みどりの野原

野原の便り

9月14日 山田道周辺

2012年09月14日 | Weblog
今日の集合地は乗り換えなしで行ける近場。

「山田道」とは案内書によると『桜井市安部~明日香村雷を経て飛鳥川を渡って近鉄橿原神宮前駅の東側に至る。横大路や上ツ道・中つ道・下つ道などと共に官道の1つ(一部を抜粋)』
史跡では説明があった。私は例によって途中でも植物に気をとめながら歩く。

大福駅から南へ。
周りはまだ田んぼの残る道を歩いて・・

吉備寺廃寺跡


池の南側で行われた発掘により大規模な伽藍跡が見つかり、ここは639年天皇の発願による最初の寺院「百済大寺」と見られている。
歌碑が2つ立つ 大津の皇子の辞世の歌と、皇子がなくなった後、姉である大来皇女が大津皇子を思う歌。
今の静けさからはどろどろとした政争が想像がつかない。

池の向こう側で水を汲んでトラックに移しているのは何をしているのか気になったが、ぐるっと1周してそばを通った時謎が解けた。ここは金魚の稚魚を養殖していて、出荷準備をしていたようだ。


カマキリがいたので捕まえて見たら胸にオレンジ色の斑があった。チョウセンカマキリだ。つかまれて反抗したカマの先が手に刺さって血が滲んだ。

道路横の田んぼや休耕田を見ながら歩く。

 
     ヒレタゴボウ       ホソバヒメミソハギ

安部寺跡

 
安部一族の氏寺の跡らしい。広い。

すぐ近くに安部文殊院 

 
知恵の神様として有名。近頃はお願いすることもない。右)文殊院西古墳 切り石で作られた整った石室で、時代は新しいのかと思ったが、飛鳥時代のものらしい。説明板に「古墳内部の美しさは日本一の定評がある」と書いてあった。

コスモスの迷路を一巡 


サクラの木にいっぱい毛虫が付いていた。帰ってイモムシハンドブックを見てみた。モンクロシャチホコ(蛾)の老齢幼虫らしい。そういえば赤っぽい弱齢幼虫もいた。

途中の畑にきれいなブルーの花が咲いていた
 
。近寄ってみたらシカクマメの花で、ヒレのある豆もできていた。
南の島で食べたことがある。最近ではこの辺でも育つような品種ができているらしい。
一緒に歩いていた人が「畑で作ってるよ。芋もできる」と言われた。芋?初めて聞いた。

ヤブマメの閉鎖花のようなものなのか? 帰って調べてみたら、芋らしい形をしていた。
そして「シカクマメは花も葉も熟した豆も地中の芋も食べられる」と書いてあった。 へ~~。芋食べてみたいなあ。

次は香木から数珠を作っておられる工房を見学。全国でも数軒だという。

 
今はワシントン条約で手に入らなくなったというインド産の最高級の老山ビャクダンの原木 別名サンダルウッドはどこかで聞いたことがある。  右)板にしたもの。

 
板から穴を開けた球が1つ1つくりぬかれる。板を無駄のないように・・   
                右)くりぬいた後の板。

それはどうするのかな? 想像した通り刻んでお香に、削りくずは線香にと無駄にはしない。

 
くりぬいた玉は1つ1つバリを取り磨くと出来上がり。糸に通した状態で出荷され、数珠に加工される。         右)できた数珠   
それはいくらしますの? これは? 値段の質問が多いのがおもしろかった。
珍しい工程を見せてもらっておもしろかった。

 
途中の畑のフォックスフェイス 花と実

山田寺跡


蘇我入鹿の従兄弟の蘇我山田石川麻呂が造営したが、反逆の罪を着せられて自害した場所でもある。政権争いは恐ろしい。
発掘で伽藍配置もわかり、東面の回廊が倒壊したままの状態で見つかっている。

奥山久米寺跡
創建などよくわかっていないらしいが 発掘調査で市天王寺様式を持つ大寺院であったと推定されるらしい。

もう1か所と言う頃、雲行きがあやしくなり遠くで雷の音も聞こえたため少し早めに終了となった。


ヒガンバナがぽつりと咲いていた。もうすぐお彼岸だ。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする