日本から遊びに来てくれたYOKOちゃん、実はブルガリアは初めてではありません。大学生の彼女は2年ほど前学内のチラシを見て、リラ村の孤児院(ブルガリア語で「ドム・ナ・シラッツィ」)でボランティアを募集していたのを知り、のべ3週間ほどそこで働いたそうです。
孤児・・・ 聞くとロマの子達も多いけど、ブルガリア人の子供も多くいたそうです。そして実は孤児ではなく、親や身寄りはいるのにいろいろな事情でそこにいるんだとか・・・。
「(孤児院での生活)どうだった?」と当時の様子を聞くと、まず、住環境は必要最低限だったそうで、トイレなどはもう大変だったとか。うーむ、ブルガリアでは普通の家でもけっこうお風呂やトイレは汚かったり、平気で水が流れなかったりするけど、ここもそうなのね・・・たぶん、もっと。 それから「食べ物は?」と聞くと、YOKOちゃんは、「今までホントのブルガリア料理って食べてないんですよ・・・」 何でも、孤児院での食事はブルガリア料理風なんだけど肉などのけっこう重要な食材が、豆などもっと容易に手に入る材料にかわっていたとか。
でも、聞くところによるとそのリラ村の孤児院は最近閉鎖になってホテルに改築されることになっているんだとか。そこにいた子供たちはバラバラに他の孤児院に移動させられたそうです。でも、YOKOちゃんは、「今リラ村の孤児院がどうなっているか見てみたい!! 行ってみていい?」 というワケで、サンダンスキ、メルニックからの帰り道に行ってみることにしました。
夕方の小さな山あいの村、リラ。道を通る車も少ない田舎です。その、元孤児院の前に車を止めて見てみると・・・とてもひっそり・・・ でも、建物には広い学校の校庭のような庭もあり、ここには確かに以前は子供たちの元気な声が響いていたに違いない、という感じがしました。 いつもは明るく、多少のことでは驚かない強さを持っているYOKOちゃんですが、このときばかりはカメラをにぎり、少し悲しげな面持ちでこの孤児院跡を写真におさめていました。ここにいた子供たちはどうしているのでしょう? 今も元気にどこかで暮らしているのでしょうか・・・。日が落ちるにしたがって冷たい風が吹き始めましたが、YOKOちゃんは名残惜しそうでした。
ちなみにこのリラ村から、ブルガリアの超有名観光地「リラの僧院」までは30分。さらにここは「鱒」がおいしいんだとか。せっかくここまできたので「鱒を食べたい!!」ということでレストランを探したのですが、リラ村のホテルは真っ暗。リラの僧院まで行くうちにレストランがあるだろう、ということで上流に向けて走り出しました。対向車もほとんどなく、おまけに雪まで降り出す始末。ああ、冬タイヤ、履いててよかった! リラの僧院に着いたときにはもう真っ暗で何も見えませんでした・・・ でも、やっと一軒開いていたレストラン!! 鱒のフライとグリルを頼んでみました。付け合せは山盛りのパルジニ・カルトフィ(フライドポテト!!!) う~ん、オイシイ!! 大きな鱒に大満足。残った鱒の頭と骨はこっそり持って帰ってヒゲのおやつになりました。