本日、期末テストの1日目でした。
生徒たちは、熱心に答案に臨んでいました。
さて、教師は、「教える人」。
でも、教えることは、学ぶことです。
教えるためには、自分がよくわかっていないことを確認します。
また、教えると、「あっ、これは自分がわかっていない点だ」と気づくこともあります。
つまり、教えることは学ぶことなのです。
だから、安易な教えたがりになるよりも、自分が学ばせてもらっていると自覚が教師に必要です。
とかく、教えることで、教師は生徒と教師の関係をとり違えてしまう場合があります。
「教える人が上、教えられる人が下」と取り違える教師は、教師とは言えません。
教師も学ぶ人、生徒も学ぶ人。そこには、どちらも学習者という共通の関係があります。
実際に、私も三中の子から学ばせてもらうことがあります。
弁論大会に出る生徒には、原稿を弁論用に修正していっしょに完成させ、弁論の仕方を「教え」ました。
その生徒は、後日、別の機会で平和作文を読みました。
すると、弁論大会で学んだ弁論のテクニックをいかして、ただたんに朗読するのではなく、説得力のある話し方をしていました。
私は弁論大会の終了と同時に、教えることは完結したと思い込んでいました。
しかし、生徒は、学んだ知識と技術を、ほかにいかしていたのです。
人の学習は終わらない。このことを、その生徒から学ばせてもらいました。
生徒も教師も、どちらも学んでいるのです。
ゆえに、教師と生徒は対等の関係です。
ただ、何が違うかと言えば、教師の方が生徒より少しだけ人生経験が長いということだけです。
その経験をいかして、生徒にどうすべきかを示したり、アドバイスをしたり、考えさせたりして導くことができます。
そういった意味で、やはり教師は「師」なのです。
ただし、こと中学生に関しては、どうするかを決めるのは本人です。
生徒の学ぶ力と成長する力は強くてたくましい。
改めて、こう思います。