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CubとSRと

ただの日記

あれは、こんなせこい話だったのか。

2021年01月21日 | 心の持ち様
 「歪曲報道」(高山正之 著)の中、「日本を敵視する日本のメディア」から。
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 『ニューヨークタイムズ』でさえ『日本では女はお茶くみだけ』

 実はこういう例は日本の新聞にはいくらでもある。1996年の米国・三菱自動車の集団セクハラ事件もそうだ。
 これは米国政府機関EEOC(雇用機会均等委員会)が提訴したもので、三菱イリノイ工場で700人の女性従業員全員が「男性従業員に長期、広範にセクハラをされている。会社に抗議すると逆に解雇をちらつかせて口を封じられていた」という。
 記者会見したEEOCのポール・イガサキ副委員長は血筋も顔つきも純粋日系人で、時に日本では女性の地位は低くセクハラはざら、といった「ステレオタイプ化された日本」を仄めかしさえした。
 どう見ても日本人にしか見えない男の発言は米メディアを喜ばせた。「日本人」がそういうのだから、これで人種偏見と非難されることはない。進出日本企業が米国内でセックス地獄をつくっているというセンセーショナルな発表は好きに誇張されて米紙を飾った。
 『ニューヨーク・タイムズ』は「日本では女はお茶くみだけ。出世もなくセクハラが訴訟にもならない」。『ワシントン・ポスト』は、「これほど広範なセクハラは企業の同意がなければあり得ない」とEEOCの主張を鵜呑みにして三菱セックス地獄を事実として扱った。
 三菱は反論する。同社の経営陣はこの地での訴訟のコワさを十分知っている。対処もしてきた。しかし誰が考えたってセクハラを奨励する企業がどこにあるというのだ。
 会社だけでなく従業員も怒った。EEOCが「全員がセクハラ被害者」といった当の女性従業員の約半分も参加してEEOCに対して抗議デモを展開した。
 米メディアにとってこれはショックだった。大体従業員が会社の名誉のために立ち上がる、なんて話は米国には絶えてなかった。地元紙はここで初めてEEOCの主張に小さな疑問を投げかけた。
 しかし、有力紙は違った。日本叩きをこんなことで挫折させたくない。そんなとき、デモ参加者に三菱が賃金を払ったという「事実」をつかむ。感激した三菱が親切にも当日を出勤扱いにしたのだ。米紙はそれを根拠に逆に「デモに参加しないと解雇すると脅した強制デモ」と攻撃を継続した。
 ただ、この騒ぎで米紙も恥ずべき集団セクハラをしたのが日本人でなく同じ米国人だったことに釈明の必要を感じた。『ワシントンポスト』は「米国人従業員は日本に研修に行った折、、セックスショーに連れて行かれ、女には何をしてもいいという刷り込みを受け、日系企業という(日本をそのまま移植した)環境に置かれた」と書いた。セクハラした米国人男性従業員に罪はない、彼らは日本人に洗脳されてセックスアニマルになったという風に仕立てた。
 この三菱セクハラ事件はもともと「小さな政府」を目指すクリントン政権のもとで御取り潰し第1号と目されたEEOCが延命のためにでっち上げたものだった。というのも、実は過去に取り潰されそうになったとき、ホンダを訴えてカネを巻き上げ、延命に成功していた前科があるからだ。
 もう一つ、きわめて重要な事実を1年後、つまり三菱が白旗を挙げ、3400万ドルの和解金を支払った直後にAP電が伝えた。EEOCが実は提訴前に三菱の女性従業員に「言う通りに訴訟に参加すれば仕事を失うことなく30万ドルがもらえる」と説得していた、というのだ。
 EEOCの根回しはそれだけではない。
「女性蔑視・日本」を舞台回しに使えば、さすがの日本人も人種偏見だと抵抗するかもしれない。それで、日系市民団体でくすぶっていたイガサキを引っ張ってきた。彼はそれまで日系人に対する偏見と戦ってきたが、ここでころり転向するのだ。

 それにしてもなぜ標的が日系企業なのか。

 (続く)

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 なんともはや、な話です。
 「目的のためには手段を選ばない」というのは相当に非情な考え方です。
 それに比べればこの話のようなやり方はまだマシ、と思われるかもしれません。
 けど、権謀術数というより「言い逃れ・言い訳」で塗り固めたようなこういうやり方は日本人からすれば卑劣極まりない最低のやり方に思えるのではないでしょうか。
 「正心誠意」でもって行えば「目的のためには手段を選ばない」ことを認めることができるけれど、「正心誠意」で「言い逃れ・言い訳」、なんて手はありません。
 
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見る目(見透す目)

2021年01月20日 | 重箱の隅
 以前、「皮膚感覚で分かるようにできないか。」
 と題して書いた日記の転載です。

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 2013.03/04 (Mon)

 一党独裁の共産主義国、シナ。
 その中でも文化大革命の頃というのは、理想国家建設のために立ちあがる若い兵士の爽やかな笑顔のポスターの裏側で、粛清の嵐が吹き荒れた時でもあります。文化大革命の時だけでも2000万人の命を奪っていると言われ、共産主義革命全体を通すと4000万人から一億人の同胞を死に追いやっている。
 その異常さを現代のシナの若者は全く知らない。だから、毛沢東思想の復権を望み、文化大革命の頃の、近代国家建設に邁進する「希望に満ち溢れたシナ」への回帰を図ろうとする。
 「今のシナの若者はそんなにバカではない。ネットも発達しているし、強かに生きている」、と言われます。確かにそれは間違いない。表面的には。
 けれど、問題は、根っ子です。捏造された歴史教育は、いくつくらいの時に為されたのでしょうか。その教育と、インターネットを用いるようになるのはどっちが先だったのか考えてみれば、安心などは全くできないことは容易に分かります。

 まずは彼我共に、あの頃の異常さを皮膚感覚で知ることはできないか。
 南京大屠殺紀念館ができたのは1985年だそうです。
 文化大革命は?1966年から十年間。
 天安門事件をなかったことにするために、捏造された南京大虐殺事件を事実として教え込まれた結果、今の反日観が出来上がりました。
 石平氏でさえ、甥っ子に天安門事件のことを納得させることができなかった。
 そんな彼ら、現代のシナの若者が、暗黒時代と言っても良い、文化大革命の十年間をまともに習っているでしょうか。ちゃんと知っているのでしょうか。
 下に挙げたのは、宮崎正弘氏のメルマガに連載をされている樋泉克夫氏のコラムです。
 フランスの哲学者の目に映った、「労働者(なのに)、の細くて清潔な手」に対する違和感。
 そして、例の大江健三郎が共産党の詐術に見事に引っ掛かり、感涙に咽んだというところ等は一読の価値があると思います。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
  平成25(2013)年3月4日(月曜日    通巻第3891号  

  樋泉克夫のコラム

  【知道中国 869回】             
   ――mens fada in corpora salop・・・狂った精神は汚れた身体に宿る
     『ロラン・バルト 中国旅行ノート』(ロラン・バルト 筑摩書房 2011年)
 ▽
 記号論、構造主義で知られたフランスの哲学者・批評家の著者(Roland Barthes:1915年~80年)は新左翼華やかなりし当時、フランス共産党に反対し、ソ連を修正主義と批判していた。我が国にも蔓延っていた無責任な新左翼にとっては、ゴ本尊サマだった。

 1974年、そんなロラン・バルトが数人の仲間と共に、在仏中国大使館の招きに応じ、毛沢東思想原理主義を掲げた四人組が猛威を振るっていた文革末期の中国を旅行する。「現地の中国人との接触が持たれないように、旅行コースはあらかじめ決められ、添乗員・通訳が常に同伴する上に、参加者が各自費用を負担するという旅行計画であった」(「訳者あとがき」)
■襞のない国。風景は文化に仕立て上げられていない(土地の耕作を除いて):歴史を物語るものは何もない。・・・風景はだんだん素っ気ないものになる。味気のない国。/訳者は「cultureには「耕作」と「文化」の2つの意味がある」と注記する。

■すべてが中華思想。他国にも同様にさまざまな社会や村落がありうるという考えは全くない。民俗学はもみ消されている。比較研究は皆無。
■中華社会主義思想:すべては愛する公社、原始的な集産主義への嗜好。
■2人の若い労働者がいるテーブルにつく。彼らはとても清潔で、細い手をしており(《修理工》だろうか?)・・・ここの《労働者》は皆、細くて清潔な手をしている。

 この中国旅行の10年程前、大躍進の飢餓地獄に苦しんでいたはずの中国に招待された日本文学代表団に参加した若き日の大江健三郎は、「僕がこの中国旅行でえた、最も重要な印象は、この東洋の一郭に、たしかに希望をもった若い人たちが生きて明日にむかっているということだ。
・・・ぼくらは中国でとにかく真に勇気づけられた。・・・一人の農民にとって日本ですむより中国ですむことがずっと幸福だ、とはいえるだろう」と感涙に咽んだ。
 毛沢東=共産党政治の詐術に、大江は「一人の農民にとって日本ですむより中国ですむことがずっと幸福だ」と見事に引っかかる。
だが、同じ招待を受けながらもロラン・バルトは「細くて清潔な手」な《労働者》に疑念を抱く。新左翼とはいえ、さすがにゴ本尊サマだ。“眼力”が違う。 
 それにひきかえ情けないのが大江だ。やはり目は節穴だった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 若い「労働者」の、細くて清潔な手に疑念を抱いた者。
 修理工ならば、もっとガサガサした、爪や指紋にいくら洗っても落ちない、機械油の染みついたごつい手をしていることを知っていながら書いてるみたいですね。つまり、「彼らは労働者ではない」、と。
 農民だったら、宮沢賢治も詩の中に「~ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を、おれはこれからもつことになる」、とうたっているように、決して労働者は「細くて清潔な手」ではない。
 
 そしてもう一方は。 
 「この東洋の一郭に、たしかに希望をもった若い人たちが生きて明日にむかっている」
 「ぼくらは中国でとにかく真に勇気づけられた」
 「一人の農民にとって日本ですむより中国ですむことがずっと幸福だ、とはいえるだろう」
 大躍進運動の爽やかな笑顔の裏側は全く見えてない。見ようとしなかったのか。それとも単に見えなかったのか。

 見えなかった。そして、後になってそれに気が付いても、今度は頑なに見直そうとしなかった…のではないか、と思います、「沖縄ノート」問題のその後を見ると。 
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正論、ですね。

2021年01月19日 | 心の持ち様
  週刊正論編集部

メルマガ「週刊正論」令和3年1月19日号
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【朝日新聞にそっくり返したい「説明責任」】

 朝日新聞は19日付朝刊の社説で「首相の覚悟が見えない」と題し、菅義偉首相の施政方針演説を批判しました。新型コロナウイルス対策とともに取り上げたのが、「桜を見る会」問題でした。

「首相は『政治家にとって、何よりも国民の信頼が不可欠』とも述べたが、本気でそう思い、説明責任を尽くそうとしているのか、はなはだ疑わしい』

 そっくりそのまま朝日新聞に返したいと思います。というのは、朝日新聞は「桜を見る会」を執拗に追及しますが、朝日新聞自身が推し進めた「従軍慰安婦の強制連行」について「説明責任」をとうてい果たしていないからです。

 慰安婦問題をめぐっては、元朝日新聞記者の植村隆氏がジャーナリストの櫻井よしこ氏らを相手取って名誉棄損で訴えていました。  
 最高裁は昨年暮れ、一審・二審に続き、植村氏の請求を棄却し、植村氏の敗訴が確定しました。
 月刊「正論」2月号で編集部の安藤慶太編集委員が、「司法も事実認定した元朝日記者の『ねつ造』」と題し、詳報していますのでぜひお読みください。一部をご紹介します。

「(判決で)植村氏の記事に意図的な事実の捻じ曲げがあった、即ち『捏造』だったことを裁判所が事実認定したのである。
 これは朝日新聞がこれまで、繰り返し述べてきた説明を根底から覆すものである。植村氏の『捏造』が事実として認定されたことで、今後の焦点は朝日新聞社が推し進めた『従軍慰安婦の強制連行』という虚構の報道における新聞社としての具体的な意図や悪意を解明することになるだろう」

 朝日新聞は2014年8月の検証記事で、「意図的な事実のねじ曲げはない」と結論づけました。
 しかし、櫻井氏や同じく植村氏から訴えられた麗澤大学客員教授、西岡力氏の判決(一審・二審)で、植村氏が意図的な事実の捻じ曲げによって、事実と異なることを「あえて」書いたと認定されました。安藤氏も書いているように「朝日新聞がこれまで単なる言葉の誤用に過ぎないとしてきた説明が根底から崩れ去る重大事」であるのです。

 朝日新聞はさきほどの社説で「まずは、菅政権が前政権の『負の遺産』を直視し、信頼回復に全力を挙げることが不可欠である」と書きました。
 朝日新聞も慰安婦問題ですべきことはこの問題を直視し、安藤氏が強調したように「当時の編集意図や作為について具体的に説明」することでしょう。

  (以下略)

・・・・・・・・・・・・
 「新聞に大々的に事情説明記事を載せたから、既に説明責任は果たした」、というスタンスですね、確か。
 とにかく訂正記事なんて、まず出さない「大」新聞社。出さない理由は「記事の信頼度を下げるわけにはいかないから」。「ロールスロイスの故障車無料修理伝説(修理どころか故障があったことすら認めない)」みたいだけど、「報道」が第一の新聞とは質が違う。
 そこに「信頼度」とか「信用」とかを持ってくるべきなのは「商いの道」。


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合州国はひどいけど、合衆国はもっとひどい。じゃ、共産主義国は・・・?

2021年01月18日 | 心の持ち様
 「フィリピン人と、コルト45」
  2016.10/09 (Sun)

 最初に来たスペイン人は、悪かった。
 次ぎに来たアメリカ人は、もっと悪かった。
 その次ぎに来た日本人は、さらに悪かった。
 帰ってきたアメリカ人は、最悪だった。 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ドゥテルテ大統領のこと、西村眞悟氏がこんなことを書かれていました。 

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 西村眞悟の時事通信       平成28年10月5日(水)

 「ドゥテルテ発言の背景にあるフィリピンの歴史と現状」

 ロシアからフィリピンを連想した訳ではないが、ロシアの次ぎにフィリピンについて書いておきたい。
 フィリピンの新大統領ロドリゴ・ドゥテルテの発言の背景を知っておく必要があると思うからである。
 
 フィリピンは、ポルトガル人のマゼランが、一五二一年、スペインの艦隊を率いて太平洋の東から到着してから三百年間以上、スペインの植民地となり国名もスペイン国王のフィリップ二世にちなんで付けられた。
 しかし、スペインは、南のミンダナオなどのムスリム地帯を遂に平定できなかった。
 スペインとムスリムのモロ族は、ミンダナオなどで三百年間戦い続けたのである(モロ戦争)。
 
 さて、一九一一年以来七十四年間、アメリカ軍の正式軍用拳銃は、日本名コルト45自動拳銃(M1911、ナインティーンイレブン)であった。
 そして一九八五年に軍の正式拳銃がべレッタ92Fになった後にもコルト45はアメリカ軍の特殊部隊などで現在も使われ続けている。
 このコルト45の誕生こそ、フィリピンとアメリカの関係を如実に示すものであり、ひいては、今年九月のロドリゴ・ドゥテルテフィリピン大統領のオバマアメリカ大統領に対する発言につながってゆく。

 一八九八年、アメリカとスペインの米西戦争の最中、戦場のアメリカ軍から拳銃に関して次の要請が参謀本部に届いた。
 「一発で、敵の動きを止められるだけの威力が欲しい」
 この要請を受けて、コルト・ファイヤーアームズ社がジョン・ブローニングの考案のもとに制作したのが45口径の自動拳銃コルト45である。
 では、その戦場とは何処で、「敵」とは誰か。
 場所は、「フィリピン」であり、「敵」とはスペイン人ではなくフィリピン人またムスリムのモロ族である。
 米西戦争の最中、アメリカ軍はフィリピンでスペイン軍だけではなく、それまで、独立のためにスペインと戦っていた原住民やモロ族とも戦った。
 そして、その「敵」は、アメリカ軍にとって始めて遭遇する恐ろしい敵であった。
 彼らはジャングルに潜んでいて、突如、蛮刀を振りかざしながらアメリカ軍に突撃して来た。
 その時、アメリカ軍の正式拳銃であった38口径の回転式拳銃では、弾が命中しても彼らは止まらず走り続けて切り込んできた。
 それで、フィリピンのアメリカ軍兵士は、一発の弾で彼らを倒せる大口径弾を連続発射できる拳銃を欲したのである。
    (略)
 アメリカがミンダナオを制圧し全フィリピンを平定したのは、米西戦争から十七年後の一九一五年である。
 その間、アメリカ軍は、ルソン島で六十一万六千人のフィリピン人を殺し、
 レイテ島では現地人にアメリカ軍三十八人が殺害されたことに対する報復として十万人以上のフィリピン人を殺した。
 その他の多くの島々からなるフィリピン全土で、一体何百何十万人がアメリカ軍に殺されたのか私は知らない。
 アメリカ軍が見せしめのためにフィリピン人を殺した残虐で執拗な殺戮の様子を、高山正之さんが週刊新潮(16.9.29)の「変見自在」に書かれている。それを読めば、アメリカ人はシナ人と同じように残虐である。

 昭和二十年の硫黄島において、アメリカ軍は次の「無期限の日本人狩り許可証」を発効している。
 
       Jap Hunting 
         License
  GOOD FOR DURATION OF SEASON
  No,1664         Open Season 
                   No Limit  
 
 この実物の写真を東京都写真美術館で観た(アメリカ在住杉本博司撮影、11月30日まで展示)。
 この硫黄島の三十年ほど前にも、アメリカ軍はフィリピンで「フィリピン人狩り(Hunting)許可証」を発行してフィリピン人を狐を狩るように殺しまくっていたのではないか。
 その時のアメリカ軍の最高司令官は、ダグラス・マッカーサーの親父のアーサー・マッカーサーだ。
   (略)
 フィリピン人は、以上のフィリピンの歴史の中で度々交替した支配者に関して次のように言うのだと教えられたことがある。
 
 最初に来たスペイン人は、悪かった。
 次ぎに来たアメリカ人は、もっと悪かった。
 その次ぎに来た日本人は、さらに悪かった。
 帰ってきたアメリカ人は、最悪だった。

 さて、新しいフィリピン大統領のロドリゴ・ドゥテルテは、一九四五年(昭和二十年)三月、レイテに生まれた。
 父は、華人の血をもつ。母はミンダナオのマラオナ人である。
 貧しい中で育ち、大学を卒業してから十年間、検察官をして、ミンダナオの政治・経済・文化の中心都市ダバオの市長を合計七期務めた。
 そして、本年六月三十日フィリピンの大統領になった。
 
 このドゥテルテの生年である昭和二十年から何が分かるかというと、彼はスペイン人より悪かったアメリカ人、アメリカ人よりさらに悪かった日本人、帰ってきた最悪のアメリカ人の行状を、生々しく祖父母や両親から聞き、また自らの目で見て耳で聞いた世代であるということである。

 ドゥテルテは、ダバオ市長時代もダバオの犯罪撲滅と治安維持に辣腕を振るったというが、大統領になってからは、さらに過激な麻薬犯罪撲滅を打ち出して、捜査機関に麻薬に関するマフィアや密売人の現場での即射殺を促し、警察は、既に千名以上を射殺していると伝えられている。
 このことが報道されてから、かつて警察庁の警察官から外務省に出向して在フィリピン日本国大使館に勤務した大学の先輩から聞いたフィリピンの治安状況を思い浮かべた。
 それは、フィリピンでは全ての犯罪者が拳銃を所持していて、素早く撃ってくる。
 警官は、相手を銃撃で倒しても、必ず近づいてトドメを刺さなければ、安心できない。
 という状況であった。
 その状況の中のドゥテルテ大統領の強硬方針である。
 従って、千人の麻薬犯罪関係者を警察が射殺した後でも、八十%のフィリピン国民はドゥテルテを支持している。

 そこで、アメリカのオバマ大統領は何を言ったのか。
 麻薬犯罪者の射殺は、人権上問題であるとドゥテルテ大統領を非難したのである。
 そこでドゥテルテ大統領は、カチンと来た。
 アメリカ人は、俺の生まれたレイテでも何十万人を殺しまくり、俺の母親の郷里のミンダナオでも何十万人を殺しまくった、お前ら、アメリカだけには、俺が人命軽視だとは言われたくないワイ、と。
 さらにドゥテルテ大統領は、アメリカからフィリピンへの武器供与を拒否されたことを明らかにして、また言った。
 アメリカの武器なんかもらうか、ロシアやシナからもらうワイ、と。
 その時、ドゥテルテの脳裏に、アメリカの武器は、ナインティーンイレブンの様にフィリピン同胞を一発で殺すために造られたのではないか、という記憶がよぎっていたのかも知れない。
   (略)
 ドゥテルテでなくとも、私においても、アメリカ大統領は、あんまり、人権や自由やと、ええ格好言うな、と言いたくなる。
 それでも、アメリカ人がええ格好を言うならば、貴公らの西部開拓は、開拓」ではなく、数百万の先住民の「土地と命の略奪」である。
 東京で一夜にして、非武装の婦女子老人を十万人以上焼き殺し、広島と長崎の無辜の市民の上に原子爆弾を投下したお前らには言われたくない、と言いたくなる。

http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1249

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 コルト45にこんな誕生譚があった、なんて知りませんでした。
 インドシナ半島では日本軍の吶喊の声を聞いただけで英兵は算を乱して敗走した、とか。
 けど、フィリピン人は撃たれても切り込んでくる。田原坂の西郷軍もこんな感じだったんでしょう。

 日本軍は、敵艦船の種類によって(軍艦を最高点とする)撃沈等の打撃成績点数が違っていたけど、米軍は輸送船であろうが何であろうがみんな同じ点数だった、とか。
 これなら攻撃は、より安全に得点が期待できる軽武装または非武装の艦船に殺到します。日本はそれを潔しとしない風があったと聞きました。長期的に見れば、日本の戦い方はまさに世界の非常識。
 考えてみれば広島・長崎は言うまでもなく、東京大空襲をはじめ、大阪大空襲だって、周辺の都市にしたって、軍人じゃない、非武装の一般住民。それを無差別に殺戮しているわけです。無差別爆撃、それも絨毯爆撃。これこそ大殺戮。正真正銘の大虐殺。

 「一番効果的なのは破壊するより燃やしてしまうこと」。
 「日本の家は煉瓦や石造りの家と違って燃えるから、破壊するより燃やしてしまおう。そのために爆弾を開発しよう」
 そうやって開発されたのが「焼夷弾」でした。開発時点から一般住民を対象にしていたわけです。

 こんな連中が昔の悪行には何の反省も見せず
 「安易に射殺するとは人道上いかがなものか」
 と言ってくるわけですから。
 「どの口でそれを言うか!」、ですね。

 だのに、メディアはその辺のこと、一切言いませんね。何で
かな? 
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「これでおしまい」(まえがきの転載、は)

2021年01月17日 | 心の持ち様
 「南京大紀念館」は嘘ばかりで、それを悉く偽物、捏造と看破した本が出版されたけれど、その本の存在を、知ってる人は知っている、程度で、知らない人は全く知らない。
 何しろ高額で、そう簡単には現物を手に入れられない。当然、書店に平積みされる、なんてことはない。全ての写真を解析して載せなければならないわけだから、高額になるのは無理もない。一枚でも見逃したら「それ見ろ。これが証拠だ」とまた振り出しに戻されてしまう。
 大体が以前のWikipediaには「建設は社会党(勿論、日本)の勧めと援助(資金の全額援助)があった」ということや、「その資金の半分は共産党のものになり、半分以下が建設資金になった」とか、「当時の田辺社会党委員長が中心になって行った」等のことが記載されていたのに、今見ると、その辺りは完全に削除されて「鄧小平と中国共産党委員会」の指示の下で作られたとしか書かれてない。社会党の社の字も、熱心な働きかけがあったことも、なかったことになっている。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 当時の南京には市民は20万人もいなかった。日本軍が入城後は平静に戻り、道端で支那人の床屋に髭をあたってもらっている日本軍兵士の写真などが当時の「朝日新聞」にも載っている。
 中国が主張する毎日7000人ずつ「6週間休みなく殺し続けた虐殺」のそのさなかに報道班員としてやってきた作家の石川達三はもちろん、そんな虐殺を見てもいない。
 その後に執筆した『武漢作戦』では、そのときの南京の風景をベースにしたこんな下りもある。
 野口伍長が一等兵に声をかける。
「ちんばをひいとるな。全快したのか」
「もう二、三日すれば全快します」
「今までどこの病院にいたのだ」
「南京にいました」
「南京は賑やかになっとるか」
「はあ、もうカフェでも何でもあります。ネオンサインがついております」

 その南京でガイドについたのが中国共産党の下部機関、南京大虐殺研究会のメンバー・戴国偉で、彼はその目で見てきたように日本軍の「虐殺の模様」を日本語で語り続けた。
 話している彼もその荒唐無稽さに気づいているようで、その辺を指摘すると、彼は唖然とした顔つきでこちらを見た。
 それはあの米国人の表情と同じだった。
 戴某は開き直る。「私はここを訪れた日本の立派なジャーナリストのガイドも務めました。みんな納得しています。疑う声はないのです」
 どんな連中かと聞くと、「朝日新聞の本田勝一」に「筑紫哲也」に「久米宏」‥‥。
「日本人の観光客にも話します。話をすると日本人はみな申し訳ないといいます。泣いて謝る人もいます」
 米国人の言葉に見せる日本人の反応もこれとそっくりだ。
 ただ問題は立派かどうかはともかく本多にしろ、筑紫や久米にしろ、少なくともジャーナリストの端くれにある者が中国人の言い分を検証もしない、調査もしないで、あたかも真実のようにそんな嘘をメディアに流してきたことだ。
 彼らだけではない。
 東京裁判でウェブというオーストラリア人裁判長が「日本は侵略国家だ」といった。それを受けて『朝日新聞』や『読売新聞』は確かめもしないで、日本を侵略国家ということにしてしまった。『朝日新聞』などは戦後60年以上過ぎた今でも、ウェブの言葉について一切の検証なしに日本は侵略国家だったとして社説を書き続けている。
 人々はそうとも知らずに新聞を読み、テレビを見て、そうか日本は侵略国家だったのか、南京ではそんなひどいことをしたのかと思い込んでしまう。
 その逆に中国がカンボジアに地雷をまき、今また石油資源のためにスーダンに虐殺を輸出していることは伝えてはくれない。韓国が竹島を不法占拠して、だから国際調停機関にも持ち込めないで、ただ日本がくれてやるというのを待っていることも教えてくれない。
 暫く身を置いた学者世界には「メディア・リテラシー」という言葉がある。リテラシーとは識字能力を意味する。新聞やテレビが流す報道。それが信ずるに値するものかどうかを見抜く力とでも訳すか。
 本書は日頃の新聞やテレビの報道のどこに落とし穴があるか、どの部分が未検証なのかを探った『Voice』に連載の「メディア閻魔帳」をベースに、日本のジャーナリズムの先天的欠陥について書いた何本かの評論も付け加えた。
 ニュース報道に偽物が混ざっていることを知り、その意図を理解する一助になれば幸甚に尽きる。

          高山正之

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 三回に分けて「まえがき」全文を掲載しました。
 で、肝腎の論はこれから始まるのですから、やっぱりこれは何度も転載をすることになると思いますが、これからは部分転載です。

 ただの噂でしかないものが、下手すると「常識」という何となく再検討(考え直すこと)を許さない雰囲気に満ちた「知識」、となって社会行動までも規定する。社会は建前で成立するものであるからこそ、その建前(常識)はいつも再検討を繰り返すべきなのですが。
 
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