昨日は極寒の中、午前も午後もお出かけし、ブーツが湿りに湿ってしまった。
防水スプレーの効果なんてとっくの昔に消えてしまったのでしょう。
ってなわけで、今日はブーツを乾かさねば!と思い、古新聞を引っ張り出して、ちぎって丸めてブーツの中に突っ込んで、外に干してみましょう・・・・
そう思って古新聞を拡げていたら目に入った記事それが「生きている図書館」の記事だ。
「生きている図書館」はこのように機能する。
以下、朝日新聞2008年6月28日の記事より引用
元マフィア、移民、性転換者・・・・。市民がふだん近づきにくいと感じている人たちを図書館に招き、話を聴きたい入館者に「本」として貸し出す。「生きている図書館」と名付けられた活動が欧州から世界各地に広がっている。社会の偏見を少しでも減らす試みだ。(引用終わり)
そして、記事の中で紹介されていたサイトにアクセス。欧州会議の人権教育関係サイトだった。フランス語表示に切り替えて、「生きている図書館(La bibliotheque vivante)」の要約を見つけた(以下サイトより引用、日本語訳は、わたしの超アバウトな訳でございます)
La Bibliothèque vivante fonctionne exactement de la même façon qu'une bibliothèque classique : les lecteurs viennent y emprunter un livre pour une durée limitée.
「生きている図書館」は正統的な図書館と全く同じように機能する、読者はそこに来て本を借りる、期限付きで。
Mais il y a une différence. Les livres de la Bibliothèque vivante sont des êtres humains et, entre eux et leurs lecteurs, un dialogue va s'installer.
ただし、ひとつだけ違いがある。「生きている図書館」にある本は人間そのものなのだ、そして彼らと読者の間に会話が始まる。
Les Livres sont des personnes qui représentent des groupes fréquemment confrontés à des préjugés et à des stéréotypes, souvent victimes de discrimination et d'exclusion sociale.
そこにある本は、偏見や型どおりの考え、しばしば差別や社会からの排除に直面している人々を代表している人なのである。
Dans la Bibliothèque vivante, non seulement les Livres ont la parole, mais ils peuvent répondre aux questions du lecteur, voire lui poser des questions et ainsi apprendre, eux aussi.
「生きている図書館」で、本は発言するだけではなく、読者の質問に答えることもできるし、さらに読者に質問をすることもある、彼らもまた学んでいるのだ。
La Bibliothèque vivante fait partie de la méthodologie du programme jeunesse du Conseil de l'Europe consacré à l'éducation aux droits de l'homme.
「生きている図書館」は欧州会議が人権教育のため、若者向けに行っているプログラムの一部である。
L'idée à l'origine de ce programme est que les droits de l'homme ne peuvent être défendus par les seuls instruments juridiques ; chacun d'entre nous doit les protéger et les promouvoir.
このブログラムの原点は人権は法的にのみ守られるのではなく、我々一人ひとりがそれを守り、発展させなければならないという考えである。
Pour encourager les citoyens à réfléchir à leurs propres droits humains et à ceux des autres, il faut les sensibiliser à l'importance de ces mêmes droits pour tous.
人々が自分と他者の人権を熟慮するように仕向けるために、すべての人には同様の権利があるということに関心を持たせなければならないのだ。
(引用終わり)
朝日新聞にはケルビズム症という病気にかかった女性が、本として、その本を借りた読者を相手に話しをしているところの写真が載っていた。この病気は顎の骨が異常に発達してしまい、同時に目が飛び出てしまうのが症状だ。写真の女性は「普通とは違う」顔つきだった。(実はこの写真がわたしの目を引いたのだ。)
彼女は自分は内気ではないし、親を恨んでもいない、と読者に語りかける。
「生きている図書館」のキャッチフレーズはこうだ
La couverture ne fait pas le livre(表紙で本は決まらない)
そう、人は見た目ではないのだ。
どのような環境(政治的、宗教的、経済的)にいようとも、どのような身体的状態にあろうとも、問題はその人の人間性だ、ということを言っている。
人間性で響きあうことのできる人間になりたいものである。
防水スプレーの効果なんてとっくの昔に消えてしまったのでしょう。
ってなわけで、今日はブーツを乾かさねば!と思い、古新聞を引っ張り出して、ちぎって丸めてブーツの中に突っ込んで、外に干してみましょう・・・・
そう思って古新聞を拡げていたら目に入った記事それが「生きている図書館」の記事だ。
「生きている図書館」はこのように機能する。
以下、朝日新聞2008年6月28日の記事より引用
元マフィア、移民、性転換者・・・・。市民がふだん近づきにくいと感じている人たちを図書館に招き、話を聴きたい入館者に「本」として貸し出す。「生きている図書館」と名付けられた活動が欧州から世界各地に広がっている。社会の偏見を少しでも減らす試みだ。(引用終わり)
そして、記事の中で紹介されていたサイトにアクセス。欧州会議の人権教育関係サイトだった。フランス語表示に切り替えて、「生きている図書館(La bibliotheque vivante)」の要約を見つけた(以下サイトより引用、日本語訳は、わたしの超アバウトな訳でございます)
La Bibliothèque vivante fonctionne exactement de la même façon qu'une bibliothèque classique : les lecteurs viennent y emprunter un livre pour une durée limitée.
「生きている図書館」は正統的な図書館と全く同じように機能する、読者はそこに来て本を借りる、期限付きで。
Mais il y a une différence. Les livres de la Bibliothèque vivante sont des êtres humains et, entre eux et leurs lecteurs, un dialogue va s'installer.
ただし、ひとつだけ違いがある。「生きている図書館」にある本は人間そのものなのだ、そして彼らと読者の間に会話が始まる。
Les Livres sont des personnes qui représentent des groupes fréquemment confrontés à des préjugés et à des stéréotypes, souvent victimes de discrimination et d'exclusion sociale.
そこにある本は、偏見や型どおりの考え、しばしば差別や社会からの排除に直面している人々を代表している人なのである。
Dans la Bibliothèque vivante, non seulement les Livres ont la parole, mais ils peuvent répondre aux questions du lecteur, voire lui poser des questions et ainsi apprendre, eux aussi.
「生きている図書館」で、本は発言するだけではなく、読者の質問に答えることもできるし、さらに読者に質問をすることもある、彼らもまた学んでいるのだ。
La Bibliothèque vivante fait partie de la méthodologie du programme jeunesse du Conseil de l'Europe consacré à l'éducation aux droits de l'homme.
「生きている図書館」は欧州会議が人権教育のため、若者向けに行っているプログラムの一部である。
L'idée à l'origine de ce programme est que les droits de l'homme ne peuvent être défendus par les seuls instruments juridiques ; chacun d'entre nous doit les protéger et les promouvoir.
このブログラムの原点は人権は法的にのみ守られるのではなく、我々一人ひとりがそれを守り、発展させなければならないという考えである。
Pour encourager les citoyens à réfléchir à leurs propres droits humains et à ceux des autres, il faut les sensibiliser à l'importance de ces mêmes droits pour tous.
人々が自分と他者の人権を熟慮するように仕向けるために、すべての人には同様の権利があるということに関心を持たせなければならないのだ。
(引用終わり)
朝日新聞にはケルビズム症という病気にかかった女性が、本として、その本を借りた読者を相手に話しをしているところの写真が載っていた。この病気は顎の骨が異常に発達してしまい、同時に目が飛び出てしまうのが症状だ。写真の女性は「普通とは違う」顔つきだった。(実はこの写真がわたしの目を引いたのだ。)
彼女は自分は内気ではないし、親を恨んでもいない、と読者に語りかける。
「生きている図書館」のキャッチフレーズはこうだ
La couverture ne fait pas le livre(表紙で本は決まらない)
そう、人は見た目ではないのだ。
どのような環境(政治的、宗教的、経済的)にいようとも、どのような身体的状態にあろうとも、問題はその人の人間性だ、ということを言っている。
人間性で響きあうことのできる人間になりたいものである。
「生きている図書館」のこと初めて知りました。そして、心に響きました。原語から訳して下さってありがとう。そして、教えてくれてありがとうございます!
私も、古新聞をひっぱり出すまでは、全然知りませんでした。
人権ということに関しては、日本は教育熱心ではありませんよね。
小中学校で人権に関する教育を受けた覚えがありませんし、大学でも人権教育の必要性、方法などを学んだ記憶が(一応教育学部だったのですが)ありません。
きっと私がサボっていたのでしょう(汗)
実際に「生きている図書館」の本の集め方、本の存在の仕方、読者のスタンスなど、運営には試行錯誤の連続なのでしょうね。
でも、その中で人権尊重意識がますます深く大きくなるのでしょう。
ヨーロッパでの「生きている図書館」で人気のある「本」は、元フーリガン、元ネオナチ、元マフィア、だそうです。日本でやったらどんな「本」が人気になるのでしょうかね?
以前NHK BSのこだわりライフヨーロッパという番組でこの「生きている図書館」という活動がヨーロッパで活発になっているというのをやっていて、とても興味深かったです。
http://www.nhk.or.jp/bs/eurkodawari/2008.html#200812061810
BSの番組教えてくださってありがとうございます。ヨーロッパのいろいろな動きが分かる番組みたいですね。わたしもこれから観てみたいと思います。
suzuranさんもヨーロッパのことにいろいろと関心がおありなんですね。
また、ここのブログにもときどき遊びに来てくださいね~。殆ど猫話しですけど(汗)
「生きている図書館」のこと、私も関心があります。おもしろい試みですよね。それについて、自分のブログでもちょっとだけ書いているので、勝手にここで紹介させてください。
http://kaerukaeru999qqq.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_7eb2.html
http://kaerukaeru999qqq.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/the-living-libr.html
さて、えふさんのブログへのリンク表示くださってありがとうございます。
PDFファイルで新聞紙面も参照できて、大助かりです。
さてさて、万が一、自分に子供がいたとして、その子がそういう病気だったりして、「生きている図書館」に参加するのだと言われたらどう思うだろうか・・・
仮定が多すぎて、ズバリの答えが出せません。
突拍子もない言い分かもしれないのですが。
(なにせ、出産経験がないので・・・・)
自然分娩が主流の日本で、いわゆる「このお腹を痛めて産んだこの子」に対する感情と、無痛分娩が主流のフランスで産んだ子供に対する母親の感覚って違うものなのでしょうか?
どっかで読んだんです。(どこでだ?)
「赤ちゃんはすきだけど、ずっとずっと一緒にいて自分の時間をとられすぎるのはいや」というお母さんがフランスには多いと、だから早いうちから寝室も別々なのだと。
日本なんて、子供が「1人部屋が欲しい」と言い出すまでは親子川の字に寝るのが普通ですもんね。
で、何を言いたいかというと、「本」になるような病気などを持った子供を、日本の母親は囲い込んでしまって外の世界には出したがらないのではないのかな?ということです。
昨日もお母さんと2歳4歳の子供の無理心中がありましたよね。
お母さんは子供を自分の分身を思っているのかなぁ。
いや~~~、一度でも出産したら分かる感覚なのかなぁ~~~。
もちろん図書館にはいろいろなジャンルの「本」があるということは分かっているのですが。
日本でも試みられているのですね。
また何か動きがあったら、ブログで取り上げてください、宜しくお願いします
ご丁寧なお返事めるぃぼくぅ~。
無痛分娩で産後のそのエリアのケアも保険でバッチリって話だと、この本かなぁ?
『パリの女は産んでいる―“恋愛大国フランス”に子供が増えた理由』
私は単純に痛くなくて楽であるほうが、2人目も産もうかなって思いやすいんじゃないかと思いますが、わかりません。たぶん、女も母もいろいろで、産んでも産まなくてもわかることはわかるしわからないことはわからないような気がします。って、意味不明ですかね。
まぁ、文化とかがかなり大きく規定するんだと思うんですが。フランスでは、いつまでも夫を男性として魅了しつづけなければならないというプレッシャーが妻にはあるんじゃないかと思うんですが、違いますかねぇ?あと、大人の空間に子どもは同伴しちゃダメ、みたいな。
living bookとして、自分からやりたいっていうんだったら、やってみればいいと思うんですが、親が無理やり行かせたりするのは問題が起きそうな気がしますね。日本では、障害児のノーマライゼーション問題で、「普通学校」に親が行かせたくて子どもは苦労するっていうのがあるみたいです。これは、簡単に、ブログに書きました。よかったら、ご覧ください。
http://kaerukaeru999qqq.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-eac9.html
続報があれば、またブログで取り上げますね~。
教員をしていた時代に、担任したクラスにほんの少し知恵遅れの生徒がいました。
心身発達障害を持つ生徒のためのクラスも、その学校にはあったのですが、親御さんは普通学級に入れたがったのでしょう。私が赴任したときはすでに2年生の4月でしたが。
授業は理解できていなかったでしょう、各教科の先生がつけてきた成績を見ればわかります。
クラスの中では半分からかいの相手でしたが、反面、その子のおっとりとした無垢な性格もあって、ほかの生徒たちも、何かと庇ったり守ったりもしてあげていました。
そのような生徒が高校受験を迎えたとき、親御さんが群馬県の方の全寮制の学校を見つけてきて、そこに入学しました。
教員になったばかりの私にとっては、進学先の心配をしなくて済んで助かった、ぐらいにしか受け止めなかったのですが、親御さんとしては、「せめて高校卒業の資格ぐらいは」と思って必死だったのかもしれません。
よく「障害を持っているということもその子の1つの個性だ」と聞きます。
これを自分の子に対して言える親は、それまで長い道を通って学習してきたのではなかと想像します。
自分の子がそうなったら、それこそ子供と2人3脚(両親いれば3人4脚)で悩んで闘って学習して乗り越えて・・・なんて書くのは簡単ですけど、社会がもっと学習して寛容になったら、みんなもっと楽になるような気がします。
ところで、首都高から見える、ビルの屋上の看板。
とある看板に「障がい者スポーツを支援する・・・云々」というものがありました。
いまどきは「障害」と害を漢字にすることがタブーになっているのですか?
「障害」ですけども、日本では「当用漢字」とか「常用漢字」を決めていると思うのですが、戦後のこの告示までは、もともと「障碍」と書いていました。「碍」は別のもっとむずかしい感じを簡単にしたものだそうですが(これ→「礙」)、このときは、「さわりがある人」くらいの意味で、「害」があるというような意味ではなかったとか、聞きかじった覚えがあります。
「害」を使うのには批判があると思うので、最近は「障がい」と書くのかも。
曖昧な知識ですみません。
最近あったかくなってきたね・・・はまたね!ってことで、碍、勉強になりました。
「行くてをさえぎるように見える石をあらわす」漢字だそうです。電子辞書で調べました(汗)
障碍が本当なんですね。
害とかくと、公害とか損害とか害虫とかすご~く悪いイメージです。
これからは障碍と書くことにしようと思います。
ありがとうございました。