3月12日 経済フロントライン
今年1月 イランの制裁解除を受けて開かれたセミナー。
商社やメーカーなど企業の担当者約300人が詰めかけた。
セミナーではイラン進出の際に注意すべき点の説明も行われた。
(アメリカの法律事務所 弁護士)
「制裁が再び発動される可能性はある。
この事態を想定しないでイランに進出するべきではない。」
多くの日本企業がすぐにイランに進出することには慎重なのが現実である。
イラン市場のどう向き合うのか
いち早く動き出していた企業がある。
大手塗料メーカー 関西ペイントである。
関西ペイントの石野博社長は制裁解除の翌日
さっそく社員に進出への準備を支持した。
「アメリカ財務省のホームページで大統領令が出ています。
完全に解除と。」
「これをもって正式にいろんなことが動くけれども
銀行 船 保険も含めてどうなっているの。」
この会社は以前 自動車の塗料でイランに進出していたが
アメリカの制裁で撤退を余儀なくされた苦い経験がある。
海外での売り上げが6割を占めるこの会社。
中でも自動車の塗料は収益の柱である。
2月 石野さんは5年ぶりにイランを訪れた。
直接イラン側と交渉にあたるためである。
街を歩くとあらためてイラン市場の可能性を感じた。
「古い車がいっぱいあるからもっと車の数量がどんどん増える。
市場としては絶対拡大する。」
イランで現在生産されている車は年間100万台以上。
制裁解除によって今後さらに増え
塗料の需要も拡大することが期待されている。
石野さんは国内第2位の自動車メーカーを訪ねた。
経済制裁が解除されたばかりの工場で厳しい現実を目の当たりにした。
「こういうタンクを見ていると企業の名前が書いてある 下の方に。」
目にしたのはライバルであるドイツ企業の製品。
早くも製品の供給を始めていたのである。
さらに韓国製や中国製の製品もあった。
石野さんは「自分たちが撤退している間にライバル企業に先を超された」と危機感を抱いた。
「ああ やってるんだなと。
制裁が終わったのですごい競争が始まっている。」
どうやって巻き返していくのか
石野さんには切り札があった。
それは協力関係にある現地工場である。
ライバルメーカーはどこも持っていない。
石野さんの会社はかつて5億円かけてイランに自社工場を建設したが
経済制裁によって撤退を迫られた。
そのとき現地の会社にただ同然の価格で売却。
しかし会社の名前は残し協力関係は続けた。
将来に向けた布石を売っていたのである。
石野さんはこの工場を買い戻し
すぐに塗料の現地生産を始める戦略を描いている。
「我々が撤退してもローカルパートナーが守ってくれるという信頼感があった。
いろんな意味で再参入は大変なので
我々はアドバンテージがある。
いつでも設備を入れればもっと増産できるという意味では心強い。」
滞在最終日
石野さんはイラン最大手の自動車メーカーとの交渉に臨んだ。
イラン側はある条件を突き付けてきた。
(イラン自動車メーカー 副社長)
「私たちが海外企業を選ぶ際に最も大切なことは
その会社がイランにどう投資するかということです。
我々は原料をイラン国内からかいたいのです。」
求めてきたのは塗料の現地生産の拡大。
石野さんはすかさずアピールする。
「工場を拡張するためのスペースは十分あります。
制裁が解除されたので御社にさらなる支援を提供したいと考えています。」
イラン側は制裁中も関西ペイントが現地に工場を残したことを高く評価していた。
(イラン自動車メーカー 副社長)
「制裁下での支援と協力に感謝します。
我々は御社の現地工場との協力を拡大したいと思います。」
自動車の塗料を供給する契約を取りつけることができた。
(関西ペイント 石野博社長)
「我々のやってきた努力が彼らに認識されてすごいよかったと思う。
やっぱりコンペティションは非常に厳しいので負けないように
うちは全力でこのマーケットにコミットしていこうと思っている。」
3月12日 経済フロントライン
長年欧米諸国と対立してきた中東の大国イラン。
いま英語の学習が人気を集めている。
(生徒)
「英語を学習することは欠かせません。」
今年1月に経済制裁が解除され
多くの外国企業の進出が見込まれているからである。
イランへの投資を外国企業に呼び掛けるセミナーも連日開かれている。
(イタリア企業 幹部)
「イラン市場は大きな可能性を持っている。
誰もがその発展に期待している。」
日本企業もビジネスチャンスを逃すまいと動き出した。
(日本企業 社長)
「すごい競争が始まっている。
アグレッシブにやっていく。」
一気に開かれた中東最大級の市場。
経済制裁解除によって開かれたイランの石油市場。
解除直後にフランスのエネルギー大手トタルが石油の調達契約を結ぶなど
世界各国が動き出している。
日本の石油元売り大手のコスモ石油。
制裁解除の3週間後
会議でイラン産の石油の調達が議題にのぼった。
「イランは2月3月中には50万バレルに生産量を引き上げる状況です。
数量をコスモ側に増量してくれと要望がありました。」
(コスモ石油 原油外航部 中山真志部長)
「長い間 西側先進国による原油開発が行われていないので
中東の中では魅力的な産油国。」
実は日本とイランは石油を通じた深いつながりがあった。
いまから63年前の昭和28年
日本の石油元売り大手 出光興産がイランから石宇の輸入を行った。
当時イランは石油の利権をめぐりイギリスと対立していた。
イギリスがペルシャ湾を海上封鎖するなかで
思いきった輸入はイラン側の喝さいを浴びた。
(出光興産 出光佐三社長(当時))
「卑屈なことなんかやらずに堂々と日本人として行動する。」
こうした両国の親密な関係を背景に
2004年 日本は中東最大級の埋蔵量を誇るアザデガン油田の開発権益の獲得に成功。
ところが同じ頃イランが秘密裏に核開発を行っていた問題が表面化した。
(アメリカ ブッシュ大統領(当時))
「イランは悪の枢軸を形成し世界を脅かしている。」
イランを激しく非難するアメリカの厳しい圧力を受け
結局日本は2006年 アザデガン油田の権益の大部分を手放すことになったのである。
あれから10年
日本がイランの油田権益を再び手にするチャンスはあるのか。
(イラン国営石油 アリ・カルドール副社長)
「日本の石油元売り会社にイランからの輸入量を
経済制裁前の水準に戻すことを提案した。
それを行うことで開発権益の交渉は新しいフェーズに入るでしょう。」