ブルガリアから庶民の生活を発信している上でいただくブログのコメントはとってもウレシイ!! そんなコメントを下さった方々の中に旧共産主義国や東欧諸国について調べておられる方々がおられます。
その中の一人がイスクラさん。彼女は尼崎で「DDRプラネット」というお店をしておられるのですが、そんな彼女がついに本を出されました!! すご~い!! 一冊送っていただいたのですが、ていねいな取材と「主婦」という目線から、当時のポスターやグッズなどで本の中に共産主義下の東欧諸国やソ連の生活をリアルに再現しています。当時の人々はきっとこんな生活をしていたんだろうなあ~っと。っていうか1ページ1ページがこの共産世界独自の色彩で飾られているのもリアル!! ウチのブログからもいくつか写真を提供させていただきました。
こうしてみてみると、イデオロギーや文化の違いから来る日本との大きな差と、同時に不思議と「似てるぅ~!!」と思えてしまう共通点の両方を発見しちゃいます。本の中で各国の生活の様子と主婦事情を説明するドールたち(つまりは共産主婦たちなのですが・・・)は70年代から80年代初頭に20代の主婦だったわけですから今では60代前後、ブルガリア人の友人たちにも多くいる年代の女性たちが生きてきた世界はこうだったんだ・・・
いずれにしても、30年前、つまり私たちが日本で中学や高校に行っていたころの日本と比べてかなり生活に制限されている面があったんだなァ~と気付かされます。日本では「アンノン族」でお店に行列を作ってDCブランドの洋服を着こなすとか自分の好きな車を買って乗り回していた時、東欧なんかでは何年も待ってようやくトラビ(トラバント)やラーダとか手に入れてたんだもんネ・・・
ブルガリアがEUに加盟して早8年目。ずいぶん人々の生活が変化してきました。たとえば食に関して言うと、冬でもスーパーに輸入のトマトやきゅうりがあるので、大都市圏では主婦が「コンセルビ」(保存食)作りをかなり止めてしまいました。肉類売り場を占めていた合成ソーセージ(?)「クレンビルシ」の棚が縮小され、その代わりもっと上級な燻製ベーコンや肉類そのものが巾を利かせるようになりました。時々日本でも子どものころよく食べた「魚肉ソーセージ」が懐かしくなるように、こちらでも(まだ懐かしむほど長く住んでるわけではないけど・・・)そんなクレンビルシや、その中にチーズを入れた「リヨンスカ・ナデニッツァ」(リヨン風?なの?!)を久しぶりに買ってみると、「大豆は入っていません」とラベルに書いてあったりします。つまり、これまで食べてたのは大豆が入ってたって事ね・・・。
以前はありふれていた本物の乳製品が手に入りにくくなり、野菜もこちらに来たときに食べて感動を覚えたような味の濃いものは市場で見かけなくなりました・・・。
いつの時代もそうかもしれません。 「良い物は廃れて、後になってその貴重な存在に気付く・・・」 ブルガリアでは今も年配の人々が特にそのことを嘆いています。イスクラさんの本、そういうブルガリア人たちに見せたら喜んで懐かしむだろうなぁ~。日本語は分からなくてもネ!!
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いま、仙台からブルガリアに旅行で来ています。旅行前からこちらのブログを楽しく拝見させて頂いてます。
ネコバスも、ソフィアに着いてすぐに見かけたのでなんだか感動してしまいました(笑)。
ブルガリア人の友人のアパートに滞在させてもらってるのですが、昔のアルバムを見せてもらった際、家族みんなが「昔の方が良かった」としみじみ言ってました。スーパーで蜂蜜や輸入物を私が手に取るたびに、「それはフェイクだ。」と、いう友人の意味がこの記事を読んで、少し分かった気がします。
日本はフェイクだらけですね、、、。
日本に帰ったら、さっそくこの本をゲットしたいと思います。
友人は、このブログに興味津々でしたよ(^_^)
たくさんブルガリアの情報を仕入れれたので、滞在がとても楽しくなりました。ありがとうございました。
ブルガリア旅行、十分に楽しまれましたか?ぜひ旅行の感想などお知らせください。日本に帰られてからも当ブログに遊びに来てコメントを残していってくださいね。
私は1980年ごろにブルガリア大使館で公邸の料理人をしていたものですが、帰国後パティシェになりお店もやりましたが、最後は製菓学院の講師で先月退職しました。
60歳ぐらいにブルガリアに長期滞在し洋菓子教室をやるかカフェでお菓子などを作るお手伝いができればと思っていますが、どのように思われますか?
言語は少しづつ思い出せばいいと思っていますし、英語も勉強しようと思っています。
以前こちらの日本大使館におられたんですね!! すごいですね~、「公邸の料理人」ってなんか映画みたい
退職されたということは年金生活者ということでしょうか?年金生活者のビザで滞在する場合、就労できるかどうか、はっきり分かりません。ボランティアで教えたり手伝ったり、ということは可能だと思いますが・・・ また、菓子職人や料理人という専門職でもビザは出ると思いますがどのような書類や手続きが必要になるかはよく分からないのです。お役に立てなくてすみません・・・ もし日本大使館にコネがおありでしたらそちらに尋ねてみるのも手だと思います。
ぜひまた当ブログに遊びに来てコメントを残していってくださいね。
むうちえさんにお聞きしたいのですが、神戸さんをご存知ですか?そちらで日本からのツアー企画などをサポートしている会社を運営されている方です。彼の会社にメールを送っているのですが、全く返事がありません。もしご存知なら、連絡先をお教え願えないでしょうか?
仕事の事とか聞いてみたいと思います。
また、むうちえさんにはブルガリアに遊びに行ったときにはぜひお会いしたいです。
神戸さんは以前間寛平さんの「アースマラソン」でブルガリア部分をコーディネートされていましたね。TVのロケなどをオーガナイズしておられると思うのですが、直接お会いしたこともオフィスに行ったこともないんです。
ただ、以前「地球の歩き方」のソフィア特派員をしておられたのに、ずいぶん前にやめておられるようですね。
あまりお役に立てなくて申し訳ありません。
ブルガリア人の嫁歴6年のぴるごです。
イスクラさんは(本当にたまたま)ツイッターでフォローしているのですが、DDRプラネットが地元にもほど近い尼崎とは!初めてしりました。ぜひぜひ訪れてみたいと思います。
今のブルガリア、庶民と地方は20世紀においてけぼり、お金持ちと都市部住民だけが享受している国だ…と義父母が常々もうしております。
が、規模は異なるにせよ、こちらも似たようなものです。何れにせよ、平和に幸せに暮らしてゆきたいものですね~。
日本大使館の近くにはトランバイはもう走ってないですよ。前にJAICAの入っていた「インタープレッツォ」のところに地下鉄の駅があります。
神戸さんのサイトに書いてあったアドレスを尋ねてみたのですが、「日本人のオフィスなんてないよ」と1階にあるジュエリー屋さんのおばさんに言われてしまいました。そこであってたのかなあ・・・?
ぴるごさん、はじめまして。コメントありがとうございます。返事が遅くなって申し訳ありません。
ブルガリアの都市部は急速にブルガリアのよさが失われつつある、という人も多いです。地方の人が「ソフィアはウジャスだ、ソフィアンツィは性格が悪い・・・」とよく言うのを聞きますよ・・・
ソフィアで日本人の方がお店をしているらしいと聞いていますが、成功されているのでしょうか?