友人に「直さん、田口ランディさんの『サンカーラ』を読んでみて」
と、言われたので早速取り寄せ、昨日から読みだしました。
今日、「書」のお稽古に行く途中読んでいて、脳天くい打ちに
あったよう気持ちになりました。
ランディさんの真っ直ぐな言葉に、私の肉体の肉が剥がされて
行くようでした。
思春期の頃の私は、自分も周りも全て「?」で世の中を見て
いました。
それは、思春期特有のものの見方だと思っていました。
自分は、何んなの?と自分探しをしていた時期もありましたが
子育ての忙しさの中で、その問いも消えて行ってしまいました。
それからは何かあると、「自分を信じて!」という言葉に
励まされ、私自身も「信じて進む!」と言ってきました。
それが、『サンカーラ』を読んだら、ランディさんに
「自分を疑え!」と、言われたような衝撃を受けたのです。
その衝撃を引きずったまま「書」のお稽古に行くと、先生が
「書は仏教から生まれたものだから、自分を無くさなければ
本当の『書』は書けないと思うの。先ず、自分を疑ってみる
ことね」と、言われたのです。
私は。更なる脳天くい打ちとなったのです。
参った~。参ったけれど、今私が「サンカーラ」を
読むことも、きっと必然なんだと思えるのです。
人生後半、再びの自分探しが、始まろうとしているのかも
しれません。
田口ランディ、参った 参りました…
と、言われたので早速取り寄せ、昨日から読みだしました。
今日、「書」のお稽古に行く途中読んでいて、脳天くい打ちに
あったよう気持ちになりました。
ランディさんの真っ直ぐな言葉に、私の肉体の肉が剥がされて
行くようでした。
思春期の頃の私は、自分も周りも全て「?」で世の中を見て
いました。
それは、思春期特有のものの見方だと思っていました。
自分は、何んなの?と自分探しをしていた時期もありましたが
子育ての忙しさの中で、その問いも消えて行ってしまいました。
それからは何かあると、「自分を信じて!」という言葉に
励まされ、私自身も「信じて進む!」と言ってきました。
それが、『サンカーラ』を読んだら、ランディさんに
「自分を疑え!」と、言われたような衝撃を受けたのです。
その衝撃を引きずったまま「書」のお稽古に行くと、先生が
「書は仏教から生まれたものだから、自分を無くさなければ
本当の『書』は書けないと思うの。先ず、自分を疑ってみる
ことね」と、言われたのです。
私は。更なる脳天くい打ちとなったのです。
参った~。参ったけれど、今私が「サンカーラ」を
読むことも、きっと必然なんだと思えるのです。
人生後半、再びの自分探しが、始まろうとしているのかも
しれません。
田口ランディ、参った 参りました…