「書」をやりだしてからだろうか、言葉に以前より敏感になってきた
自分を感じます。
私たちの書は、漢字一文字を書くことが多いので、
自分を感じます。
私たちの書は、漢字一文字を書くことが多いので、
文字の発する
力も体を通過させていかなければいけないので…
口から出る言葉は言霊で
力も体を通過させていかなければいけないので…
口から出る言葉は言霊で
あるから、かなりの力を
持っています。
言葉は、その使われように
言葉は、その使われように
よって、高まる時と
すり減っていく
時があるように
時があるように
思うのです。
私は、震災以後「絆」
私は、震災以後「絆」
という言葉に
引っかかりを覚え使えなく
なりました。
それまで、好きだった
なりました。
それまで、好きだった
言葉なのに…
震災の後、あまりにも
震災の後、あまりにも
安易に「絆」が使われる
ようになったからです。
「絆」とは、そんなに
「絆」とは、そんなに
簡単には使うことの
できない言葉だと
思っていたからです。
こんなことを思う私は、
思っていたからです。
こんなことを思う私は、
変なのだろうかと
思っていましたが、
そのことに対する、
そのことに対する、
詩人の谷川俊太郎さんの
言葉と出会いました。
「たとえば『愛』という
言葉の中身が、年齢を
重ねて、私の場合
若い頃に比べて深まって
若い頃に比べて深まって
いると感じます。
同じ様なことが震災と
いう言語化し難い、
いう言語化し難い、
大きく深い経験によって
『絆』という言葉に
起こったのではないか…
起こったのではないか…
メディア上で多様されるに
つれて、この言葉の中身が
急速に軽く薄くなって
ゆき、個人の心の中では
かけがいのない大切な
ものが、ただの決まり
文句に堕していったのも
事実でしょう。」という
谷川さん言葉
谷川さんのこの言葉を
谷川さんのこの言葉を
反芻するうちに
私の中で、この言葉を
私の中で、この言葉を
封印するのではなく
大切に心に置いて
おこうという思いが
起こってきました。
谷川さんが震災に
谷川さんが震災に
触れた唯一の詩が、
私の心に深く響います。
言 葉 谷川俊太郎
何もかも失って
言 葉 谷川俊太郎
何もかも失って
言葉まで失ったが
言葉は壊れなかった
流されなかった
ひとりひとりの
言葉は壊れなかった
流されなかった
ひとりひとりの
心の底で
言葉は発芽する
瓦礫の下の大地から
昔ながらの訛り
走り書きの文字
途切れがちな意味
昔ながらの訛り
走り書きの文字
途切れがちな意味
言い古された言葉が
苦しみゆえに甦る
哀しみゆえに深まる
哀しみゆえに深まる
新たな意味へと
沈黙に裏打ちされて