上図は 防衛施設が掘り出された海浜公園駐車場の場所。
鎌倉の歴史は現在の考古学で収まる程、浅くないと言う事です。
なぜなら、
学術的な欠点=根拠が弱く、憶測で出された結論 を抱えた学説が多くを占めています。
歴史は人間の生活した総合的痕跡です。それを、特定分野に限定して解析し研究するので、他の大事な要素を知らず、間違った結論をだす。それが今流の専門家ですが、、、専門に特化した分は偏った情報しか集まらない。
偏った情報で議論をしても、全体像は見えない。その上 文献は少なく発掘部位も限られて概要を語るだけの情報量が無い。
鎌倉の歴史を語るに専門家の必要は無い。より多く楽しんで鎌倉を見ればよい。
情報が集まれば、専門家並みの視点は持つことが出来ると思います。
専門家は専門分野の偏った情報で、全体像を知っている訳では無い。
文献由来の知識で机上論を作っても、
生活実感を持って鎌倉を見て楽しめば、広い物の見方ができる。
一つ々は浅くても、全体を見渡せる情報の方が大事な知識と思います。
文献や頭で考えた実感の無い理論より、現物を見た実感の在る情報の方が絶対的な情報量が多い訳です。問題は、その情報をドレダケ広い視野でマトメルかと言うことです。
自分の実感がまず第一です。彼方此方を見ていくうちに、自然と視野は広がる。自身の物の見方考え方も成長する。
それができると、
既成の常識では、理屈が合わない場所が見えてくる。
早い話が、常識の嘘です。
文献に書かれた事など、微々たる情報に過ぎない。
鎌倉周囲の山は、鎌倉武士が手を加えた切岸で、見るべき物は無数にある。
切岸の下は、削った土砂を平らにした土地です。畑や宅地に好都合ですから、当然家が造られ、切岸の痕跡判らない場合が多い。表通りから家の裏庭を覗くと見るべき物が有ります。
鎌倉幕府の力で奪い取った権力は、力で奪い取られ恐怖が付きまとう。
秩序の上に立つ者からの仕返しを恐れて造ったのが初期の鎌倉城であり、他国の力を恐れて対抗した城が、現在の鎌倉城郭と考えています。
「木を見て森を見ない」ではなく、
「木を見て、森を見ても、、森全体が見えない!」意識して見ようとしても、広大過ぎて全体見るのは困難な大鎌倉城です。