3月16日 キャッチ!
ミャンマーの経済都市 南部のヤンゴン。
1948年まで続いたイギリス植民地時代の名残が今も町中に残っている。
人々はこうしたヨーロッパを思わせる街並みを大切にしながら日々の生活を営んできた。
ところが今ヤンゴンのあちこちで見られるのが大規模な建設工事である。
町の中心部では新しいホテルや大型のショッピングセンターが目立つ。
3か月前にできたばかりのショッピングセンター。
店内には5年前の民主化以前には無かった外資系の店舗が多数入るなど最新の商品が並んでいて
週末は大勢の買い物客でにぎわう。
(買い物客)
「とても便利で皆うれしいです。」
「より多くの商品が選べて生活に幅が出ます。」
12日にはヤンゴン国際空港の新しいターミナルがオープンした。
これまでのターミナルの3倍の広さを誇る。
ミャンマーでは外資系企業が相次いで進出し
海外からの観光客は増え続けている。
新しいターミナルがオープンしたことで
ヤンゴンの国際空港の観光客などの受け入れ能力は
1年間に600万人と倍増する見通しである。
こうした好調な経済はミャンマーの人たちも実感できるまでになっている。
(市民)
「発展してきています。
交通を始め
多くがいい方向に変わっています。」
「より多くの事業ができるようになり就労者も増えました。」
著しい成長を続けるミャンマー。
日本の企業も注目している。
ヤンゴンの中心部から約20kmのところに建設されたティラワ工業団地。
日本とミャンマーの官民が共同で開発し
去年9月に開業した。
広さは約400haでミャンマー初の大規模な工業団地である。
敷地内の半分ほどはまだ建設中だが
すでに14の国と地域から64企業が契約を済ませ
7社が操業を開始。
今後はさらに敷地を拡張する計画である。
日系企業の進出はこの5年で5倍に増えている。
(MJTO 梁井崇史社長)
「日本の企業にとっては優秀な人を確保して
生産拠点としてはミャンマーは魅力的。」
3か月前工業団地の一角に工場を稼働させたぬいぐるみメーカー。
ミャンマーでは人件費が安く勤勉で優秀な人材が多いと聞き
進出を決めた。
従業員はミャンマー人ばかり約100人。
みな縫製の経験は全く無いが呑み込みが早いということで
最終的には今の3倍ほどの生産を見込んでいる。
この会社では安い人件費に期待するだけではなく
地元の人たちが働きがいを感じることができる会社にしたいと考えている。
(キュート ミャンマー社 立花準也取締役)
「世界に誇れるようなクオリティーのいいものをミャンマーの人たちと作っていきたい。」
日本をはじめ多くの外国企業が次々と進出し始めているミャンマー。
こうした中でいくつか問題も見え始めてきている。
日系企業約130社が参加したセミナーが開かれ
ミャンマーの労働法について説明が行われた。
ミャンマーで人を雇用する際に問題となるのが手続き上のルールである。
ミャンマーでは雇用に関する法律が十分に整備されておらず
ここ数年頻繁に法律の改正が行われている。
このため労働時間や賃金の設定基準などが非常にわかりづらく
トラブルの原因になる可能性がある。
(セミナー参加者)
「いろんなところでかなりルールが違うということを実感している。
ミャンマーの場合不明朗なところがある。
理解したい。」
3月16日 おはよう日本
会田有志さん。
ケガの応急処置やリハビリの方法を学んでいる。
目指しているのは日本体育協会のアスレティックトレーナーという資格の取得。
合格率は10%程度ともいわれる難関である。
会田さんはこの資格を取ることで
東京オリンピックに携わる可能性が少しでも広がればと考えている。
(会田有志さん)
「日の丸を背負うことが小さいころからの夢。
東京オリンピックも近づいてきて
もしかしたら野球になるかもしれない。
今は必死にそれをモチベーションに頑張っている。」
会田さんは2006年 ピッチャーとして巨人に入団。
しかし思うような成績を残せず
選手としてオリンピック出場の夢は叶わなかった。
それでもオリンピックの夢はあきらめきれない。
現役引退した2009年
当時 野球はオリンピックから外れていたが
復活を信じてトレーナーの勉強を始めた。
会田さんがいつも持ち歩く参考書。
「何回見たかって
目から血が出るくらい。」
努力が実って4回目のチャレンジで筆記試験に合格した。
残るは実技試験。
試験を直後に控えて会田さんは勉強会に参加した。
本番を想定し
膝をけがした選手に対して制限時間内で正しくテーピングできるかテストした。
膝の負担を減らす巻き方ができているか。
巻く強度は適切か。
アスレティックトレーナーの資格を持つ仲間にチェックしてもらった。
「膝蓋骨(しつがいこつ)の外のふちにかかってしまうと痛いので
もう少し5mmくらい外でも。」
夢であるオリンピックに携わるために
会田さんは全力で走り続ける。
(会田有志さん)
「オリンピックに選手と違う形で行くチャンスをもらえるところまで来ているので
何が何でも資格を取ってやろうという気はある。」