■ 記 2014年10月27日
PCの方は、ブラウザの幅を狭くすると写真も狭まり立体視をし易くなります。
戦うための罠は、一箇所ではなく、、、
倉久保の谷戸(武蔵大路と考えられる)から台峰(鎌倉城大手の道)へ上がる場所に4箇所(紫色の場所)程仕掛けられた。
鎌倉幕府は初めから、敵はこの場所を攻撃されるであろう、、、
そんな予測の基に作られて居るようで、他の場所に似た構造は在るが少ない。
この赤い部位が外敵と対峙し、戦いを挑む場所なんて誰も言わない場所です。
古くも新しくも砦の戦法は同じで「高所から低い敵を攻撃するのが有利」でその様な構造をしています。
近年では、東大の安田講堂(1960年代末の学園紛争)が砦と成りました。
古くは、アラモの砦(アメリカの南北戦争)なんても有りました。
「それらは学校の講堂や教会の跡であり、砦ではない!」 なんて言う理屈が「武士の古都鎌倉」でセミナーで平然と語られている訳です。
近年では、東大の安田講堂(1960年代末の学園紛争)が砦と成りました。
古くは、アラモの砦(アメリカの南北戦争)なんても有りました。
「それらは学校の講堂や教会の跡であり、砦ではない!」 なんて言う理屈が「武士の古都鎌倉」でセミナーで平然と語られている訳です。
モットも鎌倉は本格的な城構造ですが、世界で一番広く大きな城の為、視野が狭いと城に見え無いのが問題でその程度の視野の方が多いのでしょう。
赤の5星は、
海蔵寺裏の大堀切(東山道武蔵路の笠間中央公園の延長)と同様な武蔵大路が鎌倉へ入る為の北鎌倉女子学園グランドの土橋と梶原へ抜ける切通しを埋めた痕跡。
そう考えると、更に切通しを埋めた場所が在ると考えられるのです。
写真は、国土地理院のアーカイブ空中写真。
武家の鎌倉を考えるうえで、鎌倉城の情報が必要です。 しかし、城の場所、構造、使い方、等全く資料も情報も無い。
挙句は、新田義貞が正面攻撃で突破できない城を「鎌倉には城が無い!」っと鎌倉の生涯学習で講義したそうです。
城の存在を否定するも、肯定するも、、、ハナから文献資料も情報も無いのです。
しかしね、、、巨大な城遺構は存在し、誤魔化す事はできない。
問題は、巨大過ぎて見る目が無ければ、単なる山にしか見えない。
知識の有無の問題ではない。
古文献と地形を見比べ、自身の頭で考える事をしなければ理解できない話です。
生涯学習の講習で「鎌倉に城は無い!」等と信じた方は、古典と、鎌倉の地形を自分の目で確認し、自分の頭で考えて欲しい。
それが、自分の考えを持ち、違いが判る大人と言うものです。
講習を受けて情報を蓄えても、中学生レベルの判断力でしかない。