箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

難しい課題に直面して~新型コロナウイルス感染症~

2021年09月15日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ


わたしの場合、2回目のファイザー社のワクチン接種が8月5日に終わりました。

その病院は待合室の真ん中にガラス張りの吹き抜けがあり、その中には樹木が植えてあります。

そのときはまだ真夏の日差しが差し込んでおり、接種後の15分間の経過措置の間、樹木を眺めていました。

なんというか、ゆったりとしたその空間には「ワクチン接種を済ませた」というみんなの安堵感と一体感のようなものが漂っていました。

まだ接種をしていない若い世代に感染が広がっているといます。

これほど感染が広がると、みんながウイルスに怯えるようになり、人と人の関係が疎遠になった社会であるとはいえ、怖さという一点で、ある意味の「まとまり」を覚えるのです。

実際、電車に乗っていても、『感染しないか」という不安な気持ちを抱き、ある種の緊張感を感じることもあります。

でも、同じ気持ちで電車に乗っている人もいるのだろうと思い直し、「呉越同舟」(仲のよくない者同士が、災難のときには助け合う)ならぬ「同舟」を感じるのです。

そういえば、教員の頃、よく生徒にハイタッチしたりして、あいさつを交わしていましたが、いまはそのような接し方はできなくなりました。

人には、物理的に近づきすぎてはいけないということを子どもに強いる学校になっています。

どのように、人との関係を築いていくのか。人を信じなさいと教えるのが学校であるはず。

どのように、意思の疎通を実現するのか。新型コロナウイルスは、人間関係をつくる根っこの部分に入り込んで、難しい課題で私たちを惑わせます。

会いたい人に会えない、触れたい人に触れられない今なので、心はつながりたいと思う今日このごろです。

競争か共感か?

2021年09月14日 07時22分00秒 | 教育・子育てあれこれ


児童生徒の健やかな発達・成長のためには、「自己肯定感」が大きく影響すると、学校関係者は考えています。

「自己肯定感」とは、子どもが自分には価値があると感じていたり、自分に自信を感じる状態のことをさします。

生活のいろいろな場面で「わたしってOK」「わたしってなかなかやるね」と感じる子どもは、自己肯定感が高いと言えるでしょう。

このような子どもは、おそらく想像がつきやすいでしょうが、学校生活でも学習や学校行事、部活動など、いろいろなものごとに取り組む意欲が高くなります。

ですから、学級担任はそれぞれの児童生徒が自己肯定感を高めるような学級づくりを進めていこうと意図します。

しかし、自己肯定感を考えるとき、何でもありで、手段を選ばずに高めようというのは望ましくないです。

たとえば、
・競争をして勝ち、友だちよりも自分が優れていると感じる競争勝者の感情

・自分に能力があるから、クラスの友だちが自分を必要としていると感じるというような条件がつく場合。

→これらのケースでは、「競争ベースの自己肯定感」(A)と言えます。

いっぽう、たとえば、
・自分は自分で大丈夫だと感じている。

・自分は○○ができるできる/できないに関係なく、クラスの一人として認めてくれている(だから、わたしも友だちのことをクラスの大切な一人だと思う)

→これらの場合は、自分のことも、友だちのことも大事に思う「共感ベースの自己肯定感』(B)と言えます。

わたしは、学級担任なら、(B)であふれるクラスをつくりなさいと助言しますが、人が生きていく上で、必ずしも(A)は意味がないとは思いません。

アスリートの世界では、能力と努力の程度により、レギュラー選手になれたり、なれなかったりします。

アイドルの世界では、メンバーに競争をさせ、切磋琢磨することで、個人の力を伸ばし、チーム全体のパフォーマンスも高めていきます。

その点で、(A)の自己肯定感を全面否定しなくてもいいと思います。

ただし、学校では(A)があってもいいですが、教育活動の中心が(B)で貫かれているべきだと考えます。

なぜなら、学校や学級という場は、「他者に頼ること」を学ぶ場だからです。

自分でできることは自分でやります。でも、どの人にも一人ではできないことがあります。

そのとき、他者に頼り、「Help me!」と言って助けてもらい、協力し合って取り組んでいくのが世の中だからです。

学校は、競争ベースの自己肯定感をもつ子を否定はせず、共感ベースの自己肯定感をもつ子を増やし、競争ベースの子に共感ベースを伝えていく場です。


子どもの様子から推し量る

2021年09月13日 07時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ


新型コロナウイルスが全国で猛威を振るっています。

親や祖父母が感染して、家族を亡くした子どももいます。
その子の悲しみを想うと、胸が痛みます。

昨年の全国一斉学校休校は約3ヶ月続き、学校再開後の幼児、小中学生のようすが気になりました。

ぱっと見たところ、子どもらしく元気にしていましたが、中にはこっそりと泣いている子、不安がって落ち着かない子、じっとしてあまり動かないない子などがいました。

教職員は、その様子を肌で感じて、心配していました。

コロナ災禍がさまざまな面で言われます。医療崩壊、失業・解雇、時短営業で収入の減少、DV被害、自殺者の増加など、多くの人に影響が出ています。

誰が亡くなったとか、これからの生活をどうしようとか、現実的な悩みがある大人から見ると、子どもは何もわかっていなくて無邪気に見えます。

でもじつは、子どもはまわりをよく見ていて、不安を言葉にできず大人たちを慮って(おもんばかって)がまんしているのです。

不安そうな子、じっとしている子、意欲のない子たちは、無気力なのでなく、そうして自分を守っているのでないでしょうか。

教員なら、ここまで子どもの現状を見て、状況を推し量る人であってほしい。

「ああ、あの子はどうもないですわ。いつもと同じですね」。もしもこんな会話が交わされる職員室では心許ないのです。


子どもを愛するとは、

2021年09月12日 08時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ
あなたの知らないところに

いろいろな人生がある

あなたの人生が

かけがえのないように

あなたの知らない人生も

またかけがえがない

人を愛するということは

知らない人生を知るということだ

(『ひとりぼっちの動物園』灰谷健次郎より)

年齢を重ねた人でも、年齢の若い人でも、その人の人生はあります。

中学生でも10年ちょっとは生きてきたのです。

だから、中学生にも人生はあります。

その子が、家庭で、地域でどんな人生を過ごしてきたかを知る教師がいます。

それを知っている教師は、それだけのかかわりをもち、親ともつながってきたからです。

そしてその生徒は、教師に愛されているのです。




障害者問題は社会の問題

2021年09月11日 07時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ
東京パラリンピックが終わりました。

各選手が一生懸命に挑む姿は、多くの人びとの胸を打ちました。

メダルには届かなくても、自己ベストの記録を出したアスリートもいました。

先天的障害のある人、後天的な障害のある人、それぞれですが、選手が生きてきた道のり、経歴などをメディアは紹介してくれました。

これは、たいへん意味のあることだと思います。

アスリートの生きてきた道のりを人びとが知ることは、障害への理解を深め、共に生きる社会へ一歩近づくからです。

ただ、そのメディアの報道の中にも、気になることがありました。

それは、記録を出した選手をメディアが揃ってとりあげ、ニュースや記事にする、その方法です。

そのとりあげ方が、「(障害がある人なのに)がんばって努力を重ねて困難を乗り越え、結果を出した」と、ある選手をカリスマのようにしてしまうことがありました。

もちろんその選手が努力を重ねて、結果を出されたことは、称賛したいし、その努力に敬意をもちます。

そのことを十分に踏まえたうえで、もし「障害は個人の努力で乗り越えるものだ」というメッセージをメディアが世の中に発することになったならば、それは違うのです。

障害者問題は、個人の問題ではなく、社会の問題です。

障害者を生きづらくしているのは、社会のしくみの問題です。

たとえば車いすの人が駅の2階に上がれないのは、エレベーターがないからです。

介助犬を連れた人がレストランへの入店を拒否される、例は、そういう社会の慣習が残っているからです。

つまり、障害者問題があるのは社会に障害=障壁があるからです。

これを、研究者や専門家は「障害の社会モデル」と呼んでいます。

共生の実現のため、変わらなければならないのは社会です。障害者ではないのです。

このことをあらためて考えさせられたパラリンピックでした。




困っている女性にコロナ対策を

2021年09月10日 07時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新型コロナウイルス感染症による影響は、多くの人びとに影響を与えています。

「わたしはなにも影響を受けていない」という人は少なく、ほとんど人が何らかの影響を受けているでしょう。

なかでも、女性に対して、より深刻な影響を及ぼしています。

現状では、仕事に就いている女性の5割以上が非正規労働者です。
それゆえに新型コロナウイルスで打撃を受けた職場が従業員を解雇する際、真っ先に非正規労働者が対象になります。

飲食業や観光・宿泊業で働いていた人が失職する例が多いようです。

とくに、シングルマザーにとっては厳しさが増します。

2020年夏から秋にかけて失業率が大きく上昇しました。解雇までいかなくても、勤務時間を短縮され、収入が減った母子家庭が多いのです。

収入が減ると、食べるものを減らさなければならなくなり、「食事の回数を減らした」とか「お肉や魚があまり買えません」という声が聞こえてきます。

以前に言われた「一億総中流」という言葉は消え失せ、いまや貧困の波が日本の家庭に押し寄せています。

TVでは、高級な料理やスイーツ、行列のできる店を特集し、食レポをする番組が人気を集めています。

でも、現実は、もっと厳しいところで生活困難になっている人がいるのです。

これが、いまの日本の現実です。

非正規雇用で収入が低く、不安定な就労を強いられる人には、手厚い公的支援が必要です。

さらに、コロナ渦は日本社会の男性と女性が対等でないという問題性をあぶり出しました。

女性が育児・家事を担っている割合が男性のそれらよりも高いのです。
学校が休校になると、小学生以下の子どもがいる家庭では、妻が仕事をやめるケースが多く出ました。

男性は外で働き、女性が家のこと全般を担うという性別役割意識は、困難な状況になると余計に現れるのです。

不利益を受けるのが女性に偏っているという現状の課題を解消するには、男女格差を是正していく必要があります。

男女格差の問題は、コロナ災渦の何十年も前から、中学校では「男女共生教育」として、人権教育の一環として学習を進めてきました。この男女性別役割意識を問題にしてきました。

それが。新型コロナウイルスにより、より明確に浮き彫りになったのです。

行政は直面している困難をかかえる女性の声を聞き、手厚い施策を打って行かなければなりません。

そのためには、意思決定に関わる女性の比率を増やすことが不可欠になります。当事者の声や願いを聞かずして、行政サービスはあり得ないのです。

他者とは競わず、頼る

2021年09月09日 08時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私は校長のとき、よく職員に言っていました。生徒にも言っていました。

「自立とは、他者に頼らず、なんでも自分でできるようになることではない。

自立とは、自分でできることは自分でやるが、できないことに対しては他者に助けてもらえる人間関係をつくることである。」

生徒は中学生なので、おとなとして完全に自立は無理です。

そこで、「自立に向かう人」となり、卒業していってほしいと伝えていました。



ところで、今の時代は仕事でも何事においても、能力主義・成果主義の価値観が覆っています。

「できること」はいいことだ、「できる人」はいい人だという価値観を刷り込まれています。

みんなが「がんばらなければ」と思い、知らず知らずのうちに、他者との競争に駆り立てられます。

それが度を越して、「優れているか、劣っているか」「抑えこむか、抑え込まれるか」という関係に陥りがちになるのです。

でも、本来、他者は頼るために存在しているのです。

自立したおとなは、自分だけの力でできることは自分でするが、他者に頼らないとできないことに出くわしたときには、「助けて」と言える関係をもっている人のことです。

新型コロナウイルスが明らかにしたこと

2021年09月08日 06時03分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新型コロナウイルスの感染は、なかなか収まる様子がなく、日本での最初の発症から約1年半がたちましたが、毎日の新規感染者は減る傾向にあるとはいえ、医療逼迫の状況が継続しています。

このコロナ禍災は、私たちが「VUCA」といわれる世界で生きていることを知らせました。

研究者・専門家によるとVUCAとは・・・
Volatility 変動性
Uncertainty  不確実性
Complexity  複雑性
Ambiguity  曖昧性
の世界のことです。

令和の元号に変わったとき、誰がこのVUCAの世界が現れることを予想したでしようか。

この先何が起こるかわからない世界に私たちは生きている・・・.。

考えてみれば、そのことは当たり前のことでしたが、私たちは気がついていなかったのです。あるいは、気がついていても忘れていた(忘れようとしていた)のでした。

今後は、ウィズコロナの時代もアフターコロナの時代になっても、何が起こるかわからない世界を引き受けて、私たちは生きていかなければならない状況に置かれるのでしょう。


そこで、コロナ禍災によって学校教育の面では、今後どのような転換をしていくことになるのでしょうか。

それは、公教育のありように変化を与えていくようにも思われます。

日本の公教育では、どの子にも等しく同じ教育内容を提供するという役割を原則にしています。

そして、その公教育は、子どもたちの学力の全体水準を引き上げ、戦後復興をめざす日本経済・社会を支えてきたのでした。

その学校教育のしくみは、みんなを一斉に、同じ時間に、同じ場所に集めて、同じ学習内容を同じペースで、均質性ある学級編成の集団で行う授業で、どこの学校も貫かれていました。

しかし、コロナ禍災は、オンライン授業をスタートさせ、そういった学校のしくみの限界を明らかにして、転換を迫りました。

そのとき、同時に家庭で孤立する子や学校に行けず不安を感じる子、体調不良を示す子などの問題を全国一斉休校後に表出させ、明らかにしたのでした。

その点から見れば、コロナ禍災は学校のしくみの限界と転換を迫ったのは確かです。


しかしながら一方では、子どもたちが生きる場としての学校の存在意義をあらためて、教育関係者に再確認させたともいえます。

つまり、教職員の支援のもと、仲間のなかで育まれ、生きていくこと、生活していくことを保障する場として、学校の役割を人びとに再認識させたのがコロナ禍災であったということです。

つまり学校は、家庭以外で子どもたちが生きる場としての役割をもっているのであり、これはアフターコロナの時代に入ったとしても、変わらない、不易のはたらきなのです。

今後、学びが個別化してきて、オンライン学習が定着していったとしても、子どもが生きる場としての学校の役割は色あせず残っていくことでしょう。











親が子どもの学習に時間をかける

2021年09月07日 07時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ

大阪府箕面市の全般的な傾向として、保護者が教育熱心な家庭が多くあります。

研究者の調査では、保護者の所得、教育への価値観などが子どもの学力に影響を与えるといわれています。

所得が高いほど、子どもへの教育投資が増える、「勉強が大切」と考える親ほど、わが子が幼少期のころから絵本を読んだり、勉強を教えたりする。

その結果、子どもの学力が伸びます。

コロナ渦災の影響はまだ調査がないですが、小学校低学年の子どもは、大人がいないと自主的に学習することは難しいのです。

一つ言えるのは、親が子どもの教育に充てることができる時間が学力へ与える影響が、低学年の子ほど大きいのでないかと予想できるということです。

子どもが小さいうちは、親が横につき勉強を教え、だんだんと離れていき、見守る態度をとり、目を離さないにします。自立した学習ができるようになれば、子どものペースに任せます。

そのとき子どもは自立した学習者になっています。



悩みとつきあう

2021年09月06日 07時05分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人は悩みの連続の中で生きています。

毎日生活するなかで、多かれ少なかれ悩まないことはないと思います。

SNSには、若い女性が「適応障害と診断された」というつらい思いを吐露している投稿が最近よく出てきます。

この人たちは、仕事上の人間関係の悩みを打ち明けています。


適応障害というと、学校の場合は、友だち関係につまずき、教室に入れなくなり、保健室登校や不登校になる子が少なくはありません。

「生きているのがつらい」と言う子までいます。

わたしは、SNSでつぶやこうとも、学校で教職員に話そうとも、悩みを言語化することは必要だと思います。

悩みは、じつはその原因となることがら以外にネガティブな感情やモヤモヤする気持ちが付随しています。

そのような感情や気持ちが余計に重なりあって「つらさ」になっています。

Aさんとの仲たがいが原因で、教室に入らなくなったのですが、「教室に入れないわたしは弱いのかな」とか、「このままずっとクラスに入れないままだろうか?」、「授業を受けれなくなると、勉強がわからなくなるのでは」・・・。

このように、教室に入れないのはAさんとの友だち関係がうまくいかないからという原因に、いろいらなマイナス感情や心配・不安が重なり合っているのです。

だから、つらいことを言葉にして、言語化して、自分の悩みにピッタリとくる言葉で表すのです。

それが見つかったとき、悩みの周辺で混沌としていた重さが取り除かれ、スーと軽くなるのです。

悩みに対して、人はうまくつきあっていくのが望ましいと思います。

多様性の尊重とは

2021年09月05日 05時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ

グローバル化が進み、多文化共生社会の実現や多様性の尊重などが言われます。

外国人との共生
外国につながる児童生徒との共生
性的少数者との共生
障害のある人との共生
男女の共生
・・・・・・
などの課題は、「共に市民として日本社会や学校で生活し、生きる」ことに力点が置かれるのがいまの時代の流れです。

そのこと自体は大切で、私たちは共生社会の実現にむけ、職場や学校、地域社会で取り組んでいきます。

しかし、「共生社会の実現はこれで解決する」というように声高々に言えるような解決策があるわけではありません。

みんながおたがいのちがいを認めあって、尊重し合うといっても、実際はそれほどうまくいくことはないのです。

職場や学校での人間関係はうまくいくだろうかなど、ギクシャクするのではないか。こんな思いがよぎる人もいると思います。

ただし、共生社会の実現や多様性の尊重に取り組むとき、「何かもモヤモヤモヤしている」感覚、「すっきりしない」感覚は、とても大切だと思うのです。

人にはそれぞれの視点があります。その人個人の知識や経験に基づいた価値観や意見があるのです。

その意味で、「正解」は一つではないことも多いのではないでしょうか。多様性は書いて時のごとく、多様で、ある意味面倒でもあります。

その面倒をのりこえ、「おたがいにこれならやっていける」という納得を、最大公約数的にもてるとき、多様性を受け入れ、共生する道が開かれるのだと考えます。


言葉の価値

2021年09月04日 07時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ

学校の国語の時間は大切だと、最近とみに思います。

今の時代、言葉が軽視されています。

バブルが崩れ、長期低迷が続く日本社会を襲ったのがコロナ禍でした。

そんなとき政治家が人びとに発する言葉は、Go to トラベルとか、ソーシャルディスタンス、ステイホームなどでした。

私は英語の教師ですが、このような和製英語もどきの言葉に、ある意味の「軽さ」を感じていました。

国民みんなが四苦八苦しているときに、「経済を加速度的に回復させる」という言葉が虚しく響きました。

これらは、政治家だけでなく、みんなが言葉を軽視した結果ではないでしょうか。

いまや、「これは信用できる」という言葉を探すのが難しくなっています。

全体に言えることですが、いまはトップダウンでものごとがきまっていくのがふつうになりました。

教育政策でも同じです。

よくわからないまま、上から降りてくることをなし崩し的に受け入れるようになってきました。

思考停止して、抗うことをやめ、受け入れていくと、疑問や怒りがあきらめになってしまいます。

そうなると、将来へ希望をもてないようになります。

また、トップダウンでなくても、周囲の人が使っている、響きのいい、感覚的にいいと感じる言葉を、真似て多用する傾向があります。

「真逆の」←「正反対の」とか「日がかぶる」←「日が重なる」とかは、いつのまにか多くの人が使うようになりました。

言葉一つひとつの意味を問い、それはいまこの状況でふさわしいものなのかを考える必要があります。

そのとき必要になるのは、国語の授業で身につけた国語力です。

ものごとを適切に判断するには、言葉の意味を正しく知っていることが求められます。

そのような観点からも、学校の国語の時間は大切だと改めて思います。

法令がもつ意味を学習すること

2021年09月03日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ


東京では、ここ2年ほどで駅のエレベーターの数が急増しました。

東京パラリンピックの開催がきまり、障害のある人がたくさん街に来るため、バリアフリー施設の整備を進めたからです。

エレベーターがないため、車いすでは利用できなかった駅や電車の乗り換え駅にエレベーターが整備されました。

さて、「障害者差別解消法」は2013年に制定されました。

その法の中で、社会が「合理的配慮」を実施することが求められています。

社会の中にあるバリアをなくすため、事業者は「負担過重にならない範囲で」合理的配慮の対応に努めることが規定されています。

では、こんな例はどう考えるべきでしょうか。

よく流行るラーメン屋さんがあり、お昼時にはお客さんの行列ができます。

ある日、店主が「お昼時には車いすの人の入店をお断りします」という張り紙を店頭に掲げました。

これを見たお客さんの反応はいろいろでした。
「車いすの人を差別している」

「お昼時はお店も忙しいんだから、しかたないよ。車いすの人はがまんしなくっちゃ」

「車いすの人もラーメンを食べられるのが当然よ」

「車いすは場所をとるから、混雑時には遠慮してもいいんじゃない」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

法が定める合理的配慮の解釈としては、店主は努力義務を怠っていることになります。

法の解釈では、車いすの人が利用するには(店にとって)「負担が重すぎない範囲」で、合理的配慮に努めなければなりません。

これは、負担が重すぎるときには、「従業員が少ない店であり、昼間は混雑しているので・・・」という事情を当事者と話し合い、理解を求め、別の方法を考えるなどが考えられます。

ところが、話し合うことなく、「車いすの人は、昼間お断り」という張り紙は、一方的に伝えているだけであり、合理的配慮を実施する努力義務を怠っていると、私は考えます。

このケースから、「店主からの思いやりがたりないな」という心の動きになる人がいるかも知れません。

小中学校の道徳の授業なら「思いやり、公共の精神をもとう」という展開になるでしょう。

「思いやり」という言葉は、世間ではたくさんの人が使います。

「思いは見えないが、思いやりは見える」という広告もメディアを通じて流れた時期も10年ほど前にありました。

人権は思いやりの心で守ることができると考え、学校で思いやりを教えることは大切です。

人権侵害の芽は、個人の心に生まれるのだから、学校で思いやりを教えることは必要です。

しかし、思いやりがたりないから、エレベーターが少なかったのでしょうか。

そうではなく、エレベーターが少なく、車いすユーザーが駅を利用できないのは、社会のしくみの問題です。

人権侵害の問題の根底に社会のしくみが存在するからこそ、それを変えるには法の制定が必要なのであり、個人のおもいやりや心のありようだけで、問題は解決しないのです。

そして、法の制定・実施により、人びとの行動は変化します。これが法が制定される意義なのです。

法により、人びとの行動が定式化されるのです。人権教育はそのことを、児童生徒が学習することでもあります。

学校教育の中では、道徳教育の充実と人権教育の推進の両方が大切です。

体験は大切 友だちから学び、友だちに教える

2021年09月02日 10時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ
最近、生活体験が少ない子が増えたというのが、わたしの印象です。

自然と直に触れ合った経験が乏しい子。

「えっ、なんでこうなるの」と疑問をもったり、「おもしろいなあ」と感じる体験が、子どもの育ちには必要です。

VRの世界、映像の世界、ゲームの世界を否定はしません。

すばらしい体験ができるのは、よくわかります。

でも、それに加えて、友だちとの関わり合いの体験をもつ必要があるのです。

子どもはとくに小学生時代に同世代の友だちとたくさんのかかわりをもつべきです。

前思春期の子どもは、友だちから学び、友だちに何かを教えることが、発達上の目標です。

それが大人になったとき、人と交流し、社会で自分の価値を発揮する基礎となります。

友だちとたくさん遊べば遊ぶほど、自分の人生を切り開く人になれます。

つまり、人とうまくかかわることができるのです。

「わたしの家の子は、サッカーチームに入れているから大丈夫です。」

こうおっしゃる親御さんがいます。

そうでしょうか。

その活動は、友だちとの遊びのかわりにはなりにくいのです。

もちろんチームによっては、選手が自分の力を発揮できるような指導を行うコーチがいます。


しかし、低学年の子はまだ、ひとつずつ「こうしなさい」と指導する年齢です。

コーチや監督が子どもに一つずつ指示して、勝つことが目標になると、子ども同士の自由な関わり合いや学び合いはなくなります。

ただたんに遊ぶことが大切なのであり、大人からの指示の通り、行動したり活動したりするだけでは、人間関係を豊かに営むことにはならないのです。

第5の荒波の中始まった学校

2021年09月01日 07時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新型コロナウイルスの第5波が、全国的に学校での感染を広げています。

ちょうど夏休みが明け、2学期の始まりを迎えた学校に、大きな「波」が押し寄せているのです。

メディアの報道によると、20歳未満の子どもが新規感染する数が急増しています。

8月17日からの1週間で3万人あまりが感染しました。これは4週前のじつに5.5倍でにもなります。

大阪府でも、子どもの感染は増えており、各自治体でも感染児童生徒が出たという情報が各学校から教育委員会に届きます。

感染源は、部活中が多いと言われ、部活の制限、部活中の会話をしない、同じ場所で生徒同士がいっしょに食事をとらない、更衣室で密集しないなどの対策を徹底するように、学校は求められます。

また、大阪府では2学期、なかでも9月に予定していた修学旅行を延期するようにきめました。

このような状況ですが、文科省は去年のように全国一斉休校をするには慎重な姿勢をとっています。

それは、学習の遅れへの懸念はもちろんのこと、子どもの人間関係や共働き家庭の保護者への影響が、前回あまりにも大きかったからです。

小さい子がいる家庭では、母親が仕事をやめざるをえなくなったという現実がありました。

政府は、前回唐突に全国一斉休校を宣言しましたが、これほどの影響を熟慮して休校を決めたのではなかったように思います。

いまの日本社会では、学校があるかないかを軸にして、親の就労がまわっているという現実を突きつけることになりました。

それでも一方では、わが子を学校に行かせることを不安に思う保護者もいるというのも事実です。

文科省は、8月27日に指針を出しました。

学校では、一つの学級で複数の感染児童生徒が出たら学級閉鎖、複数の学級閉鎖が出たら学年閉鎖、複数の学年閉鎖が出たら臨時休校を検討するよう、都道府県教育委員会に示しました。

都道府県教育委員会からは、各市町村教育委員会に同様の措置が示されます。

それを受けた学校は、知恵を出し合い、感染防止に努めていく必要に迫られています。