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懐かしのレコードに耳を傾けて

2016-03-20 07:30:00 | 報道/ニュース

3月5日 おはよう日本


思い思いにレコードを楽しむ人たち。
誰でも気軽に懐かしの音楽を聴くことが出来るレコードサロンである。
「古いレコードだから
 針を上げたときのあの感触がなんとも言えない。」
「1回来るとはまっちゃって来るのが楽しみになてくる。」
山形県天童市の中心部にある市民文化会館。
その一角にあるのが天童レコードサロンである。
市が運営しているこの場所では約2万枚のレコードを無料で聴くことが出来る。
レコードサロンを管理する菅野昭義さん。
音響機器を製造する企業を定年後
レコードの知識をかわれ4年前からここで働いている。
(天童レコードサロン管理人 菅野昭義さん)
「音が自然であること
 音に温かみがあることがレコード音楽の良さだと思う。」
宝探しのように懐かしの1曲を求める人たち。
口コミなどで常連が増え
レコード好きが集う憩いの場所になった。
選んだレコードは菅野さんの手によって順番に再生される。
レコードにはリクエストした人たちそれぞれの忘れられない思い出が詰まっている。
♪ 女の港 大月みやこ
佐藤のり子さんが26年前に発表会で3,000人を前に歌った記憶。
「足がガタガタ震えた思い出がある。
 私も若かったので声にも張りがあったと思う。」
♪ 愛と青春の旅立ち ジョー・コッカー&ジェニファー・ウォーンズ
五十嵐宏さんの若かりしころの失恋の思い出。
「悲しいものでも自分の思い出。
 今となってはいい思い出なんでしょうね、きっと。
 青春の1ページとしてこれがあったというのを思い出したい。」
(天童市レコードサロン管理人 菅野昭義さん)
「思い出の曲を聴くと昔のことがよみがえる。
 すごく癒しの空間という形にもなるし
 それが音楽の持つ良さではないかと思う。」
菅野さんはある場所に向かった。
同行するのはかつて住んでいた家に眠るレコードを寄贈したいと
菅野さんに連絡をしてきた沼澤伝寿郎さん。
沼澤さんがかつて暮らしていた家は雪で1階部分が埋まっていた。
2人で懸命に雪を掘り起こす。
雪かきをすること約1時間。
ようやく室内に入ることができた。
室内には段ボールやケースにまとめられたレコードがきれいな状態で見つかった。
(沼澤伝寿郎さん)
「懐かしいなあ。
 おれが歌ったやつだからよ。」
菅野さんはその足で沼澤さんをレコードサロンに誘った。
♪ 東京の灯よ いつまでも 新川二郎
20代のころ町内の文化祭で歌い1位になった曲。
「おかげさまでいい目に合わせてもらった。
 このままだまって捨てられてしまったら終わりだからね。
 このレコードも。」
(天童市レコードサロン管理人 菅野昭義さん)
「レコードをいただいただけじゃなくて
 沼澤さんの思い出も一緒にいただいて
 こちらにレコードとして展示出来ることが本当にありがたいことだなと思います。」
思い出がよみがえるレコード。
懐かしの音楽に包まれた場所である。


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被災者をつなぐ「まけないぞう」

2016-03-20 07:30:00 | 報道/ニュース

3月9日 おはよう日本


神戸の災害ボランティア団体 被災地NGO協働センターの増島智子さん。
東日本大震災の直後から3か月に1度の割合で東北に通い続けている。
この日向かったのは岩手県大船渡市。
復興に向けて宅地造成の工事が急ピッチで進められていた。
後ノ入応急仮設住宅では月に2回
定期的に「負けないぞう」作りが行われている。
「負けないぞう」の楽しみはおしゃべりをしたりおやつを食べたりしながら
みんなで過ごす何気ない時間である。
震災から5年
自宅を再建した人やアパートに移り住んだ人など仮設住宅を離れてしまった人も
「負けないぞう」作りには集う。
「負けないぞう」は1個400円で販売し
そのうち100円が作り手の被災者に手渡される。
「きょう 給料出たから飲みさ いくべか。」
「みんなでこうやて和気あいあい話するのが一番楽しいから。」
「きょう象さんだよって必ず呼んでくれる。
 助かります。」
「負けないぞう」がばらばらになった仮設受託のコミュニティーをつないでくれている。
増島さんが「負けないぞう」に取り組み始めたのは
東京からボランティアとして駆け付けた阪神淡路大震災のとき。
ただ支えられるだけでなく
自分たちにもできることがある。
「負けないぞう」と通じて前向きな気持ちを取り戻す被災者の姿を
増島さんはずっと見てきた。
(被災地NGO協働センター 増島智子さん)
「ほんとに象さんはひとつのきっかけであって
 そこからいろんなつながりとか何かが生まれていく。
 そこが一番ですよね。
 明日への希望じゃないけど生きる力になる。」
「負けないぞう」に支えられて新たな人生を踏み出した人もいる。
陸前高田市に暮らす佐々木洋子さんである。
佐々木さんは津波で自宅を失い
仮設住宅では周りの人との人間関係に苦しんでいた。
そんな佐々木さんを救ってくれたのが増島さんが教えてくれた「負けないぞう」だった。
(仮設住宅のころの佐々木さんの手記)
「自分は歴史も財産の失ったというむなしさでうつになっていた。
 でも私でも何か役に立つことがないのか。
 いまは象さんを作ることが
 自分も生きようという心をかきたててくれる。」
「負けないぞう」を作り始めて4年
佐々木さんは去年9月に仮設住宅を出て家を建てた。
佐々木さんたち東北の被災者が作った「負けないぞう」は
全国各地の被災地にも届けられている。
去年9月に起きた茨城県の常総水害。
「負けないぞう」を受け取った被災者からのメッセージである。
「勇気をもらいました。」
神戸で生まれた「負けないぞう」は被災地と被災地を結びながら
1人1人の被災者を支え続けている。
(被災地NGO協働センター 増島智子さん)
「心の復興って誰が推し量るかわからないしね。
 みんな違うからね 1人1人ね。
 こうなりましたって見せられない。
 でもそこをやっていかないと阪神みたいに孤独死がたくさん出てしまったりとか
 そこをどうやってつなぎ止めていくかとか
 被災者の方と関係性を作っていくか。
 被災者の方が作り続けている間はずっと続けたいなと思っていますけどね。
 細く長くですけどやっていきたいなと思っています。」



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