埴輪についてお話を聞いた。
埴輪の始まりについては、殉死の代わりに埴輪を置いたという垂仁天皇や野見宿禰の話(日本書紀)を聞いたことはある。
・・が考古学としては、弥生時代後期後半の吉備を中心に分布する「特殊器台」が埴輪の起源だそうだ。
(吉備と出雲、行き来はあったことは考えられる)
特殊器台という言葉は初めて聞いた。(物知らずで・・)
特殊器台とは普通の器台(上に皿や壺などを乗せる)が、だんだん装飾性と大型化が進んだもので、首長の埋葬祭礼に使用されたらしい。
それが形も単純化して円筒埴輪や朝顔形埴輪になる。
4世紀になるとその流れとは別に家型埴輪。また盾や蓋(きぬがさ)・靭(ゆぎ=うつぼ)・翳(さしば)や甲冑などが出現する。
太刀や盾を持った人 船の埴輪も。
家形埴輪は亡くなった人が住んでいた又は死後の住居を表現していて、当時の建物を知る手がかりとなる。
盾や蓋・靭・翳・甲冑・・埴輪はなくなった人の権威を表している。
顔に入れ墨をした人 盾を持つ人 馬を引く人 楽器を持つ 巫女・・人物埴輪はそのころにいた人々を再現している。
動物埴輪の内でも「鶏形埴輪」は早い段階から出現しているそうだが、なぜ鶏が「死者の再生に関わるのか?
水鳥形埴輪がなぜ「死生観を表す」のかよくわからない。
その他の動物埴輪 イノシシ・イヌ・シカ・ウマの埴輪。
デフォルメされているがそれらしく見え可愛い。
ただ、馬の尻尾が短く上向いているのがなぜかな?
動物埴輪の「胴体に空いた穴」これは何かなと思っていたら、後で質問が出て、棒を通して持ち運んだりしたのかも・・ということだったが、大きさはどんなものだったのか?
ネットで、穴は内側まで火が通るようにしたのかという記事があった。
埴輪は前方後円墳の広がりとともに全国に広がり、前方後円墳と共に消えていった。
後の質問の回答からは、埴輪は初めは土器を作る延長上で作られ、窯はなく古墳を作る人が野焼きで埴輪も一緒に作っていたがだんだん工人といわれる専門職も出てきたらしいこと。大和古墳群(おおやまとこふんぐん)あたりで作られていたのだろうとのこと。
いろんなことを聞いたが、まとまらない・・
お話の中にあった赤土山古墳というところに行ってみたくなった。機会があれば・・
埴輪の始まりについては、殉死の代わりに埴輪を置いたという垂仁天皇や野見宿禰の話(日本書紀)を聞いたことはある。
・・が考古学としては、弥生時代後期後半の吉備を中心に分布する「特殊器台」が埴輪の起源だそうだ。
(吉備と出雲、行き来はあったことは考えられる)
特殊器台という言葉は初めて聞いた。(物知らずで・・)
特殊器台とは普通の器台(上に皿や壺などを乗せる)が、だんだん装飾性と大型化が進んだもので、首長の埋葬祭礼に使用されたらしい。
それが形も単純化して円筒埴輪や朝顔形埴輪になる。
4世紀になるとその流れとは別に家型埴輪。また盾や蓋(きぬがさ)・靭(ゆぎ=うつぼ)・翳(さしば)や甲冑などが出現する。
太刀や盾を持った人 船の埴輪も。
家形埴輪は亡くなった人が住んでいた又は死後の住居を表現していて、当時の建物を知る手がかりとなる。
盾や蓋・靭・翳・甲冑・・埴輪はなくなった人の権威を表している。
顔に入れ墨をした人 盾を持つ人 馬を引く人 楽器を持つ 巫女・・人物埴輪はそのころにいた人々を再現している。
動物埴輪の内でも「鶏形埴輪」は早い段階から出現しているそうだが、なぜ鶏が「死者の再生に関わるのか?
水鳥形埴輪がなぜ「死生観を表す」のかよくわからない。
その他の動物埴輪 イノシシ・イヌ・シカ・ウマの埴輪。
デフォルメされているがそれらしく見え可愛い。
ただ、馬の尻尾が短く上向いているのがなぜかな?
動物埴輪の「胴体に空いた穴」これは何かなと思っていたら、後で質問が出て、棒を通して持ち運んだりしたのかも・・ということだったが、大きさはどんなものだったのか?
ネットで、穴は内側まで火が通るようにしたのかという記事があった。
埴輪は前方後円墳の広がりとともに全国に広がり、前方後円墳と共に消えていった。
後の質問の回答からは、埴輪は初めは土器を作る延長上で作られ、窯はなく古墳を作る人が野焼きで埴輪も一緒に作っていたがだんだん工人といわれる専門職も出てきたらしいこと。大和古墳群(おおやまとこふんぐん)あたりで作られていたのだろうとのこと。
いろんなことを聞いたが、まとまらない・・
お話の中にあった赤土山古墳というところに行ってみたくなった。機会があれば・・