![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/14/7ae028ca6b2e01fd20f1ae4074384c75.jpg)
「君は、本当は いい子なんだよ」
(「窓ぎわのトットちゃん」より)
黒柳徹子さんは、子どもの頃、「学習障害」だったらしく、読書と計算に、困難を感じていたと、『小さいときから考えていたこと』(新潮社)のなかで、述べておられます。
そんな黒柳さんが、学校で校長先生から言われたのが、冒頭の言葉だったそうです。
もし、この言葉がなければ、「ちゃんとできない子」、「悪い子」として大きくなり、いまの黒柳さんはなかったかもしれません。
発達障害を、その子の「個性」として受けとめるまわりの理解が求められます。
「発達障害」という名称は、「そうだったのか。だからあの子はこれができないんだ」と納得するためにあるのではない。
その子に「レッテル」を貼るために、この障害が社会でクローズアップされたのではないのです。
①うまく生活できない→発達障害だったのか→じゃ仕方ない→かかわらない
②うまく生活できない→発達障害だったのか→では、このような点を工夫できる→かかわる
その子の「特性」として、受けとめ、理解して支援するためです。
ところが、いま、おとなの発達障害が話題になり、①のような人間関係に陥っている危惧があります。
学校では、②の視点で、その子をサポートします。
悪い子と言われていた黒柳さんは、冒頭の言葉で、わたしを認めくれていると感じたのかもしれません。
黒柳さんは、タレント業だけでなく、若いころから点字とか手話を勉強しました。
彼女は、平和活動やユニセフの活動にもかかわっています。
発達障害の受けとめについて、考えさせられます。