田原本からとぎれとぎれに残る太子道をたどりながら、川西町 三宅町あたりまで歩く。
何カ所かは、以前にも来ている。
久々に15000歩歩いた。
田原本 黒田池畔(左が池)モモの植樹
木の下に実(核)がたくさん落ちていた。
孝霊神社(別名 廬戸(いおと)神社)孝霊天皇を祀る。
『元は孝霊天皇の 廬戸宮が営まれた「法楽寺」境内にあった鎮守社。
明治の神仏分離で法楽寺境内から黒田池畔に遷座』
前の道は太子道
地蔵堂 古い道沿いとあって、道端に地蔵堂や太神宮灯籠などが多い。
コンクリート屋形のお堂に入った地蔵
西国33番霊場の観音菩薩 融観寺の隣 (三宅町)
かつて杵築神社境内にあった安樂寺(廃寺)に祀られていたもの。
昭和9年に現在地へ。
延寿院(地蔵堂) 三宅町
伴堂 杵築神社 祭神は素戔嗚尊
杵築神社はあちこちにある。
市杵島姫命神社 杵築神社に隣接する。
木抱かれ地蔵。昔はエノキの幹に抱かれるように巻き込まれていたらしい。
工事柵アニマルガード 今年の干支「トラ」だ。
本尊 薬師如来
東口地蔵
式内 比売久波神社(ひめくわじんじゃ)(磯城郡川西町)
上の「式内 比売久波神社」の標石?の左側に「サイフォン水路の跡」らしいものがあった。少し奥にも続きがある。
参道を行くと・・
島の山古墳の周濠 来る途中家の間から見えた水。
集合の上にはみ出した民家は水上の家の雰囲気だ。
島の山古墳
説明板によると「4C末~5C初め築造の前方後円墳 3段築成
発掘調査で粘土槨や造り出しが検出され、出土品もあった」という。
濠の奥にはマガモやハシビロガモが休んでいた。
比売久波神社(ひめくわじんじゃ)島の山古墳に隣接している。
シナヒイラギ
キンギョツバキがあった。
通りかかった別の場所にも「サイフォン水路 跡?」らしいものあり。
調べても出てこない。ご存じの方、教えてください。
腰折れ地蔵 享保13年の文字あり。
八ヶ郷墓地の近くにある「寺の前古墳」 三宅古墳群の1つ。
5C代後半の前方後円墳 裏側に少し方形部分のようなものが残っている。
周濠は形そのまま田んぼになっている。可愛い。
前にも来たことがある。
近くには古墳と思われる「高み」があちこちにあった。
「請堤みたいやね」と言いながら歩いていると遠くに看板らしきもの。
見に行く。
「名号水請堤(みょうごすいうけづつみ)」の説明板だった。当たり!
「請堤」とは本来の堤防の外側に作られたもう一つの堤防のこと。
「屏風・唐院・保田を水害から守るために造られ、堤防の高さ約6.8mと定められ、水害が起きた時は関係の村々によって堤を修復することになっていた」(説明板)
三宅町は飛鳥川・曽我川・・などが通っている。
今は河川改修なども行われているが、昔は洪水の被害も度々あったのだろう。
シャチホコ付きの立派な屋根のお堂
帰路、冠雪した遠くの山(大峰山系?)が見えた。
出発時間が遅かったので帰りは夕日と競争。やや負けた。