CubとSRと

ただの日記

引き籠り二日目

2021年01月26日 | 日々の暮らし
 1月20日

 1時半近くに寝て、例の如くに一時間ほどで目が覚め、次は二時間後。 
 それから6時。最後が8時。
 思った以上に冷え込んだ。電気ひざ掛けをアンカ代わりにしているので、足元は全く寒くない。パジャマもパイル地で、しっかりとした襟があるから、本来ならどうってことはないのだが、先日来の冷え込みほどではないにせよ、昨日は肩が寒かった。

 今年の冬は瓢箪から駒、というか、マスクをして寝ることを覚えたおかげで息をしても鼻が冷たくなることもなく、口を開けて寝ていても口腔内が乾いて苦しさで目が覚める、なんてこともなくなった。
 息をすると鼻が冷たい、というのは、起きて歩いたりしている時はともかく、これから寝ようとしている時なんかは、それが気になってなかなか眠れるものではない。
 当然、頭から布団をかぶって寝ることになって、そうなると、寝ぼけ眼で起き上がって鏡を見てビックリ仰天、頭が大爆発・・・までは行かずとも、髪の毛に寝癖が付いて、宝永の大噴火みたいに何ともみっともない跳ね具合になっていたりする。
 富士山のあの美しい山容が宝永の噴火口で崩れてしまっているのは、それはそれなりに大自然の造形の妙、と言えるのかもしれないが、寝癖で髪の毛の跳ねたのは造形の妙には程遠い。

 口腔内が乾いて息苦しさで目が覚めたのか、それとも本当は無呼吸症候群という奴で単に息ができなくって酸素不足で目が覚めたのか、それとも腎臓が弱って既に糖尿病になってしまっているのか、ホントのところは分からない。

 今日は外出をしてない。今日も、か。
 昨日今日と続く雨で、二日間、屋籠り?引き籠り?

 明日は晴れるらしい。久し振りにコーヒーを買いに出よう。ついでにパンも買っておこうか。
 とにかく、今日、墓地代の振込用紙が届いたので、明日の用事ができた。
 コーヒーとパンを合わせれば、仕事が三つ。
 何でこんなことが楽しいんだろう。
 
 
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ホントに何もしないでいた?

2021年01月25日 | 日々の暮らし
 1月19日

 毎日何もしないで過ごしているわけだが、何もしないでいる時、何をしているか、つまり「何もしない」って言うけど、本当に何もしてない、なんてことはないだろう、子供の言い訳にもあるけど。「息、してる!」って。
 もちろんこれは冗談でしかないけど、実際のところ、「息」以外にもしている。
 一日24時間、ずっとウトウトしているわけではない。何かしら思ったり、時には考えたりしているわけで。
「このまま独り身で歳を取り、死んでいくわけだが、途中で病気になったらどうしよう。困った困った」・・・なんて心配するのだって、「考え」ていることに変わりはない。
 まあ、大概はテレビを見たり、ネットの記事を読んだりしている。
 「テレビを見ている」=眺めているわけではない。
 「ネットの記事を読んでいる」=ただ眺めて、字面を流し見ているわけではない。それなりの意識を持って取り組んでいる。
 で、それらの情報を次々と仕入れていく端から忘れていくのだから「何も残っていない」。
 結果、「何もしていない」ような気がしているだけだ。

 それでは、ということでそれらをメモしたりすると、実は驚くべき分量の情報(その延長に知識)を手に入れていたりすることに気付く。
 
 というわけで、「何もしてなかった」となる時、テレビやネットで見たものの目録だけでも作って置けば、その時は忘れても短時日なら思い出せるのだから、やっぱり、メモ、ちゃんとつけておくべきか、と今更ながらに思う。
 カレンダーへの書き込みだって、考える際、相当以上に役立っているのだから。
 
 
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何をしていた? その②

2021年01月24日 | 日々の暮らし
 1月16日(日) 午後9時20分

 やや字が太くなるので黒のインクは煩く感じる、と十年余りほったらかしにしていたパイロットの万年筆。
「青のインクならいいかも。買おう」と、不意に思い付いて、先日やっと買いに行った。
 こうやって青のインクで書いているとなかなか納まりが良い。

 ペンの方、納まりが良いのは分かったが、また今日一日、一体何をしていたんだ、と思うほど何にもしてない。
 確かに日記を書き始めたのは昨晩よりも二時間早い。
 やっと重い腰を上げて、昨晩クローゼットの毛糸を取り出し、居間に持ってきていたので、気になっていたセーターの袖口の解れの修繕に、昼過ぎ、何とか取り掛かることができた。
 左袖が解れてしまうことだけは何とか阻止できた。

 二十年以上前、急にセーターを自分で編んで見ようと思い立ち、一冬かけて編んでみた。
 何とか格好はついたのだが、いざ着てみると鎧かと思うくらい重い。加減が分からなくて強く編み過ぎたらしい。
 「こりゃ駄目だ」、と投げ出して以降、編み方もすっかり忘れてしまったので、解れの修繕は専ら雑巾縫いの延長。

 脱線した。
 夜になって、これまた買ったまま二日ほど経ってしまった鰈の切り身を、煮つけにした。明日の酒の肴が一品、できた。
 朝食も昨日と違って午前中(11時頃)に終えたし。

 けど、これって「何をした」と言うほどのことか?と思ったりする。
 怠惰、とは思っていなかったが、それよりももっと悪い「自堕落」な生活をしているのだ、と正面から受け入れなければならない、か。

 「天気が悪いから」、と天気のせいにしたいのは山々だけど。

 今日も一食だけ、となりそうだったが、煮つけを作った勢いで二~三人前分の鍋を作って、みんな食べてしまった。
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何をしていた? その①

2021年01月23日 | 日々の暮らし
 1月16日(土) 午後11時15分
 
 今日は本当に一体何をしていたのか。
 気が付いたらこの時間だ。
 起きたのは8時過ぎだから、格段にどうこう言うようなスタートミスではない。
 けど、朝食は1時過ぎ。夕食は、なし。
 小腹が空いて、さっき、クッキーとビスケットをエスプレッソ淹れて食べただけ。
 
 天気予報が狂って、結局、一日雨だったから?
 雨が降ったから、仕事がない。
 いや、仕事は暦が一周する前からないだろ?

 とにかく風呂に入って、今日は寝よう。
 
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せこい話 続き

2021年01月22日 | 心の持ち様
 「日系市民団体でくすぶっていたイガサキを引っ張ってきた」の続きです。
 ・・・・・・・・・・・・
 「見た目、日本人」を日本叩きの先鋒に使う。(マイク・ホンダというのもいましたね。もっとも彼は日本の名前でありながら顔立ちは半島国ですが。米国人には全く区別がつかない)
 「日系人に対する偏見と戦ってきた者」が転向する?まさか。
 事実はやっぱり、その、まさかみたいです。
 「罠にかかって」そうなるのとは違うみたいです。二代、三代と変わるにつれて、やはり心根も日本人じゃなくなってしまう。大陸も半島もそんなことはないらしいんですが、日本人は淡白というか、アクが強くないというか・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   (続き)
 それにしてもなぜ標的が日本企業なのか。一つにはこんなインチキ話でも日本の政府もマスコミも反論しない。抵抗なくふんだくれるからだ。そして二つ目が米メディアは日本叩きが好き、という伝統がある。米メディアの支持は予約済みなのだ。
 元『ロサンゼルス・タイムズ』紙のサム・ジェイスンはいう。
 「民族、宗教も違う国々、とりわけ目立つ日本については、インフォティンメントが主流になる」
 インフォメーション+エンタテインメントの複合語で、真実はどうかなどはどうでもいい、その異様さ、異質さを強調した話が期待される、というのである。
 この三菱事件でも『ニューヨーク・タイムズ』東京特派員、A・ポラックは日本社会を現実に見ていながら、「日本では女性は昇進も終身雇用の保証もない。女は補助的な仕事だけで男女が一緒に働くこともない」(1966年4月25日付)と架空の「日本」を報ずる。「これが三菱セクハラ容認の背景だ」と。
 なんともふざけた話だが、これに対して日本政府、新聞は予想どおり何もしなかった。地元のシカゴには日本人の生命財産を保護する総領事館がある。日系企業とてその対象だが、100人もの館員はこの騒動を傍観していた。この騒ぎでは三菱だけでなく日本に対する誹謗中傷もあったが、それを正しもしなかった。
                (略)
 日本の新聞は、例えば『朝日』は50人近い記者が東海岸にいるが、誰ひとり現場には行かなかった。事件の報道は米紙が伝えるのを縦書きに直して、そのまま伝えるだけだった。心情は外交官と同じなのだろうか。
 一方の米メディアはEEOCの発表が少々うさん臭くても面白くて国益にかなう(日系企業からカネを巻き上げる)なら懸命に味方し、従業員デモのようにボロが出そうになれば懸命に取り繕ってもやる。
                (略)
 テキサスで東芝ノートパソコンの欠陥をつく訴訟が起きた。これも阿漕さでは同じだろう。因縁づけでは屈指の弁護士が登場して、彼に頼まれた2人のユーザーが「ディスクドライブが故障する懸念」を裁判所に申し立てた。その時点で東芝パソコンは全世界で1500万台が使われ、米国での市場占有率も年間トップを走っていた。しかし、その種のクレームは1件もなかった。
 東芝の主張に対して弁護士は「絶対に故障はないと言い切れるか」という。「神様じゃないから、そりゃあ壊す目的で一度に多くの負荷をかければ保証は出来ない」と東芝。それみろ、PL法(製造物責任法)にいう「商品」はそれが安全で故障しないという暗黙の保証(implicit warranty)がある。それに東芝は違反している、と。
 裁判地は「外国企業が勝ったことのない」、そして超高額賠償評決を平気で出すことで知られるテキサスだ。裁判制度に不信を抱く東芝は負ければ1兆円(100億ドル)といわれる裁判を11億ドルで和解にした。
 神様でも無理な暗黙の保証が求められるなら、なぜこの弁護士は「墜ちない」といいながらぼたぼた落ちているボーイング社やエアバス社を訴えないのか。ボーイング社を訴えれば米紙はこの弁護士を自国の基幹産業になんで因縁をつけるのかと非難するだろう。
 エアバス社を訴えれば仏大統領が米国の弁護士の阿漕さを罵り、『ル・モンド』はその後進性を嘲笑するだろう。少なくとも東芝に勝てた弁護士でもそんな無謀な訴訟は起こさないと断言できる。
 しかし、東芝の事件では地元のヒューストンの日本総領事館は動かなかった。『日経』など日本の特派員の誰も動かず、ここでもただ米紙の報道をなぞるだけに終始した。まるで日本の外交官もメディアも米国とは等身大で口が利けない香のようにさえ見える。

               (以下略)

 「歪曲報道」(高山正之 著)

         「日本を敵視する日本のメディア」から。
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 米国のやり方を、ただ「せこい話」と切って捨てたいけれど、大なり小なりどこの国もやっています。度外れに極端な、手段を選ばない、理屈が全く通らないという国にばかり目が奪われますが、やっぱり日本だけが特殊なんじゃないか、と思わざるを得ない。
 全ての国は自国を大事に思っている。国益のためならば、あらゆる手練手管を使って戦う。それこそが国を愛することだ、勝つか負けるか、だ、共存共栄なんて夢物語だ、と。
 そんな中で日本人だけが「ヴェニスの商人」をやり込めた論法に何となく釈然としない思いを持ちながら拍手します。「確かにそうだけど、何だか、狡くない?」って。
 そして、総領事館もメディアも動かない。
 

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