3月10日 キャッチ!
好調な経済成長のもと活気あふれるベトナムの街並み。
人々の普段の食事に欠かせないのが路上の屋台である。
日本でもおなじみのフォーなど安くておいしい料理の数々が手軽に楽しめることから
ベトナムの人々の生活に深く根付いている。
一方ここ数年は高価な和食レストランも急増。
ホーチミン市内には400店以上が出店している。
用意されたメニューも定番の刺身やてんぷら、うな重など
その豊富さにまるで日本にいるかのような錯覚を覚える。
健康志向の高まりもあり
ベトナムではいま和食を好む人が増えている。
週末ともなれば人気の店は家族連れなどでごった返す。
(客)
「我が家では月に3~4回は和食を食べていますよ。
ほかの料理と違って油分も少なく健康に良いですね。」
ベトナムの食文化に浸透し始めた和食だが
現地の一般的な料理と比べて価格は4~5倍とまだまだ割高である。
こうしたなか和食を代表する寿司を低価格で提供する屋台が注目されている。
一般的な和食レストランの半額ほどで寿司が食べられるとあって
若い世代を中心に人気を集めている。
グエン・ホン・リンさん(43)は市内の一角で屋台のすし店を開いている。
20年以上市内の和食レストランで板前として腕を磨いてきたリンさん。
客からの注文を受け手際よくすしを握っていく。
長年自分の店を持つことが夢だったリンさんは
和食の素晴らしさをより多くの人に味わってほしいと
3年前にベトナム人にも親しみのある屋台を始めた。
(すし店経営 グエン・ホン・リンさん)
「うちのすしは新鮮な魚と色鮮やかな野菜の組み合わせが売りなんです。」
リンさんのこだわりは新鮮なネタの提供。
毎朝精力的に市場や日本の食材店をまわって仕入れている。
さらにベトナムの人が飽きないようにメニューにも工夫。
すし以外にも鍋や焼き肉など和食専門店にも引けを取らない豊富なメニューである。
こうした工夫が受けてリンさんの屋台は多い時で300人ほどの客が訪れている。
(客)
「見た目もきれいでどれもおいしいわ。」
「開放的な店で路上に座って食べるのはまさにベトナム文化です。」
最近ではうわさを聞き付けた現地の日本人も訪れるようになっている。
(日本人客)
「ホーチミンにもいっぱい和食レストランがあるが
遜色ないほどおいしい。」
(すし店経営 グエン・ホン・リンさん)
「ベトナム人の和食への関心は高く
好んで食べる人は日々増えています。
豪華な和食レストランではなく路上ではあるけれど
日本の食文化を大切にする店を他の都市にも広げていきたいです。」
屋台で味わう本格的な日本の味。
ベトナムの食文化に新たな風を吹き込んでいる。
3月10日 キャッチ!
カンボジアのアンコール王朝の最盛期を築いたと言われる国王を描いた演劇
「ライ王のテラス」が3月4日から東京で上演されている。
宮本亜門さんの演出で
石造りの城塞アンコールトゥの建設にかけた王の苦悩と思いを舞台化している。
三島由紀夫最後の戯曲で50年ぶりの上演。
鈴木亮平さんが主演ということでも話題となっている。
三島由紀夫は1965年にカンボジアを訪れ
カンボジア最強の王として知られるジャヤー・ヴァルマン7世の栄枯盛衰の物語に魅せられて
この戯曲を4年かけて執筆した。
アンコール王朝の栄華を誇ったアンコール・トム。
その中心で異彩を放っているバイヨン寺院が作品の舞台である。
巨大な観世音菩薩を4面に掘りつけた仏塔が立ち並ぶ遺跡は
世界文化遺産にも登録されている。
主人公は12世紀末アンコール王朝最盛期を作り出した最強の王ジャヤー・バルマン7世。
長い戦いに勝利しその宴席
王は「カンボジアの勝利と平和は御仏と民のおかげだ」と語る。
そして感謝のしるしとして巨大なバイヨン寺院の建設を決める。
寺院の建設は進んでいくが王はライ病により衰えていくというストーリーである。
王の病は日増しに悪化。
若く美しく強靭な肉体は徐々に崩壊していく。
そしてついに寺院は落成の日を迎える。
(宮本亜門さん)
「大学のときからこの作品を誰が上演してくれないかという思いから
自分が演出したいと思っていた。
やっと上演できて幸せです。
バイヨンの天空にそびえる塔を見たときエネルギーに圧倒されて
なんと美しい王国だと。
現世には無いような空間だった。」
宮本亜門さんは東洋人初の演出かとしてブロードウェイで「太平洋序曲」を上演するなど
これまでミュージカル、歌舞伎、オペラなど
ジャンルを超える演出家として内外で高い評価を受けてきた。
いまアジアを題材とした三島由紀夫の戯曲を手掛けることには特別な思い入れがあるという。
三島由紀夫が何を感じ何を考えたのかを知るために
宮本亜門さんは30年近く前にアンコール遺跡を訪問。
そして今回の公演のために去年バイヨン寺院を再訪した。
(宮本亜門さん)
「この作品が書かれたのは安保闘争の大変なときだった。
不安に満ちたときだったと思う。
三島由紀夫は人間として生きるとは死ぬとは
そして自分は何を軸に生きるか
思想なのか、企てること、作ること
そうではなくて生きているということを大事にしたいのか。
日本が揺れ動くときに自分は感じたかったし
観客にも何かを感じてほしいという思いがあったんだと思う。」
今回の舞台では日本人キャストとともに
カンボジアでオーディションを行い
伝統文化を継承するカンボジアのアーティストたちも参加している。
1970年代ポル・ポト政権下の処刑や強制労働で
都市部の市民や知識人を中心に150万ともいわれるカンボジア人が死亡。
舞踊家や楽師も多くが命を失ったのである。
作品中の舞踊は宮本亜門さんと打ち合わせを重ね
今回の作品のために共同で作り上げた。
(舞踊家 コン・チャンシナーさん)
「ポル・ポト以前の芸術文化は素晴らしいものでした。
しかしポル・ポト時代に衰退しました。」
(舞踊家 コン・チャン・シッティカーさん)
「運よく何人かの先生が生き残り
次の世代を教え
その世代が先生になり私たちを指導してくださった。」
(舞踊家 ジュムワン・ソダージィヴィーさん)
「カンボジアの独自性として
若い世代は文化継承の義務があります。」
(宮本亜門さん)
「時代を超えて人は自問自答を常にしている。
生きるとは死ぬとは何を大切にして生きるかということを
王も現代人の考えた。
いま混沌とした時代だからこそ三島の考え方に会わせたかった。
世界で最も大きな観光地になろうとしているバイヨンは
王の精神を受け継いできているのか。
観客に投げかけたい。」