上は、地表の凹凸をリアルに表した見越し嶽の3D地図です。
上の地表だけのバーチャル3D地図と、樹木と家に遮られた山のBing概観図です。
樹木に覆われ、建築に塞がれて砦遺構の観察は出来ない。
更に、別次元に巨大な城は 城郭専門家には、本丸も曲輪も堀も土塁も無い山
にしか見えない!
鎌倉幕府滅亡の後、鎌倉で数度の戦いが有りました。
当然、一氏族の人数で守るのは無理な巨大な鎌倉城です。
鎌倉市内の武家屋敷は、三方を山に囲まれ、他の一方は、段として土塁が築かれた地形をしている。
武家屋敷自体が攻撃を受ける想定で造られている砦です。
古文献を読めば、その攻防は武家屋敷での攻防で有り、鎌倉城の攻防では無い。
これを間違えて、鎌倉城での攻防と判断した研究者が居る。文献を知らないのか?文献の読解能力に問題があるのか? 誤解をしているわけですが、、、
「新田義貞鎌倉攻め」の七口を結ぶ城郭とは別の市内の武家屋敷で起きた戦いです。
資料が無く、文献の解釈等の問題を抱え憶測で出した結論と考えています。
詳細は、
当ブログ「■日本城郭大系1」
http://blog.goo.ne.jp/mementosmori/e/ea7114b3d3fa9c738378c6683dfe5e67
を参照ください。
[日本城郭大系1]に書かれた鎌倉城は、後年に名越の大切岸は石切り場痕跡と判明する失態でした。
発刊後 この記事が尾を引いて、数十年後には「鎌倉に城は無い!」話しにまで発展した。
鎌倉の歴史を、大きく歪曲させた記事の原点が[日本城郭大系]の鎌倉城の記事でした。
現在、鎌倉城について書かれた研究書の大半は、同様な問題点を抱えている。
結局『調査範囲が広くて資料を集められない! よって結論を出せない。』
日本城郭大系を 批判した著書の結論も「結論を出す資料が不足し憶測が入り込む!」
現地を調べず資料も無く、机上の考えで結論を出したら、、、[日本城郭大系]の二の舞の過ちを犯す訳です。