CubとSRと

ただの日記

自分のことだけで精一杯

2022年12月26日 | 日々の暮らし
 12月12日(月)

 昨日も寝坊。でも「二日続けてサボり」じゃ、またズルズルとといったことになるから、力業で散歩に出る。力業って・・・。
 早い話がいつも通りに、ストレッチや血圧測定などを大幅にカットして(つまり、ほとんどやらないで)、とにかく自身を家の外に追い出す。
 5時50分に起きて、散歩に出たのは6時15分。
 結局、昨日はそれだけ。散歩以外、家を出ることなく一日が終わる。
 一体何をしたんだろう、と思うのだが、何もしてない。

 今日は、というと「亜麻色の髪の乙女」で目が覚めた。勿論、ヴィレッジシンガーズではなくドビュッシーの方。
 4時にセットした目覚ましのCD、半分くらいの再生が進んだ辺りがこの曲だから4時半頃か。

 血圧測定やストレッチをして、5時半から散歩。決して早い時間ではない。
 爪先立ちで歩いていたら、50メートルほど先の曲がり角に人影が動くのが見えた。先を行く散歩者だ。
 これだけ離れていれば安心、と格体を20回。やり終わる辺りで背後から足音が聞こえた。道を空けると中学生くらいの女の子がジョギングの速さで何も言わず擦り抜けていく。
 その少し前を、こちらは車道を走る男がいる。歩道をもたもた歩く爺さんがいるので車道に出たのか、それとも前を行く女の子を抜き去ってしまおうと思ったのか、その辺は分からない。

 都合二人が追い抜いて行ったわけだが、すぐにまた後ろから足音。
 散歩は5時前に出なければ落ち着かない、と実感。

 やっぱり散歩だって集中(精神集中)してやったほうが良いだろう。
 「散歩、なんだから。漫然と歩く方が良いんだよ」という意見もあるかもしれないが。
 照れ隠しに「散歩」と言っているだけで、本心はジョギングとかウォーキングなんです。
 それに堅苦しいことを言うと「散歩」は「漫歩」ではない。「自由に思い通りに」歩くのが「散歩」。「立ち止まったり寄り道したり」で、歩くのはただの移動手段、というのが「漫歩」。

 出る前に站椿(たんとう)を7分ほどやったが、ただ立っているだけ、に精神を集中する。やはり効果が出てきている。功果というべきか。
 站椿は立式功(立功)とも言うらしいから、散歩だって「散歩の効果」より「散歩の功」の方が真面目そうでいいかも。
 
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考慮

2022年12月25日 | 日々の暮らし
 12月8日(木)

 4時10分、ではなく5時50分か、散歩に出る。
 起きたのは3時過ぎだったが、先日来の「冬場は朝が遅いから、一時間くらい遅くしてもいいか」という思いが、眠気と肩組んで押してくる。
 でもこれ以上は、と起きて少しだけストレッチをやり、站椿も少しだけやってみた。

 さて、もう時間が時間だし、帰ってきたらすっかり夜も開ける筈だ。
 ならば、と散歩から帰ってのつもりだったゴミ袋を、散歩に行く前に出しに行くことにした。
 近くの奥さんがゴミ袋を二つ提げて前を歩いていく。
 結局、その人が一番乗り。
 「後始末(ネット掛け)はしときますから」と、自分の持ってきたのを奥に入れるついでに、その人のも奥に寄せていたら、三番手が車でやってきた。
 「やっておきますから」と言った筈の後始末をその人に託してその場を離れる。

 東の空は明るくなり始めているものの、辺りはまだ暗い。
 しかし、流石にこの時間になると、散歩やジョギングなど数人とすれ違う。他にも通勤らしい人、犬の散歩のお供(?)もある。

 ジョギングの人には声を掛けない。苦しい思いをして走ってるのに暢気な顔で挨拶をされても、と思われること請け合い。通勤らしい人にも声はかけない。通勤用のデイパックを背負って下向いて急ぎ足。苦い表情をしている人が多い。こっちを見て「仕事もしないでいいご身分だ」と思ってる?それとも、日々の仕事に疲れているけど働かねば生きていけない、という苦悩の表情?

 散歩の人には大概の場合、声を掛ける。多くは無視される。
 最近よく遭う小太りの大きな男は初めっから声を掛けても全くの知らん顔をして通り過ぎたので、以降は声を掛けてない。テキも視線をこっちに向けてきたことは一度もない。

 中には、無視したのか聞こえなかったのか分からない場合もある。擦れ違う時にワイヤレスのイヤホンを着けていたのが見えたことも。
 「着けているので声が聞こえなかった」のか、「声を掛けられるのが嫌でイヤホン着けている」だけなのか、それは当人に聞かなければ分からない。
 勿論そんなことは聞かない。
 彼らはこう思ってるんだろう。「イヤホン着けて『聞こえてない』という意思表示をしてるんだ。それくらい分かってくれよ」。

 ただ、彼らは大事なことを忘れている。擦れ違うまでの数秒間、対象は必ず彼の視野に入っている。擦れ違うまでの数秒間、対象は(彼のために)衝突回避や挨拶などの何らかの行動を取っている。「人間」として当然のことを言われずとも彼に対してしているということだ。
 それに対して文字通りの「傍若無人(傍らに人無きが如し)」で道を歩く、ということは人間社会を否定している、ということでもある。「分かってくれよ」「分かれよ」、は甘えでしかない。

 「何を大袈裟な」?いやいや、一事が万事。
 お互いが車を運転している状態(自身が公道を走る車)だ、と思えば。
 だから「歩きスマホ」は駄目なのよ💛


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一夜明けて (続き)

2022年12月24日 | 日々の暮らし
 「ついでのついで」のドライブは、いつもの買い物ツーリング。

 ドラッグストアで焼酎、料理酒、醤油。
 ビニール袋を二枚しか持ってきてなかったのが判明し、「どうせ酒も飲めないのだし」と買い物はそこで切り上げ。
 何しろ治療費を払った後、そのままで置けばよいものを、もう持ち歩く必要はないから、と今月分の生活費の入った封筒をショルダーバッグから出してしまった。
 その心配はないと思うが、もしかして買い物の金が足りなくなったらちょっと以上に慌てて、しまい込んでいる金を秘密の保管場所から引っ張り出さねばならない。
 これが面倒くさい。当然時間がかかる。清算している時だから、それだけでも迷惑なのに後に人が並んでいたりしたらこれはもう目も当てられない。

 まあ、前に書いた通り、一週間は酒を飲めないのだから、買わなきゃならない物(=酒の肴になるもの)はほとんどない。
 ・・・とは言いながら、酒は飲めずとも食べる物は必要だ。それに保存できるものはいつ材料を買ったって良い。そうなると生姜や魚は買っておかなきゃ。・・・というわけで、明日はSRで出直すか。

 さて、明日のことは明日。
 では、今日はこの辺で、寝る。


 あ、書き忘れていた。
 SRのフロントタイヤのバルブキャップ。先日、GSで空気圧調整をしてキャップを締めたら、さほど力を入れたわけでもないのに首ちょんぱになってしまった。腕のたつ介錯人の一太刀。皮一枚でつながっている。
 元々が、以前に空気圧調整をと別のGSでコンプレッサーを借りようとしたら圧力が足りず、すぐには使い物にならなかったということがあって、その時キャップをその場に忘れてきてしまったという間抜けな過去が原因だ。
 後でそのことに気づいたけれど、小さなものだし何日も経ってからのことだから、もうないだろうとそのまま再び忘れてしまっていた。

 オイル交換時だったか、バイク店でキャップのないのを見つけてくれて、手元にあったのを着けてくれた。おそらくタイヤ交換時などに外したキャップを取っておいてあったのだろう。
 早い話、既にそれなりの物だったわけだから割れてもおかしくはない。新品をわざわざ買ってくるほどのものではないが、だからと言ってそんな時のために取っておいて客に着けてやる、という親切は決して当たり前のことではない。
 で、無心に行った。二十数年間バイクを買いに行ってないけど。(車検、整備、点検は全てお願いしている)
 
 キャップをもらって帰り、早速交換する。
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一夜明けて

2022年12月23日 | 日々の暮らし
 12月6日(火)

 寝たのはおそらく10時半。
 朝は4時過ぎてCDが終わる頃に目が覚める。何でセットしている時間の3時45分に目が覚めなかった?と思ったら、先日ボリュームを下げたままだったから。
 まあ一番日の長い時のことを考えたら今は一時間ぐらい遅らせた方が良いのかも。冬至が近いんだし。と怠けたことを考えてみる。いや、半分本気だけど。

 散歩に出たのは5時10分。帰ってきたのが6時少し前。
 出る前に站椿を5分。僅か5分だけれどやはりこれが一番大きいようで、五本指の靴下を片足立ちでふらつかず履けるようになってきた。
 (現在進行形だから。「いつもふらつかない」わけではない。)

 帰って来て、そのまま朝食の準備にかかる。御飯にしようか粥にしようか、それともパンにしようかと考えて、結局パンにする。
 バゲットを半分、玉ねぎのオリーブオイル炒め卵とじ。・・・にバルサミコ酢をどっとかける。
 これを削ぎ切りにしたパンに載せ、食べる。もう何年もやって居るが不思議なくらい飽きない。

 8時過ぎ、バス停に。8時半過ぎの電車で鈴蘭台に行き、病院の受付に礼を言って、停めさせてもらっていたコペンに乗り、帰る。

 ということだったのだが、礼を言ってから駐車場を出るまでが長かった。
 一晩外に停めたのは田舎にいた時以来だ。
 雨に打たれたかと思うくらい濡れている。
 あ、雨が降ったんだった。
 
 昨日は検査を終えて、一時間くらい眠って、それから目は醒めているものの頭は半分眠ったままだったのかもしれない。検査時の状況説明を受けているのを覚えてはいるのだが、一夜明けた今日、何となく靄が掛かったような記憶しかない。
 検査を終え、眠りから覚めて説明も聞いて、服に着替えようとベッドから降りようとしたらふらついた。
 「あれっ?」と思ったことは覚えている。これでは迂闊に歩いていると躓く。下手すると転倒するかもしれない。そう思いながら病院を出た。
 駅に戻った辺りから霧雨が降り始め、家に帰った頃には小雨に近くなっていた。後で本当に小雨(もしかしたら普通に雨)になったのかもしれない。少なくとも鈴蘭台辺りは。

 さて。
 このままでは屋根も開けられない。前の見えないのはワイパーで片付くけど、左右の窓は全く外が見えない。
 あ、そうだ。ついでだから洗車に行こう。

 洗車が終わる。また思いついた。
 車もきれいになったことだし、もう一つついでに、ドライブに出よう。

 今日は雲一つない青空だ。
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当日

2022年12月22日 | 日々の暮らし
 12月5日(月)

 起き掛け、血圧が170を超えていて、続けて何度測っても150前後。一体どうなることか。
 下手をすると検査が延期になるかもと思ったが、そんな心配の前にまず嘔吐することなく下剤1,8リットルを飲み切ること。全てはそれから。

 8時前から飲み始め、3分の2近く飲んだあたりから下痢が始まる。
 今回は吐くことなく飲み終え、11時頃には下すのも大体収まった。
 
 12時半頃、出発。到着は1時。
 検査開始は1時半からだったが、準備もあるのでいくらも待たずに検査用の穴の開いた紙パンツに穿き替え、Tシャツの上に手術時に着る上衣を着て検査室に連行される。
 と言っても、こちらは手術台の上に載せられたままの移動。

 「お願いします」と言われ、「お願いします」と応えたところまでは覚えている。
 その次は目が覚めてから。手術中の記憶は見事と言っていいほど「全く」ない。
 何でも4箇所切除したそうで、それなりの大きさがあったような。
 七年前には「残り二つ」ということだったのだから、今回は少なくとも別のものが二つ以上増えていた、ということか。
 少し腫れたような形をしていたり、平坦な場で少し色が違っていたり、と以前の、いぼみたいなおどけた形ではないことがちょっと嫌だったが、特にどうこうといった話はなかった。

 病理検査の結果は二週間後という説明書を読んでいて、それなら19日だなと思っていたら、年明けの七日以降ならいつ来てもらっても構わない、と。
 理由は単純に「年末だから」。
 大変な状態なら「今すぐ!」となるのが病院だろうとテレビの病院ドラマ(?)を見て思っていたから、「年明けの七日以降ならいつでも」なんて言われると、まあ「一分一秒を争うような状態ではない」、と取って良いんだよね?きっと。

 帰り掛け、朝から何も食べてないので新鉄のビル内で弁当を買った。
 「鶏の三色弁当」と「牛肉の時雨煮弁当」。
 どちらもえらく安かったので「ここまで値段を抑えるとは!イオン恐るべし」と感心しながら買った。
 帰ってレンジで温め、食べ始めて驚いた。何んとなしに思っていたご飯の量が、想像の半分の薄さしかなかった!
 「御飯が詰めてある」のが弁当だけど、この弁当は「ご飯が敷いてある」。
 これじゃまるで弁当の底を「ご飯でコーティングしている」みたいだ。
 改めて「イオン恐るべし」。

 ま、内視鏡検査が終わったからと言って、今日から一週間は祝杯を挙げることもできないんだから、これでいいのかな?
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