みどりの野原

野原の便り

9月21日 正倉院整備現場 見学

2012年09月21日 | Weblog
友達が申しこんでくれて当選したというので、正倉院の修理現場を見学してきた。
主人も申しこんだようだが「外れ」で、残念がっていた。聞くと4倍もの申し込みがあったそうだ。
そう思えば見学できたのはラッキーなことで、申しこんでくれた友達に感謝。

さて、有名な正倉院だが、恥ずかしいことにしっかり見たことはなかったのでいい機会だった。
受付には身分証明書必要で、「私の代わりにお父さん」とはいかない。

正倉院正倉は『奈良時代創建の東大寺の倉庫の1つ』だったが今残るのは正倉院の1棟のみだそうだ。
聖武天皇の遺品を治められた「北蔵」・その他の宝物を収めた「中倉」・「南倉」
宝庫は3室に仕切られ中で行き来はできない。
特に北倉は開けるには天皇の許可が必要で、後に中倉・南倉も勅封倉となった。
今は宮内庁の管理となり宝物は大切に保護されてきた。国宝に指定されている。
奈良の文化財の1つとして世界文化遺産でもある。
宝物は現在は正倉の他に東西2つの2つの宝庫に分けて保管されている。

 
      正面から入る。   高床式・校倉造 通気がよく宝物の収蔵には適していた。

屋根瓦が外される様子などのビデオを見た後、階段を上がる。
3つの部屋が目の前に。
南倉と中倉は扉は閉じられ、北倉だけが開いていた。

 
中倉の海老錠 天皇の書かれたものが封入されているらしい。 右)海老錠の見本。中倉のみ校倉ではなく、板壁

 
北倉は中を見れた。 手前の階段・奥の白く見える柱は後年のもの。古いハシゴは蹴込みの狭い手すりのないものだ。 

右階段を登る。

 
工事中、風雨から保護するための素屋根が覆っている。 目の前に見る屋根は大きい! 

この階では屋根の構造や瓦についての展示があった。


小屋組みの模型  建築用語が並ぶ 
 
古代の瓦の作り方

 
「樽巻き作り」樽形の成形台の周りに粘土を剥がしやすくするための布を巻き付けた上に粘土板をぐるっと巻き付け叩き、4枚に縦割り。 その後変わった「1枚作り」は布を敷いた形に粘土を付け、縄を播いた棒で叩き締める作り方。

 
そのように作られた瓦には布の形、縄の形が付く。その後の瓦は布目や縄目が削られたりしてなくなったりするので、その特徴を見れば製作年代がわかるらしい。天平の瓦には木型の跡や布目や縄目があるそうだ。

 
「鬼瓦」と「鳥衾」 「南西の2の鬼瓦 慶長8年(1603年)」などと説明書きがある。。瓦の横にへら書きが見えた。
「鳥衾」は鬼瓦の上に取り付けるものらしい。鳥の衾?鳥の布団?どう言う意味か尋ね忘れた。
調べてみたら、『「鳥休み」「雀瓦」とも言い、鬼瓦に鳥が止まったり糞をかけたりしないようにするため、鳥の止まる場所として作られたもの』だとか。なるほど~。


鬼瓦に鳥衾が乗った写真が展示されていた。

少し降りたところは屋根の周りを1周できるようになっていた。
手が届く距離に大屋根がある。大迫力。 丸瓦・平瓦や土が取り除かれて今は全面板がむき出しだ。
その板屋根も西側は東の面よりも板のササクレが目立つ。

降ろした瓦は使えるものは利用し、傷んで使えないものは天平の瓦を参考に新たに作られるそうだ。
半数は作り替えになるらしい。尋ねると、古い瓦は日当たりがよく風通しの良い南・東に集めて葺くとか。
ここでも姫路城と同じで平群の瓦屋さんが製作されるらしい。すごいな。

 
曲線が美しいが瓦を葺くのは難しそう。 西北の角は銅板が貼られていた。大正の修理の時のものらしい。 

創建当初から何回も修理され、大正の修理では全面解体修理が行われたという。それから100年経っている。 
 

宝物が納められている宝庫の1つ東宝庫

まじかに見た屋根は迫力満点だった。
コメント
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