イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「開高健は何をどう読み血肉としたか」読了

2021年04月30日 | 2021読書
菊池治男 「開高健は何をどう読み血肉としたか」読了

師と「オーパ!」の旅を共に過ごした雑誌編集者が、師の残した書籍を読むというものだ。

師は茅ヶ崎の自宅に1万冊あまりの書籍を残したが、これでも大半は失われてしまっているそうだ。誰かが古本屋に売ってしまったらしいというのだからもったいない。
開高健記念館の理事をしている著者は記念館が東京都内の杉並区で開館する開高健記念文庫の準備のため、茅ケ崎市の師の私邸(今は開高健記念館)の地下にある書庫の蔵書をあらためて目にする機会を得た。
初めてこの書庫に足を踏み入れたのは師が亡くなった直後だそうだ。書斎に遺体が安置され、ひょんなことからその地下にある書庫に入ってはみたものの、弔問客が次々とやってきて出るに出られないという状況になってしまったらしい。牧羊子と弔問客との会話が筒抜けで、ここには聞いてもよかったのかと思えるような会話もあったらしい。おそらく本文とは特に関係がない部分なのだが、一開高健ファンとしては興味をそそられるエピソードである。
その時は緊張もしていて短時間であったのでじっくり蔵書の中身を見ることができなかったけれども、今回の機会でその著作を目の当たりにすることができたというのがこの本を書くきっかけでありスタートとなったのである。

師は本を読むとき、帯とカバーを破り捨て、気になった部分であろうところを大きく折りこむ癖があったそうだ。
かなり分厚い本でも大体1か所、折る場所も「左上角」「左下角」「右上角」「右下角」とあって、小さい折込みでも字面を避けず、数ページまとめて折りこんでいる箇所もある。線を引いているわけでもなく、師はそのページのどの部分が気になっていたのかというのも模糊としたままで、著者はそれをなぜかと考え込むと同時に、師のからかうような笑顔が浮かんできて猛然と興味がわいてきてしまったという。
著者もその癖は以前から知ってはいたが、そんな折込みが入った書籍を手にして読むのは初めてある。それは推理作業のようでもあった。
蔵書のうちで、帯とカバーがないことで師が読んだ本であるかどうかがわかる。そして折り込まれた場所は師が自分でなにか気に留めておきたかった場所であるはずであるというところから推理が始まってゆく。

しかし、普通の書評なり作家の心理分析をしたような本では、作家はこういう思考を持っていたのだからこの場面はそれに関連してこういうような思いの中で書かれたに違いないというような論の進め方になっていくのであるが、著者はそこまで踏み込まない。それにはふたつの理由があったのではないかと思う。
ひとつはあまりにも偉大な作家の心の内を自分が解明できるはずがない、もしくはおこがましいということ、ひとつは師のからかうような笑顔をいつまでも自分の心の中に留め置いていたいという気持ちがあったのではないかと思うのだ。
僕はそういう姿勢に共感を覚えるのだ。
そこはつい最近読んだいくつかの書評とは少し違うところだ。

だから、折り込みのあった場所に対して何か考察を巡らせるというよりも、その場所の記述をキーワードにして師との思い出をよみがえらせているというところが多い。これも師の一ファンとしてはうれしい内容なのだ。
たとえば、 「オーパ!」のプレイボーイ掲載時の前書きは副編集長によってボツにされた。単行本化の際には師は新たに文章を書き直したらしい。そして、幻の前書きは直筆版の「オーパ!」にはそのまま掲載されているらしい。(持ってはいるがまだ読んだことがない。早速このあと確かめねば・・)
そして伝説的な前書きはこれになった。

 『何かの事情があって野外に出られない人、

  海外へ行けない人、

  鳥獣虫魚の話の好きな人、

  人間や議論に絶望した人、

  雨の日の釣り師・・・

  すべて

  書斎にいるときの私に

  似た人たちのために。』

今読んでもわくわくしてくる。

「オーパ、オーパ! 王様と私」 の一場面でも裏話が書かれている。師と著者とのやりとりの中で、トロフィーサイズのキングサーモンを釣り上げたとき、師は英語で魚に対して「カム・アウト! イージー! ベイビー!(出てこい! いい子だから! かわいこちゃん!という感じの意味だろうか)」と叫んでいたことに対して、「すごい英語だ。ゆとりがあるんだな。」と言う。そのシーンの最後、当初、原稿の段階では、『バカニシヤガッテ』と書かれていたところを、編集担当の著者の前で原稿を『アリガトヨ』に書き換えたという。これなんかも師の茶目っ気がうかがわれるエピソードだ。
そういった箇所が随所にあるのである。
著者が「オーパ!」の編集に携わっていたことと、大半の蔵書が失われているということで取り上げられている書籍はアマゾン流域の資料が多い。そして、師が生涯テーマにしたヴェトナム関連の書籍だ。そんなヴェトナム関連の書籍の中で著者は鋭い推理を展開している。
それは小松清の「ヴェトナムの血」だ。
ここには“素蛾”という女性が登場する。師のファンなら必ず読んでいるであろう「輝ける闇」にも重要な登場人物として素蛾という女性が出てくる。この名前はヴェトナムではごくありふれた女性に名前であるらしいのでこの本から拝借した名前かどうかは判断が難しいが、素蛾を通しての「ヴェトナムの血」「輝ける闇」そしてその原型と言われる「渚から来るもの」との関連についての推理をしている。
確かに、ヴェトナムの血」と「輝ける闇」での素蛾と主人公の距離感というものがすごく近いところから小松作品に対するオマージュ以上のものを感じるのである。
僕はこの本を読んでいないが、この本に抜き出されている部分からひとつ何か推理できるものはないかと考えてみた。
折り込まれた場所は小松が若い頃にフランスで出会ったホー・チ・ミンは後年ヴェトナムで出会ったその人とはまったく別人ではなかったのだろうかというとこところなのだが、その前のページにはフランス領時代の南越の分裂を予想していた。実際それは小松が予言通りになったのだが、その後のヴェトナム戦争で、師がアメリカの介入の結果がどうなっていったかということになぞらえて折り込みを入れたのではなかろうかと思うのだが、著者はそこには触れていない。それはきっと師の考えにはできるだけ迫らないでおこうという意図があったのかもしれない。

紹介されている本のなかで唯一読んだことのある本は、「鮭サラの一生」だった。師の評価では、擬人化を慎重に避ける文章の出来がいいということであったが、それに倣ったか、師も動物を擬人化したような文章はほとんど書かなかったという。
しかし、著者は、「フィッシュ・オン」、「オーパ、オーパ! 海よ巨大な怪物よ」にかかれた大阪弁でしゃべるビーバーのくだりが折り込みをしたい場所だと書いている。これなども著者の師への愛情と尊敬がよく表れていると思う。
そのほか、サルトルの「嘔吐」などまだ読んでいないが読みたくなった本、一度読んだことがあるがもう一度読みかえしたくなった本、それは師の著作も含めてだがふんだんに取り上げられているのがこの本なのである。





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加太沖釣行

2021年04月27日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:大潮 6:03満潮
潮流:7:01 上り1.5ノット最強 10:01転流
釣果 マアジ 1匹 ハマチ4匹

気がつけば前回の釣行から2週間経ってしまった。
昨日までは季節が逆戻りしたような北風が吹いていたが今朝はなんとも穏やかな天気だ。しかし、今日もお昼前から強い南風が吹いてくるらしい。その合間を縫っての釣行となる。
穏やかな天気を示すように満月がくっきりと見える。この季節の満月は雑賀崎の先っちょに沈むのだろうか。今まで気付かなかったが山と満月の組み合わせというのもいいものだ。



穏やかな天気とうらはらにかなり気温は低い。今日の和歌山市の最低気温は7.6℃。もう寒さなんかを心配することもないだろうとヤッケだけ羽織って家を出たけれどもかなり寒い。日が昇っても北風がずっと吹いているので凍えそうだ。今日は寒さにも我慢の釣りになりそうだ。

しかし船は快調に進み第1テッパンポイントからスタート。四国沖ポイントにはマアジ狙いの船と思われる船団ができていたが今日も狙いを真鯛に絞っての選択だ。



しばらくはアタリがなかったが、漁礁の上に差しかかったときにアタリが出た。しかしアタリは小さくすぐに放されてしまった。同じように漁礁に差しかかるたびにアタリが出る。3回目のアタリでやっと魚が獲れたがマアジだった。2回目のアタリの時は鉤に乗ったが引きは弱くいったい何が掛かったのか思ったがおそらくすべてのアタリはアジだったようだ。ここでサビキに替えておけばもう少しアジを釣ることができたかもしれないがやっぱり真鯛がほしい。
高仕掛けのまま釣りを続けるがその後はまったくアタリがなくなった。

潮流の最強時刻を過ぎたので徐々に北上を開始。しかしアタリがない。行くところまで行きとうとうナカトまで来てしまった。ここはもう完全に帝国軍の制圧圏内だ。間もなくやっぱり帝国軍の艦船が異常接近してきた。



威嚇行為はされなかったがすぐ目の前に停泊して釣りを始めた。こうなってはここに留まることは困難だ。仕掛けを回収して移動しようしたらいきなりアタリが出た。少し巻き上げ速度を上げたのがよい誘いになったのかもしれない。
それもかなり引く。ドラグを締めても道糸が出てゆく。これはメジロサイズに違いない。目の前にはまだ帝国軍の艦船が居座りきっとこっちを監視しているに違いない。
早く取り込んで逃げねばと思うがなかなか上がってこない。多分この引きだとハリスを飛ばされるパターンだと危ぶみながらやり取りをするがなぜが糸が切れない。それもあまり走らず底の方に潜っていくだけだ。もっとドラグを締めてウインチを巻くように強引に引き上げる。浮き上がってきた魚は普通サイズのハマチだ。これはもう1匹付いているなと思ったらどんどん魚が上がってくる。なんと4匹も掛かっていた。それは引くはずで、1匹ずつは小さいからハリスも切れなかったというわけだ。
今日は結局、交通事故のようなアタリで4匹もハマチが釣れただけで終わってしまった。

家に帰って散髪へ。
この前の休日にいつも行く店に行ってみたらしばらく休業しますという張り紙がしていて断念。翌日に奥さんに問い合わせてみるとマスターは脳出血で治療中とのこと。すぐには復帰できないので他の店でお願いしますと言われてしまった。
このお店は先代のマスターの頃からすると50年は通っているお店だ。だからバーバー椅子(と言うらしい)に座ると何も言わずに刈ってくれる。なんやかや言っても超保守的でオシャレというボキャブラリーを持たない僕にとってはなんとも悩ましい。初めて行く店で何と言って刈ってもらえばいいというのだ・・。
さて、どこに行こうかと悩んでいると、ふと家の近くに格安散髪屋があったのを思い出した。



この手の店には嫌な思い出があって、1度だけ浮気をして行ってみた店では僕の頭の上でタバコを吸いながらカットをするということをやられたのでこんな店には2度と行くまいと、なんでも安いことが最上であると思っている僕でも散髪だけは和歌山県理容生活衛生同業組合に所属しているけっこう値段のお高いところに通っている。ちなみに洗髪なしで4,000円

今日のお店は同じメニューで1,880円。いったいどんな仕上がりになるのかと心配でしていたが、相手はさすがにプロだ。今の髪形を見ただけで大体こんな感じですねとそれなりに仕上げてくれた。
カットだけだと1,280円。顔剃りが600円というのはカットの割に割高じゃないかというのはさておいて、ひと月半に1回行っても元の値段と同じである。
う~ん、ものの値段というのは相当恣意的だと改めて思うのだが、ぼくはやっぱりマスターが復帰してくれたらいつものところに行くのだろうなと思うのである。
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「宗教で読み解く ファンタジーの秘密 I 」読了

2021年04月25日 | 2021読書
中村圭志 「宗教で読み解く ファンタジーの秘密 I 」読了

ファンタジーというジャンルというのはどういったものかと考えてみると、ハーレクイン小説、推理小説、痛快時代劇を覗いた小説はほとんどそういう名前で括れるのではないかと思う。
そんなジャンルの小説を宗教をベースにして読み解こうというのがこの本なのであるが、どうもそれはきっと難しいのではないかと思ったのが正直な感想だ。
ファンタジーだから輪廻転生や自己犠牲、蘇り、そういったものは常に使われるプロットで、そういったものは宗教の起源や信仰のベースとなっているものだ。

「風の谷のナウシカ」も自己犠牲による贖いの例として取り上げられている。以前にこの物語の評論を読んだのでそれに感化されて漫画版7巻を読んでいる途中だが、どうも僕にはそこには宗教性というものを感じない。
著者の解説も権力とケアの思想(ケアの思想とは、 個々の生活、個々の生命に対する慎重な世話のことで、権力による管理された世界の反対にあるもの)の対比というどうも宗教とはかけ離れた解釈をしているというのは、著者自身もちょっと無理があるな~と思っているのではないだろうか。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」はまったく仏教思想のなかのエピソードを小説にしているので宗教で読み解くことができるがそれは読み解くというよりも説法そのものではないのかと思う。
ただ、ここでの解説、『自我に固執する心が救いを妨げる。自我の反対は他者。自分の心に中毒を起こしている人がさらに自我を見つめ続けていてもいいことなどない。孤独な心の悪循環と他者との交わりの好循環』が大切なのだという論は心して読まねばならないとは思った。

唯一、「銀河鉄道の夜」についての法華経的世界は確かに宗教で宮沢賢治の世界を読み解いている感があった。
3年ほど前にこの本を読んだ感想は、「宮沢賢治からのメッセージを受け取ることができない。」というものであったが、少しだけ理解が進んだかという気にはなった。

とどの詰まり、おそらくファンタジーを書く作家たちすべてが何かの宗教を深く切り込んで物語を作るというよりもいろいろな宗教がらみのエピソードをつまみながら創っているというのが本当のところではないだろうか。
原作者の考えていたことは意外と単純なのかもしれないと思うのだ。読み手がそれを深く深く勝手に解釈するというのがこの手の著作なのだろうと思う。
ナウシカの評論もそうだったと思う。これなどは著者が生きているのだからそんなことは著者に聞けばはっきりわかるのだから複雑に考えることもなかろうと思うのだ。
遠藤周作も自分の著作が入試問題に出て、それの回答を書いてみたら得点を取れなかったと書いていたが、そんなものなのだろうと思う。

この本には続編があるのだが、次はどんなこじつけをするのかということと、「銀河鉄道の夜」の部分には読むべきものがあったとしてそれも読んでみたいとは思っている。

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山菜採り 3回目

2021年04月23日 | Weblog
緊急事態宣言が25日に三度発出される。そういえば「発出」という言葉もコロナウイルスがらみで初めて聞く言葉であったがもう慣れてしまった。

ちょうど1年前の今頃が初めての発出であったけれども、そのときは世の中が本当に静まり返っていた。電車の中も和歌山駅に到着するころには車両の中に僕がひとりということもあった。僕が勤めている会社もほとんどのスペースが休業していてそれに伴ってかどうか、週休4日というようなこともあり、悪夢のようなコンビニ店員生活もコロナのおかかげで終えることができたというのは今となっては微かな記憶となってしまった。
2回目のときというのは緊急事態であったのかどうかも怪しいくらい僕の周りは普通であった。会社も普通に営業していて勤務も普通であった。(ちょっとだけ休日増は継続されていたが・・)

さて、3回目の緊急事態はどうだろうか。感染者数からすると断トツに多く、医療現場も相当疲弊しているそうだ。オリンピックを前にして急いで抑え込む必要もあるだろう。ヨシムラ知事の先日のニュースの中のインタビューではヒャッカテンとてーまぱーくの人出を抑えなければならないと、僕の仕事場を名指しで最重要ターゲットのひとつのような表現をしていた。

今度の緊急事態宣言でどれだけ休みが増えるのかな?せめて週1日は増えてほしいな、などと、会社の業績がどうなるのかというようなことにまったく無関心の僕が思うのもおかしいが、そのニュースの中の、難波のヒャッカテンの前での街頭インタビューでは、「休業してもまったく生活には困らない。」とか、「暇つぶしでしか利用しないので・・」という言葉が流れていた。薄々は自分自身もそうは思っていたけれども、テレビでそんな意見を聞いてしまうとなんだかやっぱり少しは虚しくなってくる。
“ひとの役に立つ”というのがひととしての最善の生き方であるというのは資本主義の世界であろうと社会主義の世界であろうと仏教徒であろうとキリスト教徒であろうと基本的な考えだ。最近、「野生の呼び声」という映画を観たけれども、犬でさえ人間の役に立つことに喜びを感じていた。

ひとの役に立つということはひとが生きるというプリミティブな部分に対して役に立つということなのだろうけれども、そういう意味ではヒャッカテンというものもテンボウダイというものも何の役にも立たない、でも、それを言うならトセンヤもノリアイセンもツリグヤも生きるためには何の役にも立たないということになる。ノミヤもそういった部類なのかもしれない。食べることは生きることの基本中の基本であるが生命を維持するためのエネルギーを供給するのはノミヤである必要はない。
ひとの心の安寧という意味では少しはひとの役に立っているのかもしれないのがこの文章のカタカナで書いてみた仕事たちだと考えるのだけれども時代が様々な困難に直面し始めると役に立たない順番にやり玉に挙げられていく。それの筆頭がヒャッカテンとてーまぱーくだというのだから世間からはまったくもって必要とされていないということにもなるのかもしれない。
しかし、そんな世間からまったく必要とされていない会社の中でさらに不要だと思われている自分の人生を愛することは容易ではない・・・。というのが今の僕の実態だ。
そういったわけなのかどうか、今の職場はそれにふさわしいくらいに労働環境が悪い。3Kというわけではないのだが、今時社員ひとりに1台のパソコンが支給されていない。
不要だと思われている僕なんかには当然専用で使わせてもらえるパソコンがない。仕方がないので自宅に置いているデスクトップパソコンのバックアップ用のノートPCを持って行って仕事をしているのだが、天は我を見放していない。フリーWⅰFⅰの電波が漏れてくる事務所でパソコンを開くと自宅で使っている環境とまったく同じ環境を再現することができる。
メールも見ることができるしフェイスブックも見ることができる。
やってやろうと思えばブログも書くことができる。写真のデータはワンドライブに入っているのでフォルダにアクセスできてしまうのだ。

これはいいことなのだろうか、それとも後に災いをもたらす罠なのだろうか・・。
それはわからないけれどもそんなことは放っておいて今日は3度目の山菜採りだ。

ひまじんさんに問い合わせたところ、先週に比べると採りに入っている人がいてそこそこ採っているみたいだということであったので期待をして行ってみたが、こんなに長く与太話を書いているというのは本命のワラビがすこぶる厳しかったからだ・・。

今日も午前5時過ぎに生石山に到着。この時間にはすでに東の空が明かるくなってきているのだが、山際のオレンジ色から上空の藍色までのグラデーションが美しい。そして太陽が顔を見せる時の一瞬のオレンジ色もきれいだ。海でも山でも同じで、この時間帯の空は早起きをして眺める価値は間違いなくある。今日のキャンパーはそれをしっかり眺めていただろうか・・。

 

前回から1週間経っているので今回は北の斜面からスタートしてみた。
去年の4月24日の山菜採りの記録を見てみると、この日の日のワラビはまだまだ小さく、南の斜面の一部ですこし大きなワラビを採ったとなっている。今年は去年に比べて気温はかなり高く推移しているので今が採り頃と思えるのだがワラビについては去年れ以下だ。第2駐車場の前は先週でも大きなワラビが採れたので回ってみると、ここもまったく採れなかった。あるにはあるのだがすべて盗られたあとばかりだ。ひまじんさんの情報から想像すると、人はかなり来ているが採れる場所が少ないのでこの場所にみんな集まってきて根こそぎ盗っていったという感じだろうか。
その他の山菜はどうであったかというと、コシアブラについて見てみると、こっちは完全に去年よりも成長は早い。去年の山頂のコシアブラは採れるほどの大きさではなかったので去年との気温の差と同じような推移をしていると見える。



ゼンマイも大きくなってしまっているものがいつもよりも多く見られるような気がする。そうかと思うと前回の王家の谷ではまったく見つけることができなかったので生育にはものすごいばらつきがあるのかもしれない。
ヤマウドはどうだろうか、去年撮った画像と今年のヤマウドの画像を見比べてみるとほぼ同じように見える。だから気温差の影響はほとんどなかったような感じだ。



フキも去年と同じように見える。

ということは、ヤマウドは今の時期、ほとんど地面の上に芽を出していないのでおそらく気温よりも地温に影響を受けるのでそれほどの違いが見られず、ワラビやゼンマイを除く山菜は気温の推移通りといえる。
だから、ワラビとゼンマイがおかしいということになる。
気温意外に原因はどこにあるのだろうかと例年との違いを考えてゆくと、ひとつは山焼きをここ数年やっていないということだ。おそらくもう、3年はやっていないのではないだろうかということだ。ススキを焼いた灰は栄養素になる。それを3年もやっていないとなると地面が栄養不足に陥っている可能性がある。ワラビの芽は成長が著しく早いので他の植物よりも大量の栄養素が必要であるというのもうなずける。
しかし、この灰というのは様々な役に立つ。植物の栄養になるのもしかりだが、いったい誰が山菜のあく抜きに使えることを見つけたのだろうか。「さわらびの萌え出る春に・・」と読まれたのは奈良時代のことだからもっと前から人は灰で灰汁抜きをして山菜を食べていたのだから驚きだ。ちなみに食器洗いにも使えるらしい。



そして、今年はところどころススキを刈ってそのまま倒された状態になっているところが多いというのが去年と異なる。山焼きの準備だけやっていたということだろうか。
もうひとつはこの1週間は雨が少なかったということ。しかし、去年も直近はそんなに雨は降っていなかったようなのでこれは関係がなさそうだ。

ということは、やはり地面の栄養が足らないということに帰結をするのだろうか。そして、ススキが刈られていると風がそのまま通るので実は去年よりもワラビの体感温度は低かったりしたのかもしれない。例年ならけっこうススキの間で見つかるのも多かったように思う。
結論は、「山の手入れ」というというところに落ち着くのかもしれない。

しかし、今日の山菜採りは疲れた。
採れないと歩く距離が増えるということだろうが、それに加えて、一気に長い距離を歩くということも加わる。
ワラビがところどころに生えているとそれを摘みながら歩くので止まっては摘みまた少し歩くので一気に体力を使わない。ところが、ここに生えていないとなると次のめぼしい場所へと移動しなければならなくなる。
高原とはいえそこそこ起伏はあるので登りとなるとつらい。元来の高血圧のせいか、ときたま頭がクラクラするし太股の筋肉が言うことを聞かなくなる。10メートル登っては膝に手を置いて肩で息をするという有様だ。
コシアブラのポイントへはイバラのブッシュを踏み分けて入っていくので足は傷だらけだ。
ひまじんさんの奥さんが淹れてくれたコーヒーでやっと一息つけたというのが今日の山菜採りであった。

駐車場へ戻ると、和歌山市内から自ら車を運転してやってきたという御年88歳の老人のコンビが矍鑠として身支度を解いていた。あまりの元気さに感心している70代半ばのひまじんさんにはまだまだ若いね~おっしゃり、57歳の僕には、若いので馬力があるね~。というが、その言葉にタジタジとなってしまう。
30年後、僕はこの場所に立っている自信はない。おそらくはもっと高いところから山菜採りをしているひとを恨めしそうに眺めているに違いないと思うのである・・・。
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水軒沖釣行

2021年04月20日 | 2021釣り
場所:水軒沖
条件:小潮 5:09干潮
釣果:ボウズ

最近は100均に釣具が売られるようになった。
ナイロン糸などは道糸用とハリス用があるし、100均で釣具を買う人がこれを買うのかと思うのだがタコベイトまで売っている。ちなみに僕はこれを去年買ってタチウオ釣りに使ってみた。

そして今回はメタルジグを買ってみた。メタルジグを買ってはみたものの、僕は今の今までメタルジグで魚を釣ったことがなく、釣具屋で売っている本格的なものでも釣るテクニックがないのに100均のものでは結果が目に見えている。
そこでふと考えたのだが、これのボディに穴をあけてインチクのような使い方をしてはどうだろうか。
早速ドリルで穴を開けて加工してみた。こういう時は100円だとなんの躊躇もなくやってしまえる。



出来上がりはなんとなく釣れそうな雰囲気だが、冒頭のとおり、何の反応もなく朝のひとときを終えてしまった。

行き先は水軒一文字の沖。



この半月以上、連日、渡船で波止に渡るルアーマンたちは結構なサイズのハマチを上げている。僕も2回ばかり禁断の仕掛けを流してみたけれどもダメだったが、今度はこの新型兵器を投入して1匹釣ってやろうという魂胆だ。

夜明け前早くに出港してみると、波はないがかなり大きなうねりが出ている。フィリピンのほうに台風2号がやってきているがその影響だろうか。明るくなってからワカメを採る磯を眺めてみると波しぶきが上がっている。



このうねりが悪いのか、それともやっぱり使っているルアーが悪いのか、日が昇るまでやってみて終了。
魚の気配はあるようで、禁断の仕掛けを引っぱっているらしい船を合計3隻見た。



1回だけでは結果はわからない。またチャレンジしてみようと思っている。
しかし、おそらくこれまで無数の仕掛けが新しく考えられては釣れないから破棄されてきたはずだ。いつも大した釣果を上げない僕が新しいことを考えてもそれは限りなく徒労に近いのかもしれない・・。

午前6時には釣りを終えていたのでお決まりの「わかやま〇しぇ」へ。



いつも寄るお店の叔父さんは僕の姿を見るなり、「おお、久しぶり!釣れた?」と声をかけてくれる。僕はかなりの常連の部類に入れてくれているようだ。
空っぽのクーラーボックスに冷凍コロッケを詰め込んで帰途についた。

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「連星からみた宇宙  超新星からブラックホール、重力波まで 」読了

2021年04月19日 | 2021読書
鳴沢真也 「連星からみた宇宙 超新星からブラックホール、重力波まで 」読了

このタイトルの本を見つけたのは、「三体」を読んでいいたとき、三体問題のような運動をするような連星はどこにあるのだろうかと思って調べていた時だった。
実際、三体問題が示す通り、この状態というのはすこぶる不安定で、もし三つの星が重力を及ぼしあっていても長くは状態を保てないそうだ。
連星の定義を詳しく書くとお互いに重力を及ぼしあい、重心の周りを楕円軌道を描きながら公転している恒星を連星と呼ぶ。だから、三つ以上の恒星が連星を作るときは、まずふたつの恒星が連星の関係になり、その連星と三つ目の恒星が連星のように重心の周りを公転するという安定した形になる。だから、小説にあるような過酷な環境で文明を築き上げた生物は存在していないことになるのだ。
小説のなかの三体問題をかかえた星系はアルファケンタウリだったが、この星系は確かに三つの恒星で形成されている連星である。しかし、やはり上記のような構成で安定しているとのことである。
もうひとつ付け加えるなら、連星とは「お互いの重力によって公転する“恒星”」であるのでイスカンダル星とガミラス星は惑星なので残念ながら連星とは言わないらしい。(確かに二重惑星と表現されていた。)

太陽は連星ではないので宇宙では単独で浮かんでいる恒星が一般的だと思いがちだが、宇宙空間に浮かんでいる恒星の半分以上が連星だそうだ。北極星、シリウス、アンタレスなども連星である。となると、普通に空を見上げて見える星のほとんどは目では見分けることができないが連星だということになる。
また、北極星は三つの恒星が連星を組んでいるそうだ。もっとすごいのは北斗七星の中の「ミザール」。ミザール自体が二組の連星が連星を組んでおり、そのうえに少し隣に見える「アルコル(この星は北斗の拳で「死兆星」という名で登場する。)」と連星になっていてこの、アルコルも連星なので6連星ということになるそうだ。

連星はどうやって生まれるか。所説あるそうだが、星のゆりかごである分子雲の中で同時に生まれた星が重力の影響を及ぼし合う例や星が出来上がる直前の分子円盤の中でふたつの星が生まれるということがあるらしい。
また、球状星団という銀河同士が衝突したとき、その周りにできる小さな星団、この星団は星が密になっている場合が多いそうだが、そういうところではお互いに捕獲し合って連星になる場合もあるという。

著者は連星の研究者だそうだが、連星を研究することによって観測、分析することは宇宙を理解することに大きく貢献してきたというのがこの本の趣旨だ。
たとえば、ブラックホールはその名のとおり真っ黒で光も出さない。だからそれ単体では観測できないが、連星のひとつがブラックホールであった場合、もうひとつの星から物質が流れ込むのだがその時に伝播やX線を放出する。その様子を観測することによってそのブラックホールがどんな状態になっているのかということがわかるので連星がなければ何も見えないということになる。
また、重力波が観測できる機会というのはそのブラックホールや同じように大きさの割に質量が異常に大きい中性子性が衝突したときらしく、これも連星を構成する恒星がブラックホールや中性子星に変化した末に起こるときにしか観測できない現象であるらしい。
星の大きさの推定にも連星は役立つ。連星の公転軌道がわかればケプラーの法則を使って星の大きさと重量もわかるそうだ。
銀河までの距離の測定にも役立つ。「Ⅰa型超新星」という星はその明るさがどこの場所に発生しても同じでこの星の見かけの明るさを測定することでこの星が含まれている星雲までの距離が正確にわかるのだ。これを利用して銀河の動く速度もわかり宇宙が膨張しているというビッグバン理論が導き出された。この、「Ⅰa型超新星」は連星のうちのひとつが白色矮星(太陽にと同じくらいの大きさの星の最後の姿)になったとき、もうひとつの星から物質が流れ込むことによって質量が増すことで爆発がおこりⅠa型超新星となるので連星が存在しなれば銀河までの距離も測定が難しいということになるのだ。
だから、連星を研究するということは宇宙全体を研究するということにつながるということになるそうだ。

連星も惑星を持っているかという疑問だが、すでに連星にも惑星は発見されている。連星のうちのひとつの星を回っている惑星もあれば、ふたつの連星の周りを回っている惑星もある。前者をS(satellite)型、後者をP(Planet)型惑星という。ルーク・スカイウォーカーの故郷であるタトゥイーンはP型惑星なので太陽が2個映っていた。

最後に、太陽はひとりぼっちなのかということに対する疑問だが、この本の中には、ヘルクレス座のHD162826という110光年離れた星が組成がよく似ていて何らかの原因でお互いが逃亡星(連星から外れた星をこう呼ぶ)になったのではないかという説を紹介しているが、僕は小松左京の、「さよならジュピター」を思い出した。この小説では、木星を太陽化するという計画が出てくるが、木星の大気はほとんどが水素分子とヘリウムから構成され、その比率は太陽とほぼ同じなのでもう少し大きかったら本当に恒星になれたらしい。だから、太陽系も連星になっていた可能性があったのではないかと思うのであった。

文章に書いていると簡単だが、連星の世界はきっとすさまじい環境にあるのだろうと思う。おとめ座のスピカは半径が太陽の7倍という巨大な恒星が4日の周期で公転しているそうだ。そんな世界とはいったいどんな環境なのだろう。当然人も近づけないような世界だ。ブラックホールを抱えた連星もしかり、中性子星が衝突する寸前の世界など紛れ込んでしまったら一瞬で死んでしまうだろう。
こういう話を読むたびにいつも思うのだが、行くことも肉眼で見ることの距離にさえ近づくことができない世界を知っていったいどうなるのかと思うし、また、こういうことを研究し続けて人類は、いまから数千年後には本当にそんな場所に観測に出かけることになるのだろうだろうかと僕には関係のないはるかな未来を想像したりもする。

もっと身近な連星の例えというと、これはまったく人間関係の象徴ではないかと思ったりする。
人間もひとりなら波風の立ちようがないけれども、どんな形であれ、近くに人がやってくると何らかの波風が立つ。もう、それは絶対だ。平穏ではいられなくなる。はたまた3人の仲間ができると三体問題ほどではなくても不安定な人間関係になってひとりがハミゴになってしまうことがあったりもする。
連星に関する現象は宇宙だけに起こっているわけではないということだ。僕は逃亡星になりたい・・。
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「怪獣少年の〈復讐〉 ~ 70年代怪獣ブームの光と影 」読了

2021年04月17日 | 2021読書
切通理作 「怪獣少年の〈復讐〉 ~ 70年代怪獣ブームの光と影 」読了

ウルトラセブンの放送開始が1967年10月、帰ってきたウルトラマンは1971年4月、仮面ライダーも同じ月に始まり、V3は1973年2月が始まりだ。
日本の特撮ヒーローものの全盛期が始まった時代である。僕は1964年生まれなのでご多分に漏れず物心がつく頃からヒーローに熱狂していた。
著者も1964年生まれということなのでまったく同じ体験をしていたことになる。その著者がウルトラマンシリーズを中心に、当時の子供たちにとって特撮ヒーローとはどんな存在であったのかということを当時の制作に携わった脚本家や演出家たちのインタビューを通して考えている。

子供の頃の僕は特撮ヒーローにどんな形で対峙していたかというと、家にはテレビが1台、もちろんビデオもない中で、ウルトラマンや仮面ライダーが始まる時間には夕飯とお風呂を終えてテレビの前にスタンバイをしていた。しかし、この2番組はなんとか見せてもらえてはいたものの、ここで姉とのチャンネル争いが勃発し、ほとんどのヒーローは観ることは叶わなかった。なんとか見せてもらっていたのはキカイダーを途中からとバロムワンくらいではなかっただろうか。イナズマンは絶対に観たいと思っていたがそれはかなわぬ夢だった・・。
そして、この頃の学童雑誌にはこういったヒーローの情報がいち早く掲載され、友達の中では一番の共通の話題になる。しかし、家が貧乏だったから親の方針だったからなのか、そんな雑誌は風邪をひいてお医者さんで注射を打たれたあとでなければ買ってもらえない代物であった。真向かいに住んでいる同級生の家にはほとんどすべてが揃っていて、それを読ませてもらうというのが唯一の情報源であった。今でも覚えているのは、帰ってきたウルトラマンの後継番組は雑誌の情報では、「ウルトラA」と題されていたが放送が開始されると、「ウルトラマンA」ってなっていて、アレレレ・・・と思ったことだ。しかし、最終的には僕はとりあえず大学まで進んだが、彼は高卒で就職をしたところをみると、ひょっとしてそれらは悪書の部類に入っていたのかもしれない。(それが幸福であったかどうかというのは別の話ではあるが・・。)

自分のイメージの中ではウルトラマンより仮面ライダーにすごく傾倒していたように思っていた。放送開始時期を見てみると仮面ライダーは始まりからドンピシャであったというところがあるが、ストーリー自体もウルトラマンには当時の社会問題を巧みに反映させてドラマを作っていたというところがあり、そういうストーリーが子供たちには理解しづらかったということもあったようだ。
公害、差別、友情、親子関係、侵略とは・・・、そういったものがテーマにされていたのは当時の脚本家の顔ぶれが戦争を体験したひとであったり、沖縄出身であったり、また、学生時代に全共闘運動を体験した人であったりしたためだ。
確かに、ウルトラマンシリーズのドラマ部分というのは少し画像も暗く、シリアスなドラマ風なものも多かったように思う、主人公である変身前の若者の苦悩や、正義のために戦っている人たちに浴びせられる罵声、子供ごころにそれらは恐ろしいものに映っていたのかもしれない。早く変身して怪獣と戦ってくれないかなと思って観ていたのだろうと思う。
逆に、仮面ライダーシリーズはストーリーが単純であった。相手の目的は世界征服ただひとつで、それを仮面ライダーが阻止するというそれだけであった。しかし、ショッカーは世界征服を掲げながらやることといったら幼稚園バスを襲ったり下水に毒薬を流したりとけっこうショボいことをやっていた。まあ、いまでこそそう思うけれども当時はそれでも手に汗を握ってみていたはずだ。まあ、これはきっと松竹新喜劇と吉本新喜劇との違いといったところだろうか。

たかが子供向けの30分番組にそれほど大人たちが真剣に向き合っていたのだろうかと思うところもあるけれども、この本はまさにその現場に携わっていた人たちの証言であり、それはたとえ子供相手であろうが真剣にものづくりをしていたということが伝わる内容だ。
そこには、人はどう生きるべきかという哲学と、子供たちへのイニシエーションをうながそうというような思いが込められていた。

この時期のウルトラシリーズは、子供が成長していく過程に、怪獣やウルトラマンがあった。そして最後は想像の中の怪獣が本当に出現し、ウルトラシリーズがやっつけたことで、その子は最後に怪獣からもウルトラマンからも卒業するという話が多い。
怪獣は子供が成長する中で見ることのできる存在であり、最後は子供をひとり残して去っていくのである。
最終回には決まって少年とヒーローの別れが待っている。少年はいつまでもヒーローを追いかけるのではなく、どこかのシーンで向きを変えてひとつの区切りを迎える。
そんなドラマ仕立てなのである。
ただ、「ウルトラ五つの誓い」というのを改めて読んでみるとほんまかいなと思うところもないではないが・・・。
「ウルトラ五つの誓い」とはこんな内容であった。
一つ、腹ペコのまま学校へ行かぬこと
一つ、天気のいい日に布団を干すこと
一つ、道を歩く時には車に気をつけること
一つ、他人の力を頼りにしないこと
一つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶこと
ウルトラマンも布団を被って寝ていたのだろうかと不思議に思うのだ。

現代のヒーローはというと、たくさんのコンテンツの中に埋もれてしまわないよう何か突き抜けたものが必要と奇をてらったものが多くなったというけれども、それでもやっぱりそこには作り手が伝えたいメッセージがあるように思う。子供が小さかったころや勤務地が近かったころには日曜日の朝によく観たけれども、悪と正義の境目のあやふやさや師匠と弟子のありかた、そんなものを僕は感じた。
悪と正義は太極の考えにつながるものがあったし、師匠と弟子のストーリーには、守破離という考えが色濃く出されていた。
やはりそこには一所懸命にものづくりに挑んでいる人たちがいるのだと感じるのである。


そういったストーリー以外にも面白いエピソードも書かれていた。ウルトラ兄弟というのは本当の兄弟ではなかったというのは有名な話だが、ヒーローたちを兄弟に仕立てるというヒントは、当時流行っていたやくざ映画に倣って「義兄弟」にするという発想だったそうだ。
また、ウルトラの父とウルトラの母の実子はウルトラマンタロウだけなのだが、ウルトラの父の回想にはこんな内容があった。「ウルトラマンタロウが生まれて1万8千年もたったなあ。頭にはかわいいつのがはえていて・・。」ということは、彼らのあの姿というのはやっぱり素肌があれだったのかと確信した。まあ、どうでもいいことだが・・。
制作者のひとりの言葉にはこんなものがあった。『まとめて言っちゃうとね、全部「自由」ってことなんですよ。発想自由ならテーマも自由。』確かに自由だ。
ウルトラマンレオというのはもうさすがに観ていないのだが、この物語にはアンヌ隊員が再登場する回があるそうで、子供を連れて登場しているそうだ。その子供というのが、ウルトラマン一族そっくりらしく、一説ではモロホシダンの子供ではないかと言われているそうだ。アンヌ隊員の大ファンの僕としてはこれは観ずにはおれないと思うのである。
この本の内容とはまったく関係がないがもうひとつ発見したことがある。つい最近、SF映画の古典である、「禁断の惑星」というのを観たのだが、登場人物のコスチュームが科学特捜隊のコスチュームと瓜二つであったのだ。禁断の惑星の方が制作時期が早いので円谷プロがパクったということになると思うのだが、あの独特なコスチュームのルーツがこんなところにあったのかということを発見してひとりほくそ笑んでいる僕は死ぬまで大人にはなれないと悲しくもなってくるのである。

 


最後の章は、著者と作家の福井晴敏の対談になっているのだが、作家の目線というのも独特だと感じた。
ひとつは、ウルトラの国の人たちは地球人をどう見ていたのだろうかという疑問だ。歴代のウルトラヒーローたちは地球を守るために戦い、あるヒーローは命を落とし、あるヒーローは体をボロボロにして故郷へ帰ってゆく。彼らにしてみたら、縁もゆかりもない星を守るために体がボロボロになるまで戦うがその星からは何の感謝も見返りもない。あの星は一体何なんだと・・。挙句の果てにこれもウルトラマンレオでのエピソードだが、地球に衝突しそうになるウルトラの国を破壊しようとする。そんな星を守る必要があるのかという反論がヒーローたちの間から出なかったのであろうかというのである。会社のために心を病んでも会社は何もしてくれないという今の時代を先取りしていたかのようだ。
またゾフィーを中間管理職の悲哀に例えているのも面白い。ウルトラマンタロウはウルトラの父と母の実子なのだが、とうとう地球を守るという過酷な使命に向かわせられる。
タロウはウルトラ兄弟の支援を最も受けたヒーローのひとりだそうだが、それも宇宙警備隊の大隊長であるウルトラの父に忖度しての行動であったのではなかろうかというのである。
宇宙警備隊の小隊長のゾフィーとしては、部下のウルトラマンやセブンになんとかしてやってくれよと泣きつくしかなかったのだというのである。そして自らも命を落とすのである。(もちろん、後々には生き返ることになるのだが・・。)
もう、ここまで来たら本当に発想は自由だということになるのだが、それもこの時代を生きてきたから想像できるのであって、偶然にもこの世代に生まれたということはありがたいと思ったりもするのである。


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山菜採り 2回目

2021年04月15日 | Weblog
今日は今年初めての生石山での山菜採りだ。

森に暮らすひまじんさんの話ではまだワラビは小さいが少し山を下ったところにあるコシアブラはいいんじゃないでしょうかとのことであった。例年ならあと1週間は採りに行く時期が遅いのだが今年の春は暖かいので僕としてはもう待ってはいられないという気持ちがあったのでダメ元で生石山に登ってみた。コシアブラも去年の状況を勘案すると確かに今が採りどころなのではないかとふんでいる。

しかし、ここ数日はまた寒くなった。今朝の生石山の気温は摂氏1℃。

 

北風も強くて体感温度は多分氷点下じゃなかろうかと思うほど寒い。手袋をした指先の感覚は完全にマヒしている。
地面にもところどころ霜が降りたところが見える。



まずは一番生えはじめが早い南の斜面に入ってみた。ワラビは生えていることは生えているがかなり小さい。とりあえずいくらかでも確保しようと摘んでいく。そのまま斜面を登ってコシアブラのポイントへ。ここはまだまだまだ小さくて摘める芽はまったくない。もう少し日数が経たないとダメなようだ。

 

このエリアには大きなヤマウドの株があるのだが、見つけることができない。ススキが刈り取られているので去年のカラも一緒に刈られてしまっているのか目印になるものがない。
ひまじんさんが教えてくれたエリアですこし大きなワラビを見つけたのち、今度は王家の谷へ。



ここもワラビは早いのかまったく姿が見えない。そしてここにもヤマウドの株があり、見つけることができたことはできたがこの寒さのせいで霜にやられたか芽の先端が腐ってしまっている。もったいない・・。



ただ、もうひとつの株はなんとかいい状態を保っていてくれていた。



そしてこの付近には太いタラノメの木が数本生えている。いつも先を越されていて盗られた跡を見ながら悔しい思いをするのだが、なんと今年は無傷のまま残っている!
こんなサイズだ。



今まで見たことのないような太さである。摂氏1℃の中を歩いていた甲斐があったというものだ。今年、このエリアへの一番乗りは僕だったようだ。
すべての木の芽を摘んでこんどは第2駐車場のそばにあるスポットへ。ここには大きいワラビが生えていた。ここも一番乗りだったようで、踏み荒らされた跡がないし、ワラビも摘まれた跡がない。
だれも入っていない場所で山菜を採れるというのはなんと気持ちのいいことか・・。

このあと、ひまじんさんと合流。ヤマウドポイントに入った。ここもどうも人が入った様子がなく、去年のカラもそのまま残っている。だから地面の下のヤマウドも見つけることができる。そしてそんなヤマウドは真っ白で値打ちものだ。



次々に見つかるのでこれで十分と途中で切り上げコシアブラのポイントへ、ここは生石山から少し下ったところにあるので芽はすでに大きくなっていた。車で10分も走らないところだが山の上とはえらい違いだ。
大きいものはあきらめて小さいものだけを採ったがそれでもスーパーのポリ袋に一杯のコシアブラが採れた。

時期は少し早いかもしれないと思いながら行ってみたけれども十分すぎる収穫があった。
今年の教訓は、他人より先んじて山に入れということだった。


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加太沖釣行

2021年04月12日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:大潮 6:25満潮
潮流:7:09 上り2.1ノット最強 10:21転流
釣果:カスゴ1匹 ハマチ3匹

「明易」という言葉を最近知った。これは俳句の季語で、季節は夏。夏の夜の明けが早いことをいうそうだ。
芥川龍之介はこんな句を残している。「明易き 水に大魚の 行き来かな」
春分を境に一日一日昼の時間が長くなっていくが、明け急ぐ夜を嘆く思いを表しているそうだ。長い夜に人々は何をしていたのか・・、ちょっとエッチなことを考えてみたりもするが、確かに春分の日を過ぎてまだひと月も経っていないのに夜が明けるのがやたらと早くなってきた。毎年同じ現象がおこっているのは間違いがないが、今年はとくに早く感じるのはなぜだろう・・。



本当の休日は明日だったのだが、天気予報を見てみると明日は荒れた天気になりそうだったので急遽今日に休みを振り替えてしまった。そのへんは今の職場は適当でもなんとかなるというか、僕の立場が適当というか職場の維持のためのローテーションに入っていないというのは楽だ。ただ、朝が早い。毎日午前8時半には出勤をしている。だからいつも眠い。「明易」という言葉が身に染みるのはそのせいかもしれないと思ったりもしている。

今朝も暗いうちに水軒一文字の前で禁断の仕掛けをやってみようと考えていたけれども港を出るころには辺りはすっかり明るくなってしまっていた。

禁断の仕掛けはというと、今日もやっぱりアタリはなく、防波堤の前を往復することもなくすぐに加太に向かった。しかし、ところどころおそらくハマチの大きい奴だろうか、海面に波紋を作っていた。釣り方さえ工夫したらチャンスはあるのかもしれない。確かに明易の頃には大魚が行き来する。

そんな感じで加太へ到着したのは午前6時ごろになっていた。今日も真鯛一本勝負で挑んでみたいと考えていたので四国沖ポイントの船団は無視して第2テッパンポイントの船団を目指した。



疑似餌は鈴鹿ピンクと赤い毛糸の混合でスタート。アタリは間もなく出た。とりあえずハマチを確保。最初からボウズを逃れていると気持ちが楽だ。
第2テッパンポイントと第1テッパンポイントの周辺をウロウロしているとまたアタリ。今度もハマチのようだ。ハマチを掬い上げてみるともう1匹くっついている。小さいが真鯛だ。真鯛を釣ったのは久々だ。小さいサイズながらなんだかうれしい。ビニールも毛糸も関係なくアタっているようだ。
魚探への反応はけっこう出ていて、大きな群れが映ってきたので上下の誘いを入れてやるときっちりアタリがあった。今度もハマチだ。多分、サビキに切り替えるともっとアタリを取れるのかもしれないが真鯛一本でねばる方針には変わりがない。
この時点で潮流は最強時刻を迎えておりその後はアタリがぱったり途絶えてしまった。魚探には相変わらず反応が出ているがアタらない。ビニールを薄い色に交換してみたり、もっと北上してナカトシタまで来てみたがダメだ。転流時刻まで1時間を残してガシラ釣りに変更。
はずれのない釣りのはずのガシラもアタリがない。多分理由はというと、すでにこの時刻で船は南に流されるようになっていたことだろう。潮の流れが緩くて北風に押されているようだ。そうなると仕掛けが立たなくて根掛かりが連発する。それを回避するために仕掛けを上げ下げすると食いが悪く、根掛かりを何回かは回避できたが錘を2個ロストしたところで戦意喪失。午前10時に終了。

四捨五入して左の六十肩の痛みは相変わらずで、肩甲骨から首にかけて広範囲に痛みは広がっている。ときたま力が入らなくなることもあるのでやっかいだ。
江川が引退するときに、ここに打ったら今シーズンは投げられるが来シーズンは投げられないというツボに針を打ったので来年は投げられないのだと言っていたけれども、僕もそんな感じだ。ひょっとしたら、今日も、もう一匹針に魚を掛けたら次の釣行からは竿を操ることができないというところまできていて神様がそれを回避させるためにアタリを遠ざけてくれたのかもしれないと思うのはちょっと馬鹿げているだろうか・・。
そんなことはなくて、SNSのグループのメンバーの人たちも4艘出ていて状況は同じような感じだったそうだ。潮流の最強時刻まではアタリがあってその後は反応があるがアタリがないというのはまったく同じだった。下りの潮が入ってからはまたアタリがあったそうだが僕はそこまではやっていられない。肩は痛いしもともとお昼ご飯は家で食べるのをモットーにしている。今日も帰宅時刻はジャスト正午だった。

この4艘のオーナーさんたちは毎回僕よりもはるかにたくさんの魚を釣り上げる。2艘はよく目立つカラーのハルなので今日も同じ海域で浮かんでいるのを発見していた。多分、秘訣のひとつはとにかく動き回って魚の居場所を丹念に探るということのようだ。今日も朝一はアタリがあるとはいえ、それほど頻繁にアタリがあるわけではなかった。彼らの船は僕の視界に現れては消え、また現れるということを繰り返していた。
僕はというと、ここぞと決めた場所でのんびり流して魚がやってくるという待ちの姿勢なのだが、彼らは魚のいるところで仕掛けを下すという攻めの姿勢のようだ。
挨拶をしておこうと声を掛けたいと思うのだがその動きが速すぎて僕のボロ船では追いつけない。と、いうところで、家に帰ってメールで今日の状況を聞いてみると僕と同じような感じであったということがわかったという次第だ。
しかし、燃料代のことを考えるとそんなに頻繁に移動を繰り返したくないというのも本音だし、遅い足では移動しているうちに魚にどこかに行かれてしまうだろう。そうしたところで彼らのテクニックや仕掛けの工夫には及ばないだろうとも思う。
だからまあ、これくらいの釣果で、とにかくボウズさえ回避できていれば満足だというところで手を打っておこうかとも思うのである。
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「ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿  科学者たちの生活と仕事」読了

2021年04月10日 | 2021読書
佐藤満彦 「ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿  科学者たちの生活と仕事」読了

この本は、ヨーロッパのルネッサンス時期(15世紀半ば)から19世紀に活躍した科学者たちがどうやって仕事を見つけ、どんな私生活を送っていたかということを何人かの科学者の例を挙げて書いている。

以前に読んだ、「ニュートンに消された男」にも書かれていたが、17世紀くらいまでの科学者というのは、それを職業にして生計を立てるということはできなかったそうだ。それは名誉職のようなものであった。

それではどうして生計を立てていたかというと、パトロンを探したり、副業をやったり、家が資産を持っていたらそれを食いつぶしていくというような生活だったそうだ。
職業として科学者が成立するのは19世紀前半を過ぎてからであったということだ。
この頃の科学者はひたすら、自然世界の何事かを解明したいという欲求のみで研究に打ち込んだのである。

特に多かったのはパトロンに抱えてもらって傍らで研究をするというスタイルだが、科学者たちはそのパトロンに気に入られなければすぐに捨てられる。だからパトロンに気に入られようと大変な努力と気を遣っていた。
当時のパトロンといえば、大商人、絶対君主、皇帝、教皇たちであった。ときには彼らの知的欲求を満足させ、健康管理をし、はたまた占星術でパトロンの運命を占ったりしていた。
医者としてパトロンに仕える科学者が多かったが、ケプラーなどは星占いをしていたらしい。そしてそこから星の動きを研究することになり「ケプラーの法則」が生まれたということだ。

仕事先を探すためには自分の推薦状を書いたりするのだが、レオナルド・ダヴィンチはいかに自分がすぐれた能力があり君主の役に立てるのかということを長々と書いている。
また、ガリレオ・ガリレオは自分が発見した木星の衛星に当時のパトロンの名前をつけて媚びを売っていた。
しかし、ガリレオは苦労人だったらしく、生活はそれほど余裕はなく様々なパトロンを渡り歩き、計算尺の生産という副業をしながら妹の結婚の支度金の世話までしていたという。最後は宗教裁判にかけられ失明までしてしまい失意の中で生涯を閉じるのだが、その中で様々な偉業を成し遂げたというのだから不屈の精神の持ち主だったのだろう。

宗教がらみというと、コペルニクスは聖職者だったそうだ。当時のキリスト教が持つ世界観では地動説などというのは教義に反するのであるが、ガリレオの時代よりも少し前、それほどの重罪とは思われてはいなかったことと、カトリックとプロテスタントの対立のなかでうまく立ち回り発表にこぎつけたという。「天球の回転について」の出版が死の直前であったということも幸いしたが、ガリレオの運命との違いが如実に現れたという感じだろうか。

科学者が職業として成り立つようになったきっかけのひとつは戦争だったそうだ。戦争のための技術開発のために組織されたフランスのエコール・ポリテクニクがその最初だった。


自分の立場を自分で守りながら生きねばならない世界があったというと、今の職場には〇帝みたいな人がいる。
僕は今、子会社に出向しているという身分なのだが、そこが新規事業として新たに観光施設の運営業務の受託をしたというので僕はそこの担当者のひとりということで回されてきた。以前から別の施設も運営していたのだが会社の中でプロパーといわれる人たちにはそのノウハウがない。そこで、他社で経験のあるひとを契約社員として雇っている。
この人は組織表には載っていない人なので役職もないが、すべての人がその人に指示を仰がねばその業務が成り立たない。ラインの管理職でさえもヘコヘコ従っているようなありさまだ。
コイケさんの周辺もこんなこと以上の異常な状況になっているのだと想像すると恐ろしくなる。

ここからは僕の心の中にもモリさんがいるということになる。(まさか炎上することはないかもしれないが、「〇」のところは読んでいただく方のご想像にお任せいたします。)そのひとは自分がいないと仕事が回らないのを知っているからかどうなのかはわからないが、とにかく偉そうで高飛車な物言いをする。何もわからないのはあなたたちがバカだからだと言わんばかりだ。

それはそうで、他者には何も知らせずに小出しに指示を出すだけだ。そして遅いだの、察知して動けだのと言う。結局自分以外は無能だということになる。特に我々出向組に対しては警戒感を持っているのか当たりはきつい。

唐突にあれをしろとかこれをせよとか、前後の脈絡もなく支持を出すのでみんなキリキリ舞いになる。そしてやっぱり動きが遅いとなじるようなことになる。まるでロープに振って帰ってきたところにラリアットをかますようなものだ。
それに加えて話が長い。多分、長く話すことが自分を誇示することにつながると思っているのだろうがこれも〇性の特性だろう。男性というのはもっと要点を簡潔に伝えることに力点を置くのだと思う。モリさんのいうことも一理ありそうだ。

この人の立場からいくと、自分以外でこの仕事をうまくこなせる人が現れると自分の契約がなくなってしまうのだからそこのところは自分がいないと何もできないのよというスタンスを守り続けねばならないのは確かで、それに加えて、これまでもずっとこの会社の人たちもこのひとに仕事を丸投げしていたのでノウハウの蓄積をしてこなかったのだから会社のほうが怠慢なのか、この人が自分の身を守るための術としてそう仕向けたのか、今のところはこの人の思い通りとなっているのだろうというのが現状だ。
自分以外の人間を無能者にしておかないと自分の仕事がなくなるというのがこの人が守らねばならない究極の鉄則なのである。

まあ、これは男も〇もそういう立場になると同じような保身策を立てるのだろうけれどもやはり〇性がそれをやるとどうも生臭くなってしまう。〇の**に男たちを顎で使って偉そうにしやがってと思ってしまうのだ。

僕はどうもこういう人には好かれないようで、というか、逆にオマエミタイナニンゲンハダイキライダ光線を発しているのであまり相手にされない。むしろ危険な人間だと思ってくれているようだ。
こっちもこれから先もとくに栄進の道があるわけではなく、会社も人生も降りてしまって給料だけもらえればいいと考えているからそれでいいのだ。もともと僕の上司はこの人ではないし・・。

そうやって走り続けなければお金を稼げないという世界に生きてこなかったというだけで僕は幸せだったのかもしれない。というか、絶対に幸せだった。少なくともそんな心配を今まですることがなかった。自己実現をしたいひとはやればいいし、僕みたいな人間はそれなりにやっているふりをすればいい。豪華クルーザーを買えるわけでもなかったし、いやなことも多かったがとりあえず会社に来ておけば家族が暮らせるだけの給料をもらえた。

一緒に出向してきた人がこんなことを言っていた。「この会社の人って、全部自分たちでやってしまうよね。」一応、一部上場企業ということで自分のまかされる範囲は限定されており、細々したことや専門外のことは他部署の人がやってくれる。今の会社はそういう意味では中小企業だ。どんな小さなことでも自分たちでやらねばならない。そういうことにも無縁であったので帰属意識を持つ必要もなかった。
自分が生きるため、会社に尽くすため・・・。そういったことを真剣に考えることはなかった。もちろん、そういったことを真剣に考えないから出世や大きな収入を得ることもなかったというのも現実ではあるが・・。

一昨日の「おちょやん」で千代が放った台詞には考えさせられるものがあった。
『私はただ、しようと思うことは是非しなくちゃならないと思ってるばかりです。言語道断だ。そんなふうにしてお前の義務を捨てることができるのか? 私には神聖な義務がほかにあります。どんな義務というのだ。私自身に対する義務ですよ! 何より第一に、お前は妻であり母である。何よりも第一に私は人間です。ちょうどあなたと同じ人間です。少なくともこれからそうなろうとしているところです。
お前の言うことは子供のようだ。お前は自分の住んでいる社会を理解しない。ええ分かっていません。これから一生懸命分かろうと思います。社会と、私と、どちらが正しいのか決めなくてはなりませんから。』
これは、イプセンの「人形の家」の一場面だそうだが、自分はいったい何のために生きるのか、そして、社会という言葉の前後を入れ替えてみると現代にも通じるのではないだろうかと思うのだ。

会社のために生きるというのが本当の義務なのか、そもそも生きるために立場を守り会社に居場所を確保するということが幸福につながるのか・・・。
当時の世界の最先端を走っていた人たちでも生活費に悩み、パトロンに媚を売りなんとか自分の立場を守り生きていたのだと思うと僕は幸せだとつくづく思うのである。
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