生産年齢人口が老齢年齢人口を支えると言うのが元々の年金システムの趣旨だった筈だが、よく言われる「1人の受給者を3人の納入者が支える」と言うのは少し考えれば直ぐ破綻する事は明白だ、寿命が延びて平均年齢が80歳を超えて来れば需給年齢は65歳からとして20年間以上に成る、一方生産年齢は25歳から65歳までとして約40年だ、しかしこの内女性は子育て期間を15年と考えると実質25年しかない、この期間は教育・育児に掛かる金額が多くなり可処分所得が減少する、
しかし需給者は男女平等になっている、この間に至る間は平均すれば女性のフル稼働期間は10年程度、子育てが終えて再就職をしても所得水準は半分以下だ、20年間分の受給者を40年間の男性と金額ベースで恐らく半分以下に成る女性が支えるとしてこれを厚生省の言う1:3の需給対支給人数にすると述べで3倍以上の支払う人数が居る事に成る、
しかし人口ピラミットを見ると10年単位でピークは移動している、更に問題は老齢と共に医療費の増加だ、医療が発達すればそれだけ寿命は延びて行き更に収支バランスを圧迫する、収支バランスだけで言えば「高齢になっても病気にならず、なるべく早く死亡する」と言う事だけが支出の削減に成る(まあ、高齢者にしても其れは理想だが)。
もう一方の納入側で言えば死亡率が上がらない限り、人口を増やしてゆくしかない。少子化の改善が唯一の方法だ、
しかし、今の政治、社会と言った方が良いかもしれないが子供を育てるのにはかなり厳しい状況だ、いわゆるワーキングプアが増えて居る、子育てどころか住む家すら無い人口が増え続けている、老齢社会に「これからは高齢者にも負担をして貰わなければならない」と現政府は方針を振りだした、これでは将来に何の夢も持てない、子供を生み育てても過去の借金を背負わされ、歳をとっても稼ぎが無ければ食事どころか住む場所もままならない、しかし国は「自己責任だ」と言う、
自己責任が平等に取れるのは生まれた状況とは関係なく等しい教育を受けられ無いとならない、日本は学歴と言う物が無いと幾ら実力の有る人間でも舞台にすら上がれない国なのだ、一生懸命走ったら例えビリでも頑張っただけの評価は必要だ、自由競争経済ではマラソンと同じで必ず順位がある、それでも完走できれば評価しなれればならない、そしてスタート位置は全て同じで同じシューズを履いて走らなければ勝者は生れ落ちた境遇で決まってしまう。夢の無い人口比率が増え続ければ社会は根源的な部分で崩壊するかも知れない、今までの歴史上で有り得なかった崩壊が
しかし需給者は男女平等になっている、この間に至る間は平均すれば女性のフル稼働期間は10年程度、子育てが終えて再就職をしても所得水準は半分以下だ、20年間分の受給者を40年間の男性と金額ベースで恐らく半分以下に成る女性が支えるとしてこれを厚生省の言う1:3の需給対支給人数にすると述べで3倍以上の支払う人数が居る事に成る、
しかし人口ピラミットを見ると10年単位でピークは移動している、更に問題は老齢と共に医療費の増加だ、医療が発達すればそれだけ寿命は延びて行き更に収支バランスを圧迫する、収支バランスだけで言えば「高齢になっても病気にならず、なるべく早く死亡する」と言う事だけが支出の削減に成る(まあ、高齢者にしても其れは理想だが)。
もう一方の納入側で言えば死亡率が上がらない限り、人口を増やしてゆくしかない。少子化の改善が唯一の方法だ、
しかし、今の政治、社会と言った方が良いかもしれないが子供を育てるのにはかなり厳しい状況だ、いわゆるワーキングプアが増えて居る、子育てどころか住む家すら無い人口が増え続けている、老齢社会に「これからは高齢者にも負担をして貰わなければならない」と現政府は方針を振りだした、これでは将来に何の夢も持てない、子供を生み育てても過去の借金を背負わされ、歳をとっても稼ぎが無ければ食事どころか住む場所もままならない、しかし国は「自己責任だ」と言う、
自己責任が平等に取れるのは生まれた状況とは関係なく等しい教育を受けられ無いとならない、日本は学歴と言う物が無いと幾ら実力の有る人間でも舞台にすら上がれない国なのだ、一生懸命走ったら例えビリでも頑張っただけの評価は必要だ、自由競争経済ではマラソンと同じで必ず順位がある、それでも完走できれば評価しなれればならない、そしてスタート位置は全て同じで同じシューズを履いて走らなければ勝者は生れ落ちた境遇で決まってしまう。夢の無い人口比率が増え続ければ社会は根源的な部分で崩壊するかも知れない、今までの歴史上で有り得なかった崩壊が