日暮しの種 

経済やら芸能やらスポーツやら
お勉強いたします

長寿社会

2016-03-12 07:30:00 | 編集手帳

3月2日 編集手帳

 

 頼山陽の『日本外史』巻九に、
戦国武将の三好長(なが)慶(よし)を語った一節がある。
〈長慶老いて病み、
 恍惚(こうこつ)として人を知らず〉(岩波文庫)。
人を識別できなかった、と。
有吉佐和子さんの小説『恍惚の人』の表題はこの記述に想を得たという。

いつの世にも悲しい病である。
最高裁は、
家族に賠償責任はないとする判決を言い渡した。
認知症で徘徊(はいかい)中の男性が列車にはねられて死亡した事故をめぐり、
振り替え輸送費など賠償責任の有無が問われた裁判である。

読売歌壇に載った歌がある。
〈我がいのち一日(ひとひ)伸ばすに妻はいのち一日縮むる老老介護〉(阿部長蔵)

伴侶や親を見守る目配りに労を惜しむ人はいない。
高齢者同士の老老介護や遠距離介護では、
それでも目の届かぬときがあろう。
認知症患者のもたらす被害をどう救済するかに課題を残しつつも、
まずは穏当な判断と受け止めた方が多いはずである。

孝行息子の頼山陽は詩に詠んだ。
〈五十の児に七十の母あり
 この福、
 人間、
 得ることまさに難(かた)かるべし〉。
なんと幸せなことか、と。
いまは八十の子に百の母さえめずらしくない長寿社会を、
人は生きている。

コメント