招待券をもらったので行ける日にと「頼朝と重源」特別展を見に行った。
治承4年12月28日(1180年)に平清盛の命を受けた平重衡ら平氏軍による南都焼討により東大寺大仏殿も炎上、大仏も頭は落ち、体は溶けて小山のようになったという。
その時の様子を記録したまたは聞き書きした書物が残っていた。
墨で書かれたその書物や文書を読めればもっと生々しく感じたのかもしれない。簡単な解説文だけを読んでいった。
後白河法皇の援助のもと、仏法再興・東大寺再興に力を尽くした重源の活躍と、後白河法皇亡き後、資金や物的・人的な援助で再興を支えた源頼朝の働きなどをたくさんの資料と展示物で紹介されていた。
建物や仏像というものだけではない仏法の再興というすごいエネルギーを感じた。
大仏の設計図のような図面が興味をひいた。
そして、再興がうまく進むようにと伊勢神宮?八幡宮?だったか神社に何回も参拝したとかで、今と違って寺と神社がもう少し近い関係にあったのかなあとも思った。
混雑はしていなかったのでゆっくり見れたが、展示物も多く、 常設展も見たので少々疲れた。
まだ若い1本角のシカ・枝角もまだ袋角だ。
右)雷と土砂振りの雨も帰る頃にはすっかり上がった。
治承4年12月28日(1180年)に平清盛の命を受けた平重衡ら平氏軍による南都焼討により東大寺大仏殿も炎上、大仏も頭は落ち、体は溶けて小山のようになったという。
その時の様子を記録したまたは聞き書きした書物が残っていた。
墨で書かれたその書物や文書を読めればもっと生々しく感じたのかもしれない。簡単な解説文だけを読んでいった。
後白河法皇の援助のもと、仏法再興・東大寺再興に力を尽くした重源の活躍と、後白河法皇亡き後、資金や物的・人的な援助で再興を支えた源頼朝の働きなどをたくさんの資料と展示物で紹介されていた。
建物や仏像というものだけではない仏法の再興というすごいエネルギーを感じた。
大仏の設計図のような図面が興味をひいた。
そして、再興がうまく進むようにと伊勢神宮?八幡宮?だったか神社に何回も参拝したとかで、今と違って寺と神社がもう少し近い関係にあったのかなあとも思った。
混雑はしていなかったのでゆっくり見れたが、展示物も多く、 常設展も見たので少々疲れた。
まだ若い1本角のシカ・枝角もまだ袋角だ。
右)雷と土砂振りの雨も帰る頃にはすっかり上がった。