イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行とワカメ調査

2023年02月23日 | 2023釣り
場所:加太沖、水軒沖
条件:中潮8:26満潮 14:25干潮
潮流:5:36転流 9:11上り2.4ノット最強
釣果:ハマチ5匹 サバ1匹

先週の日曜日、運転免許の更新に行ってきた。



そこでの講習によると、70歳になると普通の講習だけでは免許が更新できないらしい。あと10年経つと僕もその歳に限りなく近くなる。ものすごく歳を感じた。
そして、昨日のニュースで笑福亭鶴瓶が亡くなったということを知った。66歳だったそうだ。若い頃、深夜ラジオや夜中のテレビでよく聞いたり観たりしていた人だが、そんな人が亡くなったと聞くとなんだか死というものがほんのすぐそばに佇んでいるような気になってくる。松本零士が亡くなったというニュースにも無常さを感じるし、現代のトレンドにはついて行けず、歯が悪くなって噛み切れなくなったたくあんをペロペロ舐めるような感じで自分の若い頃によくテレビで見た人たちやその作品を楽しむのが一番いいと思うのだが、そういったものがどんどん遠くに行ってしまうような気がしてしまう。
僕の体にもちょっとした異変があり、ここ数ヶ月、左目の後ろが痛い。そのせいだろうか、目も見えにくくなってきた。だから、せっかくの綺麗な星空も乱視がきつくぼやけて何重にも見えてしまう。



加えてそこから続く首筋もずっと痛い。ずっと首が凝っている。なにか怪しいものができてしまったのかもしれないと思うと、とっておきのお酒は先に飲んでおかねばと思い先日の品質表示がさかさまに貼られたワインの栓を開けることになった。今週はとっておきの黒牛を飲んでいる。



まあこれは、日本酒なんて長く置いておくものではないというのもあり、5年近くも放置していては味が悪くなるという恐れもあったからである。
歳歳年年人不同。変わらないのは四季の自然のサイクルだけである。
週末からそんなことを考えていると天皇誕生日になった。
長らく祝日とは無縁の日々を送っていたので、天皇誕生日が2月に移動していたとはまったく知らなかった・・。しかし、4月29日は昭和の日として残っているのに12月23日はいつの間にか平日になってしまっている。これでは上皇様がかわいそうだと思うのは僕だけだろうか・・。まあ、歴代天皇の誕生日を全部祝日にしていたらそのうち1年中が祝日になってしまうことになるのだからこれも仕方がないか・・。

週末は天気が荒れそうなので前回の釣行から1週間も経っていないけれども加太に向かった。小船にも長らく乗っていないので紀ノ川にでも行こうかと思っていたがちょうど出港の時刻くらいには雨が降っていると予報だったのでオーニングのない小船では辛かろうという思いもあった。
同じように考えている人たちも多いのか、雨模様にも関わらず今日は大浦や西浜のボートパーク、紀ノ川方面からも続々と船が出てゆく。



予報では朝の一時だけが雨ということであったが、結局、お昼前までだらだらと小雨が続く天気であった。遠くはずっと霞んだままであった。



田倉崎の沖に到着してみると、今日も大きな船団ができている。


妥協の産物だとは思いながらもとりあえずはここからスタートしてみるがやっぱりアタリはない。



(それが妥協の産物ではなかったということは後ほどわかることになる。)早めに切り上げてワカメを採りに行きたいと思っているので早々と見切りをつけて銅板ポイントへ。
三度の幸運を願って来てみたがここにも反応がない。仕方がないので最後の望みであるテッパンポイントへ。



上り潮の時、ここは僕を裏切らない。高仕掛けに変更して後、しばらくしてアタリが出た。途中で逃げられないようにじっくり鉤掛かりを待つ。このアタリの感じでは真鯛かと思ったがハマチであった。
その頃にはこの海域にも船が集まってきた。その賑わいと同じく、アタリもポツポツある。1時間ほどでハマチ5匹を確保した。毎回ハマチばかりだと貰ってくれるところもないし、これくらいの釣果がいちばん上品でよろしいとも思う。ちょうど午前10時を過ぎた頃でもあったので今から港に戻ってワカメを採りに行くにも潮の引き具合もよいだろうと帰り支度を始めた。
しかし、この時間でも四国ポイントでは船団が解散せずに留まっている。う~ん、やっぱり釣れるのだろうかともう少し四国ポイントに移動して粘ってみることにした。船団の隅っこでサビキ仕掛けに変更して様子を見ているとアタリが出た。途中でバラしてしまったが感触ではアジだったに違いがない。そうしていると魚探にも大きな反応が現れ始めた。この船団はこの反応が現れるのを待っていたようだ。妥協の産物ではなかったのである。
おそらくはこの海域にある漁礁の周りを中心にして魚群がウロウロしているのだろう。その魚群が自分の船の下を通ったときにアタリがあるかもしれないと、その魚群をひたすら待っているというのがこの船団であったようだ。



今日の新聞で、「ゴドーを待ちながら」という戯曲が紹介されていたが、この船団はまさにゴドーが来るのをひたすら待ち続ける不条理な一団ようにも思えてくる。こういうのはどうも僕の性には合わないし、そもそもこの密集した状態にはちょっとした恐怖を覚える。少しの油断が事故につながりそうだ。もう、魚を釣っているというよりも船を操縦しているだけのような気もしてくる。
そんなことを思いながらもまたアタリがあった。今度はしっかり鉤掛かりしているようでうまく取り込むことができた。久々のサバだ。
もう1匹サバを釣れば叔父さんの家へのいい土産になると思ったがその前に根がかりをしてしまいニュータイプのサビキ仕掛けをロストしてしまった。この時点で午前11時。これが潮時と加太の海を後にした。
このニュータイプのサビキだが、効果を発揮してくれるのかと疑心暗鬼であった。



釣果としてはたった1匹であったのだが、この海域に浮かんでいたSNSのメンバーの方々の情報によると釣果は僕とは大して変わらなかったようだ。僕がこの海域にいた時間は30分ほどだったことを考えるとそんなに悪くはなかったともいえそうだ。アムロを超えることはできなかったものの、セイラさんくらいの戦力はあったのかもしれない。もうひとつ作ってみて様子を見てみたいと思う。

港に戻り、小船に乗り換えてワカメの調査へ。大島の北側にははっきりとワカメの影が見える。今年は暖冬だったので生育具合を心配していたが順調に育っているようだ。干しワカメにするにはまだ小さいが生で食べるには最適のサイズである。今日食べる分だけを採り水軒一文字の際の磯へ移動。



こっちは生育が遅いのでごく小さいワカメしかなかったがここも順調に生育しているようである。
叔父さんの家に持って行く分だけを採り帰港。



夕食はこれも恒例のワカメのしゃぶしゃぶ。濃厚なワカメの香りは春の味がするのである。



釣ってきたハマチは1匹を生ハムに仕込んでみた。



森に暮らすひまじんさんにいただいたハイテクシートに包んで1週間ほど熟成させる予定だ。



塩加減がわからないので腐らせてしまうかもしれないが期待を込めて待ってみようと思う。
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「ネットと朝ドラ」読了

2023年02月19日 | 2023読書
木俣冬 「ネットと朝ドラ」読了

著者は2015年から毎日朝ドラのレビューを書いているというフリーライターで「みんなの朝ドラ」の著者でもある。
多分、「#ちむどんどん反省会」の盛り上がりに乗じて急ごしらえで出版したもののように思えるような構成だった。
「ネットと朝ドラ」というくらいだから、ネットでの反響がどれだけドラマ作りに影響したのかとか、視聴者のドラマの見方がどれだけ変わったかというようなことを論じているのかと思ったが、375ページの大半は著者が以前に書いた各ドラマのレビューを再録したものであった。
出来としては、「みんなの朝ドラ」のほうがはるかに良く、ただ、それ以降に放送されたドラマのレビューについては、こういう見方もあったのかというほど見識が深かった。

まず、タイトルに沿った、“ネットと朝ドラ”の関係だが、これはあとがきにすべて書かれていたのだが、ちょっとこじつけ過ぎだとも思える結論であった。こんな感じだ。
『「あまちゃん」でネットを介してみんなで分かち合い楽しむようになり、「ひよっこ」で朝ドラ語りが一般化し、「おかえりモネ」ではこんなになんでも言えるツールがあって何も言えない人がいることを感じ、「カムカムエブリバディ」で朝ドラ語りが、登場人物までもがおこなうことによってある種の成熟を迎え、「ちむどんどん」では物言う人、それも作品に意見する人が増え、ドラマ対視聴者(ネット民)という対立構造(一部では愛ゆえの批判も含まれる)が生まれた。10年、そして5年の間、急速にネットと朝ドラの関りは様変わりしながら、より多くの人たちの関心事になっている・・・』
ということである。
少し注釈を加えると、「おかえりモネ」における“何も言えない”というのは、思いついたことを熟慮しないままにつぶやくシステムによって一気に殺到する批判によって口をつぐむ人たちが出てきたという現象を差している。「あまちゃん」の頃、Twitterは気軽に意見を述べることができるツールであったが、10年も経たないうちにうかつなことを言うと非難の的になるという危険もはらんできたということである。「カムカムエブリバディ」ではネットを使ったパブリシティに工夫をし、新聞、雑誌、ネットなど、メディアによって報道される時間のタイムラグに応じて提供する情報を分けていたということを指している。
まあ、こういうことは朝ドラだけではなく、日常生活とネットの関り一般に言えることである。だからこじつけにしか見えないのである。

それよりも、それぞれのドラマに対する見方の奥深さのほうが素晴らしいと思う。ドラマの解説だけというのならNHKも出版を許可しないのか、わざわざネット論に言及しているのだろうが、そこは省いてもよかったように思う。
取り上げられている10作のドラマのうち、僕が全編観たのは「なつぞら」「スカーレット」「おかえりモネ」「カムカムエブリバディ」の4作だが、それぞれの著者の評価を見てみると、
「なつぞら」は、なつを中心にしたホームドラマではなく、なつと天陽が広大なく暗バスに自分たちの人生を描く物語であった。
「スカーレット」は、「ここ、見せ場です!」という、ズームアップの瞬間がなく、引いた視点でずっと舞台を見ているような印象で、行間を読ませるという小説のようなスタイルであった。
「おかえりモネ」は、登場人物みんなが公的な場では微笑みながら礼儀正しく振る舞うが、社交的にふるまう努力を懸命にしているだけであり、内心は不安や恐れを抱えている。主題歌の歌詞、「ヤジロベエみたいな正しさ」のように、かすかに揺らぎバランスをとりながら相手や社会との間合いを慎重にはかることは極めて知的な行為だと感じると同時に生きづらい世の中を表していたのだという。
「カムカムエブリバディ」は100年という長い物語が、パンデミックをはじめとする不安定な状況のなか、世界がこのままずっと平穏に続いて、大切な家族や友人や恋人や仲間と仲良く過ごしていきたいという祈りが色濃く出ている物語であったという。
どれもなんだか普通のひととは視点が違うような気がする。ボ~っと観ている僕はヒロインの恋の行方が気になるくらいで、もうひとついうと、僕のネットと朝ドラの関係は出演俳優や脚本家のプロフィールや過去の出演作を検索するくらいで、やたらと仮面ライダーばっかり出てくると思うくらいだ。確かに、「ちむどんどん」のストーリー展開についてはみんなどんなツッコミをしているのだろうと気になってTwitterを見ることがあったけれども、それも、ドラマはドラマチックなことが起こるからドラマなのであって平穏に物語が進むのならそれはドラマではないと思うのでどんなドラマでもこれはドラマだと思えばいいと考えている。ただ、沖縄の人の性格をおっちょこちょいで無神経だというステレオタイプ的な描き方というのは気になったところではあるが・・。
むしろ、いつも違和感を感じるのは、「朝ドラには悪人は出てこない」ということだ。これについてはそれが朝ドラのドグマであるということを念頭において観ていればいいのだが、その他のドラマや映画を観るときと気持ちを切り替えるのが大変だ。「舞い上がれ!」でも、リュー北条と秋月史子はなんだか怪しい雰囲気だったが、結局、この人たちも舞の恋を後押しするという清々しい役割を担っていた。もちろん、これはこれで、ああ、よかったとホッと胸をなでおろすのである。
幸いにして、創っている人たちの側は、そういう評価をあまり気にしているようなことはないらしい。むしろ様々なこだわりをもって創っているということが収録されているインタビュー記事のなかからわかってくる。これからもいろんなパターンの物語を創ってほしいと願っている。
観たくなければ観なければいいというだけだ。万人が肯定するドラマというのは稀有なもので、それはきっと伝説の「あまちゃん」くらいのものだろう。

だから僕も朝ドラをいつも観ていたかというと意外と観ていなくて、ここでも10作品のうち4作品しか観ていなかった。
「ひよっこ」はヒロインが能年玲奈ちゃんのポジションを簒奪した女優であったので観る気がせず、「わろてんか」や「エール」は主人公が偉人であったというのがネックになった。そんな人たちと自分の人生を比べてしまうと自分が嫌になってしまう。
「まんぷく」はヒロインが若くなかったという理由だけで、「おちょやん」は子役が出ていた2週間が名作すぎて続きを観る必要はないと判断した。「半分、青い」はやっぱり青すぎた。
で、結局、大体は最後のひと月分くらいは観てしまうので、その時になって、やっぱり観ておけばよかったと後悔したりするのである。

朝ドラの観方はそれくらいでいいのだと思うのである。

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加太沖釣行

2023年02月18日 | 2023釣り
場所:加太沖
条件:中潮 5:50満潮 11:15干潮
潮流:6:01 上り3.4ノット最強 10:03転流
釣果:ハマチ 14匹

先週の釣果に気をよくして今日も加太に行ってみた。本当はワカメの調査に行きたかったのだが、朝は満潮で、もしたくさん採れたとしても明日は雨なので干すこともできない。

午後からはプチ春の嵐になりそうであることと、潮流は潮止まりに向かうので少し早く家を出た。幸いにして気温は少し高めで凍えることはない。



今日の作戦は、朝一は前回好調であった銅板ポイントでサビキをやってみて、潮が緩くなったタイミングでテッパンポイントで真鯛を狙おうと考えていた。

田倉崎沖に到着した時、今日も四国ポイントに船団ができていた。



おお、何か釣れているのかと期待をしてその端に加わるも反応もアタリもない。朝一はここでというのが定番なのだろうか。今日も結局、この時点では妥協の産物のようにしか見えない。早々、ここ見切りをつけ銅板ポイントへ。



到着するなりいきなり大きな反応。そして仕掛けを降ろすといきなりアタリ。よく引くと思ったら、8本の枝素に7匹のハマチが掛かっていた。

その後も仕掛けを入れるとすぐにアタリがある。先週と同じパターンだ。10匹を超え、これ以上釣るとまた持って帰れなくなるので高仕掛けに変更。
その頃には鉤を伸ばされたり枝素を切られたりで残った鉤は3本まで減っていた。



ここでやってもまたハマチだろうと予定通りにテッパンポイントへ。しかし、テッパンポイントでは反応も薄く、アタリもない。
もう、十分だと思いながらもまだ釣りたいという欲望もある。もう一度銅板ポイントに移動してみるとここではアタリがよく出る。大きな魚が掛かり、ひょっとして先週の再現、大鯛かと思ったが、そんなに甘くはなく少し大きなハマチであった。

これで打ち止め、本当にこれ以上は持って帰れない。1時間ほどの間でそれが完了してしまうとあまり面白みがない。釣れたのだから文句を言うなと言われそうだが、1匹ずつでいいのでずっと釣れ続けてほしいものだ。それのほうが面白い。
結局、2時間と少ししか釣りをせずに午前9時に終了。ブログの本文も短くならざるを得ないのである。

今日は日差しはないものの、終始穏やかな天気であった。もっとも、午後からは確かにプチ春の嵐というような感じであったので嵐の前の静けさというところであったのだろうが、鳥たちものんびりしており、群れの中に突っ込むと未来少年コナンに出てくるラナの気分になれるのである。



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加太沖釣行

2023年02月12日 | 2023釣り
場所:加太沖
条件:小潮9:57満潮
潮流:8:41転流 11:52上り1.5ノット最強
釣果:ハマチ12匹 真鯛1匹

夕べ、美味しいワインを飲んでいたら朝起きるのが遅くなってしまった。
昨日は風が強くて釣りに行くのははなからあきらめていたのだが、いつもの「わかやま〇シェ」でアンチョビソースというものが100円で売られるという情報が流れてきた。



何に使うかというのがピンと来ないのだが、とりあえずこれは買いだと思い、その他のお買い得品と共に買い込んできた。プライスカードにはピザにも使えるようなことが書かれていたので夕食はピザにした。そこで飲んだのが、最後に残っていた1000円超のワインだったのだ。これで僕の在庫ワインは全部500円以下のものになってしまった。
このワイン、品質表示がさかさまに貼られていたので1500円で買ったのだが、おそらく3000円以上はするワインなのだと思う。やっぱりこれくらいの値段だと味が全然違う。それを調子にのって飲んでいたので今朝は朝早く起きることができなかったのだ・・。

  

午前4時に起きるつもりが時計を見たら午前5時。なんとかひとひねり出して午前5時半に家を出た。
ピザの仕込みのほかに、キンカンの砂糖煮も作っていた。去年から作り始めたが、これはなかなかいける味だ。100個以上はあるキンカンから種を取り除く作業は修業のようでもある。

  

そんなことをしながら昨日は台所で忙しく働いていたので余計に朝が辛かったのである。

と、勇んで家を出てきたが、潮流は転流に向かう時刻だ。先週はもっと早く出るべきであったが実は今日はあまり早く出る必要もなかったのかもしれない。



それでも朝一のモーニングサービスを期待して出たのだが、先週と同じ場所にできていた船団の中ではまったく魚の反応はなかった。それでもずっと船団を形成しているこの状態は妥協の産物に過ぎないのではないかと思えてくる。



朝からこんな状態なので、今日もボウズに向かってまっしぐらかと思ったのだが、上り潮に向かってまだチャンスはあるだろうと期待してほかの船たちに先駆けて移動を決意。
転流の時間まではもう少しあるけれどもまったく反応がない場所で無聊をかこつよりもましだろう。
上りへの向かい始めなのでヒラバエのほうに行ってみようと考えた。



そしてこれがよかった。しばらくすると根がかりかと思うような感じでアタリがあった。上がってきたのはハマチが2匹。とりあえずボウズはなくなった。そして、叔父さんの家に持って行く分もできた。

そうなってくると勘がさえてくる。上り潮がもっと効きやすい銅板ポイントにはもっと魚がいるのではないかと移動してみることにした。



そしてこの勘も当たった。ポイントに入ってみると強烈な反応が出ていた。サビキ仕掛けを降ろしてみるとすぐにアタリがあった。ハマチが3匹。いい感じだ。そして再度仕掛けを降ろすとまたハマチが3匹。仕掛けを降ろすたびにアタリがあり、たまに大きいのが掛かっているのか、新品の仕掛けを連続して2本切られてしまった。
先週は1匹釣るのに四苦八苦していたのに、釣れるときはこんなに簡単に釣れてしまう。釣りとはわからないものだ・・。
あまり釣りすぎるとまずいのでハマチの数を数えながら釣っていたのだが、10匹を超えると捌くのが大変になってくる。この間はおそらく30分ほどだった。これだけ釣れれば十分なので今度は真鯛を狙うべく仕掛けを高仕掛けに換えてここから近くの第2テッパンポイントへ移動。
ここでもちょろちょろ反応がある。しかし、釣れてくるのはハマチばかりだ。
そんな中、またアタリがあったのだが、これもまあハマチだろうと適当にリールを巻いていたのだが、魚の影を見て驚いた。この影は真鯛だ。そこからはオロオロするばかり。これは絶対に獲らねばと緊張が走る。今まで釣ったことがないほどの大きさの真鯛だ。



最初、少し頭を振るのでひょっとして真鯛かと思ったものの、その後はグイグイ潜っていく感じだったのだが、真鯛の下にもう1匹ハマチが掛かっていたのでそれが原因だったのかもしれない。
しかし、こんな大物を釣ってしまうと嬉しさの前に恐怖感が沸き上がってくる、こんなものが釣れてしまったのはきっと、僕が悪魔に魂を売り渡してしまったのではないかと考えてしまうのだ。
その後はなんだかソワソワしてしまって釣りにならないし、これ以上釣れてしまうと持って帰る入れ物がない。ハマチをもう1匹追加して午前10時に終了。

結局ハマチは13匹あり、小さいのを1匹放流してもすでに僕のクーラーボックスには入りきらず、5匹を発泡スチロールの箱に入れて持って帰ることになった。それでも二つの箱にほぼ満杯になってしまった。
ハマチ7匹は叔父さんの家に引き取ってもらい、残った魚を2時間かけて捌いてから、もらってくれる家に配って今日は終了。



今日は暖かい1日であった。真冬仕様でたくさん着込んできたが、タケノコの皮をはいでゆくようにひとつずつ脱ぎながら釣りを続けていた。先週の日曜日もいい天気であったが、気候は三寒四温を繰り返しているようである。
やはり春は確実に近づいてきている。


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「愛を知ったのは処刑に駆り立てられる日々の後だった」読了

2023年02月11日 | 2023読書
舟越美夏 「愛を知ったのは処刑に駆り立てられる日々の後だった」読了

2018年度の「開高健ノンフィクション賞」最終候補作となった作品である。どこでこの本を知ったのかはすでに記憶がないのだが、多分、そのタイトルの謎の多さによって記憶の片隅に残っていたのだろと思う。
とりあえず借りてはみたものの、目次を読んでみてこれはかなり重そうな本だと思った。最後まで読めるのだろうかと思える内容だった。
様々な紛争地域で命と向き合った人達やその家族へのインタビューをまとめたノンフィクションだ。

チェチェン紛争で独立派の誘いに乗って自爆テロを敢行しようとした女性、そのチェチェン紛争で民間人を含め拷問や虐殺をしていた元軍人。チェチェン独立派によって行われたベスラン学校占拠事件で子供を失った母親。ポル・ポト派の元少年兵士で、10歳の頃から思想犯の処刑、知識人の粛清を続けていた男性。中国のチベット弾圧に抗議するため焼身自殺をした女性の母親。タリバン政権下のアフガニスタンで虐げられた女性の地位向上のために声を上げる女性たち。キューバ東部にあるグアナンタモ米軍基地内のテロ容疑者主要施設から15年の後に生還したモーリタニア人の男性。
すべての人は、自国や他国からの干渉によって平穏な日常生活を奪われた人たちだ。そしてその人たちはその後、まったく意に反した生き方を強いられる。

自爆テロをしようとした女性はロシア軍に兄を殺されていた。チェチェン独立派はテロの手段として自爆テロを頻繁におこなっていたという。そのためには自爆テロの実行者をリクルートする必要がある。愛する家族をロシア軍に殺され悲嘆にくれ、悲しみの中にある女性たちもそのターゲットにされた。テロリストたちはその悲しみにつけこみ、ロシア政府と連邦軍への「復讐」がいかに価値あることかと説き、彼女たちを洗脳しようとする。
インタビューされた女性もそのひとりで、テロリストたちによってひそかに自宅の庭に埋められた自爆ベルトを手にしたとき、その重さに決意がゆらぎ自爆テロを思いとどまった。

そういったテロリストを殲滅するために活動していたのが「スペツナズ」である。「スペツナズ」とは、情報収集や秘密工作、暗殺や特殊作戦などをおこなうロシア連邦軍の特殊部隊である。その元兵士は使命を全うし、自分も生き延びるためには、命令の善悪を考えず、感情に飲み込まれることなく機械でなければならなかったという。
しかし、そのような軍隊での生活ののちでは、休暇で戻った家庭での生活の中では生きる意味に悩み、結局は戦場に戻ってゆく。帰還兵たちは「人殺し」と呼ばれ、兵士たちがどんな悩みを抱え苦しんでいるかを気にもかけてくれない市民に対して絶望し、戦場に戻るしかないのだ。
それでもこの元兵士は仕事として命を危険にさらし、部下を失い、村を焼くことが誰のためなにかということに疑問を抱き軍を去る。

ベスラン学校占拠事件で娘を失った母親は自分だけが生き残ったことに母親としてこれほどの罪があるだろうかと、「こんな思いは、敵にさえ味わわせたくない、それほどの悲しみと苦しみだった。」と語り、身寄りのない赤ちゃんを引き取り新たな家庭を築こうとする。それは母性以外のなにものでもない。

ポル・ポト派の元少年兵は組織の方針のもと「選ばれた子供」として革命組織「オンカー」と祖国カンボジアのみを愛するという教育を受け、それに敵対するものはすべて処刑しなければならないと教えられる。ポル・ポト派の支配下に入った貧しい農村に生まれた子供たちは信頼され、特権階級として扱われたのである。そして10歳のときに初めて人を処刑したという。彼もまたただ頭を空っぽにして引き金を引くことだけを考えていたという。
ポル・ポト派が崩壊し、ジャングルに逃げのびて活動するようになったころ、ある日、上官の命令で首都プノンペンに偵察に出かけた時、娼館で抱いた女性に人を愛することのすばらしさを見つけた。
著者はその感情を、人間の残虐さを凝視する経験を幼い頃から強いられた人生だったのに、彼は個人を愛するという感情を失くさなかった。全体主義とは対極にある、きわめて個人的な感情を無意識に守っていたのだと考える。

中国によるチベット弾圧に対して市民がとった最も過酷な抗議行動が焼身講義である。一身に苦しみを背負う究極の非暴力抗議である。政府の弾圧から逃れられず、息苦しさに満ちた社会の中で祖国のために何かしなければと考えたのであろう女性は19歳で焼身抗議を遂げた。初めての一般女性であった。著者はその母親にインタビューをするのだが、母親は子供に対して、「大きな仕事をしたね。できることなら、そう言ってあげたい」と答える。チベット仏教では輪廻という考えが強くあり、人を助けることでその徳を積むことができると信じられているということだが、母親もそれを信じることによってなんとか娘の死を受け入れようとしているかのようである。

一時は米軍に追い込まれたタリバンであるが、その後、勢力を盛り返し、アフガニスタンでは再びイスラム原理主義を前面に押し出され、それは女性たちの権利も脅かしている。そんな中、「アフガン女性のための作文プロジェクト(AWWP)」というプロジェクトが始まった。代表はタリバン政権崩壊後に多国籍軍が発行する英語新聞の初の女性記者となったひとである。国中を回り、ひそかに女性たちを集め、詩やエッセーを書かないかと誘い、世界に発信している。女性たちは、今の自分たちは自由を得ることはできないけれども「あきらめないで」と伝え続けてゆくことで未来の社会は変えられると信じているという。

アメリカの同時多発テロの首謀者をウサマ・ビンラディンと断定したアメリカ政府はタリバンやアルカイダの関係者の摘発を強化する。懸賞付きの通報には誤報も多く、モーリタニア人の男性もそのひとりであった。その収容先がキューバ東部にあるグアナンタモ米軍基地内のテロ容疑者主要施設であった。そこは自由の象徴、民主主義に基づく法治国家であるアメリカとは思えないほどの過酷な尋問と拷問がおこなわれていた。
男性はイスラム教徒である。イスラム教というと原理主義的な思想を思い浮かべるが、本当は、イスラム教は「許すことと愛することを教える。自分に不当なことをしたひとを許し愛せば、聖者に近づく。」と教えるのだそうだ。「耐えろ。アラーは、最も愛する者を試すのだ。」という言葉が収容所の日々のなかで唯一の慰めだったと手記に残している。
人は基本的に、命じられて他人を苦しめたり、人が苦しんだりするのを見たくないものだ。自分の中の善意に従わず人を拷問した若い兵士は一生苦しむだろうと、冷静な目で兵士を観察し、拷問は、手を下す側の人間性を殺さなければ、できない行為で、命じられたものは精神的な傷を負ってしまう。それを憂い、自分を痛めつける兵士の将来を思いやる心をもっていたのである。

どの人も自分以外の誰かを思いやることで愛を取り戻したひとたちである。この本のタイトルはポル・ポト派の元少年兵のことが書かれた章のタイトルでもあるが、すべての人たちの心に共通するものであるように思う。しかし、その陰にはその愛ゆえに命を落とした人もその数倍はいたのであろうと思う。
こんな極限を生きるためには臨済録に書かれているような生き方をしないと精神がおかしくなっていきそうである。臨済録自体も中国の戦国時代に生まれた考え方であるが、混乱の時代には本来の自分の気持ちを含めて何もかも捨て去らねば生き延びることができないのであろうと思うと悲しくなってくる。臨済録とは、僕たちが日常の生きづらさというようなごくちっぽけな問題を解決するためのようなものではなかったのだと思い直したのである。

インタビューを受けた人の何人かはインタビュアーである著者が質問をする前に自分から話し始めたと書かれていた。それはきっと押し殺していた感情を残しておきたい、もしくは自分の心の中だけに留めていれば、いずれその重みに自分自身がつぶれてしまうという恐れからだったのかもしれない。それが、著者がやってきたことで一気にあふれ出したのだと思う。それほど極限の、カミソリよりも細い生死の境目をその時まで歩いてきたにちがいない。

チェチェン独立派は自分たちのアイデンティティを守るための聖戦を戦っているのだろうが、その手法は残酷である。ロシアのウクライナ侵攻に対してもゼレンスキーは国民に戦争することを強いている。もちろんそれは正義の戦いではあるのだろうが、一方では国民に死ぬことを強要しているということでもある。国を守ることは必要。しかしそこでは自分の中の善意に従わず苦しむ人がいる。
そして結局、答えは見つからない。
やはり重い本であった・・。

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「円 劉慈欣短篇集」読了

2023年02月08日 | 2023読書
劉慈欣/著 大森望、泊 功、齊藤 正高/訳 「円 劉慈欣短篇集」読了

「流浪地球」に続いての劉慈欣の短編集だ。こちらの本のほうが日本での出版時期は早く、著者の初期の発表作が集められているらしい。

「流浪地球」は宇宙規模での壮大なストーリーが多かったが、この短編集ではそういう趣を加えながらも身近というか、地球上の現在の現実的な場面を取り扱ったものが多かったような気がする。そして、特徴的なのが、決してハッピーエンドではないということだ。こういう終わり方というのがなんだか東洋的だなと思ったりする。
映画でもそうだが、アメリカ製のものというと主人公の望み通りのハッピーエンドで終わるというのが多いが、日本も含めて東洋的な思想のもとではバッドエンドというか、悲劇的な結末が主流のように思う。この13本の短編はほとんどがバッドエンドだ。

未知の宇宙からやってきたテクノロジーも、奇想天外な地球上のテクノロジーも主人公たちに手を差し伸べない。
ある短編では、文明の存在しない恒星系を破壊して敵の攻撃を防ごうとする超文明が対象の恒星系の文明度をその惑星の生物に問題を出してテストする。貧しい村の小さな子供がたまたまそのサンプルとなり、その村の教師から教えられたニュートンの運動3法則によってテストをクリアする。その結果、太陽系の破壊は免れたが貧しさのために瀕死の状態になった教師は助からない。教師の亡骸の周りで悲しむ子供たちを見ていた超文明は彼を助けることはないのだ。それほどの超文明なら生物の蘇生などいとも簡単にやれてしまうはずなのに。(郷村教師)
また、ある短編では、炭鉱での重労働を助けるため、新たに鉱脈のガス化を開発した科学者がいたのだが、それは失敗し炭鉱自体が炎に包まれる。主人公は自暴自棄となりその炎に巻かれてしまうのだが、そのテクノロジーが安全に運用されるのは数百年の未来のことであった。(地火)
気象におけるバタフライエフェクトを利用し、家族が暮らす都市を敵の空爆から守るため常に雲に覆われるように世界中に現れる敏感点を探し回る科学者がいた。当初はその企てが成功するのだが、敏感点を追いかけきれず、わずかな時間のずれによって家族を守ることができなかった。(カオスの蝶)
クジラの脳に電極を埋め込み、自由に操れる技術を開発した科学者がいた。防衛費の削減でお払い箱になった技術と科学者は麻薬の運び屋の協力者になる。捜査官には悟られることなく密輸を成功させていたが、その結末は捕鯨船に捕獲され、科学者も運び屋も命を落とすという幕切れで終わる。(鯨歌)
「円」という短編は趣が異なり、秦の始皇帝の時代、円周率を求めることが不老不死の手がかりとなると考えた始皇帝は燕王から降伏の意思を示すために使わされた数学者、に5年後に10万桁まで求めるように命じる。
不可能と思われた計算だが、荊軻は秦の国の300万人の兵士にコンピューターの素子のような役割をさせその計算を実現させようとする。計算は実行に移されたが、その途中、燕の国を含む周辺国から襲撃を受ける。
この計算行為は、荊軻が秦の始皇帝を軍隊もろとも葬り去ろうとするための策略であった。
しかし、その才を恐れられた荊軻は始皇帝とともに処刑されてしまう・・。

主な物語はこんな感じだ。表紙のデザインは「円」の物語に登場する、300万人の兵士で構成される計算機の場面である。

著者は1963年、中国生まれなので悲惨な文化大革命の時代を子供の頃に経験している。その時の経験が、何ものも自分たちを助けてくれるものではないという感覚を植え付けたのかもしれない。日本人もそういう意味では何事にも受け身で生きてきたという歴史のなかでは悲観的な結末の物語を生み出し、それに対して共感を生み出すのかもしれない。

僕はたまたま読んだ「三体」が面白かったから中国製のSFが面白いと思って読んでいると思っていたのだが、実はそういった共感を知らず知らずのうちに汲み取っていたのかもしれないとも思うのである。

また、これは翻訳者の実力でもあるのだろうが、文章の運びが静かにおこなわれているというところも気に入っている。
あと1冊、短編集が出版されているらしい。これも近いうちに読んでみたいと思うのである。
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加太沖釣行

2023年02月05日 | 2023釣り
場所:加太沖
条件:大潮6:59満潮 12:27干潮
潮流:7:27 上り3.5ノット最強 11:17転流
釣果:ハマチ1匹

今日の潮流表を見てみると、前回加太でまったく魚を釣ることができなかった流れ方とほぼ同じだ・・。なんだか嫌な予感がするのだが行かないわけにはいかない。天気はすこぶるよい。

今日も朝は寒いだろうと思い、ゆっくり出発したがそれが悪かった。



四国ポイントには大船団ができていて、多分朝一にはアジサバハマチが釣れていたようだ。



僕が到着した直後に目の前でタモ入れをしていた船があったし、魚探の反応も真っ赤になっていたので間違いはない。「毒蛇は急がない。」が、「早起きは三文の得。」でもある・・。これくらいの気温ならもっと早く出ておくべきだった・・。

悪かったのはもうひとつ・・。
船のエンジンを始動させたとき、なぜだかギアが前進の位置に入っていた。それを知らずにセルを回すと、普通、車ならセルさえも回らないのにエンジンに火が入ってしまった。なぜ気がついたかというと、いつもと違う音がして、その後は勘だったのだが、嫌な予感がしてふと横を見てみると船が動き始めていた。急いでギアをニュートラルに戻したが惰性で動き始めた船は止まらず護岸に激突してしまった。幸いにして護岸に設置してあったクッション材に当たったので船には傷が入ることはなかった。こんなものでも取り付けておいてよかったと初めて思ったのであった。



そして、僕が仕掛けを降ろしたころには魚探の反応もなくなってしまった。もう少し粘ると再び群れが回ってくるかもしれないが、今日の戦略は上り潮が残っている間はテッパンポイントで高仕掛けだと思っていたので移動したのだが、ほぼ同じ頃、大和堆ポイントにも船団ができ始めた。今思うと、テッパンポイントではなくて大和堆ポイントに行っておけばよかったとも思うのである。

しかし、テッパンポイントにも反応がある。



それもかなり強い反応だが、アタリは出ない。ビニールを使っているのが悪いのかと思って6本の鉤のうち3本を毛糸に変えてみた。
その後、9:06にアタリが出た。「ドン」というような感じのアタリだったのでおそらくは毛糸にきたのだと思うが、鉤には乗らなかった。もう、2ヶ月近く使い続けている仕掛けなので鉤先がなまっていたのかもしれない。残念・・。しかし、またアタリ今度はビニールに喰ってくる真鯛特有のボリボリというアタリだ。これも合わせが早すぎたか、鉤には乗らなかった。この時だけが時合だったのかその後はアタリがなくなった。
あと1時間ほどで潮が止まりそうという時刻、船団ができている大和堆ポイントへ向かうか、もう少し上り潮の残りを期待してジノセト方面へ向かうか、ここからジノセトの方を見てみると、帝国軍の船が見えない。これはチャンスかもしれないとこっちへ向かうことに。



ここでも反応はあるもアタリがない。やっぱり下り潮はコイヅキと考えていたので移動を決意、その途中、ナカトシタ辺りにさしかかったとき、ここにも魚の反応があった。当初の計画を変更してここで最後を迎えようと考え高仕掛けを降ろしてみた。



しばらくしてやっとアタリが出た。慎重にやり取りをしてなんとかボウズを逃れることができたが、今日は釣りをしている時間帯を通してずっと魚探の反応があったが、どうしてあの1匹だけヒットしたのかというか、どうしてあの1匹しかつれなかったのか・・。高仕掛けじゃなくてずっとサビキで粘ったほうがよかったのか、全然わからない。他の人の情報を聞いてみると、それなりに釣果はあったようだ。う~ん、何が違うのか・・。
そんなモヤモヤを抱えながら午後12時20分終了

気温は低いながら今日は快晴。帰りも快適だ。この冬はもう、凍えるような日はないのかもしれない。



いよいよ春だ。

そしてまた、春に向かって値上げだ。もう、僕の人生には魚釣りと風呂上がりのアイスクリームくらいしか楽しみが残っていないのだが、物価の優等生であった39円のアイスクリームも値上げされるらしい。いつものスーパーに行ってみると、45円のプライスカードが付いていた。昨日もこのスーパーに来ていたのだが、その時は39円だったのに、運の悪いことに今日から値上げとは・・。と思ってレシートを見てみたらまだ39円だった。



おそらく月曜日から変わるので事前の準備だったようだ。僕の楽しみはどんどん剥ぎ取られ、もう、人生に未練はないと言わせたいかのようである・・。


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「『臨済録』を読む」読了

2023年02月01日 | 2023読書
有馬頼底 「『臨済録』を読む」読了

新聞を読んでいたら、漫画「ショムニ」の作家が、「臨済録」について書いていた。人間関係や進路に迷っていた時、この書物に書いていた、「逢著便殺」という言葉に救われたと書いていた。
『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、初めて解脱を得、物と拘わらず透脱自在なり。』という意味なのだが、これはなかなセンセーショナルな文章だ。「臨済録」というからには、おそらく臨済宗の経典か何かだろうと想像はつくがこういう書物があったということはまったく知らなかった。
曹洞宗では、「正法眼蔵」が有名だが、臨済宗にもこんな書物があったのである。
「正法眼蔵」と同じく、オリジナルを読んでも多分まったく理解できないだろうと思って入門書のような本を借りてみた。
一応、有馬頼底という人が著者ということになっているが著作ではなく、エディシオン・アルシーヴという出版企画会社の主宰である西川照子という人との対談という形になっている。この、有馬頼底という人だが、臨済宗相国寺派七代管長という立場にある人で、金閣寺、銀閣寺の住職も兼ねているというのもすでに凄いが、明仁上皇のご学友であり、元は大名の血筋、母親は公家の出身であるという。G1レースの有馬記念はこの人の本家が発案だそうだ。
こんなサラブレッドとしか思えないような人が仏教を語ってもなんだか胡散臭いだけのような気にもなるが、それは隅のほうに置いておいて、「臨済録」には何が書かれているのか、多分、ほんの一部しか触れることができないであろうけれども、読んでゆきたいと思う。

「臨済録」とは、中国、唐の禅僧・臨済義玄の言行録である。宗祖・臨済の“言葉”の書であるにも関わらず、臨済宗の最盛期であった室町時代にはなぜかあまり読まれてはいなかった。人気があったのは、道元が宋より伝えたという「碧巖録(公案集)」のほうで、これは、臨済宗が公案を拈提することで答えを出すという修業の方法をとったからである。
ちなみに、道元が宗祖である「曹洞宗」は只管打坐というひたすら座禅をし続けて悟りを得ようという修業の方法であるのでかなり対称的である。
また、日本の禅宗というと臨済宗と曹洞宗が有名であるが、曹洞宗は単一教団であるのに対して、臨済宗は十五派に分かれて活動しているというのも対称的である。著者はその一派の管長ということになる。

この本は、臨済録をダイジェスト形式で紹介し、その意味、さらにそれを受けて人はどう生きるべきかということを語っている。しかし、もともとが臨済義玄が論理的にしたためた文章ではなく言行録というだけあり、それが何を物語っているのかというのは謎に満ちている。だから、こんな解説でも加えてもらえなければ臨済義玄が何を語りたかったかということはまったくわからなさそうである。もちろん、それは有馬頼底の解釈も本当にそうなのかということも信じてよいのかということにもなってくるのだが・・。

この本の全編を俯瞰してみると、「死」という恐怖をどう克服するか、それと、人生をストレスなく生きるには・・という、大きくはふたつのテーマについて臨済義玄は語りかけているように見える。
その両方に共通するのは「自由」「自由人」でいることだと臨済義玄は言う。人間という存在は何ものにも束縛されてはいけない、自由になれということである。そしてそのためには悟りが必要であるというのである。
『若し、真正の見解を得れば、生死に染まず、去住自由なり。』とは、正しい見地(悟り)をつかんだならば、生死につけこまれることもなく、死ぬも生きるも自由自在であるということである。

そして、生きるという部分では、「無事の人」であれという。これは、こだわりを持たない人、執着しない人という意味である。
『道流、山僧が見処に約すれば、釈迦と別ならず、今日多般の用処、什麽をか欠少す。六道の神光、未だ曾て間歇せず。もし能く是くの如く見得せば、祇だ是一生無事の人なり。』
お釈迦様はすべてのことにおいて、諦観を持つことがあらゆる苦悩から逃れることが唯一の術であると説いたが、それと同じようなものなのだろうか・・。臨済義玄はそれをさらに発展させ、その諦観の先には自由が待っているということを行っているのだろうか・・。う~ん、わからない・・。

臨済禅ではそれを言葉や文字で得るのではなく「祖師禅」として伝えられる。直接師から公案を拈提しながら弟子に伝えられるものである。いや、むしろ、その挙句に座禅につきものの「喝!」という一瞬にもたらされるものなのである。

そして、臨済録では、せっかく得た悟りもすぐに打ち捨てなければならないと続く。悟りさえも煩悩であるというのだ。さらに、師から得たこと、さらにはお釈迦様からの教えも心を惑わすもの「人惑」として捨ててしまえという。自分の意志さえしっかりしていれば他人の意見に惑わされることなく生きてゆけるという。
もう、究極の自由な生き方だとは思うけれども、高度にシステム化された現代ではないごとにおいても他者に依存しなければ生きてゆけない。それを介しているのがおカネであるが、さすがの臨済義玄も千年以上の未来はこんなに貨幣経済が発達し、それが生命維持装置と化し、人々がそれにがんじがらめにされているということは想像できなかったのであろう。
それでも、自由でいるためにはどうするのかという、究極の姿勢が最初に書いた、『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、・・・』という言葉になるのである。もちろん、本当に殺せなどといっているのではなく、すべての身の回りのしがらみを断ち切ることだと言っているのである。

それに倣うと僕は意外とそんな生き方をしていたのかもしれない。それは社会に背を向け、会社の言いなりにならないで生きてきたのかもしれないと我ながら思っているふしがあるからである。その結果として会社からもはじき飛ばされたということなのだがそれは自由に生きてきたという証だったのではないかとこの本を読みながら思うのである。
家族でさえもある一瞬にはなんでこの人はここにいるのだろうと思うところを見ると、そういうことを本能的に感じとって生きてきたのかもしれない。
あとはどうやって『去住自由』という境地を得るかということだが、それには僕の唯一の人生の指針でもある魚釣りをも辞めてしまわなければならないのではないかと不安にもなる。

そう思わせる臨済録だが、そこに書かれていることがすべて真実かというと、著者は所得の申告漏れを指摘されたり、最近のニュースでは和歌山県の臨済宗の宗教法人が同じく所得隠しで追徴課税されたりと、導く側が煩悩と執着の塊であるように思え、臨済録は本物かと疑わしくなる。



そもそも、宗派が十五にも分かれているというのは、自己主張があまりにも強い人たちばかりではないかと思うのである。

まあ、臨済録ではそれさえも自由にやりなさいということになるのだろうが、自由でいるということはなんと不自由なことなのだろうとあらためて思うのである・・。

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