イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「 遺伝子の川」読了

2015年05月29日 | 読書
リチャード・ドーキンス 垂水 雄二 訳 「 遺伝子の川」読了

本書は生物を遺伝子の川の流れのほとりでたたずむだけの存在であると表現している。遺伝子だけがとうとうと未来へ受け継がれてゆくのだ。生物はそれをただ眺めているだけでそこに留まるのみだ。
それも効率的に最小限のエネルギーでかつ非情なほど。死に行くもの、未来に残れないものにはなんの慈悲も与えない。選ばれた遺伝子のみが流れを下ってゆく。
ヒトはある意味、その流れのなかでも最高傑作のひとつなのかもしれない。

そして地球上での生物の躍進を星の一生になぞらえる。恒星は最後を迎えるとき、大爆発を起こして次の星を作るための材料を宇宙に拡散させる。多様な遺伝子の大爆発、そしてその次の究極の目的は宇宙への拡散である。
DNAはその正確な複製能力からデジタルデータであると考えられる。
人類はその一歩を踏み出している。ボイジャーにはほんの少しだが、地球にはこんなことができる生物が生きているのだというメッセージが搭載されているのだ。
「遠く宇宙をへだてたところで、彼らは語りかけるに値する文明として最高潮に達したもうひとつの生命の大爆発が大昔にあったことを知るだろう。」という言葉で本書は締めくくられている。

もし、遺伝子が本格的に宇宙へ飛び出すことを望んだとき、DNAがその役割をになうのだろうか、それともシリコンウエハーのような別のものが肩代わりするのだろうか。遺伝子はデジタルデータだ。どこかで再生できればそれでいいと考えるとデータを載せるメディアは高分子の有機物でも無機物でもかまわないとは思えないだろうか。
もし、DNA=有機物=人間が運び屋となるしかないのであれば科学はもっと進歩しなければならないだろう。その段階のなかで核エネルギーでさえも利用する必要があるのではないだろうか。
しかし、情報だけを送り出すのであればそれほどのものは必要ではないだろう。
もうすでにコンピューターの上で人格を再現することは可能になっているそうだ。人工知能はその人がWEB上に書き込んだりアップしたりした情報を集めてその人格を再現できるらしい。30年後にはほぼ完璧に再現できるとか。
コンピューターに乗せかえられた僕の人格は他人から見たら僕なのかもしれないが僕自身からみたら僕ではない。僕というものは一体何なのだろうか。
遺伝子はそんなことは一向に気にしないのだろうか。本書のように情報だけが大切なのだろうか。

ヒトを選ぶのか情報を選ぶのか。それもきっと遺伝子が決めるのに違いない。あと30億年もすると太陽は最後のときを迎えて膨張を開始し、地球の軌道以上の大きさになるのだそうだ。
そのときには遺伝子はどんな決断をしているのだろうか・・・。

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紀ノ川沖釣行

2015年05月29日 | 2015釣り
場所:紀ノ川沖
条件:中潮 3:08満潮
釣果:ボウズ

中1日で再び休日がやってきたので今日は小船を駆って紀ノ川へ。最近は全然乗っていないのでエンジンの性能維持にもたまには乗らなければならない。
スズキを釣りたいと思っているので今日も午前4時に出港。少し雲が多くて明るくなるのが若干遅い感じだ。

エネルギーセンター前のテトラ下流に錨を落とし釣りを開始。
まずはトップウォーターをキャスト。しばらくしてルアーにアタってきた。しかし、フッキングには至らず。いるじゃないか。期待が持てるぞ。
その後もルアーをとっかえひっかえするがアタリがない。午前5時半もまわってしまうとすっかり明るくなり釣れる気がしない。
錨を引き上げテトラ帯を流しならトップゥオーターをキャストしてりいるとまた魚が出た。これもフッキングに至らず。

これでタイムアップ。「あまちゃん」の放送時間に合わせて帰宅。

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水軒沖釣行

2015年05月27日 | 2015釣り
場所:水軒沖
条件:長潮 8:30干潮
釣果:(二人で)ゴマサバ2匹 マルアジ多数

今日は生石山に住む森に暮らすひまじんさんに声をかけ同行をお願いしていた。
もっと早くに行きたかったのだがお互い予定が合わずに今日になってしまった。状況は徐々に悪くなってゆきサバの影が薄くなってきているようなのだ。
ひまじんさんからはサバの燻製の作り方を教わり、去年は声をかける前に魚がどこかに行ってしまったので2年ぶりの釣行だ。是非ご自分で釣り上げた獲物で燻製を作っていただきたい。なんとかサバが残っていてほしい。

朝は気合を入れて午前4時に出港。雲がないのですでに東の空はうっすらと明るくなっていた。
マイミクのちからさん情報では双子島沖35メートルということだ。リアルタイムでこういう情報をいただけるのはありがたい。
しかし今日はその地点に底引き網の船が出ていたので水深40メートルの水域まで出張って仕掛けを下ろした。
前回のようにいきなりのアタリはないが朝日が顔を覗かせるころにアタリが出だした。



魚探に魚の影が出るたびに食ってくる。ひまじんさんも水深を合わせながらコンスタントに魚を釣り上げている。しかしサバがない。
と思っていると前のほうで良型のゴマサバをあげていた。
遠路はるばる来てもらっているのでとりあえずホッとした。


この地点でアタリが遠のいたので思い切って紀ノ川沖へ移動。
しかし功奏というほどではなくアタリは散発的。ただここでもひまじんさんはサバを1匹追加。
午前7時を回ってアタリも遠のいたので午前7時半に終了。
数はまずまずであったがせっかくなのでもっとサバが欲しかったという感じだ。

家に帰って午前10時半の会議に間に合うようにスーツに着替えて会社へ向かう。しかし、今年のチョクリ釣りは3回とも出勤付きだ。これはこれでいかがなものか。
今日の会議なんかも、やってもやらなくてもどうでもいいような会議だ。



会社で行われている会議の8割くらいは無駄な会議だなんていうことを聞いたことがあるが、まったくその通りだ。
異才を放つビジネスパーソンはロジックで無駄な会議を乗り切るが、僕はシャワーも浴びずに異臭を放って相手の戦意を消失させて会議を乗り切ってやるのだ。

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浜の宮沖、下津沖釣行

2015年05月23日 | 2015釣り
場所:浜の宮沖、下津沖
条件:中潮 8:47満潮
釣果:キス 29匹

アジサバが好調なので夏の2大ターゲットであるキスはどうかと少し早いが浜名の宮の沖へ行ってみた。
前日、会社の同僚が40匹釣ったという情報が流れてきて、俄然やる気が出てきた。
しかし、どこで釣ったかを聞いておくべきだった・・・。

午前3時に起きると居間で息子がごそごそやっている。「お父さん、何してんの」って聞くから、「そっちこそなにしてんのじゃ?」って聞き返すと、「先輩の家で飲んでいるのにつきあってた。1時間前に帰ってきた。」とは・・、なんと大学生活を満喫してることか。若いというのはうらやましい。歳をとるのが嫌になってくる。

勝負は早いのにこした事がないので夜明けと同時に出港。天気が下り坂なのか、東の空が不気味なほど真っ赤に染まっている。



そういえば出港前、係留している僕の船の後ろに猫の死骸が浮かびながら漂っていた。これもなにやら不吉な予感。
まずは浜の宮沖を目指した。土曜日というのにまったく船が出ていない。釣れる場所はここではないのだろうか。
その通りで、アタリは少ない。早い目に見切りをつけて下津へ向かうべきか・・・。地方のほうに1艘船が見えるのでその近くに移動してみたがはやりアタリは少ない。
ここで浜の宮に見切りをつけて下津へ移動。しかし、ここでもアタリは散発的だ。キス釣りというと2本の竿のどちらかに常にアタリが出ている状態でないと釣りをした気になれない。はやり最低ラインは50匹だろう。
9時を回って本当にまったくアタリがなくなってしまった。とりあえず今夜のおかず分くらいは確保できているのでこれで終了。
泣きの1箇所、田ノ浦沖でもやってみたが1匹を追加しただけで本当に終了。

夕べ、九州で大きな地震があったが、釣果が振るわなかったのはそんなことも影響しているのだろうか。


港内に戻ると、どこかの映画で見たことがあるようなキャラクターが海をみていた。
雪の妖精らしいが、夏に向かおうというときに雪のキャラクターとは、これも不吉な予感のひとつではなかったのだろうか・・・。

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燻製を造る

2015年05月20日 | Weblog
日曜日に釣ったサバを3日かかりで燻製に仕上げた。
我流で作ったソミュール液に1日漬け込み、1日半かけて冷蔵庫の中で乾燥。



今日は午前中サービス出勤したので午後からの燻し作業。

玄関前は日差しが強いので勝手口のせせこましいところへ燻製器をセット。
こういうのは大自然の中で高原を渡ってくるような風に吹かれて造るのが感じが出ていいのだろうが、貧乏暇があるようでないように見せかけている生活ではこれが精一杯だ。

まずは摂氏80℃をキープしながら乾燥作業。
今回は木炭を使わずに豆炭を使ったのだが、これが温度管理にはすこぶるいい。急激な温度変化がほとんどないのだ。



塀と家の間の狭いスペースを吹き抜けてゆく風はせせこましいながらも気持ちがいい。
本を読みながら温度管理を続ける。



燻し作業にかかって一気に雰囲気が出てきた。



勝手口でおっさんが煙に咽びながら本を読んでいる姿というのは道を通る人々にはどのように映るのだろうか。
ここは、恥ずかしさもなにもかもどこかに追いやってしまってしまわなければならない。

燻し作業から3時間。
まったくの我流の造り方ながら美味しそうな燻製が出来上がった。

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水軒沖釣行

2015年05月17日 | 2015釣り
場所:水軒沖
条件:大潮 5:08満潮
釣果:マサバ、ゴマサバ、マルアジ多数

本当は今日に休みを合わせたかった。朝から釣りに出てその後に和歌祭りを見物したかったのだ。しかし、いろいろな人の希望が重なったので休みを譲ってしまった。替りに昨日を休みにしていたのだがあいにくの雨で釣りには行けなかった。
魚が釣れているとわかっているのでどうしても行きたくなる。それに釣れている間に燻製も作ってみたい。今日釣っておくと、中2日で仕込みをすることができる。ということで、通常の出勤日だが強行出撃だ。

燻製用に5匹、きずし用に1匹がバックリミットだ。それだけ釣れれば家に帰るのだ。
昨日は雨だったので紀ノ川河口を避けて双子島沖を目指す。午前4時15分出港。
水深40メートルラインに差し掛かったときに魚探にかすかな反応が出ていた。潮目はないけれども、とにかく時間が限られている。
まずは置き竿をセット、している最中に早速アタリがあった。
それからは仕掛けを入れるたびにアタリが出る。棚も浅い。多分道糸は5メートルも出ていない。仕掛けを落として誘う間もなくアタリが出る。手持ちの竿をセットする暇がない。
あっというまに生簀がにぎやかになってくる。



前のデッキで釣りを続けているので魚探の画面を見ていないのだが、きっと真っ赤になっているに違いない。

恒例の夜明けの写真も気がつけばすっかり明るくなってしまっている。カメラを構える暇もなかったのだ。



釣りを始めて40分。もう十分釣ったので早めの帰宅。結局定位位置のガーデンチェアに座ることもなく手持ちの竿を出すこともなく終わることになった。




家にたどり着いた時刻は午前6時30分。いつもならちょうど起床の時間だ。
それからスーツに着替えていつもの時刻に出勤。
しかし、さすがに眠い。多分会議があったら確実に居眠りをしてしまっていただろう。
パソコンの画面に向かっているとついついうとうとしてしまう。眠気覚ましに会社の中をウロウロ。あいつは何をやっているのだろと思われていたことだろう。
サラリーマンはこういうときでも、何かやっているふりをしておけば何とかなるものだ。中身は関係ないのだ。
無事最後までお勤めを果たして家に帰ってから燻製の仕込み。
さて、出来栄えはどうなることやら・・・。



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「禅とは何か-それは達磨から始まった-」読了

2015年05月13日 | 読書
水上 勉 「禅とは何か-それは達磨から始まった-」読了

本書は、達磨から始まった禅が中国での隆盛と衰退をたどり、日本に渡って巨大教団として発達し大きくなってしまったゆえに始まった頽廃、そしてそれに反旗を翻した高僧たちの生き方を紹介している。
高僧たちはどんな生き方をしたかは書かれていても、禅的な生き方とはなにかということについては、「こうだ、こうしなさい。」という指針は残念ながら書かれていない。
ただ、人間の大半、それもほとんどの人たちはグローバルな世界で生きるということは無理なはずだから手の届く範囲で生きるべきなのだと高僧たちの生き方を読んで思う。

気候や風土は土地々でどこも違う。そこの場所に合った生き方だから数百年の長きにわたって人は生き延びた。科学が発達し風土をねじ伏せ、大量生産でどこでも同じ生活をやりなさいとなってくるとどこかで無理がくる。

もちろん、どこかでの交わり、つながりは必要だろう。しかしそれはほんの希なことでいい。そして細い細いつながりでいい。遠くのことをうらやむとその地に合った生き方がしづらくなる。だから遠くから流れてくる人は希人として貴重な情報源として大切にするもののそれは特別(自分たちとは違う人)として扱ってきたのだ。むしろ、やっぱり自分が住む場所が一番だと再認識するための対象だったのかもしれない。
グローバルをローカルとして捉えることができるような人というのは世界でもほんの数人だろう。スティーブ・ジョブズかザッカーバーグくらいか・・・。それ以外のグローバルな経営者と言っているような人たちはただ大量発生したバッタみたいに世界中の市場を食い荒らしているだけのように思う。中国を食い荒らし、インドからアフリカに行ってほかに食い荒らすものがなくなったあとはいったいどうするつもりなのだろうといつも思ってしまう。

正法というものなどは体得することはできるはずもないが、道元が師匠から、「国王大臣には近づくなかれ」と説かれたというのはなんとなくわかるような気がする。何かに仕えて生きるというのは自分の心にバイアスをかけることと同じだ。
無為自然、任運騰々と生きることが禅的な生き方だとするのなら組織の枠に嵌っていては実現はむりだと思う。都から遠く離れてひっそりとひとりで生きることだ。

日本中に同じショッピングモールが建設されどこに行っても同じ生活が展開されその延長に人口の集中による疲弊と集落の崩壊が迫っている。乞食(こつじき)のような生活はしたくないが、最低限のインフラが整っていればそれでいいのではないか。基準は自分の食べ物を自分で捕って帰ってくることができる範囲だ。

もうすでにパンドラの箱は開けられてしまったか。
禅的な生活だけがこの箱を再びもとに戻すことができるような気がする。

はたしてこれが正しい考え方なのか、グローバルな世界で生きることができない無能なサラリーマンの負け惜しみなのかはわからないが、少なくとも水上勉は前者の生き方を推奨しているように思うのだ。
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水軒沖釣行

2015年05月09日 | 2015釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 8:46満潮
釣果:サバ、アジ 計35匹

いよいよ待ちに待ったチョクリの始まりだ。1週間前にはすでに群れが紀ノ川沖に到着しているとの情報だ。

今シーズンの一番最初なので朝は気合を入れて午前4時に港に到着。この時期なら東の空がすでに薄明るくなっているのだが、今日は雲が多いらしくなかなか明るくなってこない。待っているの時間がもったいないので真っ暗の中、微速で出港。
最初の方針通り、紀ノ川方面を目指す。

水深40メートルのラインまで出張って、魚の反応はないが仕掛けを下ろしてみる。
最初のうちはアタリがない。反応もない。う~ん。やっぱりまだまだ時期が早すぎたか・・・。運がよくないと群れに当たらないほど魚が少ないのだろうか。
調子のいい日は置き竿をセットしている最中に魚がアタってくるものだが・・・。
しかし、その心配は杞憂だった。午前5時過ぎにかすかなアタリを逃し、その後マルアジを1匹釣り上げてしばらく後に仕掛けが下りなくなったとお思ったら10本のハリのおほとんどに魚がついて上がってきた。この時点で置き竿にも魚が食いついている。
魚を回収して仕掛けを下ろして置き竿の魚を回収しようとしたら手持ちの竿にもう魚が食いついている。一瞬だが船上が戦場になる。

連続ではないが魚がアタる時はどっさりアタってくる。群れの密度が濃いようだ。

今日も同僚が出船している。向こうも釣れているようだ。しかし、これは精神的にプレッシャーがかかる。こっちにアタリがないのに向こうの竿が曲がっていると焦るのだ。200メートルも離れていないので、棚が間違っているのか、仕掛けの色が違うのか、もっと根本的にどうしようもないほどの腕の差なのか、悩みの波紋がどんどん広がってゆくのだ。



午前7時になる前にすでに生簀の中がそうとうにぎやかになってきた。魚体も大きい。数匹はスーパーで普通に売っている「ノルウェー産脂ノリノリ冷凍塩サバ1本780円」に引けをとらない大きさだ。
多分これ以上釣りつづけると僕のクーラーに納まらなくなる。魚を締めて帰る準備にとりかかる。
置き竿の仕掛けはすでにもつれてしまっているが手持ちの竿は生きているのでそのまま放っておいたらまた食っている。それもノルウェーサイズが3匹だ。これで本当にクーラーの蓋が閉まらなくなるかもしれない。この前の大きな鯛を持って帰るのに発泡スチロールの予備ボックスを使ってしまっているからあふれてしまうと持って帰れない。
ペットボトルのウーロン茶を放り出してかろうじて蓋が閉まった。


そして今日は母の日の前日。一応、管理職という仮面を被りながら生きる糧を得ているこの身としは嘘でもなんでも職場に顔を出さなければならない。とりあえず上司に顔を確認して置いてもらえさえすればいい。“show the flag”なのだ。それも開店時間に顔を見られればなおのこといい。友人の家に魚を放り込んで15分前に滑り込んで今日の体面を保つことができた。



久々の大漁だ。今年はちょっと期待が持てるのだろうか・・・。

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山菜採りⅢ

2015年05月06日 | Weblog
今日も山菜採り。
連休の最終日で混雑するのかもしれないが、連日の高温でワラビも大きくなりすぎているのではないかと焦ってくるのだ。
昨日は立夏。暦のうえでは夏になっている。やはり急がねばならない。

コンペティターの先を越すべく午前5時に家を出発。
80歳の母親に、「どう?行く?」と聞くと二つ返事で午前4時には起床していた。今日も高原に立つ。




5月に入ってからのワラビは大きい。しかし、さすがにたくさん盗られたあとがある。ゴールデンウイークがなければもっと残っているのだろうがしかたがない。
しかし、僕の祖母が残した言葉に、「山菜は絶対に誰かが採りのしたやつがある。あわてることはない。」というものがある。じっくり探すとそれなりに残っているのだ。魚釣りと同じだ。焦らず信じるのだ。






地面ばかりを眺めていて、ふと顔を上げると和歌山の北部を一望する大パノラマが展開している。こんな景色を見ることができない人は人生を少しだけ損しているのではないだろうか。



高原を彷徨いながら、僕にとっての今年最後の春を満喫した。
そして、家に帰り往く春を惜しみながらウドとコシアブラの葉で作ったパスタを味わった。



ことしも春がすぎてゆく。
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加太沖釣行

2015年05月03日 | 2015釣り
場所:加太沖
条件:大潮 5:31満潮
潮流:6:23 上り1.6ノット最強 9:25転流 12.39 下り3.0ノット最強
釣果:マアジ 37センチ以下 2匹

今日はチョクリの釣りが始まったとの便りを聞いていたのでアジサバ狙いと考えていたが、3日前、久々に会社の同僚が立て続けに事務所を訪ねてくれて、「ゴールデンウイークはどうするんですか?」などと加太へ行きましょうよ光線を発してくる。
僕もあと1回は加太へ行っておきたいよなと思っていたのでそれじゃあ行きましょうかということで今日は加太へ乗っ込みの真鯛狙いだ。
ボートのオーナーである同僚のひとりはもう一人の同僚を乗せて紀ノ川河口から、僕は二人の同僚を乗せて水軒からの出撃となる。

6時23分が上りの最強なのでこれに間に合うように朝は4時半に出港。この時期になると4時半でもかなり明るくなっている。
田倉崎沖に到着すると、今日もきれいな朝日が上ってきた。



潮がのぼりなのでいつものテッパンポイントからスタート。
ハマチが釣れるかもしれないというので上2本は和歌山市事業者用ゴミ袋のパッケージを切り出した白いビニールをセットした。
潮は確かに上っているが底潮は動いていないようだ。ハリダシ付近で戦闘開始した僚船も底を取るのに苦労をしているらしい。
こんな状況でもタイラバを使っている同僚に小さいながらも真鯛がヒット。
僕ともうひとりの同僚はまったくの沈黙。結局この真鯛を上げた同僚はほかに40センチオーバーの真鯛とアコウとガシラを追加して今日は終了し、もうひとりの同僚はボウズ。しかし、釣果のあった同僚はまだまだビギナーといえる程度の腕前だ。
彼は僕の船に乗ってボウズがいまだにない。愚直に粘ることがこれほど重要だということをまざまざと教えられる。ボウズの同僚は道具さばきは大したものだが、船の上ではよく食べ、よく眠る。かたやビギナーの方はよく食べるがそれ以外はひたすら釣りを続けている。きっとこの違いが釣果に現れているのだろう。たいして、僕もベテランの同僚と同じで、この時間は釣れないだろうと決めてかかっているので集中力という面ではビギナーの同僚に負けてしまっている。
40センチオーバーの真鯛は完全に潮が止まっている時間にヒットしていた。僕はというと、今はダメだと思い込んでいるので気合が入っていなかった。この差だ。

今日の釣果の2匹のアジだが、潮止まりを迎えてテッパンポイントをあきらめ下りの潮を待つべくコイズキへ移動し、おだんごクラブの土さんがフェイスブックにアップしていた画像を参考にポイントを決めて流し始めたときだった。下ろしていく仕掛けにアタリが出た。潮止まりに近い時刻だったのでまったくの不意打ちのようなアタリであった。



魚探で底を確かめながら流していると、ここは海底が山のようにもり上がっている地形になっている。特に本線航路に向かっては急激に落ち込んでいる。下り潮がここにぶち当たるときっと魚が集まってくるのだろう。真鯛もアジもこの頂上あたりで食いついた感じだ。いつもはもっと島に近いところを流していたので、今日はいい発見をした。

2回目のはゴミ袋に喰ってきた。恐るべし和歌山市事業者用ゴミ袋・・・。

潮が下りに変わり、まったくアタリがなくなった。上りのときは深い緑色のあたかも魚が釣れそうな潮の色だったが、下りに変わると薄い緑色のいつもの釣れそうにない色に変わっていた。ここでも僕の戦闘レベルは限りなくゼロに近づいていた。
しかし、ビギナー氏はひたすら集中力を途ぎらせることなくアコウをヒットさせた。脱帽だ。

そしてタイラバの威力にも脱帽した。ガシラといい、アコウといい、根魚までも誘ってしまうのは高仕掛けではなかなか難しいと思うのだ。
僕もヒットカラーを撮影させていただいてタイラバの研究を始めたいと考えた。




今まではひとり孤独に魚と対峙するという形であったが、この職場に変わって少し状況が変わりつつある。ひとりの釣りは誰に気使いすることなく気楽なものだが、これはこれでたまにはいいものだ。
今日は先ほど書いたとおり、僚船とタンデムでの魚釣りだ。会話ができる距離で情報交換ができる。




潮が止まる頃には南西の風が強くなるのではないかと思っていたが、12時に釣りをストップするまで穏やかな天気だった。
夏を思わせる雲の形は季節の移り変わりと再び巡ってくる夏の釣りへの期待が広がっている感じだ。





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