イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

浜の宮沖釣行

2015年07月29日 | 2015釣り
場所:浜の宮沖
条件:大潮10:49干潮
釣果:キス22匹 マゴチ1匹

やっと天気が戻ってきた。6月は行きすぎるほど行っていたが7月は2回目だ。やはり行ける時に行っておかなければということだろう。
チョクリにしようか、キスにしようか迷ったが、あまりにも波がない予報なのでキス釣りに決めた。

台風が来る前は好調だったがどうだろうか。
まずは浜の宮海岸の一番北、亀の川の河口沖からスタート。
いきなりひったくるようなアタリでコチが釣れた。これは快調の前兆だろうかと思いきや、今日はアタリがない。アタリが少ないうえにすぐに口を離してしまう。
こんな日はまず釣れない。置き竿にはまだ食いついてくるので竿を放ったままでアタリを待ち続ける。面白くない。
地方に寄ったり沖へ出てみたり、移動を繰りかえす。沖のほうで少しアタリを拾ってなんとか20匹あまりを確保。
暑くなる前に帰ろうと午前9時半に終了。

唯一の救いは、型がよかったことと、釣りをしている間は雲が出てしのぎやすかったことだろう。



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水軒沖釣行

2015年07月25日 | 2015釣り
場所:水軒沖
条件:長潮 6:58干潮
釣果:マルアジ 3匹

気がつけばもう1ヶ月釣りに出ていない。
台風12号のうねりがあるだろうがとりあえず出てみる。
うねりはたしかに出ているもののなんとか一文字の切れ目を通過して沖へ向かった。
紀ノ川を越えるといいらしいということだが、まだ濁りがあるのではという判断でまっすぐ西を目指すことに。それにうねりがひどければ最短距離で引き返さなければならない。
水深40メートルのラインまで出てみたが魚の反応は皆無。
あまり沖に出たくないのでこの辺で仕掛けを下ろしてみる。
風に流されているのか、潮が動いているのか仕掛けはかなり斜めに入ってしまう。これでは・・・。

まあ、このうねりではどこでも一緒かという感じなのでこの場所で粘ることに。

午前6時を回った頃だろうか、仕掛けは斜めのままだがなんとアタリが。これは油断をしていてばらしてしまった。
そしてまた沈黙。そしてまたアタリ。とりあえず2匹釣れた。幸いなことに型は大きい。
潮が緩くなってきたのか、仕掛けの傾斜が緩くなってきて再びアタリ。
これで3匹。おかずだけは確保できた。
このまま続けるか、それとも退散するか・・・。

うねりのおかげで今朝食べたうなぎ弁当の残りが逆流しそうだし、「今帰れば「あまちゃん」の再放送に間に合うぞ。」という悪魔のささやきが左のほうから聞こえてくる。
その上にエダスのもつれをはずすためにメガネのテンプルを口にくわえたら顔を洗った石鹸が残っていたらしく、余計に胸が悪くなってきた。(老眼でメガネをはずさないと糸が見えないのだ。)
これで決まりだ。「あまちゃん」を見よう。
近くの船もうねりに隠れて上半分しか見えない。醜態をさらす前に帰らなければならないのだ。



午前6時50分帰港。一目散に家を目指した。

きれいな朝焼けを見ることができたのがとりあえず救いといえば救いだ。



一度帰って給油に向かう。
僕の船がクサフグの餌場になってしまっている。



この時期にひと月乗っていなかったらこの状態だ。推力は2割減というところだろうか。
思ったよりは走ってくれるが、あと半月もするともっと動かなくなってしまう。
これをすぎればまた秋がくる。
早いものだ。

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水軒沖釣行  行けず・・・。

2015年07月11日 | 2015釣り
台風が接近しているけれども天気はよさそうだ。
よさそうというか、波は3メートル。かなり高い予報だが瀬戸内海の海上予報では0.5メートルで海上警報も皆無。どちらを信用すべきかという問題はあるが2週間あまり船に乗っていないし、とりあえず船を出してみた。

港内はまったく風も波もない。しかしうねりの気配はあった。係留している船がへんな動きをしている。でもとりあえず出港だ。

しかし、一文字の切れ目から外へ出ようとしたらやはりうねりが高そうだ。水面が大きな振幅で上下している。タイミングを合わせれば出られないことはないだろうが恐怖を感じる。



では築港側から様子をうかがおうと移動してみるがやっぱり怖そうだ。

その頃、紀ノ川かから2艘の釣り船が出て行ったが紀ノ川の沖ではもっと波が複雑な動きをしているのではないだろうか。一文字の切れ目から出撃していく船もあったが、まるでサーフィンをしているようだった。
みんな勇敢だ。僕にはできない・・・。


すでに戦意を喪失し朝焼けの景色を撮影。空気に水分がたっぷり含まれているので真っ赤に染まっている。これはこれできれいなものだ。

   


港に戻ってなんとか言い訳を探さなくてはと地の一文字を散策。

雑賀崎からは続々と漁船が避難してくるし、



テトラポットに打ち付ける波は真っ白で



日が昇ったあとでも水路の水面の上下動は変わらず、



今日はやっぱり行けない日なのだと自分を納得させたのだ。
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「おくのほそ道」読了

2015年07月07日 | 読書
松尾芭蕉/角川書店編 「おくのほそ道」読了

正式には、「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」だそうだ。学生時代の古典の授業でそんなことは習ったのだろうか。何も記憶がない。
毎月読んでいる雑誌に、「おくのほそ道」を自転車で踏破するという連載があり突然読んでみたくなったのだ。

教科書では冒頭の1章しか習わないからそれ以降を読むのは初めてだ。
もっと堅苦しいのかと思いきや、景色を愛でるのは当然ながら歩くのがしんどいとか虫がすごくて寝られないとか、毒を吐きながらの旅路でもあったようだ。
また、この旅は古の短歌に詠まれた名所を訪ねる旅でもあった。俳句というのは短歌を否定したところから発達したと思っていたが、そうではなかったようだ。むしろリスペクトしている。

古い歌の風景を訪ね、行く先々で旧知の人々の歓待を受ける・・・。“古人も多く旅に死せるあり。”というある意味決死の旅であったようだが、これぞ旅の醍醐味と思える。
半径3キロの生活に慣れきってしまっている僕のようなものでもこんな旅にあこがれる。

17年くらい前だろうか、1週間ほど山形県に滞在したことがある。“岩にしみいる蝉の声”の立石寺や“あつめて早し”最上川など、たくさんの俳句が読まれた場所があったのだが、その頃は「おくのほそ道」と山形県に何の関連も思い浮かばなかった。庄内竿を博物館に見に行っただけだった。今思えばもったいないことをしたものだ。そばと山菜は美味しかったが・・・。
食べるものといえば、「おくのほそ道」には食べ物に関する文章がないなと思ったが、1箇所だけしかないそうだ。芭蕉は食べることに興味がなかったのか、それとも禅宗を学んだ芭蕉にはすでに食欲というものは無駄なものとなっていたのだろうか。自然の中に在っても食べられるものかそうでないものかにすべてのものを振り分けてしまっているこの頭では、やはりこの心境には近づけそうもないようだ。

俳諧とはただ俳句を作るだけではなく、生き方そのものを指すのだと解説に書かれていた。それは禅宗につながる“乞食”の心である。俗欲を捨て去ったものだけが味わえる旅の心であったのだろう。
芭蕉が亡くなったのは51歳。今の僕と同じ歳だ。いつになったらそんな心境にたどり着けるのやら・・・。


今日は七夕。新潟県の糸魚川に到着した頃だ。旧暦とはいえこの旅と同じ季節にこの本を読めたということは僕にとってはうれしいことだ。
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「サバの文化誌」読了

2015年07月04日 | 読書
田村 勇 「サバの文化誌」読了

今年はサバがよく釣れるので、もっとサバの勉強をしようとこんな本を探してみた。
何年か前、よく行く古本屋で見かけたことがあったがけっこうな値段だったものだから買うのをやめたのだ。最近、ネットで探してみると1円の値段がついていた。これもサバの豊漁の賜物だろうか、それとも僕のサバへの愛が出会いをもたらしてくれたのだろうか。

文化誌というくらいだから、人々の生活とサバとのかかわりを綴っているわけだ。
お盆のころに刺し鯖というものを贈答品として使ったというのがお金やその他の物品に変わっていったということ。唯一仏前に供えることができる生臭物であること。などなど、遠い昔から日本人の生活になじんできたエピソードがちりばめられている。サバへの愛がますます深まるのだ。
サバ街道は若狭から京都というのが定番だが、その元祖は紀州や熊野から大和への道であったらしい。紀伊半島のほうがオリジナルだというのは郷土への愛もますます深まるのだ。
ついでに言うと、関サバより加太で釣れるサバのほうがはるかに美味しい。(はずだ・・・。関サバは食ったことがない・・・。)

漁法についてもいろいろ書かれているが、チョクリ釣りの記述がない。この言葉自体何を意味するかも知らないのだが、非常に局所的な漁法なのだろうか。それならそれで大切に守っていかなければならない貴重な文化なのかもしれない。


そして、サバの文化誌があるのなら、ボラの文化誌というのも誰か書いてはくれないだろうか。
ボラという魚も人が住んでいる海の近くで大量に獲ることができる魚だから貴重な蛋白源として存在していたのではないだろうか。カラスミはボラのタマゴだし「トドのつまり」や、「イナセ」などという言葉はボラが語源だ。そもそも出世魚だというのが人々の暮らしのそばにあったという証ではないだろうか。
ボラという魚は僕の魚釣りの原点のひとつだ。
小学生のころ、父親に連れられてボラの吸い込み釣りに行くのが楽しくて仕方がなかった。小さい子供の腕力にはあまりにも大きな獲物だった。そんなものを釣ってしまうと魚釣りが好きになってしまうのは当たり前だ。
昨今は“臭い魚”とレッテルを貼られてしまっているのが悔しくて仕方がない。
なんとか復権してもらえる方法はないものだろうか・・・。


コメント (2)
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