昨日、事務所の入っているビルの北側に有るスキップになった屋上の水溜りに氷が張っていた、そう言えば霜柱も最近余り見なくなったがそれでも郊外や公園の植込みの中なんかに見かけることがある、必ず女房は「子供の頃良くやったね」と踏みつける。
田舎ではかなり長い霜柱が伸びてきて寒くなると麦踏をするのが冬の子供の役割だった、霜柱で浮き上がった麦の根元を痛めない様に斜めに押し込むように踏みつける、大抵毎朝家族全員でやる、寒かった筈なのだがなぜか結構楽しい思い出と言うか、風景的に覚えている。
霜柱と言う言葉を聞く度に思い出すことが有る。
私の母親はクリスチャンだった、洗礼名もあった様だが自分が育った田舎には当然教会なぞ無かったから礼拝に行事は無かったし父親はガチガチの無心論者だから有っても行けなかったかもしれない、しかし母と2人で居ると色んな話しをしてくれた、
針仕事をしながら賛美歌を口ずさんでいたりしたが御伽噺の替わりに話していた事はどうやら旧約聖書の話しだった物が多かった、「牧師さん」と言っていたのでプロテスタント系だったんだろう、その中でソドムとゴモラの話しがあった、町の名前は覚えていないが旧約聖書のダイジェスト版を見るとこの話しの様だ、
「丘に囲まれた2つの町の人達は酷く荒れていて有るとき神さまは全てを焼き尽くしてしまう事を決めた、その町にロトと言う敬虔な羊飼いが居た、神は彼に町に硫黄と火を降らせて焼き尽くす事を告げてロトとその家族、妻と2人の子供を連れて急いで町を離れるように告げる、その時神は町に未練を残してはいけない、もし一度でも振り返ったら”塩の柱”になる、と告げるが妻は耐え切れず振り返ったのでその場で”塩の柱”になってしまった。」と言う話しだった、その”塩の柱”を霜柱の間違いか、自分の聞き違いだろうとずっと理解していた、
母は私が10歳の頃乳癌で入院し、退院して半年で転移していた肺がんで死んでしまったので確かめる事も無かったのだが、先日電子ブックでダイジェストを読んだら確かに”塩の柱”だった、考えてみるとシナイ半島は砂漠の土地である、霜柱が有る訳も無い、思い込みと言うものは実に面白い物だ、
田舎ではかなり長い霜柱が伸びてきて寒くなると麦踏をするのが冬の子供の役割だった、霜柱で浮き上がった麦の根元を痛めない様に斜めに押し込むように踏みつける、大抵毎朝家族全員でやる、寒かった筈なのだがなぜか結構楽しい思い出と言うか、風景的に覚えている。
霜柱と言う言葉を聞く度に思い出すことが有る。
私の母親はクリスチャンだった、洗礼名もあった様だが自分が育った田舎には当然教会なぞ無かったから礼拝に行事は無かったし父親はガチガチの無心論者だから有っても行けなかったかもしれない、しかし母と2人で居ると色んな話しをしてくれた、
針仕事をしながら賛美歌を口ずさんでいたりしたが御伽噺の替わりに話していた事はどうやら旧約聖書の話しだった物が多かった、「牧師さん」と言っていたのでプロテスタント系だったんだろう、その中でソドムとゴモラの話しがあった、町の名前は覚えていないが旧約聖書のダイジェスト版を見るとこの話しの様だ、
「丘に囲まれた2つの町の人達は酷く荒れていて有るとき神さまは全てを焼き尽くしてしまう事を決めた、その町にロトと言う敬虔な羊飼いが居た、神は彼に町に硫黄と火を降らせて焼き尽くす事を告げてロトとその家族、妻と2人の子供を連れて急いで町を離れるように告げる、その時神は町に未練を残してはいけない、もし一度でも振り返ったら”塩の柱”になる、と告げるが妻は耐え切れず振り返ったのでその場で”塩の柱”になってしまった。」と言う話しだった、その”塩の柱”を霜柱の間違いか、自分の聞き違いだろうとずっと理解していた、
母は私が10歳の頃乳癌で入院し、退院して半年で転移していた肺がんで死んでしまったので確かめる事も無かったのだが、先日電子ブックでダイジェストを読んだら確かに”塩の柱”だった、考えてみるとシナイ半島は砂漠の土地である、霜柱が有る訳も無い、思い込みと言うものは実に面白い物だ、