イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2020年09月29日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:中潮:4:29満潮 10:59干潮
潮流:7:21転流 11:00下り2.8ノット最強
釣果:チャリコ2匹 小アジ1匹(全部放流したのでボウズ)

本来なら今日、小船の船底塗装をしようと思っていたが、一昨日やってしまったので今日は釣りに行ける。
潮流の回りはあまりよくないが天気は上々だ。



朝は少しだけゆっくり出たけれども、やはり真っ暗だ。今日はタチウオを釣るつもりはなかったのでもう少しゆっくりでもよかった。



その代わりに漂流している電気ウキがよく見える。今日は2本も拾ってしまった。そして、「電気ウキを拾うと魚が釣れない」という僕のジンクスは健在であった。



もうすぐ転流時刻を迎えるのでできるだけナカトに近いところから仕掛けを下したい。しかし、帝国軍も同じ考えのようで僕が入りたいポイントには3隻の艦船が見える。



あそこに行くと完全にロックオンされてしまうからテッパンポイントの少し北側からスタートした。
仕掛けを下して間もなくアタリがあった。チャリコとはいえ魚が釣れたので少しホッとした。それに加えて、まだ何か下についている。同じサイズのチャリコがもう1匹ついていた。魚はけっこうたくさんいるようだ。しかし、潮はどんどん緩んでいく。もう2時間潮流のサイクルが後ろにずれていたら間違いなく釣果に恵まれたはずだと思うと残念だ。

そこからは迷走が始まった。ナカトから少し地の島によったNポイントに行くも魚探には反応なし。仕方がないので帝国軍を避けナカトからかなり下がったところまで行くもここもダメ。帝国軍が占拠するナカトを通り過ぎて赤松へ。しかし、ナカトのど真ん中でタイラバをやっている同盟軍が1艘、それも和船がいたけれども、あいつらはロックオンされずにいたのだろうか。僕は恐ろしくて近づくことはできない。ほかの人に聞いても、「叱られたことなんてない。」とよく言うのだが、今でも年に数回は「ここはあかんぞ~!!」て言われてしまうのは人徳の差なのだろうか・・。

赤松からジノセトに向かって少しずつ移動していったが途中で小さなマアジが釣れた。この辺はアジが釣れるのかと思い、オキアミの仕掛けに変えてしばらくやってみたがそっと触るようなアタリが2回ほどあっただけであった。
そこからジノセト、非武装ポイントを回ったがここもダメ。午前10時というとすでに下りの潮が入ってきている時刻だが流れが緩い。船は時速1キロ台でしか動いていないから0.5ノット程度だ。
アタリもないので一気にコイヅキへ。まだ潮は速いかもしれないがここにいるよりましかもしれない。
いつもなら潮の流れで段差のようになっている海が今日はそれほど荒れ狂っていない。なんとか釣りになりそうだし、ここにはたくさんの同盟軍がひしめいている。



ひょっとしたら釣れるのかもしれない。
フェイスブックのメンバーのanotherT氏やI氏の船も見える。

 

海面は穏やかだが流れはかなりある。GPSの表示では時速4キロを超えている。ほぼ潮流表どおりだ。北風と同調しているので仕掛けが極端に流されることはないが、油断すると根掛かりする。そしてここもアタリがない。到着したのが午前10時過ぎだったので釣れるとしても潮流の最強時刻を過ぎてロスタイムに入ってからだろうと考えていたのでここはじっくり待つことにする。じっくりと言っても潮が速いので10分に1回は移動しなければならない。
11時を過ぎてそろそろかと思うが、アタリはない。これくらいの時間経過して獲物がないといろいろ言い訳を考え始めてしまう。どうも潮の色が悪い。白いのだ。



だからなのだろうか、スラッジもたくさん見える。本当のところはわからないけれども、僕的にはこれは釣れないんじゃないかと思う潮の色だ。
それでも今日は天気もいいから午後1時くらいまでは頑張ってみようと思ったけれども根掛かりで3個持って行った仕掛けをすべてロストしてしまい、午後0時に終了。
きっとこれは神様が、「もう帰れ。」と言っているのだろう。それに僕の中の引き出しからもこれ以上何も出てこない。友ヶ島の端から端まで移動して何もできなかったのだから・・。

せめてもの救いは使った燃料がポリタン1個分ほどで済んだということだ。少し改善したとはいえ、船足は確実に遅くなっていて、今日は友ヶ島を1周したのでヘタをしたら2本近く消費したのではないかと思ったが、2回目のスクリュー掃除が奏功したようだ。おそらく船底もまだきれいなのだろう。小船の様子をみてみると、フジツボの付着数は今年も少なくてその後の猛暑で水温が上がって成長しすぎたことで抵抗になってしまっていた感じだから、付着量を抑えることができていたので船底はある程度まで奇麗さを保つことができているのだろう。小船よりも少し高級な塗料を使っているので春先のフジツボの芽の付着を抑えることがでた感じだ。

生け簀に入っているチャリコと小アジはすこぶる元気だったので放流してしまった。なにかのおとぎ話じゃないけれども、ひょっとしたら次は大きい魚を連れて帰ってきてくれるかもしれない。

夜、anotherT氏とI氏がフェイスブックにアップしていた画像にはたくさんの釣果が写っていた。彼らはいつもびっくりするほど釣果を上げているのだが、それに比べると僕の貧果は悲しいばかりだ。三遊亭金馬師匠はあの本の中で、『落語と釣りは師匠に付け。』と書いてていたけれども、我流の限界が見えたようだ。

電気ウキの祟りもその原因のひとつかと、梛の木の皮を加工してお守りを作ってみた。丸まった皮を平らに伸ばして欅の板に貼り付けてみたのだ。



梛の木というのは、熊野三山のご神木で、参詣者の道中の安全を祈願する木だからというので伊太祈曽神社で拾ってきた。
魚が釣れないうえに事故でも起こしたら大変なので、せめて安全に港まで帰って来ることができるようにという願いだ。

いつも大した釣果はなかったけれども、ボウズを逃れることができたということは多々あった。しかし、今シーズンは全くダメだ。もう、何をしてもダメ。
トンネルの先の明かりはまだまだ見えそうにない・・。

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「忘れない味 「食べる」をめぐる27篇 」読了

2020年09月28日 | 2020読書
平松 洋子 「忘れない味 「食べる」をめぐる27篇 」読了

平松洋子のエッセイだと思って借りたら、これもアンソロジーだった。平松洋子の文体もなんだか食に関する文章にしては純文学っぽい感じがするのだが、彼女が選ぶ文章もはやりそんな感じがする。
27人の作品が収められているが、読んだことのある作家は江國香織くらいしかなかったということはやっぱり僕の読書癖からはほど遠い文学の世界のようだ。

ショートショートあり、エッセイあり、またどちらともとれるような文章を、「味」というキーワードでまとめている。
食材や食べることが主題ではないが、どの作品にもどこかにそういうものが入っている。
人は食べるために生きているわけではないが、食べないことには生きられない。だから生きていゆくそこここに必ず食べることが入り込んでくる。
そんな一コマを切り取った文章たちだ。


食べることはもちろん嫌いではない。むしろいろんなものを食べたいと思うほうだ。しかし、特に美味しい店を食べ歩くというのでもなく、百貨店で高級食材を買い求めるのでもない。
もともと何かを作ることが好きな性分だから料理も自分で作るのが好きだ。このブログも釣りと読書以外の記事では料理を作ったというのが多いように思う。
料理を自分で作ろうと思ったきっかけはメジロを飼うことから始まったように思う。メジロには練り餌を与えるのだが、それに大根の葉をきざんでミキサーにかけ、ペースト状にして混ぜる必要がある。叔父さんの家から大根の葉(もちろん本体も)をもらってきてきざむのだが、そんなことをしているうちに野菜のみじん切りが上手になってきた。同じころ、義理の兄が「美味しんぼ」の単行本をたくさん貸してくれた。それにテレビでは、「味の招待席」という、桂米朝が司会をしている5分ほどの番組が放送されていて毎日それを見ていた。どちらも食べるというより作るほうに重点が置かれた構成だった。
そんなものを見ていて自分でも料理を作ってみようかという感じになってきた。父親が亡くなり魚は自分で釣ってくるものというようになるとそれにますます拍車がかかるようになった。素材はたくさんある、というか、いつも同じ魚ばかり釣ってくるものだから家族が飽きないようにしなければならない。そういうことも自分で料理を考えたり作ったりする要因だ。そのうちいくつかの定番料理ができあがり、今に至っている。作るのをやめてしまった料理もあるし、進化を続けている料理もある。
そして我流ながら包丁をうまく研げるようになってくると何でもいいから切りたくなる。
あれもこれもやりたいという年齢はすでに過ぎているのだが、料理をつくりことは適当に続けていこうと思う。
インスタントとか、出来合いの総菜ものというのは大嫌いだ。できることなら食べたくない。それに頼り切るようになったら僕の人生は終わったも同然だ。
たかが食べることではあるけれども、この本の小作品のように、食べることというのは日常のどこにでも存在し、消えてはいけないものなのであるから。



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紀ノ川河口釣行と船底塗装

2020年09月27日 | 2020釣り
場所:紀ノ川河口
条件:若潮 9:37干潮
釣果:タチウオ 4匹

今日の気圧配置は弱いけれども冬型の気圧配置だったそうだ。ついこの前までうだるような暑さだと思っていたら一気に涼しくなって今度はもう“冬型”なんていう言葉が聞かれるようになった。どんどん季節が早く進んでいくので体も心も追いつかない。もう少しゆっくりしてくれないものだろうか・・・。

なので今日は北風が強く吹くらしい。朝起きてすぐに第五管区の海保の観測実況では風速は4メートルでこれだったら十分加太を目指せるじゃないかとは思ったが加太への釣行は見送り、今日も紀ノ川河口でタチウオだけにした。
家を出るときは確かに風はなかったが、いつものスーパーの出口を出る頃には確かに風が強くなってきていて、港への道中に渡るふたつの川の川面もさざ波が立っている。港の中は北風には強いので大したことはないが、赤い橋の下を越える頃には風はかなり強くなってきた。仕掛けを下すために船を微速にするとそれだけで船の向きが変わってしまう。今日も釣りづらそうだ。前回と同じでいきなり青岸の灯台を越えるのは怖いので港内からスタート。
いきなりアタリがあったが鉤には乗らない。それからしばらくはアタリがない。今日も早く出港しすぎたようだ。午前5時で十分である。



やっと魚が乗ったのは辺りが少し明るくなってからだ。今日も型が小さい。ただ、大きい奴もいるらしく、釣り上げたタチウオには大きな歯形がついていたり、1匹はほぼ噛み切られた状態で胴体がぶらんぶらんの状態で上がってきた。波化があるからだろうか、大きい奴は少し下の方から様子を覗っているという感じだ。その後も小さいものばかりでストックできる魚は限られている。そうこうするうちに朝日が昇り、アタリも途絶えた。どんどん魚をリリースしていたら残ったのは4匹だけだった。もう少し粘って数少ないアタリを拾う手もあるけれども、発作的に、今から小船の船底塗装をやってしまおうと思い立った。
潮が小さいので今までの方法だと船を陸に揚げるのは無理だが、3年前に買った手動式のウインチを再度利用する方法を考えていた。
ウインチの固定方法が問題なのだが、前はロープでそれをしようとしてほぼ失敗している。それをターンバックルでスロープに固定してやろうと数日前、管理人の渡船屋には無断でアンカーボルトを打ち込んでおいた。
これがうまくいくと潮位が低いときでも引き揚げることができるし、思惑では作業時間も劇的に短くすることができる。なにしろ、船をスロープまでもってきて潮が引くのを待つだけで2時間はかかる。完全に干上がるまでは3時間だ。

本当は渡船屋が休業の次の休みの作業をするつもりだった。勝手にボルトを打ち込んだことを咎められるのが怖いというわけではなく、最近、渡船屋はかなり盛況で客が多いときにボロボロの服を着たおっさんがなにやらわけのわからないことをやっているところを見られるのが恥ずかしいという理由だ。今日も駐車場がほぼ埋まっている。



午前8時前に港に戻り、まずはウインチの固定だ。事前に試しておこうと思っていたのだが、そのときは満潮状態でボルトの位置をこえるところまで潮が来ていてそれができなかったのでぶっつけ本番だ。ターンバックルのフックを曲げた角度と本体とボルトの位置が合わない。少し苦戦しながらなんとか取り付け船を回してきて引き揚げてみると今度はワイヤーが空回りする。軸にうまく固定できていなかったワイヤーが船の重みで空回りしているようだ。2回ほどワイヤーを巻きなおして本格的に作業を開始。やはりターンバックルでの固定が不完全でウインチが傾き始めたがなんとか作業ができる位置まで船を引き上げることができた。

 

丸太のコロを使うなどというのはほぼエジプト時代の労働者と同じ方法での作業だが父親も木造船を持っていたころ、ここで同じようなことをやっていた。時は流れても進歩がない・・。



そこからは一気に作業を進める。去年はこれほど速度が落ちなかったので船底はどれほどフジツボが付着しているのだろうかと思ったが、個数は大したことはない。代わりに、ひとつひとつが大きい。渡船屋の船頭の意見では、ちょうど大きくなるころに水温がグッと上がったからじゃないかとのこと。確かにその通りだと思う。(この時点で船頭にアンカーボルトを勝手に打ち込んだことを打ち明けた。)
約2時間足らずで、カキを落として塗装、再びコロをセットするところまで作業を進めることができた。ウインチをセットする作業を含めて約3時間。前回までと比べると格段の速さだ。結局、早上がりの釣り客が帰ってくる前にすべての作業を終えることができた。

進水作業も、いつもは一度家に帰って満潮時刻を待っての作業だが、ウインチを操作してその場でやってしまった。塗装はまだ生乾きの状態だが、船底の塗装は生乾きの時に下したほうが効果が高いのだという噂を信じた。しかし、この噂は本当なのだろうか・・?
午前11時半にはすべてのものを片付けて今日の作業を終了。

ボルトの位置を修正して、ワイヤーと船の位置関係に注意して作業をするとまだまだ作業時間を削減する余地があると思う。
こういう努力と知恵を仕事にも生かせたら今でももっとやりがいのあるサラリーマン人生を歩めたのではないかと今さら思っても仕方がないことを考えるのであった。




船足が遅くなってから結局1ヶ月間、小船には乗ることがなかった。そんなせいか、こんな夢を見た。
それは9月25日の夜の夢。
なぜだか隣のN氏の船に引っ張られて小船でチヌを釣っている。水が入ってきて沈没しそうになったので険しい磯に上がって水を掻き出したが、乗っている荷物を全部流してしまった。その磯の先端にはなぜか郵便局だか売店だかのようなものがあり、千社札がいっぱい貼られている。雨も降っていた。
僕はN氏に、「ここは何かの聖地になっていて陸伝いでたくさんの人がやってくるんですよ。」と説明しながら、心の中で、「あのクーラーボックスはすでに廃番になっていて新しいものを買うことができない。紀州釣り用にアルミのランナーで作った枠がもう使えなくなってしまった。」と嘆いているときに目が覚めた。
クーラーボックスについては、その日、カタログを見ながら、まだ商品としては存在しているのかということをなにげなく見ていて、カタログからは消えていたことが頭の中に残っていたのだろう。あの枠を作るのはけっこう面倒で、クーラーボックスを買い替えると一から作らねばならない。新たに作っても残りの人生でどれほどの回数行けるのだと思うとはやり面倒だと常々思っていたことが夢に現れたのだろう。
そしてなにより、小船にはもうひと月も乗っていないという後ろめたさと、一昨年の台風21号の惨事のトラウマがいまだに残っているのだろう。

僕は常々、釣り船を持つことは愛人を持つことだと思っている。(重ね重ね書くが、実際に愛人を持ったことがないので本当のことはわからない・・。)それを2隻持っていると平等に扱ってあげないどちらかかが嫉妬する。きっと長らく乗っていない小船のほうがこんな夢を僕に見させたのだと思う。
これで当分の間速度は維持できる。小船での釣り物は本格的にはコウイカを待たないといけないが、ボウズでもかまわないから大きいほうと交代で釣りに出ようと思うのだ。



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燻製を作る

2020年09月25日 | Weblog
前回の釣行の日に仕込んだタチウオを燻製にかけた。
あいにくの雨模様だったのでカーポートの下での作業だ。ちょうど車が車検だったのでよかった。
風が冷たくなかなか庫内の温度が上がらない。それでもなんとか70℃を維持しながら約1時間半。見た目だけはいい色に仕上がった。
淡い金色はキングギドラの皮膚みたいだ。(ぜんぜん美味しそうな例えになっていないが・・。)

今日の新兵器はアンテナ型の火吹き棒。ユーチューブでヒロシが使っていたので買ってみたが、これはなかなか便利だ。松の枝の焚き付けと合わせてすぐに豆炭に着火した。



それに反して燻製器はかなり傷んできた。一斗缶を2段重ねで使っているのだが、収納時は上の缶を折りたたんで下の缶に無理やり突っ込んでいるのでかなりいびつになってきた。接合部に大きなすき間ができてきてモクモクと煙が漏れてくる。ほかに鉄筋棒を通すために空けた穴からも漏れてくるのでいたるところに新聞紙を貼り付けたりねじ込んだりしながら使っているが相当不格好だ。まあ、人に見せるものでもないのでどうでもいいことだが、コンパクトに収納できる新しい燻製器を作れないものかと考えている・・。

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「江戸前の釣り」読了

2020年09月24日 | 2020読書
三遊亭金馬 「江戸前の釣り」読了

この本のことはかなり前から知っていたけれども、著者がどんな人かも知らず、また江戸前というと僕には粋すぎて、また、和歌山の地元の釣りの風景からもかなりかけ離れているだろうから読んでもあまり共感はできないだろうと読もうとも思わなかった。
しかし、「釣りの名著50冊」を読んでみて三遊亭金馬というひとのことが少しわかってくると読んでみたいと思うようになった。

三遊亭金馬についてざっと書いておくとこんな人であったそうだ。
『1894年10月25日生まれ 1964年11月8日没
東京府東京市本所(現・東京都墨田区本所)生まれ。初代三遊亭圓歌の門下だが、名人と呼ばれた初代柳家小せんや、橋本川柳(後の3代目三遊亭圓馬)にも多くを学んだ。読書家で博学。持ちネタの幅が広く、発音や人物の描き別けが明瞭で、だれにでもわかりやすい落語に定評がある。』
人情に厚く、こんなエピソードがある。
『お気に入りの釣竿(和竿)があり、それを作る名職人(江戸竿師)「竿忠」の娘が海老名香葉子であり、幼いころから家族ぐるみの交流があった。香葉子は、太平洋戦争の東京大空襲で一夜にして父を含む家族のほぼ全員(三兄の中根喜三郎はただ一人空襲を生き延びている)を失い、みなし子となった。竿忠の安否を気遣って焼け跡に探しに行った金馬は、生き残った香葉子を見つけ、「ウチの子におなりよ」と声をかけ、連れ帰った。』
香葉子はのちに林家三平の嫁になる人である。
こんな本を書く人だからもちろん魚釣りは大好きで、
『スケジュールを本業の落語より優先させ、例えば禁漁解禁日などの釣りにおける重要な日には欠かさず釣り場に現れた。その日の高座を抜いたことは言うまでもないが、寄席に来る客も、「本日休演」と書かれていても、ああ、釣りに行ったかと笑って済ませていた.』とか、1954年には、
『千葉県佐倉市へタナゴ釣りの帰りに総武線の線路を歩き、鉄橋を渡っているときに列車にはねられそれが元で左足を切断するというような事故にも遭っている。』
講演先では合間を見ては地元の名人たちと交流し釣行を繰り返している。この本にもそんなエピソードがたくさん綴られている。

この本は1962年の出版なのでその思い出話をまとめたもののようだ。

最初の章は1年を通しての季節ごとの釣りについて書いている。著者はこの魚一筋ではなく、季節に応じて多彩な釣りを楽しんでいたということがこの章を読むとよくわかる。
1月のタナゴ釣りから始まり夏のキス、秋はハゼ釣りという感じだ。10月にボラ釣りというのが入れられているのもうれしい。

江戸前は浅瀬が多いから当時は小船での釣りになる。キス釣りも船の上から手ばね竿で釣るのだが、僕も小さいころのキス釣りを思い出した。
多分小学校の低学年のころだったと思う。その頃の片男波海岸には多分砂浜が痩せるのを防ぐためなのだろう、海岸線に垂直に何本もテトラの護岸が伸びていた。
手前から1番、2番と番号が振られていて一番釣れるのが1番テトラだった。ただ、そこは渡るのが困難で、潮が引いたときに大人の人がバカ長を履いてやっと渡れるようなところだった。父親は僕を肩車してそこまで運んでくれるのだ。そしてリール竿を使わずに、延べ竿でウキをつけて釣るスタイルでキスを狙った。小さな子供が肩車されて乗り込んでくるので、周りの大人も珍しがって、たくさん声をかけてくれたのを微かに覚えている。
今ではそれも撤去されてしまい、そのせいか、痩せた砂浜を維持するため客土工事を繰り返すものだからすっかりキスが釣れなくなった。

それ以外は大半が淡水の釣りについて書かれているので上記のキスの釣りくらいしか僕にとってはなかなかなじみがないのだが、水郷地帯の狭い水路にしゃがみこんで釣るマブナやタナゴの釣りというのはずっと面白そうだと思っている釣りだ。特にタナゴ釣りというものには釣りの楽しみの粋が集まっているのではないかとずっと思っている。これも江戸の“粋”の文化がなせる業なのだろうが、贅をつくした道具と繊細な仕掛けは見ていても飽きない。
まだ、紀ノ川の田井ノ瀬辺りの河原が無茶苦茶な工事をされる前、あの周辺は湿地帯になっていた。タナゴもたくさんいて、それを釣りたくて針を探すが、さすがに和歌山にはタナゴを釣る文化がない。一度、がまかつにそんな手紙を送ったら郵便で針を送ってくれたことがあった。その針を使い、自分で短い竿を作って目の前に群れるタナゴを釣ったのも懐かしい思い出だ。ただ釣っていただけで、そこには粋というものはなかったが・・。
就職してたまに東京に出張するようになると、さすがだ。渋谷にある釣具店にはタナゴ針が売られていた。それを使う当てなどないのだが、陳列されている全種類の針を買って今でも大事にとってある。竿はさすがに安くても2万円もして、いつかは買いに来ようと思っているうちに東京出張などには縁のない部署に来てしまったのでその夢はかなわなかった。



古い本を読むと懐かしい思い出がよみがえってくる。
著者自身は腕前は一流らしくたくさんの魚を釣っているが、決して釣果だけを求めてガツガツしている風でもない。そこは江戸の粋を残した世代の人であったということだろう。
自分のために誂えた(終戦後間もなくくらいまでは自分の竿を特注であつらえるということは普通のことであったらしい。)竿で伝馬船に乗っかりゆったり釣りをする。そして船宿で一杯ひっかけて一日を終える。なんとも優雅だ。
著者はこんなことを書いている。
『裏の竹藪から自分好みの竹を切り、木綿糸をつけ、針金を曲げて焼きを入れて釣り針をつくりきりの下駄をつぶしてウキをつくり、ごみための下からミミズを掘り出し、それで魚が一匹でもどんなに楽しみであろうか。』
たしかにこれが釣りの原点だと思う。そんな境地に入り込んでみたいと思いながらも他人のクーラーの中が気になって仕方がないのだ・・。
師匠の境地に至るまでにはまだまだ険しい道のりがありそうだ。
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紀ノ川河口釣行

2020年09月22日 | 2020釣り
場所:紀ノ川河口
条件:中潮 3:14干潮 9:44満潮
釣果:タチウオ 12匹

ここ数日、一気に涼しくなった。これくらいの気温になったらそろそろタチウオの燻製も作れる。今日は燻製の素材を確保するための釣行だ。
と、いうのも、ボウズの回数を減らすためには釣りに行かないことだということが薄々わかってきた。特に加太へは。釣りに行かないと魚は手に入らないけれども絶対にボウズにはならない。まことに消極的な考えだが、まったくそれほどに僕のボウズの回数はひっ迫している。なんとも情けない。今日も紀ノ川方面からはたくさんの船が出撃していったが僕はそれを尻目に紀ノ川河口をウロウロしていた。ここではよほどのことがない限りボウズになることはないだろう。

夜明けの時間も遅くなり、午前5時47分が日の出の時間だ。そういえば今日は秋分の日だ。なんだか時の経つのが異常に速いような気がする。そういうことを気にせずに今日も午前3時半には家を出てきたが確かに真夜中だ。
東の空のオリオン座は少し位置が高くなってきている。時は間違いなく進んでいるのだ。その星座を構成する星のひとつ、オリオンの右肩にある1等星ベテルギウスだが、去年から明るさが異常に暗くなっていると話題になり、ひょっとしたら超新星爆発するのではないかという噂まで流れたが今年は少し明るさを取り戻したようだ。僕の目でも明らかに明るくなったことがわかる。すでに球形を維持できずゆがんだ形になっているということがわかっているので、ひょっとしたら僕が死ぬまでに超新星爆発を見ることができるのではないかと思ったがどうも無理らしい。

(ブログの縮小画像では星が判別できない・・)

日本に記録が残っている超新星爆発についての記述は藤原定家の「明月記」が有名だが、定家が肉眼で見たのは彗星(1230年)だったらしい。しかし、陰陽師が残した過去の記録として1006年、1054年、1181年に観測されたものを記録として書いているそうだ。
これを見てみると、大体50年から150年に1回観測されたという感じだが、これ以降肉眼で明らかに明るい星として観測されたのは世界中をみても1604年が最後で合計2回だけらしい。素人が見てすぐにわかる超新星爆発はおそらく300年~400年に1回という計算だ。そして超新星爆発を起こす星の寿命は太陽よりもはるかに短いとはいえ数百万年から数千万年ある。そんなに簡単に見ることはできないということだ。僕のボウズの回数もこれくらいの頻度ならありがたいのだがと港に向かう道中星空を眺めるのである。

そしてその道中、えらく風が吹いている。屋根のついている僕のバイクもあおられるような風だ。いつも渡る二つの川の川面もかなり波が立っている。あらら、出港できるのかしらと思ったが風は少し東に向いているので港の中は穏やかだ。渡船屋も営業しているのでこれは大丈夫と出港。午前4時半に船を出すと真っ暗だ。



風も心配なので港内から流す。
さすがに暗い間はアタリがない。やっとアタリが出たのはキャビンの電灯を消しても手元がわかるくらいになってからだ。
しかし今日も小さい。そしてアタリがある範囲も狭い。青岸の灯台の前を外すとまったくアタリがない。型も小さく群れも小さい。燻製を作るには魚が小さいほうがいいけれども、釣りをするには寂しい。今日も20匹くらいは釣って小さいのは燻製、大きいのは煮つけか焼き物だと思っていたが、大きいのは1匹だけ。叔父さんの家に持っていったら燻製を作る分しか残らなかった。太陽が顔をのぞかせる頃にはアタリはなくなってしまった。まったく、数が釣れない典型的なパターンだ。



叔父さんの家に持っていくには時間が早すぎるので新々波止の南側に出てもうひとつの禁断の仕掛けを流してみたが、こっちも不発だ。防波堤のルアーマンたちは大きなハマチやサワラを上げているのだが、禁断の仕掛けには見向きもしてくれない・・。
そしてこのくらいの時間になると、朝の強風が嘘のように海面は穏やかだ。夜明け前に加太に向かった船の釣り人たちはきっと今日もたくさんの釣果を上げていることだろう。

しかし、今日の目的はあくまでも燻製用の素材の確保だ。そういう意味では目的を達したことになる。

家に帰って魚を捌きながらソミュール液を作り(ボウズだと捨ててしまわなければならないので出発前に作っていなかった。)さっそく漬け込んだ。鮮度だけは保証付きだ。



少し早いが乾燥時間を考えて夕方に乾燥台のうえに広げた。



次の休みに燻してみるのだが、さて、今回の出来栄えはどんなものだろう。


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「お金がない!(暮らしの文藝)」読了

2020年09月21日 | 2020読書
赤塚不二夫、平松洋子、高野秀行 「お金がない!(暮らしの文藝)」読了

この頃、アンソロジーをよく読んでいる。「日本文学」という書架の一部にはこういうタイプの本がたくさん並んでいて読みやすいのでつい手に取ってしまう。今度はお金にまつわる1冊だ。29人の作家その他の人たちが収録されている。
それぞれの人は何かお金に対して哲学的なものを書いているわけではなく、何かお金にまつわる話を書いている。
そんな中でも、一番多いのはやはりお金と幸せについて。少しは哲学めいてくる。そういう人の哲学はみんな、お金を持っていることと幸せはリンクしないという。しかし、幸せの定義を、「不安のないこと」とすると話が変わってくる。少なくとも作家と言われる人たちはそれなりに収入があるだろうから将来に対する不安のようなものは一般サラリーマンと比べるとはるかに少ないだろうから、本に書かれていることをそのまま鵜呑みにすることもできないだろう。
しかし、その定義を、「不満のないこと」としてしまうと、いったいどこまで行かねばならないのかとなってくる。幸いにして僕は物心ついたころから今まで、飢えに苦しんだことはないし、遠足にも修学旅行にも行かせてもらった。しかし、生活に不満がなかったというとどうだろうか。ガンジーは、「世界にはすべての人を飢えさせない分の富はあるけれども、すべてのひとの欲望を満たすだけの富はない。」と言ったそうだが、まさしくその通りだ。いい車に乗りたい。ロレックスがほしい。船ももっと速いのがほしい。お肉は松坂で発泡酒は飲まないと言ってもそんなお金はない。だから我慢をしなければならない。
そこでどう折り合いをつけるか。諦めて気にしないというのが一番なのだろうけれども、そうはいかないのでいやいや僕はそういう価値観がないのだよとうそぶくのである。
車は荷物がたくさん乗るからとステーションワゴンを乗り継ぎ、軽の貨物車になったのは実はクラウンやセドリックなんて絶対に乗ることができないからだ。時計は師が晩年使っていたものを偶然ぼくも使っていたから壊れるまでこれを使うのだといいながら、外国製の機械時計を買うだけの余裕なんてまったくない。お肉はいつものスーパーで4割引きの商品に出会うことに大きな期待を寄せ、出会った時の幸福度で味の差をカバーしようとしている。新艇なんてもとから夢のまた夢だ。
そうやって自分の心の裏側をそっと覗いてみると一気にむなしさがこみあげてくる。なんでも買えるひとがうらやましい。資産を持っている人がうらやましいとなってくる。
もうそろそろゴールというか、一度人生を下車する先が見えてきたのだからいい加減に諦めの境地に入らねばと思いながらも周りの人たちと比べてしまうのだ。
やはりお金と幸せはリンクしていると思う。

せめてこれから先、飢えないという意味でお金の心配はしたくないものだが、一体全体これから先、どれだけの生活ができるものだろうか。ある作家は、「人間三日くらい働いて十日くらいはぼーとしているのがいいと思う。」と書いているのだが、それはやはり作家と一般人の時給の差がわかっていないのだと思う。
お金をもらうためだけに通勤している人間が偉そうに言えるものではないけれども、少ない給料でもやりがいというものがあればきっとそれはひとつの幸せになるのかもしれない。そんなことを書いている人もいた。
そんな幸せなら僕は大歓迎だ。
どこかに幸せが落ちていないだろうか・・。

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「三体」読了

2020年09月19日 | 2020読書
劉 慈欣/著, 大森 望 光吉,さくら,ワン チャイ/訳, 立原 透耶/監修 「三体」読了

中国人が書いたSF小説だ。そして、タイトルは、「三体問題」というものに由来する。三体問題とは、
『3つの天体が互いに万有引力を及ぼし合いながら行う運動を解く天体力学の問題。二体問題は一般的に解けるが,三体問題は一般的には解けないことが H.ポアンカレ等により証明されている。』 
要は、天体がふたつまでの場合は計算でその軌道を計算できるが、三つになるとその軌道は計算で求めることができなくなる。予想できなくなるということである。
この本はそんな太陽をもった星系世界の人類と地球人のコンタクトの物語である。

この本の紹介文章は以下のとおりだ。
『物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート女性科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。
数十年後。ナノテク素材の研究者・汪淼(ワン・ミャオ)は、ある会議に招集され、世界的な科学者が次々に自殺している事実を告げられる。その陰に見え隠れする学術団体〈科学フロンティア〉への潜入を引き受けた彼を、科学的にありえない怪現象〈ゴースト・カウントダウン〉が襲う。そして汪淼が入り込む、三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?』

すこしネタバレになるが、地球から地球外知的生命体探査のために送信されたメッセージを三重連星であるケンタウルス座α星系に住む三体世界人が受け取ったことから事件が始まる。
三重連星であるケンタウルス座α星系は三体問題のとおり、それぞれの恒星の軌道が計算できないほど不安定で、太陽に焼かれ200回以上も世界が滅んでは復活している世界だ。しかし、その間に文明は少しずつ進化し、すでに地球のレベルを追い越している。そしてまた世界の終末を迎ようとしている。
そんなときに地球から発せられたメッセージが届く。ケンタウルス座α星系は地球から4.3光年。電波が往復するためには約8年の歳月がかかる。地球からのメッセージを見つけた三体世界人のひとりは地球が侵略されるかもしれないという良心のもと、これ以上メッセージを発してはいけないと警告する。
そのメッセージが、初めて地球に届いた地球外知的生命体からのメッセージであった。そのメッセージを見つけたのは中国人の宇宙物理学者であった。人類で最初に地球外の知的生命体からメッセージ受けた彼女は地球の座標がわかるようにメッセージを流す。良心をもった三体世界人の警告を無視して・・。
主人公のひとりである彼女は中国の文化大革命を経験した知識人だ。ひどい虐待と思想改造、父親の死により、この世界を憎んでいる。その気持ちが地球人を危機に陥れる行動を生むのだ。
その後の何度かの交信のあと、地球ではその侵攻を阻止すべきだという人たちと、こんな世界は侵略によって滅びればいいのだという考えをもつ人たちが現れる。

三体世界人はそんな地球人の心の隙間を利用するかのように侵略の足掛かりを作り始める。
それに対して人類は絶望するのだが・・・。
というのがこの本の大まかな内容だ。こんなハードSFの物語というと、ヨーロッパかアメリカの作家しか書けないのだろうと思っていたが、中国人もすごい。

そして、この物語のバックボーンにあるのが中国の負の歴史じゃないかというのも読みどころだ。そして、現代中国の社会に対する皮肉とも読める内容もいくつか盛り込んでいるように思う。三体世界人が地球に送り込んだ陽子サイズのスーパーコンピューターは監視社会、テクノロジーの基礎研究を重視する三体世界人は技術の模倣や盗用の中国に対するアンチテーゼのように見える。作家自身は思想的なことや中国社会を皮肉るようなことは考えていないと語っているそうだが、文化大革命から急速な経済発展を目の当たりにした作家の経験がきっと反映はされているのだろうし、読む側もそんなことを頭の片隅に置きながら読んでしまう。
まあ、そんなことはさておいてもなかなか読みごたえがある。この小説はまだ完結していなくて、3部作になっているそうだ。続編がものすごく楽しみである。



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加太沖釣行

2020年09月17日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:大潮 5:45満潮
潮流:4:46 上り1.6ノット最強 9:42転流
釣果:ボウズ

今日は小船の船底塗装をやろうと思っていたのだが、午後から雨の予報になっていた。その分風の予報は時間を追うごとに緩くなってきた。それならば加太に行こうと考えたのが悪かった。
これはきっと小船の嫉妬がもたらした強風かもしれない・・。「私のこともちゃんとかまってよ!!」と・・。
朝起きて「海天気.jp」のサイトをみてみると、午前9時を過ぎる頃から南風が強くなっている。まあ、なんとかなるだろうと安直に考えていたが帰りはどんぶらこでしぶきをどっさり浴びてびしょ濡れになってしまった。
(あまりびしょ濡れ感はないが・・)

 

そんな天気予報だったからだろうか、海域にはほとんど釣り船は出ていなかった。



釣りのことをよく分かっている人はこんな日は家で仕掛け作りでもしているのだろう。

今日の釣りは、先週の「ビッグフィッシング」で放送していたオキアミを使ったアジ釣りをメインにやってみたがまったく反応がなかった。魚探には魚らしい反応がときおり出るのだがどうして釣れないのだろう?
どうしてもこうしても、釣り方が悪いんだろう・・。きっと。
テレビで紹介されていた通りの仕掛けも作ったのに・・。


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『「繊細さん」の幸せリスト 』読了

2020年09月15日 | 2020読書
武田友紀 『「繊細さん」の幸せリスト 』読了

毎日の生活につまらなさを感じていると自分は何かの病みを抱えているのではないかと思う時がある。何の情報かは忘れたが、HSPという症状があるらしいということを知った。
それは、一言でいうと、「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」であるらしい。もっと簡単に言うと、「細かいことが気になる。」ということで、僕もそんな性格だ。血液型はO型なのだが、紙の折り目がぴったりしていないと気になったり、車や船の小さな音に敏感だったりする。人の言うことがいちいち気になったりもする。
そのくせ、木を切るとまっすぐ切ることができず、異音を感じでも何の対処もできない。結局、僕はこの本で言う、「繊細さん」ではないようで、何かもっと楽に過ごせるいい方法を見つけることができるのではないかと思って借りてみたが無意味だということになった。

「繊細さん」は生活のなかではどんな人かということをもう少し詳しく書いてみると、
・共感しやすい。
・良心的で優しく、相手のことを優先する。
・場や人の空気を深く読み取る能力に長けている。
ので、周りからはすごくいい人に見られる半面、本人はものすごく気疲れする。
というらしい。
そういうことでこの本では、「繊細さん」というひとは仕事ができて周りのひとから信頼されるという非の打ち所がないひとと解説されているわけだが、僕はおそらく誰からも信頼もされていないし仕事はまったくできる人間ではない。だからぼくはこのHSPという症状を発しているわけではないのだ。

それでもいくつかの提案を読んでみると、なるほどと思うところもあった。
ひとつは、成果を気にするなということ。
「成果は客観の世界、幸せは主観の世界にあるもの。」として、客観的なことには気にするな。自分がこれでいいと思ったことをよしとしなさいというものだ。
また、「気分を変えろ」とも言っている。たとえば、おしゃれやインテリアに少し凝ってみるということだ。
生活をするうえで、「間に合っている」ということと、「生活に彩を加える」ということはまったく違うという。僕は一応、ファッションビジネスの世界で給料をもらっていたのだが、そういうことには無頓着で自分が着る服はすべて奥さんがユニ〇ロかイズ〇ヤで買ってくるものを適当に着ているだけだ。釣りについても、道具に凝るわけでもなく、もちろん専用のウエアを着るということを想像したことがない。
直感で生きろともいう。「繊細さん」は、勘が鋭いという。だから深く考えるよりも直感で行動するほうがいいことが起こるという。「ここが釣れる!」と思って仕掛けを落として釣れたためしがない・・。やはり僕は「繊細さん」ではない・・。

著者は、内向きに満足と幸福感を求めれば人は生きやすくなると言いたいのだとわかる。
たしかにそうだ。アドラーもそう言っている。ひとのことを気にしない。それがいいと思うけれども、人は人の中でいきているかぎりなかなかそうはいかない。
情報をシャットダウンしたくてもどんどん流れ込んでくる時代だ。生活に彩を添えようとおもったらお金もかかる。毎日毎日、「くだらない・・。」と思っていたら内向きの幸福感にはほど遠い。

なかなか今の状態は変わらなさそうだ・・。

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