CubとSRと

ただの日記

次期総裁をどうやって決めるか。

2020年09月01日 | 心の持ち様
 党員票は圧倒的な集票力を見せた石破氏が、(確か)二倍の重さとなる国会議員票の集票では、安倍晋三議員に及ばず、結果、逆転に成功した安倍氏が新総裁になり、新しく再び総理大臣になった。それが七年八か月にも及ぶ在任となり、毎年総理が代わることで世界から冷笑すらされていた日本を、一目置かれる存在にまですることになる、とあの時、予想した人がどれだけいたでしょうか。

これは8年前の「あの時」の日記です。
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今度の自民党総裁選では、石破氏が党員票の過半数を得たものの、全体票では過半数には届かず、決選投票となった。そして安倍氏の逆転勝利となった。
 小泉進次郎議員が
 「私は二回共、石破氏に投票した。野球だってクライマックスシリーズで三位だったチームが優勝することがある。そういうルールなんだから、結果は受け入れて当然のことと思う」
 みたいなことを言っていた。
 早い話が「ルールなんだから仕方がない」。つまり、少々以上に不満が残る、と。
 石破氏自身、
 「そういうルールで行われたんですから、党員票は過半数であっても(この結果)、『じゃあ、党員票って何なんだ』などと言う気はありません」、と。

 「思いきり言ってるじゃないか」とテレビのコメンテーターが突っ込んでいたけれど、勿論石破氏も納得している。そして、不満は当然残っている。
 確かに過半数を一人で得てしまった。それに比べたら二位の安倍氏だって大差をつけられているわけだし、その上に議員票を載せたってとてもじゃないけど石破氏に太刀打ちできるような状況ではなかった。
 それが議員だけで改めて投票したら、僅差で石破氏は破れてしまった。
 「でも、この党員票って一体、何なんだ?」と考える。

 三年前、下野することになってしまった自民党は、昨日の「天声人語」にあった如く「落ち武者集団」のように尾羽打ち枯らして「党名から変えるしかないんじゃないか」というところまで追い詰められていた。
 長い長いこの三年間、「反省しろ!」「どこが悪かったのかはっきりさせなければ」と散々に言われ続け、議員として残った者も考え続けた。
 そんな中、石破氏はテレビに出れば「反省しなければならない」「どこが悪かったかをよく考え、悪いところは変えていかねばならない」と言い続けてきた。けれど、それは他の議員だって同じではなかったろうか。
 一人でも「もう反省なんかしなくていい。悪いところなんか今の民主に比べたら無きに等しい」、なんて広言して憚らなかった人がいたか。

 それなのに何故、石破氏一人が「党再生」を考え続けていたように見え、これだけ党員から期待されたのか。
 一つはっきりしているのは、特に石破氏はこの三年間、誰よりも多く全国を歩き、党員と話をしてきた(党員の話を聞いてきた)、ということだ。
 何でも、自民党の党員は60代以上が大半らしい。その大半である60代以上の党員が、多く石破氏に投票した、と。

 テレビ、新聞しか見ない、読まない、「ネットなんて見ることもない情報弱者だから、テレビの情報に流されたんだ」という意見もあるようだが、それは明らかに間違っている、というか、あまりにも皮相的な、薄っぺらな見方だ。最も大事なことを忘れている。
 テレビ、新聞などのマスメディアによる情報と、ネットによる広範な玉石混交の情報。この二つだけが情報、なわけではない。それよりももっと強烈な情報があるではないか。それは直接、己が目で、耳で、手で受け取る情報だ。
 百聞は一見に如かず、とは言うけれど、その一見も、テレビではなく目の前に実物を置いた方が感情を揺さぶられる。「感動」する。サッカーだって、大相撲だって、野球だって、AKB48だって同じだ。私だってAKB48劇場に行って舞台を見たら熱烈なファンになる(・・・かもしれない)。

 石破議員が全国を歩いた。
 じゃ、それぞれの土地で、党員の前で、話をし、党員の多くが「石破さんの言うことはよく理解できた。よし、今度の総裁選では石破さんに投票しよう」となったのか。そんなこと、ある筈がない。
 長年それぞれの人がそれぞれの考えを持って働き、生きてきたのだ。一度や二度会って話を聞いたからって「よし!あんたの言うことは全て理解した」なんてなろうわけがない。
 普通に考えたら、百歩譲って「来て話をしてくれた。能くは分からなかったけどオレの話もちゃんと聞いてくれた。大臣なんかやってた割に、なかなか感じのいい人だ。この人なら投票しても良いなと思った」ではないのか。

 気持ちを揺さぶられた。ちょっと大袈裟かもしれないけど「意気に感じ」た。
 これが「どぶ板選挙」ではないのか。政策や、国家論ではない。
 「大汗かいてやってきて、話を聞いてくれた」
 たったこれだけが、百万言より重い、信頼になったのではないか。
 「自民党は変わらなければならない。そのために皆さんの意見を聞かせてほしい」。
 「自民党のために」と説明し、話を聞き、そして全国を回った。で、残ったのは「自民党の変わり方」でも、石破氏の「考えの理解」でもない。残ったのは石破氏への「信頼」だった。相変わらず「どう変わるか」のビジョンはない。けれど、それは「信頼する」石破氏に任せればよい。党員の心の裡はこんなものの筈だ。
 党員は党の代表たる国政議員を支える。衆参両方の議員は党員より見識が高いからこそ代表と「された」。
 それでは、見識の高い者と、数の多い党員のどちらの考えを採るべきか。

 こう考えてくれば、「決選投票は議員だけでやり、結果、逆転して安倍総裁が誕生」となったのは、何ら不思議なことではない。
 これが小選挙区(一人しか選出されない)からの「一票に泣く(一票差で落選という)」ような形、或いは「議員票、党員票も同じ一票として、決選投票はしない」という形なら、それは明らかに「ポピュリズムだ」ということになる。
 党員票を掴んだ石破議員を幹事長にする。これ以上の便法はないではないか。
 それに党員票は「民意に近く」ても、党員は決して民意ではない。
 党員は党の考えに共感を持ち、党を形成している人で、「党として国を動かす」ことを考えている。

  民意はまず「個」人の損益を考える。党意はまず「国」の損益を考える。

 長くなりました。最後に。
 
 総裁選を野球のクライマックスシリーズに喩えることが適切でないことだけは、
はっきりしている。それをメディアが「おかしい」と言わないのは、確かに自民党分裂の画策が始まっているからかも・・・・・・・。
コメント
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