「歪曲報道」(高山正之 著)の中、「日本を敵視する日本のメディア」から。
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『ニューヨークタイムズ』でさえ『日本では女はお茶くみだけ』
実はこういう例は日本の新聞にはいくらでもある。1996年の米国・三菱自動車の集団セクハラ事件もそうだ。
これは米国政府機関EEOC(雇用機会均等委員会)が提訴したもので、三菱イリノイ工場で700人の女性従業員全員が「男性従業員に長期、広範にセクハラをされている。会社に抗議すると逆に解雇をちらつかせて口を封じられていた」という。
記者会見したEEOCのポール・イガサキ副委員長は血筋も顔つきも純粋日系人で、時に日本では女性の地位は低くセクハラはざら、といった「ステレオタイプ化された日本」を仄めかしさえした。
どう見ても日本人にしか見えない男の発言は米メディアを喜ばせた。「日本人」がそういうのだから、これで人種偏見と非難されることはない。進出日本企業が米国内でセックス地獄をつくっているというセンセーショナルな発表は好きに誇張されて米紙を飾った。
『ニューヨーク・タイムズ』は「日本では女はお茶くみだけ。出世もなくセクハラが訴訟にもならない」。『ワシントン・ポスト』は、「これほど広範なセクハラは企業の同意がなければあり得ない」とEEOCの主張を鵜呑みにして三菱セックス地獄を事実として扱った。
三菱は反論する。同社の経営陣はこの地での訴訟のコワさを十分知っている。対処もしてきた。しかし誰が考えたってセクハラを奨励する企業がどこにあるというのだ。
会社だけでなく従業員も怒った。EEOCが「全員がセクハラ被害者」といった当の女性従業員の約半分も参加してEEOCに対して抗議デモを展開した。
米メディアにとってこれはショックだった。大体従業員が会社の名誉のために立ち上がる、なんて話は米国には絶えてなかった。地元紙はここで初めてEEOCの主張に小さな疑問を投げかけた。
しかし、有力紙は違った。日本叩きをこんなことで挫折させたくない。そんなとき、デモ参加者に三菱が賃金を払ったという「事実」をつかむ。感激した三菱が親切にも当日を出勤扱いにしたのだ。米紙はそれを根拠に逆に「デモに参加しないと解雇すると脅した強制デモ」と攻撃を継続した。
ただ、この騒ぎで米紙も恥ずべき集団セクハラをしたのが日本人でなく同じ米国人だったことに釈明の必要を感じた。『ワシントンポスト』は「米国人従業員は日本に研修に行った折、、セックスショーに連れて行かれ、女には何をしてもいいという刷り込みを受け、日系企業という(日本をそのまま移植した)環境に置かれた」と書いた。セクハラした米国人男性従業員に罪はない、彼らは日本人に洗脳されてセックスアニマルになったという風に仕立てた。
この三菱セクハラ事件はもともと「小さな政府」を目指すクリントン政権のもとで御取り潰し第1号と目されたEEOCが延命のためにでっち上げたものだった。というのも、実は過去に取り潰されそうになったとき、ホンダを訴えてカネを巻き上げ、延命に成功していた前科があるからだ。
もう一つ、きわめて重要な事実を1年後、つまり三菱が白旗を挙げ、3400万ドルの和解金を支払った直後にAP電が伝えた。EEOCが実は提訴前に三菱の女性従業員に「言う通りに訴訟に参加すれば仕事を失うことなく30万ドルがもらえる」と説得していた、というのだ。
EEOCの根回しはそれだけではない。
「女性蔑視・日本」を舞台回しに使えば、さすがの日本人も人種偏見だと抵抗するかもしれない。それで、日系市民団体でくすぶっていたイガサキを引っ張ってきた。彼はそれまで日系人に対する偏見と戦ってきたが、ここでころり転向するのだ。
それにしてもなぜ標的が日系企業なのか。
(続く)
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なんともはや、な話です。
「目的のためには手段を選ばない」というのは相当に非情な考え方です。
それに比べればこの話のようなやり方はまだマシ、と思われるかもしれません。
けど、権謀術数というより「言い逃れ・言い訳」で塗り固めたようなこういうやり方は日本人からすれば卑劣極まりない最低のやり方に思えるのではないでしょうか。
「正心誠意」でもって行えば「目的のためには手段を選ばない」ことを認めることができるけれど、「正心誠意」で「言い逃れ・言い訳」、なんて手はありません。