CubとSRと

ただの日記

勝っても負けても

2022年03月26日 | 心の持ち様
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和四年(2022)3月26日(土曜日)
        通巻第7273号 <前日発行>
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 「栄耀栄華」を極めた「クレムリン宮殿の十三人」
   そしてプーチンの周りから誰もいなくなった。
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 チェチェン・イングーシ紛争、グルジア戦争、シリア内戦への支援、ナゴルノ&カラバフへの仲介等々。プーチンは「連戦連勝」だった。
 その「不敗の神話」がウクライナ侵攻のもたつきで崩れようとしている。プーチンは、誰に責任を取らせるか?

 ロシア正教に於ける皇帝は神の御威稜とともにあり、神聖にして犯すべからずだが、プーチンにそのような徳性は備わっていないようだ。

 スターリンは目の仇としたジューコフ将軍が戦争の英雄として国民の人気が高いことに嫉妬し、解任しようとして果たせなかった。ジューコフ将軍は根っからの軍人で最初の赴任地がハリコフ、その後もキエフ防衛、ミンスク攻防戦で活躍し、戦争中にはアントノフやカラシニコフ等とも知り合った。輸送機や機関銃で名を残す二人と比べると、第二次大戦が終わるまでジューコフは無名だった。戦争の舞台が、ハリコフ、キエフ、ミンスクと、要衝はいまも昔も変わらない。

 それ以前にジューコフは日本軍とのノモンハン事変で作戦を指導し、その後は騎馬兵団を率いてあちこちを転戦した。シュテルテン大将とならぶ戦果を挙げ、1941年には参謀総長となった。
 スターリンが死んでフルシチョフ時代となると、ジューコフは国防大臣に任命された。数々の勲章に輝いた。しかしフルシチョフと対立し1957年に一度失脚。64年にフルシチョフが失脚すると復権し、ソ連各地に銅像が建立された。筆者が見たのはサンクトペテルブルグとモンゴルのウランバートル。大きなトルソはベラルーシの戦争博物館の入り口にあった。それほどジューコフは尊敬を集めている。

 ウクライナ戦線の硬直化。プーチンの思惑はくずれた。
 戦車隊はウクライナ軍が撃つ携行ミサイル「ジャブリン」に怯えて前へ進めず、スティンガーミサイルの脅威があって制空権がとれない。黒海沖合では強襲艦が爆破された。ロシア軍の死者は15000人を超えたようである。

 戦局が不利となって焦燥が強まるクレムリンだが、中枢にいるはずのセルゲイ・ショイグ国防相とウレリー・ゲラシモフ参謀総長(国防副大臣)が、この2週間ほどクレムリン宮殿に現れず、「消えた」。(2022年3月25日現在)。

 現地視察? いや、プーチンによる粛清? プーチンへ沈黙の抗議?
 ウレリー・ゲラシモフ参謀総長は2013年に「ハイブリッド作戦」(所謂「ゲラシモフ・ドクトリン」)を立案し、その通りにクリミア併合作戦に適応させたわけだから、軍のトップにあるのは当然と言えば当然だろう。
 いかもゲラシモフは旧ソ連時代からの軍人エリート。ところがウクライナ戦線でゲラシモフの甥である少将が戦死したとの報道もある。


 ▼ロシアの核ボタンを握るのは三人

 セルゲイ・ショイグは1991年から国防の高位ポストに居座り続ける軍のボス。今回のウクライナ侵攻も軍事作戦立案、指令の最高責任者である。
 そして、もっと重大な要素がある。
 プーチン大統領と、このショイグと、ゲラシモフの三人がロシアの核のボタンを持つことである。ロシアのシステムでは、核ボタンを持ち歩いているのはショイグとゲラシモフで、各々のどちらかがプーチンの核ミサイル発射命令に合意しない限り、核ボタンを押すことはない。

 つまり、二人がクレムリン宮殿に現れないという別の意味は、核ボタンがプーチンの手にはないという事実を意味しているのではないのか?
 或るいは失脚した可能性なきにしもあらずで、嘗て2012年に国防大臣だったセルジュクと、マカロフ参謀総長が前後して解任されたことがあった。汚職が原因とされた。

 嘗てエリツィンの懐刀といわれたネムツォフは暗殺され、当時のオルガルヒ筆頭だったホドルコフスキーはシベリアの刑務所にぶち込まれ、デリパスカら新興財閥らは、有り金もって外国へ逃げた。
 プーチンに近いとされるアブラモウィッツも、プライベートジェットでイスラエルへ飛び、翌日にはイスタンブールへ飛び、モスクワへ戻った。トルコでは個人所有豪華ヨットを係留してきた。


 ▼辣腕家、エリツィンの懐刀だったチュバイスも海外へ去った。

 謎の蒸発を遂げたのはプーチンの側近の一人とされたアナトリー・チュバイスである。唐突に大統領特別代表ポストを辞職し、ロシアから出国した。
 トルコのイスタンブール市内のATMで現金を降ろしていたところを目撃されたとする報道がある。

 チュバイスはエリツィンの懐刀として「市場化」改革にガイダルとともに辣腕をふるい大統領府長官、財務大臣兼第一副首相をかね、ロフナノテク社長としても、ベレゾフスキーなどのオルガルヒを育てた。チュバイスはベラルーシ生まれのユダヤ人である。

 かくして初めから終わりまで一枚岩の団結がなかった「鎌倉殿の十三人」。
同様に「クレムリン宮殿の十三人」(員数はレトリックでしかないが)も、烏合集散を繰り返している。

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 「世界を敵に回して戦う(ことになるかもしれない、という)覚悟」があって、侵攻をする、とは限らない。
 いや、逆に短期決戦にして良い条件で停戦、更には終戦に持ち込む、という身勝手なやり方が一般的な「侵攻」。
 「杜撰な計画だった」と周辺が言っても当事者は「これで十二分に勝算がある。100%勝利する」と確信したからこそ侵攻を開始する。
 そして殲滅なんて不可能だと重々承知の上で「殲滅するぞ」と脅しつけ、負けを認めさせる。

 それが戦争だけれど、歴史を見るに、局地戦に関する限りにおいては最後の一人になっても戦い続ける、とする国には通用しない。
 「プーチンの乱心」ということで幕を引くしかないのだろうけど、「ソビエト連邦の栄光」の幻影がロシア人の心に残っている限りロシア自体が崩壊するまで終わらないのかも。

コメント
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