
いまの時代の学力観は、身につけた確実な「知識」とその知識を実生活で「活用」する力を備えることを重視しています。
ですから、学校での日々の授業でも、思考力・判断力・表現力を伸ばすことが求められます。
授業での発問に対して、自分で考え、その考えをまわりの子どおしで交流し、判断して考えを修正して、発表することで表現力を高め、自分の考えを深めていく活動を行います。
この学びの過程を 、おおざっぱにひとことでいうと「アクティブラーニング」と呼びます。
したがって、昔のように、授業者が一方的に説明して板書する。それを生徒がノートに写し覚える。それを覚えてテストで解答する。
このような授業は、知識伝達型であり、これはこれで大切な学習法であるので、否定はしませんが、活用力を伸ばすことはできません。
三中の授業も、さまざまなな方法で活用力を伸ばす活動を行っています。
また、全国学力学習状況調査や大阪府のチャレンジテスト、公立高校入試問題も、活用力をみる内容になっています。
さて、今回は「知識」に絞ってテーマにします。
私たちは、一口に知識といいますが、「知」と「織」に分けて考えた方がいいというのが、私の見解です。
いわゆる「一流大学」で学識を積んできた人が
社会人になると、とんでもない間違いをしたり、非常識な行動や発言をすることがあります。
一方、学歴は高くなくても、知恵があり、立派な人格を備え、信望を集めている人も多くいます。
だから、学識はあるにこしたことはない。しかし、学識だけで人をみるのは間違いです。その人の知恵こそが、その人の価値である。
三中の子も、知恵のある人に育てたい。こう考えています。