■■ 記 2011年12月15日 ■■ 武家屋敷跡 序
鎌倉の谷戸は総て人手で改造され、自然地形は稲村ヶ崎の岩クエ位と考えます。
ナダラカであった谷戸の自然斜面は人が通れない様に、急斜面に切り取られ、残土は谷を埋め平場にします。
大半は、鎌倉時代に工作されたモノと考えています。
そんな訳で、現状は平場に民家が建ち、裏庭は観察に価する切岸となります。
谷戸の平場は、武家屋敷跡と考えられ、三方切り崩した垂直な崖で、切り崩した土砂は谷を埋め、残りの一方を土手とした平場となり、武家屋敷が建てられる。 更に大きくは、鎌倉市街の三方は山で、もう一方は、土手ではなく海としている。
結果屋敷は三方を山に囲まれ、一方は土手となり、登ってくる敵を防ぐ構造となる。
何処から出入りするか?
手の込んだ屋敷は、隣の谷までトンネルを掘り、其処から出入りし、谷戸の奥の一つ一つが要塞構造です。
追い詰められたら、尾根伝いに逃げる訳です。
誰でも見られる場所は、鎌倉文学館!
佐助稲荷トンネル脇の私有地へ抜けるトンネル。
トンネルでは無く、脇に細い道を作って出入りしたのが、鎌倉駅近くの「古我邸」が有ります。
銭洗い弁天の場所は、三方山で、一方は土手の構造です。
この様な地形は、一万分の一地図で見ても50以上確認できます。
鎌倉観光の表面からは想像できない中世を偲ぶマニアックな見方ですね!
市内を見たって、鎌倉時代からの建物は皆無、、、話によると、舎利殿が唯一当時の建物!
荏柄天神も当時モノで有ったそうですが、今では外観からして別物です。
写真は、鎌倉文学館で、加賀百万石の別邸。
目に付くモノは、昭和初期の洋館とその庭ですが、歴史を観れば三方は山に囲まれ、一方は進入を拒む土手の痕跡で中世武士の居住跡です。
この様な平場に立派な家が建っていると「これは家を建てる為に造成した土地」で鎌倉には城が無い!等と主張する人も居る。この構造は鎌倉の城としての定番ですから、谷の程在る訳です。
■■ 記 2011年12月17日 ■■ 武家屋敷跡 1
鎌倉文学館の入り口。
それは、トンネルになっています。
(トンネルを裏から見たところです。)
敷地の一方は土塁として海に向け開けており、
他の三方は山に囲まれて、、、、
門外人の出入りは、困難です。
自然地形ではなく、人工的に人の出入りを遮断する工作をしたのです。
トンネルの在る峰は、地図の等高線に描くほどの高さが無いようですね。
同様に、
建物と下界を分ける土手も等高線に出るほどの高さは無い。
地図を見てもこの地形は解らないと言う訳です。
■■ 記 2011年12月19日 ■■ 武家屋敷跡 2
写真は、三方山に囲まれた洋館です、
開けた方向には、土手があり、、鎌倉文学館と同じ構造です。
違うのは、トンネルがありません。
門から、家の玄関まで、、、見ての通りの距離があります。
国土地理院の一万分の一でみると、、、
土手が等高線で見えますね!
これが、、鎌倉の谷戸(谷の奥)のパターンです。
大半の谷の奥は、、この様に成っていた!
きっと、、例外も有るのでしょうが、思い浮かぶ例外を知らない!
特に目立たせる事はしていませんが、、地図中央に有るお屋敷です。
地図の様に、山際に館へ向かう道があります。
場所は、個人宅ですので、、公表はしませんが、「Google地図より1」の近くです。
さて、
一方は開けていて、他の三方は山に囲まれた地形!!
これは、鎌倉城とも言え、、公で鎌倉の特徴を語る言葉でもあり鎌倉の都市を守る構造でも在った訳です。
外的から身を守る中世鎌倉の考えと、個人レベルまで浸透した思想では、、、
この様な武士の個人的な住居跡を見て、その様に感じるのです。
■■ 記 2011年12月15日 ■■ 武家屋敷跡 3
佐助トンネルの西に有る道路際のトンネルです。
トンネルの向こうには屋敷を構えられる平場があり、現在は個人住宅です。
今回の記事は、自分で書きながら、、
「何故,,,,こんな記事を書くのか??」と考えてしまいました。
「武家の都鎌倉」を世界遺産にというアピールの割りに、文化遺産の質を考慮しない行政を感じるのです、、
文化を語るなら、当時の生活が係わる。
歴史を語るなら、古代から中世そして現代までの時の流れを考える必要が有る。
鎌倉市内で目に映るモノは中世に係わるモノが極く少ない。
伝統も文化も建築物も鎌倉滅亡と伴に消え去り、引き継いだ伝統や文化はドレだけ有るのか?
何が「武家の鎌倉なのか?」そんな気持ちになるのです。
例えば、
このトンネルも、鎌倉時代の武家屋敷出入り口として、素掘りの狭いトンネルだったのでしょうが、、今の様相は近代のトンネルです。表面は近代ですが、その構造は鎌倉時代まで遡るもの、、、、
私としては鎌倉らしくて、とても大好きな空間です。
源氏山にしても、昔は柴刈りの薪として、山の木は管理されていた。
今は、自然保護の名のモトに生え放題で、鎌倉の市街地を見渡せた景観は、、、
緑のブラインドと成り、景観は望めず、木の根は、岩肌を破壊し始めている。鎌倉時代の源氏山の景観とは違うでしょ??
高みに上れば、、それなりの景色を期待する訳ですが、この場所には落胆します。
自然の過保護は、行政が問題を感じて欲しい。