自衛隊と国防軍(後)
2020年06月10日 再掲
2012.12/06 (Thu)
何気なく過ごしている毎日の生活の中にも危険は常に大なり小なり、潜んでいる。
その危険への対し方で、他国、世界との付き合い方も個人レベルで見えてくるのではないでしょうか。
「見極める」の一つの例です。
武術、特に、徒手格闘技のできる人がいると、必ず護身術として教えて、という人がいます。
実際、警察なんかが主催して、護身術を教えたりするのをニュースで見ることもあります。
「抱きつかれたら両腕を振り上げて相手の脇の下をくぐって・・・。」
いとも簡単に危機からすり抜けられるのを実感、本人も周りも「おお~っ、すご~い!」と感動。
この講習会で、危険を回避できるようになる確率は・・・・限りなく0に近い。
相手は「別に・・殺したっていい」と思って襲う。
こちらは、「怪我をさせずに相手を取り押さえたい」と思う。
「殺しちゃ可哀想だ」と。
殺される方が「殺しちゃ可哀想」と思っている。もう初めから結果は分かっている。
前に何回かここで書きました、太気至誠拳法の澤井師範の話です。
或る時、仕事の都合で、師範が家を留守にすることになりました。奥さん一人置いて出るわけだから、とても心配で、必ずしっかりと戸締りをするように、と話をしたら、奥さんはしっかりしたもので、
「大丈夫です。私だって貴方の妻なんだから。寝る時は、枕元に木刀を置いて寝ます」
と応えたんだそうです。
さすがに武人の妻、と思うところですが、師範、その心掛けを褒めるどころか怒り出して、
「これだから、素人は困る!そんなもの見せたらとんでもないことになる。刺身包丁を置いて寝なさい!」・・・コントか?
「出刃包丁」でも、えっ?なのに、「刺身包丁」ですよ。完全に殺害目的じゃないですか。
しかし、これは、大正解。です。これ以上の答えはない。
泥棒が来る。平常心で来るやつはいない。おっかなびっくりで入って来て、出来ることなら静かに帰りたい。どきどきしている。家人に見つかった。騒がれた!ら、舞い上がる。頭の中は真っ白になって、とにかく逃げなければ、と何でもあり、で暴れまくる。
対抗手段は・・・・。殺すしかないんです。いや、もう一つありますね。
一気に冷静にさせる。暴れさせない。
それが刺身包丁です。
慌てて、木刀を取ったって、その身ごなしで腕はすぐに分かる。
何より
「殺されることはないな。いや、しかし大怪我をするかもしれない。やられる前にやれ、だ」
と一瞬のうちに計算します。
刃物は違います。それも刺身包丁となると、匕首(あいくち)より長い。切れ味も誰だって知っている。その上、用もないのに先が尖っていかにもよく刺さりそうだし。
大怪我どころか、間違いなく殺される!
・・・で、腰を抜かすか、慌てて逃げ出すか、です。
木刀で打ち殺されたり、骨を叩き折られたり、というのを、見る機会はまずありませんが、刃物で切れ味を、これでもか、というくらい見せ付けられる機会は、普通の家庭にだって、在る。
襲われたほうが、「殺すぞ!」という態度に出れば、ほんの少しの真実がエアバッグになって、襲った方は腰が抜けます。
「そんな極端な!」?
でも、命は一つしかないのですよ?
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上に挙げたのは、2010年3月20日「枕元に木刀置いておくから」 と題して書いた日記です。
「護身術は役に立たない。何故なら襲う方に比べて、襲われる方には覚悟がないからだ」、と書きました。
勿論、「襲われる覚悟をしていつも街を歩いてます」、なんて言う人はそうそういるものではありません。でも、問題はその瞬間の心積もりです。一瞬にして相手の上を行かねばならない。
これは簡単そうで難しい。相手は十分な心の準備をして(?)襲うわけですから、一瞬で襲い返す(??)なんて・・・。
第一、そんな人間、歩いている時から、身ごなし(雰囲気も含む)、目配りに隙がないから、何となく襲いにくいものです。
いえ、私が経験したというわけじゃありませんよ。わ、私は人を襲ったことなどありませんからね!
・・・気を取り直して。
沢井師範の話もそうです。
「襲われたら木刀でやっつけてやる。」
沢井氏の夫人は、そんなこと思っていません。ただ、木刀見せたら、相手がひるむだろう、と考えただけです。
少し剣道をやっていたとしても、普段は竹刀ばかりでしょう?木刀なんて使い慣れている筈がない。そんな物、持って、相手が大怪我しないように手加減をして打ちのめす、なんて、その「覚悟」からして、もう負けるのは分かっている。
相手は命懸けで掛かってくるんです。こっちも命懸けで掛からなければ、勝てる筈がない。余裕なんか、ない。全身全霊を以て向かうしかない。
要は気構え。
同じ装備なら、確かに強弱はこれで決まります。
日本の自衛隊は、よく訓練されていて、装備も他国に特に劣っているわけではない。小さいながら、強力な軍隊だと世界中に知られているように聞きます。
「だったらそれでいいじゃないか」?
いいんでしょうか?強力だけど小さいんだから、戦ううちにすぐ全滅する。全滅したら、後は・・・・・?
それじゃいけない。「強力だけど小さい」では、木刀持って立ち向かうようなものです。
「日本は小さいけれども強力だから、当方の損害を考えたら簡単には手が出せない」
そう思わせることが肝腎でしょう?
「小さいけれども、能く訓練された精強な軍隊」である「自衛隊」。
その自衛隊の存在のために侵攻を躊躇させるには。
「画竜に睛を点ずる」こと。我が自衛隊の「晴」とは何か。
それは「死して護国の鬼となる」覚悟です。
救助ではない。衛るのでもない。「死んでも『鬼神』となって国を護り続ける」と言い切り、我が国民のみならず、世界中にその姿勢を知らしめることです。
(『鬼神』は本来は『鬼』も『神』も『霊』のような意味ですが、日本人は『鬼神(おにがみ)』、畏敬の念を持つべき猛威を振るう存在、と認識しています)
そのためには「自衛隊」ではなく、「国~軍」という名前が絶対に必要です。
憲法にその存在を肯定、明記されなければ力は真っ当に発揮できないのです。
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補注)
《自衛隊は本当の意味では今、強くない、と思います。「上」の問題です。
政治家の、そして、日本国民の視線一つで「死して護国の鬼となる」覚悟を彼等(自衛隊)は瞬時に手中にするでしょう。
今は、上層部は言うまでもなく、たとえば防衛大の元教授、現在の学校長からして、戦前の日本を否定的に見ているのですから。
自分達の存在を否定するものを守るために「強くあれ」と言われても、最後の力は出ぬものです。
自衛隊は、災害救助のために、或いは国連の決定実行のために存在しているのではなく、国難の起こるに際して、平然として命を捨てるためにある、ということの重大さ、有難さを国民が知ったら、本来の最強の軍隊になるのでしょう。》