CubとSRと

ただの日記

いよいよ検査

2022年12月21日 | 日々の暮らし
 12月4日(日)

 11月19日に大腸検査の予約に行ってから二週間。
 随分待ったような気もするけれど、もう二週間も前のことになったか、とも思う。でもとにかく今月に入って落ち着かないうちに「明日」になった。

 問診票を書こうとしたら「以前に内視鏡検査を受けたのは?」という質問があって、初診の時には「10年ほど前」と答えたのだけれど、正確な年数は覚えておらず適当に返していた。
 質問に答えるのにいい加減の重ね塗りをしちゃいかんだろうと思い、ブログを見てみることにした。
 確か4回の入院について大体以上のことは書いた記憶がある。

 調べた。「十年!」などといい加減な。十年前は胆石の手術だ。同じ内視鏡ながら大腸の方は2015年(夏)と2016年(春)。7年半と6年半くらいか。

 前日の今日、朝はご飯を一杯と味噌汁。目玉焼きに厚切りソーセージ。
 昼はなし。夕食は牛肉を入れた肉うどん。
 さっき指示書に従ってコップ一杯の水に十滴、下剤を入れ、飲んだ。

 明日は、あの一番心配な下剤。一升1,8リットル。それを朝8時から飲み始め、9時に飲み終える。美味い酒だって五合飲もうと思えば決死の覚悟なのに、あの不味い下剤を倍の一升、なんて考えるだけで憂鬱だ。何しろ前回は途中であまりの不味さに吐いているし。

 病院で、トイレのそばで、というのなら心配はないのだけれど、行く前に大腸の洗浄を終了しておくことというのが上手くいくかどうか。でもやらなきゃいけないし。
 8時の飲み始めを前倒しして、7時か7時半くらいに開始すれば12時には下痢が収まるだろうか。
 でないと、1時30分の検査開始に間に合わなくなるが。

 まあとにかく干からびるくらいに下すと大丈夫。なるようにしかならないんだから。
 「10時に就寝」と指示書にあった。
 今、9時20分過ぎ。
 
 
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内視鏡検査の前に

2022年12月20日 | 日々の暮らし
 12月3日(土)

 前後するが、昨日2日のこと。
 朝、散歩に出たのは確か4時40分。流石に遅いと思ったが、冬至まで3週間。帰って来てもまだ暗い。東の山の端が薄明るくなった程度。

 先日来気になっていた懐中時計の電池が切れたのと、切れそうになって秒針が2秒毎にしか動かなくなったのと二つ、電池交換に持って行こうと思っていた。
 既に電池が切れている方は、以前に「今度止まったら(時計自体が)もう駄目かもしれません」と言われていたのを交換し、再び動くようになっていたものだった。五、六年延命していることになるか。
 なので、今回は本当に駄目かも、と思って持って行った。
 15分ほどでできる、ということだったので向かいの書店で立ち読みをする。

 電池交換二つで計2200円。どちらもちゃんと動いている。
 家に帰ってポケットから出した時、2秒に一度動いていた方を玄関の床に落としてしまった。壊れた?と思ったが外傷はなく時計も動いている。大丈夫かな?

 帰り掛け、スーパーマーケットで酒の肴を買う。目移りがしそうなくらい美味そうな物が色々ある。
 つい買い過ぎてしまって、里芋を煮たりサラダをつくったりするつもりでいたのだが、易きに流されてしまった。

 明日(日曜日)は内視鏡検査日の前日。注意書きを読むと粥くらいしか食べてはいけないらしい。
 そういえばそうだった。前は市民病院で前日からの食事のセットを渡されて、ダイエット食か断食道場かと妙に感心したんだった。
 今回は「薬局で食事のセットを購入することもできます」と言われたが、大体自分でお粥などをつくって検査に臨んでいるらしい。
 一度(正確には二度)経験しているから、その方が却って安心できる。

 で、検査の日はアルコールは駄目。これをすっかり忘れていた。それどころか一週間駄目、らしい。
 ということは、来週の月曜まで飲めないということになる。
 検査の日が三日に一度の飲んでもいい日(独り宴会)と重なるので、昨日から飲んでないことを加えると十日間酒なしの生活?!

 「三日に一度」だけれど今回に限っては十日も空くのだから、ローテーションずらしてもいいだろう。
 
 ということで12月13日をアルコール解禁日とする。
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サボった

2022年12月19日 | 日々の暮らし
 12月3日(土)
 (これが一回目)

 今日、初めて朝の散歩をサボった。
 3時半頃、目覚ましのCDが鳴っているのに気付き、起きようと思う。
 起きようと思ったまま、また眠る。

 4時半、目が覚めて血圧を測る。上が155ある。これはいかん、と数回測り直すが大して変化はない。
 酒を飲んだ翌朝なのにこれだけ高い、なんてことはこれまでなかった。

 「止めといた方が良いな。どこかの座り込みじゃあるまいし、「連続○○日」を自慢したって意味がない。名目より実利。体調を整えることの方が大事だ」。
 ・・・と怠ける理由を捻り出す。

 結局7時まで寝る。で、起きたのは8時。
 昨晩つくった牛乳粥を朝食にする。
 あとで出掛けようかとも思ったが、今日は用もなし。
 何より明後日が内視鏡検査だ、一つ気になっていたことを明らかにしなければ。

 検査時、痛み止めを使う。眠くなる。帰りには運転できない。
 「だから、バスか電車、タクシーで来てください」
 という話。
 しかし帰りはともかく、行く時にバスを待って、次は電車でというのも心配だけど、タクシーに乗って途中でトイレに行きたくなったらどうする?
 何しろコロナ禍のせいで、本来なら病院で下剤を飲み、腸を洗浄するところを(だから検査は午後になる)、家にいて自分の判断で「洗浄終了」までいってそれから病院に、となるわけだ。下剤を飲んだ時の便意はいきなりやって来るからトイレが近くになければ大変だ。

 それを思うと車で行ってあちらに停めて、翌日取りに行くというのが一番安全じゃないか、と思い始めた。
 預かってもらえない場合は駅の駐車場に一晩停めて置く。そうなると駅の駐車場の料金を調べに行かねばならない。
 資源ごみを出しに行ってついでに見てくるか。
 いや?まずは病院に電話を入れて車を置けるかどうか聞いてみよう。ダメで元々だ。

 ということで、病院に電話を入れたら大丈夫、とのこと。

 安心してダラダラしていたら一日が過ぎた。

 
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また!

2022年12月18日 | 日々の暮らし
 12月10日(土)

 朝起きたら5時50分だった。
 「えっ!?」と思って見直したが、やっぱり5時50分だった。

 目覚ましを4時にセットして二日目。4時半頃起きた記憶はあるのだが。
 また失敗した。
 散歩に出る時間としては土日関係なし、6時を過ぎるともういけない。人がたくさん出てくる。

 しょうがないので朝ごはん。
 昨日、義兄から歳暮が届いたので、今日はそれを受け取りに郵便局へ。
 ついでに「最後の」神戸堂へ行こうと目論む。うまくいけば間に珈琲店を挟むつもり。
 カブで行けば受け取る品物次第で前かごがいっぱいになる(かもしれない)。それに第一「帽子を合わせるために帽子店へ」という算段が成り立たなくなる。カブではそのためのジャケットを着ていけないから。
 かと言って車で行けば珈琲店には寄れない。

 悩んだ結果、やっぱり車で、となった。郵便局の駐車場は広い。そして帽子店の前でなければ車も停められるだろう。
 ということで、10時を回ってから郵便局へ。

 帽子店から二軒分離れたところに車を停める。
 店には先日とはまた違った人がいて、入り口付近の陳列物の加減をしていた。中には先日の女の人がいたが、接客中。
 で、その男の人に見繕ってもらう。

 先日と同じ仕立ての八枚接ぎ、青みがかったグレーのハンティングにする。
 茶色のカシミアのジャケットに合いそうもなかったのだが、被ってみると不思議なくらい違和感がない。同じ生地だからなのだろう。
 「あ、これなら」と思ったのは久しぶり。
 うれしかったからなのか、何となく寄り道はせずにまっすぐ帰る。

 
 そうそう。今日、家を出る前、門扉のところに大きな大根が一本置いてあったんだった。
 通りがかりの人がわざわざ階段を上って門扉の前に置き忘れていく、なんてことはあるわけがないので、誰かが持ってきてくれたんだろう。
 誰かな?と考えるまでもない、持ってきてくれたのは以前に日記に書いた隣家の「SR乗り」。

 早速行って礼を言う。と、氏の曰く。
 「あの大根、ねえ」と言った後に続く言葉が、
 「大根おろしにすると」 
  ん?
 「すごく辛いよ」。
 何じゃそりゃ、と腰砕けになりながら
 「じゃ、蕎麦を買ってこなきゃ」
 とみょうちきりんな返事をしてしまう。
 辛味大根を薬味にして蕎麦を食べることしか頭に浮かばなかった。

 茎の部分は挽肉と炒める。葉の部分は味噌汁の具に。本体を十センチほど輪切りにしてピーラーで削ぎ、白菜と豚肉、だけの鍋にする。

 酒を飲めないのが唯一の不具合。
 前後することになるが、飲めない理由は明日から書いていくことにする。

 (「また」失敗した。というのはつまり、2回目の寝坊、ということで。)
 

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「人が育つ」のは

2022年12月17日 | 心の持ち様
書評 BOOKREVIEW 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

  骨太の女流新星、保守論壇に登場。「故郷忘じがたき候」。
    日本という故郷への不安と地に根を張れないもどかしさ

  ♪
 仁平千香子『故郷を忘れた日本人へ』(啓文社書房)
 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 本書は『表現者クライテリオン』の奨励賞を受賞した女流新人の論壇デビュー作である。クライテリオン奨励賞は、嘗ての『自由新人賞』か、『平林たい子賞』に匹敵するのかもしれない。
 追求するテーマは「なぜわたしたちは不安に苛まれ、生きにくい世の中にあるのか」。隠れていると思われるテーマは「『移民文学』の居場所」ではないか。ともかく哲学風な現代日本の病理を衝く力作である。
 基底に13の文学作品を読み解き、現代人が忘れてしまった故郷への愛し方の痕跡をたぐりつつ、その居心地の悪さ、その生きにくい現実の深い原因を突き止めようとする。
 この主題を見て評者(宮崎)がすぐに連想したのは三島由紀夫の『豊饒の海』にでてくる「日本の根から生い立った暗さ」というフレーズだった。
 著者はまず芥川龍之介が自殺に到る不安と現代若者との共通項を比較検証する。とりあげる芥川の作品は『馬の脚』である。
 「脚は人間の根っこである。どんな大木も小さな花も根がなければ身体を支えられない。人間も脚がなければ地面の上にたつ術がなくなる。近代以降の日本は根を失った。(中略)近代化に急発進した日本に対し、芥川をはじめ多くの知識人は日本の将来を不安に思った。全く馴染みのない西洋の価値観を取り込み、其れまで通り日本人として規範を持って生きていくことは可能なのか。確信はなかった」

 こうして俎上に乗せられる作品はスタインベック、村上春樹、フランツ・カフカ等である。
 敗戦後のGHQ政策はさらに日本から根っこを奪い、史観も国語も台無しにされて、秩序、価値観が改造された。
 「アメリカにおける歴史教育とは偉人教育を指す。現在のアメリカの偉大さを作り上げた先祖の偉業を褒め称えることで、アメリカの子供たちは自然と自国に誇りを持つ」。
 日本の戦後教育はヤマトタケルも徳川家康もろくすっぽ教育せず、大東亜戦争は太平洋戦争と呼びかえされた。
 著者が言うように、「歴史教育とは試験対策に年号と事件名を暗記するという退屈な学問となった」。

 著者は故郷の原点にもどってこう言う。
 「人は何かに自分を結びつけ、関連づけさせることで自分が何者かを認識し、自尊心や自己肯定感をやしなう。帰属感を感じる対象は人間でも空間でも可能である。ある場所への愛着によって帰属感を得るとき、人は居場所を獲得する」(44p)
 それが故郷だ。
 しかし「個人は単体で自立可能であるとする新自由主義の考えは、人間が自尊心や自己肯定観を構築する過程を無視している。帰属感がアイデンティティ形成には不可欠であり、それを媒介するのは土地や共同体や歴史である」(48p)
 かくして著者は文学作品を批評する営為のなかから、グローバルスタンダードの間違いを同時にただして行く。あざやかな筆力である。
 伝統的な死生観を喪失し、生命至上主義におちいった日本人の猛省をせまるのである。
 評者は、また連想してしまった。
三島由紀夫の最後の檄文の一節である。 
「生命尊重のみで、魂は死んでも良いのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君のまえに見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ」(昭和45年11月25日)。
 この檄文を復唱するとき、古代の神々の震えを感じないか?



 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和四年(2022)12月13日(火曜日)
        通巻第7551号より

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「個人は単体で自立可能であるとする新自由主義の考えは、人間が自尊心や自己肯定観を構築する過程を無視している。帰属感がアイデンティティ形成には不可欠であり、それを媒介するのは土地や共同体や歴史である」


 【~生命尊重以上の価値~は自由でも民主主義でもない。~われわれの愛する(歴史と伝統の国)、日本だ」】
 日本に生まれたのだから(普通、その社会への帰属感を持って育つのだから)そうなる(日本人であるというアイデンティティが形成される)のが当然なのにそうなっていないのは、「明治以降の西洋文化の入手と、敗戦時のGHQ による政策が~」という説明が、これまで色々な人によって為されてきた。
 けど、そういった論説は戦後の学校教育には見事なくらいに取り入れられることはなかった。そして今「日本人としての規範」は育てられてない。
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