まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

自爆テロは日本のお家芸だった?

2015年03月12日 | 日記

最近、「ISの過激派が自爆テロで・・・」というニュース報道をよく耳にします。
自分の命を犠牲にしてまで、何かを主張しているわけで、「宗教の力はすごいし、こわいなぁ」と思っていたのですが、昨日のブログを書いていて、もっとも悲惨な自爆テロを行ったのは、敗戦色が濃くなった時期の日本だったのではないかということに、今さらですが気づきました。

神風特攻隊というのは、誰でも知っていると思いますが、飛行機に片道の燃料しか積まず、戦艦に体当たり攻撃をする。
これは、形こそ違え、今イスラム圏で起こっている自爆テロそのものではないでしょうか。

飛行機がなくなってくると、次には、大型魚雷に一人乗りの操縦スペースを設けた人間魚雷回天(靖国神社宝物館に展示があったように思う)や爆弾に一人乗りの操縦スペースを設けた桜花(千葉県内にも遺跡があるようです)、小型のべニア板のモターボートに炸薬を搭載した震洋などが苦し紛れに考え出され、若い人が自分の死の意味もわからないまま乗り込み、顔も見たこともない、何の恨みもない外国人を殺傷した。

現在の日本人は、穏やかで、礼儀正しく、思いやり・絆があるという印象があるようですが、私たちの中には、「お国のため」という集団心理で、自分の命の大切さも見失い、死をもいとわず自爆テロをする一面もあるということです。
どうでもよいほど前の話ではなく、今生きているじいさん、ばあさんが実際に過ごしてきた時間の話です。

特攻兵器の戦果はといえば、敗戦という結果が示す通りですね。

断言できますが、間違いはよくあることです。
間違えたと思ったら、直ぐに改めることでしょう。
私見ですが、勝ち目がなかったら、負けましたとお詫びすればいいし、許してもらえなかったら、ひとまず逃げ出して様子をみるというのも手です。

普通に優秀な指導者であっても、間違い、嘘を正当化しようとあがくと、20歳前後の若いのびやかな命と機械の一部を同等にしか見られなくなってしまう、誰でも陥りやすい狂気なわけで、怖いですね。

魚雷や爆弾の中の狭い真っ暗なスペースに押し込められて自爆死した青年たちは、死を正当化するために、「国のため、家族のため」と念じたのでしょうが、状況を理解はしていても、けっして納得していたわけではないと思います。
あまりにも、理不尽ですね。

靖国神社へはずいぶん前の駅ハイで、カミさんと子1号で行ったように思います。
宝物館には、回転や零戦の実物など多くの戦争遺品が残されていました。
戦争の遺品を『宝物(たからもの』とするには、多少抵抗がありますが、『間違えた』事実をそのまま後世に伝えるという点では、私たちの宝なのかもしれませんね。

「戦争の悲惨さを忘れないために」という点での靖国参拝は、特に今の日本人はすべきかな!と思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする