梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

起立・国歌斉唱拒否と自由の話し

2011-01-29 07:47:47 | 雑記
教員の式典における起立国歌斉唱拒否に関しての懲戒について最高裁は「違憲とは言えない」と言う判断を下した、この事に関して原告のコメントは「天国から地獄」だと涙ながらに話したと新聞で見た。
私はこの事に疑問と大きな問題が有ると思う、先ず疑問に感じるのは彼らのアイデンティティには帰属する国家と言うものが無いのだろうか?有ったとしたらどう言う形なのかと言う事だ、
単一民族国家である日本人には国家と言う意識が余り具体的ではない。しかし他の国、特に多民族国家においては国家と言う単位は帰属する国家と言うアイデンティティが重要なファクターだ、エリアとしての国家を持たないユダヤ民族を考えれば其れが如何に重要か理解できる。他国の人々も帰属する国家を維持する事に誇りをもっている。経済的な国家維持以外に精神的な国家への帰属を国家への拠所として文明国は「国歌・国旗・国花・国鳥」等定め国家の独立性を表明している、其れは国際的なイベントを見ても必ず行われる国歌斉唱と国旗の掲揚を見れば解かる事で、これを犯されれば国際紛争まで紛糾する可能性すらある、
原告達はこの国歌斉唱と国旗掲揚を「不用な事」だと言っている様だ、曰く「又国歌を戦争に向かわせる」と言う事も言われている様だが帝国主義と国の象徴は直接関係はないだろう、そのメロディや歌詞が気に入らないならそう表明するのが正しい
しかし問題は彼らの言う「自由」の考え方とその立場である、自由民主主義といっても社会においては一定の制限を受けるのは当然の事である、国の制定したルールが気に入らないから守らない、と言うのは幼児の発想か反抗期の未成熟な発想だろう、
その未成熟の若者を成人として社会のルールを教えなければならない教育者が「自分のイデオロギーに反するから決まりがあっても守らない」と言う事を社会人としての旅立ちの場で行なうと言うのは全く言語道断だと言いたい、
極端な例だが「自分は車の左側通行はおかしいと思うので好きな方を走る」と言うのとなんら変わらない、若し国歌斉唱が憲法違反だと思うなら国民に同意を求め、或いは選挙に立って制度そのものを変え無ければならない、其れまではやはり車は道路の左側を走るべきである