梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

親の義務と子供の責任

2011-01-10 10:16:06 | 雑記
動物的に言うと親の義務は子が独立出来るまでに教えなければ成らないのは「餌のとり方」と「群れの掟」だろう、
大人に成るのはこれが出来て初めて独立出来たと言える、しかし時間を無制限に掛けられる訳ではない、
動物として言うと「繁殖可能に成るまでに」と言う事だ、餌もとれず群れに従う事も出来ないで繁殖行動を取られば「繁殖しか出来ない子孫」が続く事に成る、
「子」の責任は親としての資格を得る事は「餌の取り方」と「群れの掟に従う」事と次に自分が親になる事だ。
しかし人間と言う動物はもう少し複雑な社会行動を取るので動物としての繁殖可能年齢より少し多くの時間を掛ける、そして群れの掟にも有る「親の最後を看取る」と言う責任を負う。
しかし今の親達は「子」に自分で餌をとる方法を教えられないし「群れの掟」を守らせる事もしない、
人間社会と言う「群れの掟の制限の中での自由」を理解していない親が多い、
「子」は群れの掟の自分に有用な物だけを選択して使用する、群れと言う事を拒否しているのか或いは理解出来ない、
どんな動物でも群れの掟は存在する、群れ無いと言う猛獣のライオンでも同種の中では掟が有る、其れが弱肉強食だとしても餌が落ちているのを探す奴は居ないし、満腹になっても狩をするライオンも居ない、
しかし今の人間社会は喰い切れない程の餌持っていても未だ狩をする、其れも共食いである、
親は子に成すべき義務を果たすどころかあらゆる不都合は社会が悪いと言う理論を吐き続ける、その結果子は親を見ることを放棄すると言うより理解出来ない、餌のとり方を教えるのは大変かもしれないが少なくとも自分の餌は自分で取る事位は教える必要が有るだろう。
我々は野生動物ではない、しかしその義務すら守れない様になってしまった様だ、
野生動物と社会的動物である人間との違いで大きいのは思いやりと「笑い」だろう、喜怒哀楽と言う事が有る、高等なら動物でも「喜怒哀」までは持っているし「楽」に当たる物も生きる事に直接関係のない「遊び」も幾つかの動物には見られる、しかし「笑い」だけは人間しか持っていない感情であり表現だろう、
そして他の人の気持ちを自分に置き換えて感情を発露できるのも人間だけの特徴だろう、自分は人間で有ると言う自負が有るなら「楽」を楽しみ、「情」を育んで行きたいものだ。