最初は月に1回程度の、「市場通り」のゴミ拾いだったのですが、このところは2~3回の割り合いになりました。
ゴミがなくなるのが、気持ちいいこともありますが、一緒に拾ってくれる積極的な人が増えたことが、とても大きいです。
そして、今回のメルボルン行きで見た向こうの、ゴミの実情の影響もあるかもしれません。
物事には“明”と“暗”の部分があり、文化を比較する上で“暗”の部分からも、本質が読み取れるのではないかと、オーストラリアの“ゴミ”にも、非常に興味を持っていました。
先週に続いて、今週もゴミ拾いをしたのですが、向こうとの余りの違いに、状況を少し書いてみます。
老人介護の施設の見学で行ったメルボルンから離れた8万の町、バララットは自然環境豊かな田舎町と云う事もあり、捨てられたゴミを目にすることはありませんでした。
風に飛ばされたのでは?と思わせるような、袋の類が目に付いた程度です。
人口400万のメルボルンとなると、さすがに違います。
東京の外れの高島平とでは、一概に比較出来ませんが、一番多く捨てられてるのがタバコの吸殻。
高島平と変わらないぐらいですが、それ以外では空き缶とファーストフードの容器の類ですが、タバコに比較すると全然ありません。
二つの町ともゴミ箱が、至る所に有るせいかもしれません。
今日の「市場通り」の“成果”です。
空き缶とペットボトルが45ℓの袋に一つ、その他の燃えるゴミが45ℓの袋二つ。
燃えるゴミでは断然吸殻が多いのですが、コンビニのレシート、お菓子の袋・パッケージ、惣菜の容器がゴミの御三家でしょうか。
ビニール傘も時々ありますが、今日はヘルメットが捨てられてました。
メルボルンと違うのは、“生活感”のあるゴミが多いと云う事です。
レシートと一緒に、買った商品が入っていたプラスチック容器。
車内で飲んだであろうと思われる、飲料水の空き缶がまとめられた袋。
一番不思議なのが向こうでは、捨てられたタバコのパッケージは、一切見なかったのですが、高島平ではたくさん見ます。
そして、悲しくなるのが、街路樹として植えてあるツツジに、そのゴミを隠すように捨てられてること。
日本は植物を愛でる人が、どんどん減っているのかもしれません。
物質的な豊かさばかりを求めた結果でしょうか、ゴミからも社会が荒んだように見えます。
街路樹を止めて、花でも植えれば変わるのでしょうか?
『花のサンフランシスコ』-スコット・マッケンジー
ゴミがなくなるのが、気持ちいいこともありますが、一緒に拾ってくれる積極的な人が増えたことが、とても大きいです。
そして、今回のメルボルン行きで見た向こうの、ゴミの実情の影響もあるかもしれません。
物事には“明”と“暗”の部分があり、文化を比較する上で“暗”の部分からも、本質が読み取れるのではないかと、オーストラリアの“ゴミ”にも、非常に興味を持っていました。
先週に続いて、今週もゴミ拾いをしたのですが、向こうとの余りの違いに、状況を少し書いてみます。
老人介護の施設の見学で行ったメルボルンから離れた8万の町、バララットは自然環境豊かな田舎町と云う事もあり、捨てられたゴミを目にすることはありませんでした。
風に飛ばされたのでは?と思わせるような、袋の類が目に付いた程度です。
人口400万のメルボルンとなると、さすがに違います。
東京の外れの高島平とでは、一概に比較出来ませんが、一番多く捨てられてるのがタバコの吸殻。
高島平と変わらないぐらいですが、それ以外では空き缶とファーストフードの容器の類ですが、タバコに比較すると全然ありません。
二つの町ともゴミ箱が、至る所に有るせいかもしれません。
今日の「市場通り」の“成果”です。
空き缶とペットボトルが45ℓの袋に一つ、その他の燃えるゴミが45ℓの袋二つ。
燃えるゴミでは断然吸殻が多いのですが、コンビニのレシート、お菓子の袋・パッケージ、惣菜の容器がゴミの御三家でしょうか。
ビニール傘も時々ありますが、今日はヘルメットが捨てられてました。
メルボルンと違うのは、“生活感”のあるゴミが多いと云う事です。
レシートと一緒に、買った商品が入っていたプラスチック容器。
車内で飲んだであろうと思われる、飲料水の空き缶がまとめられた袋。
一番不思議なのが向こうでは、捨てられたタバコのパッケージは、一切見なかったのですが、高島平ではたくさん見ます。
そして、悲しくなるのが、街路樹として植えてあるツツジに、そのゴミを隠すように捨てられてること。
日本は植物を愛でる人が、どんどん減っているのかもしれません。
物質的な豊かさばかりを求めた結果でしょうか、ゴミからも社会が荒んだように見えます。
街路樹を止めて、花でも植えれば変わるのでしょうか?
『花のサンフランシスコ』-スコット・マッケンジー