ずっと気になって心から消えていかない事件があります。
2000年12月30日に世田谷で起きた、一家4人の家族が殺害された
事件です。いまだに犯人は捕まっていません。
私は2001年に息子を亡くしているので、この宮澤さんの遺された
ご遺族のことが、どこか気になっていました。
息子を失ってから、新聞記事やテレビを観ていても他人の死が
どうしても第三者の死と受けとめられないのです。
自爆テロで亡くなった少女のことがニュースに流れると、涙が溢れて
きたり…
悲しい陰惨な事件が後を絶ちませんが、そんな中でもこの世田谷の
宮澤さんの事件は、私の心に忘れるなとくさびを打ち込んだように
残っていました。
柳田邦男さんの本を読んでいたら、宮澤さんの奥さんのお姉さんの
ことが書いてありました。
引用されていた、入江さん(宮澤さんの奥さんの姉)の文章を読み
悲しみや苦しみは、比べることが出来ないくらい深く大きな
ものでしょうが、私の辿って来た道と本当に共通している事に
驚きと、もしかしたら深い悲しみや苦しみから立ち上がる
道筋というもがあるのだろうかと思えました。
入江さんは「頭でわかっていても死を受け容れるには、これほど
難しいものかと、わが身を振り返ってあらためて思います。
あんな形の死を私は一生受け入れることが出来ない
認められないでしょう」と書いていました。
そうなんです。現実に起きている事を受け容れられない。
ここから苦しみが始まるのです。
入江さんも書いていましたが、苦しみの中から出て来る問いは
「なんのために生きているのだろう」というものです。
生きているのが当たり前というものが、すっかり失われてしまう
のです。
柳田さんはこれを「愛する人を亡くすということは、遺された人の
心の中で、もう一つの死が生じることである。
生きる支えとなる柱がなくなったような、あるいは道標のない
荒野をさまようような、虚無感の中で、昨日が過ぎ今日も過ぎて行く」
と記しています。
まさに、私もその通りでした。
そこからの一歩を踏み出せるかどうかは「なんのために生きている
のか」という亡くなった人が遺して行ったこの問いと向き合うこと
でした。
入江さんんもこのことと向き合い続けて来たようです。
私は彼女の文章の中に、私が今まで読んだどの本にもなかった
素晴らしい言葉と出会えました。
「悲しみとの和解」
なんと深い言葉でしょう。この言葉が生まれるまで入江さんは
どれほど苦しまれたことでしょう…
どんなに年月が経っても、悲しみは歴然としてあるのです。
では、なぜこんなふうに笑って日常が送れるのか、それは
時間をかけ、ゆっくりゆっくりと悲しみとの和解をしてきた
からなのでしょう。
去年の暮の新聞に、入江さんの息子さんが、宮澤さん一家の事件を
風化させてはいけないと、今まで遺族であることを言わなかったが
自ら、事件のことを語り始めていると書いてありました。
いのちがいのちを繋いでいます。
「悲しみとの和解」なんと深い言葉でしょう…
2000年12月30日に世田谷で起きた、一家4人の家族が殺害された
事件です。いまだに犯人は捕まっていません。
私は2001年に息子を亡くしているので、この宮澤さんの遺された
ご遺族のことが、どこか気になっていました。
息子を失ってから、新聞記事やテレビを観ていても他人の死が
どうしても第三者の死と受けとめられないのです。
自爆テロで亡くなった少女のことがニュースに流れると、涙が溢れて
きたり…
悲しい陰惨な事件が後を絶ちませんが、そんな中でもこの世田谷の
宮澤さんの事件は、私の心に忘れるなとくさびを打ち込んだように
残っていました。
柳田邦男さんの本を読んでいたら、宮澤さんの奥さんのお姉さんの
ことが書いてありました。
引用されていた、入江さん(宮澤さんの奥さんの姉)の文章を読み
悲しみや苦しみは、比べることが出来ないくらい深く大きな
ものでしょうが、私の辿って来た道と本当に共通している事に
驚きと、もしかしたら深い悲しみや苦しみから立ち上がる
道筋というもがあるのだろうかと思えました。
入江さんは「頭でわかっていても死を受け容れるには、これほど
難しいものかと、わが身を振り返ってあらためて思います。
あんな形の死を私は一生受け入れることが出来ない
認められないでしょう」と書いていました。
そうなんです。現実に起きている事を受け容れられない。
ここから苦しみが始まるのです。
入江さんも書いていましたが、苦しみの中から出て来る問いは
「なんのために生きているのだろう」というものです。
生きているのが当たり前というものが、すっかり失われてしまう
のです。
柳田さんはこれを「愛する人を亡くすということは、遺された人の
心の中で、もう一つの死が生じることである。
生きる支えとなる柱がなくなったような、あるいは道標のない
荒野をさまようような、虚無感の中で、昨日が過ぎ今日も過ぎて行く」
と記しています。
まさに、私もその通りでした。
そこからの一歩を踏み出せるかどうかは「なんのために生きている
のか」という亡くなった人が遺して行ったこの問いと向き合うこと
でした。
入江さんんもこのことと向き合い続けて来たようです。
私は彼女の文章の中に、私が今まで読んだどの本にもなかった
素晴らしい言葉と出会えました。
「悲しみとの和解」
なんと深い言葉でしょう。この言葉が生まれるまで入江さんは
どれほど苦しまれたことでしょう…
どんなに年月が経っても、悲しみは歴然としてあるのです。
では、なぜこんなふうに笑って日常が送れるのか、それは
時間をかけ、ゆっくりゆっくりと悲しみとの和解をしてきた
からなのでしょう。
去年の暮の新聞に、入江さんの息子さんが、宮澤さん一家の事件を
風化させてはいけないと、今まで遺族であることを言わなかったが
自ら、事件のことを語り始めていると書いてありました。
いのちがいのちを繋いでいます。
「悲しみとの和解」なんと深い言葉でしょう…