初女さんがご存命の時、「初女さんと
同じようなことをしたいんです。」と
言われる方が、結構いらっしゃいました。
中には「イスキアの名前を下さい。」と
言われる人もいました。
初女さんは、だめとは言われない方でしたから
色々なイスキアが出来ていました。
私は、初女さんのなさっていることが並大抵の
ことではないという思いがあったので、
とてもそういうことは言えないと思って
いました。
今朝、初女さんのことを深く理解している
Kさんと電話で話していてハッとしました。
「ホステスさんが、お客さんの話を
聴いてあげる、それも初女さんなんだよ。
出方は違うけれど、愛なんだよ。」と…
びっくりポンでした。
”出方は違うけれど愛”
色んなカタチの愛があるんだ…
その言葉を耳にした時、初女さんの言葉が
蘇ってきたのです。
『ひとつの出会いがまた次の出会いへと結ばれ
融合し、うねりとなり、波のようにどこまでも
広がっているのが、はっきりと感じられます。
ひとりひとりに森のイスキアが宿っている
そのことがなによりの励みです。』
初女さんの言われているひとりひとりの
森のイスキアは、私たちが生まれた時に
魂の中に持って来た”愛”なんじゃないかって…
”愛”の出方はひとりひとり皆違う
でも私たちの魂(いのち)の中に”愛”は
確かに宿っている!
初女さんは、そのことを信じ続けてくれて
いたのかもしれません。
心の耕しが足りないと、愛はなかなか
育たないかもしれないけれど、私たちは
愛を持って誕生して来ているのだから、
必ず芽を出す時が来ると…
そして、宇宙というのか神様というのか
仏様というのか
あるいは大いなる存在というのか…
そういう無限大の愛に、私たちは包まれて
いるんじゃないかって思えるのです。
私の中に宿っている”森のイスキア”を
育てて行かなくては…