「一人の命は地球よりも重い」と言った総理大臣がありました。
だからハイジャック犯からの乗客の身代金16億と収監中の犯人グループの釈放要求を呑む。
日本では「なるほどそうだ!」と、メディアも政界でも感心しきり、といった風でしたが、世界は嘲笑していたと聞きます。
湾岸戦争終了時、多国籍軍に対して感謝の意を表した新聞広告に、巨額の支援金を出した日本の名前はどこにもなかった。却って「金だけ出して一滴の血も流さなかった」と酷評されました。
「日本は専守防衛。決して戦争をしてはならない、と憲法9条に書いてある」なんて誰も知らない。知ってたって、「何を言うか。ついこの前、世界中を敵に回して戦争してたじゃないか」と端で笑う。
今回ウクライナへの義勇兵に日本から70名が向いました。それを知って在日ウクライナ人が「日本人が行ってくれるのに、ウクライナ人である私が行かないわけにはいかない」と帰国を決心したと言います。
でも国内では「捕虜にされて身代金を要求されるのがオチだ。結局国に迷惑をかけるだけだ」という意見も。
我々戦後生まれの日本人は「ケンカはいけない」「戦争は国同士のケンカ」だから「みんな仲良く」と習ってきました。「世界を一つの村に例えたら」という発想も同じです。
けれども、「何故、ケンカはいけないのか」「何故、戦争は起こるのか」「何故、みんな仲良くなれないのか」については考える、いや、教えられることはなかった。今だって考えることすら許されない。
昨日も予算委員会で共産党の議員が「以前は専守防衛だと言っていたのに、最近、敵基地攻撃は良いと言っている。これは敵地まで入っていくことだから、専守防衛ではない。考え方が変わっているじゃないか」とやっていました。着弾するまで反撃してはならない、それが専守防衛だと言ってたじゃないか、と。
「持つ持たない以前に、核兵器について議論はしておくべき」と言ったら「自民党有力議員が核武装発言を!憲法に反する!!」と大騒ぎになったこともありました。
「一人の命は地球よりも重い」から「国よりも一人の命」?
一人一人の命で支え合って成立しているのが国です。ただ集まっているのではなく、助け合って全体が成立している。その全体と一個人の命の軽重を問う。そんな物差しはないでしょう。
また以前に書いた日記を、二、三再掲します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「お花畑のひとつ」
2020年04月05日
2017.05/19 (Fri)
「争いは良くない。同じ人間、仲良くできない筈はない」
子供のころから言われていた。私が子供の頃なんだから、もう半世紀以上前のことだ。
「ケンカはおやめ。お相撲を取れ」。こんなハヤシ言葉。これが養殖お花畑だ。
外から見れば「ケンカをするより、相撲を取って力をぶつけ合う方が良い」、となって、そうすれば勝ち負けが決まってすぐ仲良くなれる、これで全て丸くおさまる、となる。まるで古代オリンピックだ。
けど、考えてもみろ。相撲だって古代オリンピックの競技だって元々殺人技だぞ。それに無理矢理ルールを作ってゲームにしているだけだ。殺人技術をゲームにするわけだから、考えようによっては却って性質が悪い。早い話、ルールギリギリのところで危険な本性が現れる。
周りからそういわれて、「ケンカ」でなくって仕方なしに「お相撲を取って」いる本人(当人)の心中はどうなのか。
上から目線で、第三者は「ケンカより相撲で解決すればいい」、なんて気軽に言うけれど、戦っている当人同士の心中は本当に「相撲」だろうか。当事者は「相撲」という取っ組み合いの体裁で、力と共に「憎しみをぶつけ合う」ケンカをしているだけなのではないか。
確かに、傍からどう見られようと、「憎しみをぶつけ合う」うちに(純粋に真正面から相手とぶつかり合う=正心誠意の衝突)、分かり合える部分が生れてくる「こともある」。
でも、それは決して「ケンカはおやめ。お相撲を取れ」、みたいな余裕をかました「上から目線」の「画に描いた餅」みたいなものではない。一筋の共感の光、程度のもので、ましてや「全面肯定、大団円」なんてあるわけもない。同じ目的を以て師弟となった賀茂真淵、本居宣長の大論争の結果の仲違いを思い出せばわかることだ。
それでも、この「一筋の共感の光」程度しか、結局は分かり合えない、と見極めた我が国の先人達は、この「一筋の共感の光」から、「相打ち」という境地を発見し、武道という「生き方」を作り上げた。
憎しみを以てぶつかり合っても、それは具体的には戦略、戦術、技となるのだから、全身全霊、頭脳のフル活用でなければまともには発動できない。そんなだから、勿論、当事者である自分が、一歩離れて上から見てみる、なんて余裕は全くない。
「お花畑」というのは、この全てのものを、「余裕をもって」「指導するように」或いは「ゴーマンかまして」、上から目線で見て、憐れんだり、馬鹿にしたり、否定したりすることだ。
それこそ「同じ人間、そんなことできる筈がない」筈なのに。
これを解くヒントは「戦争を、一番、嫌うのは軍隊だ」、という一言にあるだろう。
いくさをせずとも、「血みどろになることを想像できるか、否か」、だ。
上から目線で見て、「ゴーマンかまして」いるお花畑の住人には、それは想像できない。いや、それ以前に彼らはその想像すべきことから目を背けようとする。
だから、点字ブロックの上に平気で椅子を並べ立て、「共謀罪成立阻止!」などと叫び続けることができるのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
兵隊は「国を護る」のが仕事であって、そのために命を捧げる。
決して「他国を侵略する」のが仕事ではない。
国を護ることは家族や周辺の人々を護るための確かな近道だけど、他国を侵略することにはどんな目的があるだろうか。国を護ることにつながるのだろうか。それとも金銀財宝?略奪品で金儲け??
勿論、「侵略」=「掠奪」ではありませんが。