おとなには、おとなの悩みがあるように、子どもには、子どもの悩みがあります。
次のような昔の歌もあります。
「山には山の 憂いあり」
中学生には、中学生の悩みがあります。
私の中学時代は、悩みの連続でした。
おとなからみたら、微笑ましいと思うことでも、本人には切実な悩みかもしれません。
そして、働くなかで出てくる悩み、恋愛の悩み、子育ての悩み、家庭の悩み。
悩みがなくなるのは、人が亡くなるときかもしれません。
こう考えると、人は悩みと共に生きるものと言えるかもしれません。
こんなとき、誰かに聞いてもらうと、悩みは軽減されるかもしれません。
「優しい」という字は、憂いをもった人の横に人(にんべん)が立っています。
つまり、悩みをもった人に寄り添い、誰かが聞いてくれるという優しさに出会います。
でも、また別の悩みが押し寄せてきます。
ほんとうに、人の悩みは尽きないのです。
悩みのない人なんていないのではないでしょうか。
空海は「同行二人」(どうぎょうににん)という言葉を残しています。
この言葉は、「つねに弘法大師とともに旅する」という意味ですが、人は悩みとともに生きていく
と、私は解釈します。
三中の生徒も、生涯を通して悩みとともに生き抜いてほしいと願います。