
最近、テレビ等でインタビューを受けた人が、よく言います。
それは「恩を返したい」とか「恩返しができた」という言葉です。
私がこの言葉を初めて聞いたのは、あの有名な「鶴の恩返し」です。
それは子どもの頃でした。
それからだいぶん長い間、恩返しという言葉を聞くことは少なかったと思います。
日本社会がバルブの好景気のころには、なりを潜めた言葉でした。
そして、ふたたび聞くようになったのは、スポーツ番組のインタビューで、「応援してくれた人に恩返しができました」というコメントでした。
記憶に新しいところでは、浅田真央選手が言っていたのを思い出します。
また植村花菜の「トイレの神様」のなかに、「恩返しもしてないのに ♪ 」という歌詞が出てきます。
「恩返し」という言葉が、いまの私たちの価値観として、ふたたび大切にされるようになったのかもしれません。
そのことをとやかく言うつもりは、私にはありません。
しかし、もし私が恩について、三中の生徒に伝えるとするならば、「恩を忘れる人になりなさい」ということです。
ただし、忘れていいその恩とは、人に与えた恩です。
一方、人から受けた恩は、忘れてはならないのです。
だいたい、人に与えた恩などいつまでも、しつこく覚えていたらいいようにはなりません。
「あのとき、食事をおごってあげたのに・・・」
こんなことをいつまでも、覚えていて見返りを求めるなら、おごらない方がいいのです。
まして、教師が生徒に「あのとき、(生徒に)あれだけしてやったのに」なんて思ったり、口にしたりすると、愚痴が生まれます。
その意味で、教育に見返りを求める人は、教師にならない方がいいのです。
私は32年前に学級担任をしていたとき、終礼が終わって、生徒がみんな帰ったあと、ある女子生徒が、私が何も言わないのに、一人残って、クラスのみんなのゆがんだ机を一つずつ並べ直してくれていました。
あのとき、彼女がしてくれた行為、つまり私が受けた恩はありがたく、今も忘れていません。
今でも、その子のにこやかな笑顔がキラキラと輝く景色を思い出すと、「ありがとう」という想いが蘇ってきます。
教師は生徒から受けた恩を、忘れてはならないのです。
いみじくも、大隈重信は言いました。
「施して恩を願わず、受けて恩を忘れず」
恩とは、一方通行がいいのです。