれた場所でもあるのだ。たしか5歳くらいまですごしていたはずだ。エッセイにも僕が勤務しているこの店に父親と買い物だか食事だかに来たというようなことが書かれていたことを思い出した。
この店は今年80周年を迎える。師の年齢を考えると、まさしくオープン当初にこの店を訪れていたことになる。昭和46年くらいに建て替えられたそうだからずばりこの床を歩いたわけではないだろうが、まさしくこの場所の空気を吸っていたかと思うと、長い通勤時間には辟易するもののなにか感慨にふけるものもある。
会社の波に流されながらここまでやってきたが、師に引き寄せられてきたのだと思えばそれはそれでなんとか通勤を続けられそうな気もしてこようかという感じだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「旧約聖書を知っていますか 」読了

2016年03月17日 | 2016読書
阿刀田 高 「旧約聖書を知っていますか 」読了

とてもじゃないが本物を読むような実力がないので入門書の初歩の初歩のような本を読んでみた。
著者が旧約聖書のあらすじを優しく解説しながら進むエッセイだ。

読めもしないものを一体なにを好んで知ろうとしているのかというと、もうそろそろ先が見えてきてほぼこれからの生活に大きな変化がなくなってくると悟ってしまうと過去にさかのぼりたくなる。いったい人間はいままでどんなことを考えてきたのだろうということを知りたいと思うようになる。壇ノ浦に散った平知盛のように、「見るべき程の事をば見つ。」と言って死んでいきたいではないか。

創世記のアダムとイヴ、ノアの箱舟、アブラハムの家系の物語、その子孫のモーセ、もっと下ってダビデ、ソロモン。きっとどこかで聞いたことがある名前や物語だが、どんなつながりで進んでいくのかは意外と知らなかったりする。それを知りたいと思うのだ。
ダビデが戦った相手はゴリアテという巨人だそうだが、これなんか「天空の城 ラピュタ」に出てくる大型飛行戦闘機の名前だったりする。ついでに言うとかつてラピュタが滅ぼしたというエピソードで語られるソドムとゴモラという地名も旧約聖書に出てくる。ソドムの町の人々は男色趣味の人が多くてそれを怒った神様に滅ぼされたらしい。
ダビデに戻ると、ゴリアテと戦ったときに使った武器が石だったそうで、ミケランジェロのダビデ像もその時の物語に沿って右手に石を左手にそれを投げる投石機をもっている。左手に持っているのタオルではないのだ。

イスラエルという言葉はアブラハムの孫、ヤコブが神と戦って勝ったことにより、「イスラ・エル」と名乗りなさいと告げられた。意味は“神と戦って不屈なるもの”という意味を持っている。この人の子孫が今のイスラエルの国民。
モーセはその子孫だがどうしてエジプトからイスラエル(カナン)の地を目指すことになったか。
こんな話も知っているようで知らなかったりする。

古事記も似たような日本の建国の物語だが、どこの国でも同じような物語を作るようだ。日本は幸運にも滅びることはなく古事記もずっと読まれ続けた。しかし、イスラエルは一度滅びた。滅びた国の物語がどうして現代まで受け継がれたのか、しかもキリスト教もイスラム教も当然ユダヤ教もだが、この聖書を基礎にしている。やはりこれも聖書の奇跡なのだろうか。そう思うとやはりすごい書物なのだ。
そして、それを理解することがヨーロッパ、中東の国々を理解するためには必ず必要なことではないのかと思う。
また読み物としても面白そうだ。もちろん神とのかかわりがその根本だが、愛憎劇、色気、葛藤、様々な人間模様が織り込まれている。師は長い旅には必ず聖書を持っていったそうだ。多分、こんな人間模様がその魅力であったのだろう。
しかしながら、全39巻、韻語、詩歌、など普通の小説ではないそうで、凡人では何を書いているかよく理解できないものも多数あるそうだ。師だから読めるというところだろうが、「見るべき程の事をば見つ。」ために僕もそんな実力を身につけたいものだ。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワカメとタラノメを採りに行く。

2016年03月17日 | Weblog
やっと天気と休みが一致した。
ワカメを採りに行ける。
貴重な休みだ。腰痛はあいかわらずだが芭蕉が三里に灸をするがごとくに腰に大判モーラスパップ60㎎を貼って大事に備えた。

干潮時刻は午前8時21分なので早起きすればタラノメを採りに行ける。夜明け前に家を出て第1ポイントに立ち寄って様子を見てきた。食べ頃まではもう一息の芽がほとんどだが、ここは見えざる敵が虎視眈々と獲物を狙っている。少々小さくても先を越されるくらいなら採ってしまうのだ。
森の入り口はまだまだ固い芽ばかりで盗られた気配はない。奥の少し高場の日当たりのいいところに移動。先に盗られたあとも見受けられるが少し大きくなった芽がところどころにある。今夜のおかずの分は十分採れたし、見えざる敵が地団太を踏むくらいの採り跡にもなった。これで敵があきらめてくれたら残りの芽も僕の総取りなのだが、敵はあきらめてくれはしないだろうか。



午前7時ころに港に到着。
いつもの水軒一文字の付け根のポイントに向かった。去年に続き今年もワカメはまだまだ小さい。この冬はかなり暖かかったので成長も早いのかと思ったがそうでもなさそうだ。
しかし、採れるワカメは柔らかそうでかつ美味そうだ。たくさんあるときは適当に金棒を突っ込んでワカメの感触があったらクルクルまわしてからめとれるがこれだけ小さくて散在していると目視で狙いを定めなければならない。なかなか嵩が増えないが少しずつ数を稼ぐ。しかし腕がだんだん痛くなり、指の内側の皮もめくれてきそうだ。家に帰って干す作業もあるので午前8時半で終了。



家に帰って干す作業。例年ならほとんどの作業は母親がやってくれるのだが寄る年波には勝てず足元がおぼつかない。今年からすべて自分で干さなければならない。



この分量ならあと2回は行きたい。僕は同じような年齢の人たちに比べると髪の毛はまだまだ大丈夫だ。それが幸いして年下の上司と並んでもそんなに不自然ではない。(と思っている。)それはやはり一般人よりワカメを大量に食べているからに違いない。けっしてまったく頭を使わずに能天気に生きているからではないのだ・・・。


ひととおり作業を終え、タラノメ第2ポイントの見回りをしてきた。ここはまだ芽は固く、採れるようなものは4個だけだった。今のところ今年もここにはコンペティターは存在していない感じだ。十分大きくなるまで温存しておこう。
春は加速度を増して進んでいるようだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アドラー心理学入門」読了

2016年03月10日 | 2016読書
岸見一郎 「アドラー心理学入門」読了

アドラーという心理学者がいるということをたまたまネットで知り、同僚からもNHKで放送されていますよ。と聞き、この番組の解説で出ていたひとの著書を探してみた。

アドラーの心理学の特徴は、他者との関係を考えること、人間を分割できないひとつのものとしてとらえること(フロイトの心理学などでは心と体を分けて考えるらしい。)だ。
元は幼児期の教育をいかに充実させるか、問題を抱える子供たちをいかに正常な道に戻してゆくかということを課題に構築されたもので、それをたくさんの人たちが大人の抱える問題に応用して発展してきた心理学といえる。



アドラーは、人間の悩みはすべて人間関係の悩みだと言っいる。縦の人間関係は精神的な健康を損なう最も大きな要因であるとして横の人間関係の構築を提唱している。例えば、ほめる、ほめられる、これは縦の関係だ。縦の関係は競争を誘発する。それを劣等コンプレックスと表現しているが、これは上位に対して優越感を持ちたいというコンプレックスと対になって心を蝕む。
これは“普通でいられること。”そう、普通でいいのだと思える勇気をくじくものである。「普通であっていい。」=自己受容をできることが幸福を得るひとつの方法であるというのだ。しかし、“他者との関係”が前提としてある以上、普通であるためには他者との関係を安定させる必要がある。「他者を信頼すること。」=他者を敵と思わない。「他者に貢献すること。」=他の人のことを考えることができる。という二つのことも満たされていなければならない。

しかし普通であることに対しては責任が生じる。“普通”であるということはあくまでも自分の価値観。自分が意味づけした世界。その世界に生きるには結末も自分で受け入れなければならない。嫌われる、疎まれるということもその結末のひとつである。

自分の来し方を振り返ると、このとおりに生きてきたようなところもあるしそうでなかったように思うところもある。他者との関係を避け続けてきてしまったが自分が意味づけした世界はしっかり守り続けているのかもしれない。
しかしながら縦の模様がくっきりしている会社の中ではいつまでも居心地が悪かったのは確かなこと。この歳になってくると、できない社員の上司はほとんどが年下だ。アドラーは縦の関係ではなく横の対人関係を築けというもののそれはなかな難しい話だ。少なからず劣等感とコンプレックスは生まれてくるものだ。

それではこの本を読めばそれに折り合いをつけて幸福感を得られるのか。多分それは無理だ。この本を読んで感じることは、釈迦をはじめとする仏教の考えにあまりにも似ているということだ。例えば八苦、(生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦)これはアドラーのいう人間の悩みはすべて人間関係の悩みであるということと同じことを言っているような気がする。特に5番目から7番目はそのものだ。自分の意味づけした世界に生きるということは禅の考えにも通じるような気がする。人とのかかわりを大切にしなけばならないということは大乗仏教全般の考えに通じることであるように思える。

何千年も前からたくさんの人々がこの悩みを解決すべくいろいろなことを考え続け、今も考え続け、それでもどうしても完全に解決できる方法を考え出せずにいるわけだから人は永遠に安らかな幸せというものは得られないのだろう。どこかで妥協して折り合いをつけなければならない。そういうことだ。
ひとつだけ救いがあるとすれば、「私たちのことをよく思わない人がいるということは、私たちが自由に生きているということ、自分の生き方を貫いているということ、また自分の方針に従っていきているということの証拠ですし、自由に生きるために支払わなければならない代償であると考えていいのです。」という著者の言葉であるように思う。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「釣魚雑筆」読了

2016年03月03日 | 2016読書
S.T. アクサーコフ / 貝沼 一郎 訳 「釣魚雑筆」読了

著者はロシアではかなり有名な作家でゴーゴリーやツルゲーネフとも交流があった貴族らしい。
本書はロシア語で書かれた本格的な釣りに関する書物だということなので、さしずめロシア版“釣魚大全”というところだろうか。

170年前の釣り具、ロシアの魚の話が中心で、表現力というのは訳者の訳し方にもよるのだろうが、僕は師の文章を基準にしてしまっているからなのかもしれないがそれほど文学的ではないように思う。むしろ情景や情報を忠実に伝えようと努力しているようだ。それほど釣りには精通しているようでもないようだが、釣りをとおして見る自然への愛情は序の章にあふれ出ている。
この本の圧巻はこの章にあるようだ。
「自然の美に無関心な人はまずないが、ある人(これは大多数の都市に住む人たちを指しているのであろう。)たちはそれをただの書き割りを愛でるような感情しか持たない。・・・・・彼らは何にもわからないのだ!」と切り捨てている。また、「彼らは、わが身の毎日の変わりばえのない仕事のことを考え、家路へと、おのが汚い淀みの中へと、填っほくて息苦しい都会の空気の中へと、自宅のバルコニーやテラスへと、その貧弱な庭の腐った池の彼らにとっては馥郁たる匂いをかぎに、また昼の太陽に焼かれた舗道の夕べのほてりを吸うべく急ぐのだ……」と手厳しい追い打ちをかける。ここの部分だけは文体が違うかのようなので相当な憤りと嘆きを表現していようだ。
170年前、すでにこんなに疲れ切った人々がたくさん居たいうのもなんとも悲しい。ロシア革命へと続いてゆく階級社会の閉塞感がそうさせるのか、産業革命への道を歩みつつあるヨーロッパが自然を蝕んでいく過程で人と自然の隔たりが増していったのか。

時代は繰り返し今の時代も同じようなものだ。釣りを通して朝焼けの美しさを美しいと素直に感じることができるこの身がありがたい。会社の不毛な指示やわけのわからないプレッシャー、やりがいのなさ、これは自分のモチベーションの低さが原因でもあるのだが、その低さと引き換えにこんな感受性を得られているのならそれはそれでいいのではないだろうか。特に貧弱な庭の腐った池の会社の社員にとってはこんな感受性が必要なのだ。


こんなことを愚痴っていても仕方がない。
せっかく釣りに関する本を読んだのだから当時の釣り具事情を抜粋しておこう。
竹が生育しないロシアでは胡桃や白樺の枝で竿を作っていたらしい。ロシア産の芦を繋いで穂先にクジラのひげを使った竿もあったらしい。170年前というと日本では漆を塗った工芸品のような和竿が普通に作られていた時代だからこんなものを当時のロシア人が見たら目を剥いてしまうだろう。サイズは大、中、小といたってシンプル。
糸は馬の毛やインド産の植物繊維というのでこれは当時の日本と変わらないようだが、輸入されたものは高価であると書いてあることろをみると本テグスなんかは国産では作れなかったのだろう。
オモリは銃弾や散弾を使っていたらしい。鉤についてはあまり触れられていない。当時の鉤とはどんなものだったのだろう。

どちらにしても自分で作れるものは作り、利用できるものは利用するというのが貴族であってもそれが普通だったようだ。そしてシンプルで種類も少ない。今のように専用タックルなんてものはほとんどなかったのだ。
“知ることの苦しみ”という言葉があるが、仕掛けが増えるたびにあれこれ迷ってしまう。最近、僕は釣具屋に行っても何を買っていいのかがわからないのだ。そして行き詰るところ、釣れる時というのはシンプル極まりない仕掛けが一番というのは今でも昔でも変わらないようだ。


僕もこの時代に倣っているわけではないが、作れるものは自分で作りたい主義だ。
今も新しい竿を作っている。同僚と釣りに行くために作り始めた竿であるが、残念ながらそれには間に合わなかった。まあ、いつかそんなチャンスもめぐってくるかもしれないのでゆっくり仕上げてゆきたいと思うのだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加太沖釣行

2016年03月03日 | 2016釣り
場所:加太沖
条件:長潮 11:52干潮
潮流:6:25転流 9:15 下り1.5ノット最強
釣果:真鯛 1匹 ガシラ 2匹

今日は潮はあまりよくないがすごく天気がよくなるようだ。それに帝国軍宮殿では雛流しの神事が行われるらしくそれを沖から眺めてみようと考えての出撃だ。

朝、ゆっくりしていると出港が明るくなってしまっていた。夜明けがどんどん早くなってくる。
一文字を通過したときには朝日が昇ってしまっていた。



まあ、今日の潮ではこれくらいの時間で十分なのだが・・。

田倉崎を過ぎ、どこに行こうかと考えていると後ろから追い越していったマリーナシティから出ている乗合船がいつものテッパンポイントに停船した。ここでも釣れるのかと思いコバンザメ釣法を開始。
しかし釣れない。下りの定番、コイズキ方向を見てみるとたくさんの船が集合している。やはり下りの潮ではコイズキだと移動。しばらくここで釣りを続けているといくつかの帝国軍艦船がコマサキ方面に全速で移動してゆく。向こうにも船団ができつつあるので僕も移動。



しかし、こっちでも釣れない。何度か下っては上りを繰り返しているといつの間にか帝国軍の艦数が減っている。再びコイズキの船団が大きくなっている。今日の艦隊運動は忙しい。
島に近いところから徐々に沖に場所を移しながら釣りを続け、何回目かの移動後、停泊しようとしたときに僕とほぼ同じ経路でやってきた帝国軍がいた。これは近すぎると思いすこし移動をするとまた近づいてくる。それもかなりの至近距離だ。また移動をするとまた近づいてくる。多分、これは近づいて来ているのではなくて追いかけられているのだ。大きな声で怒鳴っている。白兵戦を仕掛けられてはこちらには勝ち目がない。しかし、前回といい、今回といい、一歩間違うと大きな事故を招いてしまいそうな行為には腹が立つ。今回もカメラを取り出してロックオン。敵はカメラが怖いのか、レンズを向けた瞬間、こっちをにらむのをやめてしまった。



これはひとつの戦法としてはちょっといい感じなのかもしれない。
これは勝ったのかもしれないと思いこの場所で仕掛けを下したが、連続して2艘の帝国軍に威嚇攻撃を受け残念ながら退散。このエリアは帝国軍にとってよほど重要な海域らしい。すなわち好ポイントということだろう。
そしてこの移動が幸運をもたらしてくれた。再び島のそばに移動して仕掛けを下している途中でアタリが出た。今日の唯一の獲物だ。毛糸に食ってきた。潮はそうとう緩るくなってしまった午前10時半ごろだった。

とりあえずボウズがなくなったので完全に潮が止まる前にガシラ釣りに変更。帝国軍の神事が始まるまでの約1時間の予定だ。しかし潮はほぼ止まっているような状態なのでこっちもアタリがない。それとも仕掛けの作り方が悪いのだろうか・・・。
正午になったので友ヶ島から神事の会場沖まで移動。人は集まっているがなかなかお雛様がやってこない。多分陸地での神事が行われていて海にやってくるのはかなり後になるのかもしれない。こっちも手持ち無沙汰で待っているのももどかしいので残念ながら撤退で今日の釣行を終了した。





人事異動があり、明日からは大阪に勤務となった。路線を4回乗り換えての約2時間の通勤時間となる。
地元での勤務はわずか1年10か月で終わってしまった。店長の小言を除けばかなり楽で楽しい職場であったが残念だ。人事異動というのは組織の活性化と個人の能力向上だと言われるが、通勤で疲れて目も見えなくなり腰も痛くて仕方がないこの身では行った先の活性化もできないだろうし能力向上といっても向上する伸びしろが残っていない。僕の人事異動はいつもこんない短く、管理職への昇格からは5回とも2年と持たずにどこかへ変わっている。今回も当たり前だが昇格もなく横滑りだけの異動なのだがどこへ行ってもよっぽど嫌われているらしい。なんだか主要な異動のあとの穴埋めのように思えて仕方がない。
発令を受けたあととりあえず元の職場に戻ると実質的な序列2位と目されている役員にどうしてだかばったり出くわしてしまった。まったく好感の持てない人だが一応挨拶をしてみるとスマホをいじりながら、「がんばれよ。」とひとことつぶやいてくれた。ああ、これが僕の今の立ち位置なのだと妙に納得した。

引継ぎを終え、荷物をすべて送り出した昨日、この事務所ではもう何もすることがない。
お昼を少し過ぎた時刻だがこれから大阪の事務所に行っても無駄なことなので発作的に墓の谷に行こうと思い立った。勤務時間内だがおとといは休みで夕方までなにやらいろいろやっていたのだから大目に見てもらおう。
(こんなことばかりやっているのだからあちこち飛ばされるのは無理はないが、こんなことしかできないのだから仕方がない。)

原チャリで行けるところまで行きあとは徒歩で行者堂に向かった。



スーツを着たおっさんがこんな山道を歩いていると妙に意味深だが汗をかくこともなく目的地に到着。なんとか逃げきれることを願った。



帰り道、なんともむなしい道標に出会った。



雛は流され、僕も流され、結局、神事だなんだってきれいな言葉で言い換えているが、いらないものを捨てる口実ではないかとふと気が付いてしまったこの3日間であった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする